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2011.01.29

教師の事件・事件よりも教員の資質として問題だろう

読売新聞より「紛失防止で?教諭がパソコン38台無断持ち出し

静岡市教委は28日、勤務先の中学校の備品のパソコン38台を無断で持ち出したとして、同市駿河区の市立中学校の40歳代の男性教諭を減給10分の1(6か月)の懲戒処分としたと発表した。

市教委によると、教諭は2010年9月4日~11月21日に7回に分け、情報担当として管理していたノートパソコン38台を知人宅に持ち出した。

持ち出す際、パソコンに張ってあった備品プレートをはがしていたという。

教諭は市教委に対し、

「以前、自分が管理していたパソコンが勝手に使われたことがあった。
校内で勝手に使われて紛失するのを防ぎたかった。知人に勤務先を知られたくなくてプレートをはがした」
と話しているという。

パソコンは同年3月に納入され、新品の状態で鍵のかかるロッカーに保管されており、12月6日の内部監査で持ち出されたことがわかった。

持ち出されていた間、パソコンの電源が入れられた形跡はないという。

(2011年1月29日08時55分 読売新聞)

2010年3月納入
2010年9月~11月教諭が持ち出し
2010年12月内部監査で発覚。

という事になりますが、おそらくは4月から7月までの前期授業では使っていたのでしょう。
そして、新学期に入ったところで持ち出した。

転売するのであれば、知人宅に預けるなんて事はしないだろうと思うし、そもそも3ヶ月も置いておくとも思えない。
となると「自分で管理するために持ち出した」という主張が正しいとなってしまうが、こんな変な事をする人物に教員をやらせておく方がよほど問題ではないのか?

昨日は、10月に校門のすぐ近くで、学校の塀に沿って登校してきた小学生の列に出勤してきた教師が車で突入したという分けのわからない事故を起こした本人が、宇都宮市内の大きな交差点で追突事故を起こした。
どうも片側3車線になっている交差点なのだが、本人は「道に迷った」とか言っているらしい。

道に迷って、調べているから追突したというのは分からないではないが、片側3車線の道が国道4号と交差している宇都宮駅からまっすぐ来た繁華街での事だ。
そんなところで、道に迷ったからと注意散漫になるものなのだろうか?
根本的にドライバーとしての資質に欠けているのではないだろうか?だからこそ、学校側は「運転しないように」として、当面謹慎処分になっていた。しかし、レンタカーで事故を起こした。

どちらの例も、なんか異様な視野狭窄状態ではないのか?
教師が一般人とは違う価値観が身についているというのは、非常に良くないし、仕事柄わずかな兆候にも周囲が正しく判断しないと、大事件になる可能性がある。

PCを学校外に保管した方がよい、と考えるというのは明らかに異常で、こんな人物に教師をやらせるわけにはいかない、となぜならないのか?

1月 29, 2011 at 11:22 午前 教育問題各種 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2011.01.28

幼稚園の私学助成を廃止?

東京新聞より「幼稚園への助成廃止検討 こども園に誘導、反発も

2011年1月28日 朝刊

政府は二十七日、私立幼稚園に対する運営費の補助に当たる「私学助成」について、幼稚園と保育所の一体化施設「こども園」が創設される予定の二〇一三年度をめどに廃止する方針を固めた。

文部科学省の私学助成と厚生労働省の保育所運営費を「幼保一体給付(仮称)」に一本化する。

しかし、国の基準を満たさない幼稚園は新しい給付の対象にならないため、幼稚園サイドから強い反発も予想され、関係者との調整は難航しそうだ。

政府は、新しい子育て施策「子ども・子育て新システム」関連法案に盛り込み今国会に提出する方針で、二重行政の解消など幼保一体化の成果を打ち出す狙いがある。

新システムでは、給付の対象は国の基準を満たすこども園、乳児保育所、幼稚園。

受け取るには、職員一人当たりの子どもの人数や施設の設備基準を満たす必要があるほか、子どもが入園を希望した場合に正当な理由なく入園を拒否できない「応諾義務」を負う。

