モノ作り・70年前のグラブがメーカで修理された
2006年2月10日に大阪日日新聞に出ていた記事です。
「ゲーリックのグラブ修復 70年前の姿よみがえる」
そのグラブを修理したとはどういうことか?と記事をよく読むと
ということですね。じゃあそのグラブは今までの70年間どこに保存されていて、なぜ元々のメーカに送られて修理することになったのか?も記事は書いています。
とても感動的な話で、だからこそ大阪日日新聞が報道したのです。
時々こういう話題が伝わってくる時に「モノ作りに関わることの一番の達成感」を思い出します。
よく考えると、このグラブを作った職人さんはおそらくは亡くなっているでしょう。1930年代に一流だったのですからご存命であれば100歳以上になります。
作った人が亡くなってもモノは残るのです。
モノ作りとは実際の「物」を作ることそのものではありません。
「モノ創り」なのでしょう。「創造すること」ですから、アイデアもモノ作りです。「これは自分で創った」というのは大きな喜びになるのです。
「ゲーリックのグラブ修復 70年前の姿よみがえる」
ルー・ゲーリッグは、1923年からヤンキースの一員として、ベーブ・ルースとともに活躍した。1932年6月3日には、当時としては3人目となる1試合4本塁打を記録し、1934年に打撃三冠となった。70年前に来日した大リーグの有名選手です。
1934年全米選抜チームの一員として来日している。誕生間もない日本職業野球(大日本東京野球倶楽部)を9戦全勝と圧倒したが、唯一沢村栄治の好投によってあわや完封の危機から全米軍を救ったのが、ゲーリッグのソロ本塁打だった。ゲーリッグもまた、沢村の名を伝説と残すことになった「全米軍のクリーンナップを4連続奪三振」の中にその名を刻んでいる。
ウィキペディアより引用
そのグラブを修理したとはどういうことか?と記事をよく読むと
戦前、米ニューヨークヤンキースで活躍したルー・ゲーリックが使用していた約70年前のグラブを、スポーツ用品メーカーのミズノ(大阪市住之江区南港北)が修復し9日、修理を依頼したJ・トーマス・シーファー駐日アメリカ大使に返還した。有名なスポーツ用品メーカのミズノが70年前に作ったゲーリック用のグラブを修理した。
グラブは同社製で、一九三〇年代に作られた製品と見られる。
ということですね。じゃあそのグラブは今までの70年間どこに保存されていて、なぜ元々のメーカに送られて修理することになったのか?も記事は書いています。
米国の野球殿堂に所蔵されていたが、シーファー大使が日本に赴任する際に「日米の友情にふさわしい品物はないか」と問い合わせ、昨年の十二月に日本に送られてきた。一部が壊れていたため、同社に修理の依頼が寄せられた。アメリカの野球殿堂に長い間展示されていたものが、駐日大使の赴任で日本に来たので元々のメーカであるミズノに修理を依頼したのです。
同社の鶴岡秀樹取締役は「三一年と三四年に来日していた際、(グラブが)渡されたのでは」と推測している。
とても感動的な話で、だからこそ大阪日日新聞が報道したのです。
時々こういう話題が伝わってくる時に「モノ作りに関わることの一番の達成感」を思い出します。
よく考えると、このグラブを作った職人さんはおそらくは亡くなっているでしょう。1930年代に一流だったのですからご存命であれば100歳以上になります。
作った人が亡くなってもモノは残るのです。
モノ作りとは実際の「物」を作ることそのものではありません。
「モノ創り」なのでしょう。「創造すること」ですから、アイデアもモノ作りです。「これは自分で創った」というのは大きな喜びになるのです。
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