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2012.12.31

2012年を振り返る

いよいよ2012年も押しつまって一年間を振り返ってみると、一番大きかったのが石巻市に行ったことです。

確か1月に漠然と南三陸町の風景を写したビデオを見ていたら、12月23日に撮ったという車載映像のビデオに南三陸町の有名な防災センターの鉄骨のすぐそばで営業しているガソリンスタンドがありました。
もちろん仮設のスタンドですが、映像内では唯一の営業しているお店でした。

是非ともこの店にガソリンを入れに行きたい、と思いました。

最初は、1周年で3月11日に行くかという話があって、一緒に行こうとなりましたが、間際になったら一緒に行く予定の人が体調不良で行かないとなりました。

そこで知り合いの女子大生を誘って、車中泊も試しつつ行きましたが、特に当てもなく「とりあえず石ノ森萬画館」といったノリで行きました。

このときには「一年も経ったのだから復旧しているだろう」と思っていたところが大きかった。

しかし現実に見た石巻市は浸水したところが全く復旧していない。
目的地を南三陸町にしていたからカーナビの誘導の通りに走ったら、途中で大川小学校と釣石神社に寄ることになりました。

双方とも人家があった形跡は全くなく、最初から荒野なのだろうと思ったくらいです。
このような点について、知識を修正したのは帰ってきて調べ直してからです。

南三陸町に着いたのは昼頃で、津波襲来の時刻に多くの方と一緒に黙祷しました。

その後、Facebookで石巻・大船渡を案内してくれるツアーに参加して、仮設住宅での生活についても聞くことが出来ました。、

ツアーに参加したことで、Facebook上で多くの素敵な人と知り合いになりました。

雪になる前にもう一度大川小学校をよく見てこようと考えて、11月の末に行ってきました。
翌日には初雪だったそうです。

結局3度行ってきたのですが、1月には仙台でセミナーに参加してきます。
2月には石巻市での理科実験教室を実施します。
その後に、また南三陸町まで行ってこようと思っています。

12月 31, 2012 at 11:43 午後 天災 | | コメント (2) | トラックバック (0)

オリンパスの旧経営陣

サンケイ新聞より「法廷で内紛が勃発!? オリンパス粉飾、責任なすりつけ合いに汲々

2012.12.31 07:00 (1/3ページ)

 「俺は悪くない!」。法廷に、そんな心の叫びがこだました。オリンパスの粉飾決算事件で、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)罪に問われ、年内に3回の公判が開かれた同社元会長、菊川剛被告(71)ら旧経営陣の3人。
「全責任を負う」などと起訴内容を認める一方、被告人質問では損失隠しに反対していたことをそれぞれが強調。

法廷を舞台に、実務を掌握していた元監査役が元経営トップを責め立てる“内紛”まで勃発した。(時吉達也)

 「自分の優柔不断から公表に踏み切ることができませんでした。一切の責任は私にあり、全責任を負う」。

 9月25日に開かれた東京地裁の初公判の冒頭、菊川被告はきっぱりと言い切った。
元監査役、山田秀雄被告(68)と、山田被告の部下として長年隠蔽に携わった元副社長、森久志被告(55)も起訴内容を全面的に認める。

その後の公判で繰り返される当事者同士の「非難の応酬」は、この時点で想像できなかった。

 検察側の冒頭陳述によると、オリンパスは昭和60年代以降、当時の下山敏郎社長の下で資産運用を活発化させたところ、バブル崩壊に伴い金融商品に巨額の含み損が発生。海外ファンドなどに金融商品を買い取らせたり、企業買収に絡む資金を還流させることで、損失の穴埋めを図っていた。

 損失隠しは後任の岸本正寿元会長を経て菊川体制に受け継がれたが、下山、岸本両氏は公訴時効が成立し、立件されなかった。隠蔽工作に携わった関係者それぞれが、公判で反省の言葉を並べる一方、互いの証言によって「別の素顔」も浮かび上がった。

 「『乗っている飛行機が落ちればいい』と現実逃避していた」

 平成5~13年に社長を務めた岸本氏は

捜査段階の供述調書で、粉飾を続けながら損失を拡大させ続けていた当時の心境をこう表現した。
菊川被告ら3人が逮捕、起訴されたことに対し「損失を膨らませた責任はむしろ私にある」と謝罪。
下山氏も
「リスクの高い運用でさらに損失を出してしまった。大いに反省している」
と供述調書につづった。