保育サービス料も原則、国が定める公定価格に従わなければならない。

ただ、応諾義務に拒否感を示す幼稚園関係者は多く、こうした基準を拒んだ場合は幼保一体給付を受けられないため、保護者の負担が増える可能性もある。

政府関係者は「幼稚園として残る施設についても保育所機能を持つようになり、事実上のこども園化が進むだろう」と話している。

なんというか、実力行使のつもりなのでしょうが、こんな回りくどい事をやるのなら、幼稚園と・保育園を一気に廃止して、こども園として作り直すべきでしょう。
そして、そんな事は現実には出来ない。

幼稚園が反発するのはもちろんですが、私学助成が無くなると、事実上の野放しになるでしょうから、幼稚園ではなくなって、小学校の予備校となるかもしれない。
政府は一体どうするつもりなのだろう?

1月 28, 2011 at 11:57 午前 教育問題各種 | | コメント (0) | トラックバック (0)

テレビ離れは世代を超えて

東京新聞より「地デジ化まで半年ですが… 若者はテレビ離れ?

2011年1月24日 朝刊

七月二十四日の地上波の完全デジタル化まで、あと半年に迫った。テレビ業界や総務省は、デジタル対応テレビへの買い替えなどが遅れる“地デジ難民”が出ないよう、今後取り組みを加速させる。

一方で、インターネットでの情報収集や動画視聴をしている若い世代で、完全デジタル化を機にテレビ視聴をやめるという調査結果もあり、その動向が注目されている。
テレビとの距離感について、上智大学の学生に聞いてみた。 (早川由紀美)

協力してもらったのは、新聞学科の学生たち。ゼミの後、残ってもらった二十一人に、

「余暇の過ごし方でテレビよりもネットを優先する」
という人を聞くと十四人が手を挙げた。
「浪人のころから見なくなった。純粋に面白くなくなった」
「興味が偏ってきた。サッカーが見られればいい」
などがその理由だ。

自宅から通学している斎藤千明さん(20)は、リビングとは別に自分の部屋にあるアナログテレビを地デジ対応に買い替えるかどうか、迷っているという。

「集中して見るなら、録画をしておいてリビングで見ればいい。インターネットをするようになって部屋のテレビを熱心には見なくなった。ユーチューブやミクシィの方が面白い」

佐藤駿さん(20)は

「テレビ離れはコンテンツの質の低下ではないところに原因がある」
と考えている。

電車広告でテレビ東京のドラマ「モリのアサガオ」を知り、見たいと思ったが放送日時を忘れてしまい、そのままになった。

「ドキュメンタリーなどで見たい番組があっても、それに自分の時間を合わせるほどには意識を向けていない」。
DVDレンタルや、ゲーム機などへの有料配信など、見逃した番組を気軽に見られる仕組みを充実してほしい
という。
熱心なテレビファンではないものの、環境が整えば番組を見たいという潜在的な欲求はあるようだ。

就職活動中の学生は、情報収集に不可欠なネットに軸足を置かざるを得ないという事情もある。
一方で

「テレビを見ながら家族で話し合うことも多いため、重要なコミュニケーションツール」
=花山りささん(21)=という声もある。

「テレビをやめてもいいと思う人」に手を挙げてもらうと、「日本のバラエティーは笑いのコードが合わない」という留学生一人だけだった。

テレビをやめない理由について、宮島紗穂さん(20)は

「わが家は一人一台テレビがある環境で育ってきた。
今まで二十年間生きてきて、テレビがなかったことはないから」
と説明してくれた。

最後に「テレビに一言」というお題で一人ずつ紙に書いて掲げてもらうと、

  1. 「生活の一部」
  2. 「空気みたいな存在」
  3. 「寂しいときに、ふとつけるもの」
などの言葉が並んだ。蜜月関係とはいえないものの、長年連れ添った夫婦のような情愛が、学生とテレビの間には流れているようだ。

