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2010.06.12

記事削除を考える

昨日(2010年6月11日)は久しぶりに東京地裁で傍聴してきました。

【特報】悪マニ管理人が公開で証人尋問を受けます」に行ってきました。

わたしは、あまり詳しくこの事件の内容を知らなかったのですが、一言で言えば「掲載記事を削除してくれ」ということから、名誉毀損で訴えるとなったようです。

新聞記事を引用してHPの記事を作ったことが問題にされたわけで、この点は「酔うぞの遠めがね」も構造的には同じ問題を抱えています。

子細に聞くと、いくつかの論点(争点だけではない)があります。

  • 実名の表記
  • 関係会社の表記
  • 新聞社のサイトから記事が消えている
  • 新聞社のデータベースには記事がある
  • 裁判になったことを記事にしたら、それを名誉毀損と訴えられた

さらに、検索してくると出て来るから削除しろ、という話しなのですがこれをどう評価するか?という問題もあるでしょう。

今回の原告の主張の元になっている考え方を想像してみると、世間から隠れていることが出来て当然、といったところではないのか?という印象があります。

このような考え方は「個人情報の問題です・・・・」とネット上に相談している方に多くみられる考えですが、わたしには合理的とは思えません。
その意味では、個人情報保護法がうまく運用できていないことと、一体の裁判なのかもしれません。

この裁判の被告 Beyond 氏とは1997年以来リアルに付き合っていますが、彼も当時は匿名ネットワーカー論を強く主張し実践していました。
わたしは、当時はパソコン通信のSYSOPでしたからしばしば実名を名乗っていましたから、酔うぞという顕名が誰かはわりと知られていたと思います。

それが明らかになったのは、ウェディング問題になったときです。
2ちゃんねるでも採りあげられ「考える会の会長の山本洋三とは誰よ?」という話が出ました、この時に間髪を入れず「古手のネットワーカー」と書いた方がいて、この話題は瞬時に収束しました。

この事で、わたしは「あっ、知られているのだ」と確認しました。
もちろん、実名を出して、コテハンで「酔うぞ」を使い続けているのは、このような時に備えて、といったことは考えてはいましたが、現実に見ることになるとは思わなかった。

Beyond 氏もその後は実名を出して、対外的にも顔を出すように、方向転換しました。

わたしは、ネットワーク活動も普通の社会生活と何の違いもないと思っています。
社会生活の全てを匿名ですごすというのは有り得ないでしょう。

その意味では「名前が知られていました。個人情報の漏洩です」的な騒ぎ方の多くが、現実の社会生活をキチンと俯瞰して見ていない、一部分だけを拡大鏡で見て、さも全体が問題であると騒いでいるのではないのか?と感じています。

今回の裁判は「新聞記事が消えているのだから、ネット情報も消えて当然」という事から始まったような印象を受けますが、これも考えてみるとかなりヘンです。

インターネットの元となったアイディアは、核戦争によって行政システムが破壊されるような事態でも、破壊されないネットワークを求めたことだといわれています。

インターネットでのデータの伝送を「バケツリレー」と表現したものですが、社会学的には「うわさ話」とか「伝言」といった方が分かりやすいでしょう。

問題であり、悲惨な結末が報告されている「いじめ問題」や、学校に苦情が集中する「ママメール」なども、プロフや携帯メールが普及したから始まったことではなくて、結局は「うわさ話」が巨大な力を持ってしまった、ということでしょう。

そうなると、「情報を消してくれ」というのは「うわさ話を消してくれ」であって、まさに「人の口に扉は建てられない」そのものです。

つまり、世間に対して匿名であるために情報を削除しろというのは現実的な意味を持たない請求、といえるのではないのか?
現実に損害が発生した場合であっても、その損害を将来に渡って全て弁済するというのも現実には不可能でしょう。
つまり、かなり高度な妥協点を探らざるを得ないのが、ネットワークが本質的に持っている「うわさ話機能」ではないのか?と思います。

そして、行政すらもネットワークを活用している現状を考えると、実社会で活動すると本人の意志に関係なくネットワークで採りあげられて当然ですし、これ自体を隠すことは不可能でしょう。