 しかし、3被告が被告人質問で、粉飾を続けた要因として真っ先に挙げたのは、そんな2人の圧力だった。菊川被告は

13年6月の社長就任後、2人に簿外損失の公表を提案したところ「バカを言うな、会社がつぶれてしまう」と頭ごなしに反対され、断念した
と振り返った。

 山田被告は下山氏について

「絶対的権力があり、陰で『下山天皇』と呼ばれていた」
と明かした。
会社資産の含み損が拡大する中、財テクに詳しかった山田被告は、
下山氏個人の資産運用まで頼まれたというエピソードも“暴露”。「約1000万円の損失が出たため、銀行で借金し、元本と利益を補填して(下山氏に)お返しした」
と、苦々しい表情を浮かべた。

 非難の矛先はさらに、被告人席の同じ長椅子に座る互いの存在にも向けられた。

 「経理や財務の素人の自分は、どう処理すべきか正直言ってわからなかった」

 菊川被告は

社長就任まで、粉飾の事実を全く知らなかったと強調。隠蔽工作の実務を担当した山田、森両被告の存在を際立たせるように、「門外漢」である
ことをアピールした。

 これに対し、山田被告は

“猛反撃”を開始。菊川被告が11年に財務担当の常務に昇格した時点で、当時の岸本社長から実態を知らされていたとし、粉飾状況の定期報告を行う際にも「岸本社長の隣に座り、話を聞いていた」
と指摘した。

 さらに、弁護人から「菊川被告の言動で印象に残っていること」を問われると、語気を強めて続けた。

 山田被告

「昨年10~11月、事件が発覚し、マスコミに騒がれた時に、『俺はこの問題、社長になってから知った。そうだよな』と言われたのを良く覚えています」

 弁護人「その言葉の意味をどうとらえましたか」

 被告

「推測だが、菊川さんとしては自分も被害者だった、という認識だったのではないか。会社のトップとして堂々と記者会見してほしかったが、非常に残念だった」

 山田被告は、

不正工作の一環として18年以降、健康食品販売のベンチャー企業を実際の価値を上回る額で買収した際の菊川被告との会話にも言及。
「菊川さんはサプリメントの分野に詳しく、『利ざやが大きい事業。マルチ商法的に売っていくのも手だ』と話していた」と、
問題発言があったことを明かした。廷内で、2人が目を合わせることはなかった。

 一方、長年にわたり山田被告の部下として粉飾の実務に携わってきた森被告は損失隠しを拒否する考えがなかったのか問われ、こう訴えた。

 「オリンパスに限らず、社長、上司の方針というのは従業員にとって絶対的なもの。それを遂行するのが役割だ」

 「従業員と家族を考え、公表を決断できなかった」(菊川被告)
「当時は『死んで楽になりたい』と考えていた。それでも、支えてくれる部下を思うと、辞めることはできなかった」(山田被告)-。

公判では、それぞれの苦悩が明らかになりつつある。「悪人」は、一人もいなかったのかもしれない。しかし、当事者同士の責任のなすり合いに終始し、社会が事件の教訓を得られないとすれば、それはあまりにも残念でならない。

事を荒立てないことこそが、仕事とやってきたからこんな事になった、とは誰も考えていないんだ。

会社が勝手に進んでいくと思っている。
万一に起きること、とか考えていない。

こういう考え方だと、21世紀になって続々と企業に課せられるようになった、社会的な義務についても「そういう規則になったから」といった「順法精神」で臨むのだろうな?
別の言い方をするれば外部コンサルタントのいいカモだ。、

結局のところ、財テクコンサルタントに乗せられたときと、今現在で何が違っているのか?
オリンパスの現経営陣は非常な危機にさらされている。
いわば、アレルギー反応のような社内での衝突になるに決まっている。

この状況こそが危機であって、過去の経営者のニュースが新聞記事になるようなところこそが危機だというべきだ。

12月 31, 2012 at 10:11 午前 事件と裁判 | | コメント (0) | トラックバック (0)