◆「残るは高齢者世帯」地デジ普及でNHK

日本民間放送連盟の広瀬道貞会長は二十日の定例会見で

「デジタル放送受信機の普及台数が一億数千万台になったもようで、このままいけばアナログと変わらない台数で七月を迎えられそう」
と地デジ化に向けた環境が整いつつあるとの見通しを示した。
だが、「世帯普及率が100%でなければテレビ離れにつながる」との懸念も。
NHK経営企画局の土屋円専任局長は
「各種調査で、残っているのは高齢者世帯。最後は手に手をとって一緒に渡るような取り組みが必要になるだろう」
と話す。

一方、電通総研が二〇〇九年八月に実施したウェブ調査では、地デジ化を機に自らの意思でテレビ視聴をやめると答えたのは2・9%。特に二十代男性では6・6%と高くなっている。

学生たちの声にも「是非とも欲しい」といった観点が無いようですね。
いわば消極的な肯定、といったところでしょうか?

我が家は、CATVユーザーなので地デジのためにTvを買い換える事はしませんでしたが、大型テレビにした時には、勝手に地デジ対応になっていました。
我が家も、地デジ対応済みとカウントされるのでしょうが、地上波放送(デジタル)を見ているのかとなるとちょっとニュースを見るぐらいで、特に番組を見ているとは言えません。

わたし自身は、小学生の時に白黒テレビが家に来た世代ですから、アメリカのテレビドラマなどはとてもよく見ていた方です。
今でも、「ルート66」のDVDを見たりしています。

だから、今ではFoxなどで、テレビドラマを見てますね。しかし地上波ではほとんどやっていないから見ない。

学生が指摘している

「ドキュメンタリーなどで見たい番組があっても、それに自分の時間を合わせるほどには意識を向けていない」。

DVDレンタルや、ゲーム機などへの有料配信など、見逃した番組を気軽に見られる仕組みを充実してほしい

はCATVで見ていても、結構重大な問題ですが、CATVでは番組が専門化しているから、比較的短時間で再放送されるので、見逃した感は少ないです。
しかし、こちらから見に行きたい、となると現在は番組予約や録画ですが、潜在的にはオンデマンド放送の要求が大きいという事でしょう。

現時点でオンデマンドを実現しているが、ネットなのだから放送はネットと一体にならないと成立しないとも言えます。

結局、この10年間ぐらいの地デジ騒動を考えてみると、放送関係者はアナログからデジタルに変わるから、白黒テレビ開始の頃に戻れる、と思っていたのではないだろうか?
あの頃に急速に消えたのが、貸本屋です。子供たちにとっては、貸本屋で漫画などを借りるのが普通だったのですが、テレビの普及にあわせて消えていった。
しかし、その後週刊誌として漫画本が登場します。これこそがイノベーションでしょう。
今の放送業界に、こういった動きはあるのだろうか?

1月 28, 2011 at 11:25 午前 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.01.27

電動アシスト自転車の事故

読売新聞より「電動自転車の事故死7割増、急加速に対応できず

昨年1年間に起きた電動アシスト自転車の事故死者数が、前年より7割増の46人となり、統計を取り始めた2001年以降で過去最多になったことが27日、警察庁のまとめでわかった。

このうち40人が65歳以上の高齢者で、メーカー各社では乗り方によっては急加速する電動自転車に対応できていない人が多いとみて、慎重な運転を呼びかけている。

電動自転車の人身事故件数は01年に604件だったが、昨年は1000件を超えた。死者数は01年の19人から2・4倍に増えた。

電動自転車は上り坂でも楽に走行できるため、高齢者や子連れの女性らに人気だ。しかし、わずかな力で加速するため、一気にペダルを踏み込むなどすると、急発進してしまうこともあるという。

昨年の電動自転車の国内出荷台数は約38万台で、01年と比べ倍増。「交通事故総合分析センター」(東京)は、

「電動自転車では死亡事故の7割が頭を打っている。急な動きに対応しづらい高齢者は、ヘルメットを装着するべきだ」
としている。

(2011年1月27日11時02分 読売新聞)

実は、昨年(2010年)11月1日に電動アシスト自転車を買って、自宅に乗って帰る途中で、正にこの記事のような転倒をして、右手親指の付け根にある舟状骨を骨折しました。