何年前だったか忘れましたが、テレビニュースで探偵業かの人が、自分自身が追跡されないようにするために、事務所には電話も引かない、テレビもおかない、ということで「ここまでやらないとダメなのね」と思ったことがあります。

このような事を考えると、われわれは自分自身の何分の一かをネットワークに預けている、とでも考えるべきであって、ネットワークで検索されないことを目標にすること自体が困難だし、ましてや情報の削除を完遂することは出来ない、というなんとなく誰もが思っているところに落ち着くのではないか、と思っています。

インターネットが実用になって20年、すでに新聞がインターネットの情報を元に記事を作っている時代なのですから、新聞記事が消えたから、インターネット上の情報も消えて当然、という情報の上下関係は無くなってしまいました。
その意味では、情報を発信しているブロガーなどは、ますますメディアとしての意識を持った情報発信を心がけるべき時代になってきたのでしょう。

6月 12, 2010 at 12:10 午後 ウェブログ・ココログ関連 |

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» ネット上の汚名 トラックバック ケミストの日常
ドブスを守る会・・・の記事で言及した ネットにおいて半永久的に自らのした不名誉な行為は残ります。 自分の名前で検索されたときに、必ず、こういった記事がヒットする、それを一生背負っていく必要があります。 こういった、個人情報の詮索とさらし上げについて、それを肯定するつもりはないけれど、現実問題として、炎上という事態になるとこういったことは起こります。 また、マスメディアのウェブサイトから配信される記事は各ブログ等に引用されて、多数副生されていきます。 結果的にいつまでもネット上に残る不名誉な行為... 続きを読む

受信: 2010/06/21 21:46:40

コメント

私も、あの裁判は、どこがどう名誉毀損なのか、チンプンカンプンなのです。
例えば、「越智幹夫」で検索しますと、辺境の地とはいえ、私のブログがトップにきます。自己紹介欄に書いているからです。
元々は、書いていなかったのですが、あるとき、ある悪徳業者から、私のブログを閉鎖しなければ、本名を公開するぞという脅迫を受けまして、そんな脅迫が無意味である事を示すために、ブログの自己紹介欄に自分で本名を公開しました。
その後、その業者は、あちこちの掲示板に、私の住所や電話番号とともに、ひどい成りすまし投稿をしたのですが、それをされますと、無駄なダイレクトメールや勧誘電話が増えますので、掲示板の管理人にお願いして、全部消してもらいました。さすがの2ちゃんねるも、実在の住所や電話番号が書かれていますと、すぐに消してくださいます。かなり凝った投稿記事でしたが、無駄になったわけです。
Beyondさんが一千万円で訴えられるのなら、私は、あの業者を一億円くらいで訴えてもかまわないのでしょうか。
私の本名での検索結果は、二位以下は、大半が特許公報関係です。特許庁も訴えていいのですよね。
それから、特許関係を私の本名で検索しますと、同姓同名の技師があるボイラメーカにいらっしゃるようで、ノイズとして、引っかかります。出願件数でいいますと、私のほうが桁違いに多いので、あちらの方が被っている迷惑のほうが大きいはずですけれども。

投稿: mimon | 2010/06/13 16:50:21

結局、「インターネットという特殊な世界」と括った(を前提にした)訴訟なのだろうなあ、というのが印象です。

同じ情報である、新聞記事とHPを比較して「新聞記事が消えたから」という理由で「HPも消えて当然だ」との主張のようですから。

しかし、情報という意味では、Beyond 氏が証言で指摘した中に「新聞記事データベース」もあるわけで、「あっちが消えたから、こっちも消えて当然」というのは全然論理的ではありません。

その上で、「消さないから名誉毀損」というのは、それ自体が公益性というか、表現の自由との兼ね合いそのものですから、訴えの根拠になりうるのか?が問題でしょう。

そこで、さらに遡ると、原告はなぜそのような要求が正当であると考えたのか?となりますが、この点をわたしは、「自分の名前は、世間に見えなくて当然」という考え方から来ているのだろうな、と思うのです。

投稿: 酔うぞ | 2010/06/13 17:40:19

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