電動アシスト自転車のほとんどは、機械式の変速ギアと、電気的なアシストの強さの切り替えがあります。
わたしの持っている自転車では、機械式3段階、電動アシスト3段階ですから、原理的には9段変速のようなものです。

ややこしいのは、電動アシストがペダルを踏む事に対応している事で、おそらくはトルクセンサーが働いているのだろうと思います。
また、法律的にもアシストではない電動だと、原動機付き自転車になってしまうので、ペダルに力を掛けないとアシストが始まらないようになっています。

わたしが転んだのは、坂道の交差点でさらに左折して発進するために信号で止まっていました。
坂道であるから、ギアは最低速(ローギア)、電動アシストを最強にしました。

発進した瞬間は、ペダルはかなり重いです。アシストがないのだから当然の事です。
次の瞬間、ペダルが無くなったというか、階段を踏み外したような事になって、地面に放り出されました。

結局、発進時だから体勢が不適切、ペダルが重いと思って力一杯踏み込んだ、一瞬おくれて強力な電動アシストが掛かったから、踏み外したような事になった。

これで、頭を打てば死にますね。

わたし自身は、オートバイも乗っていたし、以前はクロスバイクで走っていました。それがなぜ電動アシスト自転車で転んだのか?というと、おそらくは上記の経験が悪く作用したのだろうと思います。

坂道発進でアシスト無しの自転車のペダルの重さが身体に染みついているから、ペダルが重いままだとして踏み込んでいるのです。

この問題については、取り説はもちろん販売店でも情報がありませんでした。
電動アシスト自転車を何年も使っている人の話では「ローギアーで、最強アシストなんてするものじゃない」とのことで、わたしもこれは同意します。

オートバイであれば、普通の道路なら急坂でも平地と同じようにエンジンで発進しますが、アシスト無しの自転車では、急坂では坂道発進は出来ませんよね。
しかし、自転車で走行中であれば、坂の勾配よりもむしろ距離の方が問題で、強力なアシストが必要です。

このことは、痛い目に遭ってようやく分かってきた事ですが、電動アシスト自転車は、自転車でもオートバイでもない、別の乗り物ですよ。
だから、昔から自転車に乗っている人の方が大事になるような気がします。 事前教習とは言わないが、乗って帰る事もあるのだから、注意喚起の文章ぐらい渡してくれても良いだろう、と思うところです。

1月 27, 2011 at 01:46 午後 事故と社会 | | コメント (3) | トラックバック (0)

本離れの加速

朝日新聞より「本の販売、6年連続減 週刊誌離れや書籍の新刊減が顕著

2011年1月27日7時56分

出版科学研究所は25日、取次ルートにおける2010年の書籍・雑誌の推定販売金額が1兆8748億円だったと発表した。

前年比で3.1%、608億円の減少で前年を下回るのは6年連続だ。

雑誌は13年連続、書籍は4年連続の減少だった。
同研究所は「低落に歯止めがかかる気配はない」といい、書籍の新刊点数が減ったのが大きな特徴だった。

販売金額は、ピークだった1996年の2兆6563億円と比べ、3割ほども減っている。

売り上げの6割ほどを占める

雑誌は、前年比3.0%減の1兆535億円。

月刊誌が2.4%減だったのに対して、
週刊誌が5.2%減で「週刊誌離れ」が加速している。

創刊点数は110点で、ここ40年間で最少だった。休刊は前年より27点増え、216点だった。

書籍は、前年比3.3%減の8213億円。

100万部以上のミリオンセラーは「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」「1Q84 BOOK3」「KAGEROU」「バンド1本でやせる! 巻くだけダイエット」「体脂肪計タニタの社員食堂」の5点だった。
「売れる本は突出して売れるが、それ以外の本は低調という二極化が顕著」という。

書籍の新刊点数は7万4714点で、前年より4.9%減った。

今の基準で統計を取り始めた95年以降、最大の減り幅。出版社の体力が落ちているのと、本の問屋にあたる取次会社がコスト減のために配本部数を抑制したのが理由だ。
同研究所は

「これまでにない動き。新刊点数は増え続けてきたが、天井を打った。今後は市場規模に見合った供給になっていくとみられる」
と分析している。

返品率は書籍が39.0%、雑誌が35.5%で、いずれも前年より改善した。(西秀治)

週刊誌が担っていた情報流通の多くがネット利用に移行しているから、週刊誌離れは当然だろうと思う。

本離とか言われているのに新刊書がなぜ沢山出てくるのか?と考えると、わたしには大半の理由が取次制度(と再販制)を利用した資金繰りのための発行であったのだろう、と思われます。

新刊点数が減るというのは、出版業界全体としてやってられない、という事なのだろう。
こうなると、何か売れるものは無いのか?と出版界は考えるだろうが、読者から見るとネットを利用していると本がいかにも場所ふさぎであり、かつ検索がやりにくい事がすごく問題になってきた。

情報の検索性という観点では、電子化する方向しかないわけで、わたし自身は模範六法CD版やゼンリンの地図のDVDは紙の時代に比べて、何百倍あるいは何千倍もアクセスしている。

だったら、週刊誌の電子記事化やシリーズで発行している小説の電子書籍化などは、読者に十分に受け入れられるものだと思う。

とにもかくにも、新刊書の電子書籍化を強く望むものです。

1月 27, 2011 at 10:04 午前 書籍・雑誌 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.01.25

警官発砲事件、殺人罪に訴因変更

サンケイ新聞より「逃走車両への警官発砲、殺人罪でも審理 奈良地裁が異例の決定、殺意争い裁判員裁判

2011.1.24 18:56

奈良県大和郡山市で平成15年、逃走中の車に発砲し助手席の男性=当時(28)=が死亡した事件で、特別公務員暴行陵虐致死罪と同致傷罪で付審判決定している県警警察官2人について、奈良地裁(橋本一裁判長)が殺人罪でも審理する決定をしたことが24日、分かった。

決定は20日付。
最高裁によると、付審判決定された事件が訴因変更され、殺人罪で審理されるのは全国初とみられる。

付審判決定しているのは、当時巡査部長と、同巡査長で、検察官役の指定弁護士が昨年11月、いずれも同致死と殺人の両罪への訴因変更を請求していた。

今回の決定で2人とも裁判員裁判で審理されることになった。

同事件をめぐっては、男性の遺族が警察官4人と県に損害賠償を求めた民事訴訟で、1審奈良地裁が発砲は「適法である」として遺族側の請求を棄却したが、警察官に「未必的殺意があった」と認めている。

遺族側弁護団の伊賀興一弁護士は

「指定弁護士が捜査資料などをもとに殺意を持って共謀したと認め、訴因変更の請求をしたのではないか」
とし、
「現場で何が起こったか明らかにする点で期待を寄せている」
と話した。

同事件は、遺族が15年に殺人と特別公務員暴行陵虐致死容疑で警察官4人を告訴。

奈良地検が不起訴処分にしたことを受け、奈良地裁に付審判を請求し、地裁が昨年4月、2人について審判に付す決定をした。

決定などによると15年9月、大和郡山市の国道24号で、窃盗容疑で追跡中、逃走車の助手席にいた男性に萩原被告が拳銃1発を発射して頭蓋骨骨折を負わせ、東被告が発射した1発が男性の首に当たり、死亡させたとされる。

う~ん・・・・、どうなんでしょうね。

特別公務員暴行陵虐致死罪から殺人罪に訴因変更する、という根拠はどういうものなのだろうか?
警察官には行為として暴力を認めているから、拳銃なども所持しているわけで、公務の結果として殺人になった場合に、特別公務員暴行陵虐致死罪とされるのではないのか?

もし、そうであるとするのなら、殺人罪の適用は公務ではない、という証明とのセットになるのだと思う。

しかし、この事件は多くの警察官が車を取り囲んで発砲したというもので、もしそれが公務でないとすれば、組織犯罪になってしまうのではないだろうか?
その場合は、実行犯だけを取り調べるというのはヘンな事になる。

確かに「何が起きたのか」が問題ではあるのだろうが、それが訴因を変更する事に直結するものなのだろうか?
むしろ、真実を隠す方向に向かうのではないのだろうか?

1月 25, 2011 at 11:20 午前 事件と裁判 | | コメント (1) | トラックバック (0)

やっぱり出来ない、こども園への統合

朝日新聞より「こども園構想、保育所・幼稚園の一部存続へ

2011年1月25日1時59分

幼稚園と保育所を一体化させて「こども園」を設ける構想で、内閣府は24日、現行の保育所と幼稚園の一部存続を認める方針を示した。

こども園制度を始める2013年度以降、財政支援で一体化を促すが強制しないため、幼児教育に特化するいわゆる「ブランド幼稚園」は残る見通し。3歳未満児だけを預かる保育所も存続することになる。

24日の子ども・子育て新システム検討会議の作業部会で提示した。

こども園では長時間保育と幼児教育の充実を両立させ、3歳以上の子どもの受け入れを義務づける。
こども園に移行すれば補助金を手厚くする。

子どもが集まらない幼稚園など運営にゆとりがない既存施設を誘導する考えだ。認可外保育所も、施設や職員が認可保育所なみに整えばこども園への移行が可能。認可外でも補助金を受けられる別の新たな基準も設ける。

一方、こども園への移行を希望しない施設は存続できる。
3歳以上の子どもを受け入れない小規模保育所や、宗教法人系やブランド幼稚園など、保育や教育に特化する施設は、そのまま残る想定だ。

いまの補助金は、幼稚園が文部科学省、保育所が厚生労働省と分かれているが、13年度以降は国や自治体などで設ける一つの財布から、すべての子ども施設に補助金を出す。
これにより財政面では「幼保一体化」が実現する。

菅内閣はこども園制度の創設に向けて、今国会に法案を提出する。ただ、補助金のあり方など財政に関することは、6月に具体案をまとめる税と社会保障の一体改革の議論に委ねる。(及川綾子)

〈こども園構想〉

厚生労働省所管の保育所と、文部科学省所管の幼稚園を統合してこども園とし、補助金の流れも一つにする。

現在、全国に500カ所以上ある「認定こども園」は保育所と幼稚園の機能を併せ持つが、制度上は別々のまま。

この縦割り行政を改める。
2013年度から10年間かけて、すべての施設をこども園に一体化する構想だったが、施設や保護者の反発を受けて修正された。

この記事ではっきりしたことは

厚生労働省保育所
文部科学省幼稚園
内閣府こども園
となるという事でしょう。
しかも、
いまの補助金は、幼稚園が文部科学省、保育所が厚生労働省と分かれているが、
13年度以降は国や自治体などで設ける一つの財布から、すべての子ども施設に補助金を出す。 これにより財政面では「幼保一体化」が実現する。
と言っていますが、既存の幼稚園・保育園をそのまま残すのであれば、厚労省・文科省の管轄も自動的に残るわけで、財政だけが分離するわけがない。
結局、従前の幼稚園・保育園に加えてこども園に対して新たに補助金を支給する事をはっきりさせるという意味でしょう。

全然統合でもないし、一体化でもなく、単なる増設だろう。

無くなってしまったが、香港にあった九龍城のようなものになりつつあるな。

だいたい「幼保一体」なんてのは、現場から出たとは思えないわけで、学齢期以前(小学校入学前)の子供たちへの社会的なサービスには多様性が必要なのは明らかで、だから幼稚園・保育園・こども園、それぞれに認可・未認可・認証・未認証といった具合に、現実に多様なサービスが成立している。

この中の、幼稚園・保育園だけを取り上げて統合しようというのは、どういう考え方なのか?と想像してみると、やはり「扱いが大きい」(対象者数も金額も)ことが理由なのではないだろうか?
いわば行政のオモチャにされているのではないだろうか?

1月 25, 2011 at 11:03 午前 教育問題各種 | | コメント (0) | トラックバック (0)