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2010.06.09

最小不幸社会の必要性

「菅直人首相会見」はサンケイ新聞にあった、首相の会見全文を載せましたが、こんな事は今までやっていません。

実のところ、テレビも含めて気にしていなかったために、昨日の段階では記者会見記事そのものを見逃していました。

今朝になって、新聞記事をチェックしたところ「最小不幸の社会」という言葉があっちこっちに紹介されていて、「おや!」と注目した次第です。

わたしは、菅直人氏が以前から「最小不幸の社会」という発言をしていたことを知らなかったので、非常に新鮮に感じましたが、ちょっと検索したら「志村建世のブログ」に行き当たりました。
「菅直人と最小不幸社会」

このところ私のブログへの検索語の上位に、「最小不幸社会」という語が急浮上してきました。調べてみると2006年4月に「最小不幸社会のつくり方」という記事を書いていました。書いた動機は、民主党の代表選挙(2004年末)で、菅氏が掲げたスローガンが「国民の不幸を最小にする政治」だったのでした。

この記事で私が提案しているのは、国民の生活に最低限必要な生活資源は、国が無償で提供するという考え方でした。当時はその言葉は使っていませんが、まさにベーシックインカムの思想でした。しかし我ながら面白いと思ったのは、その財政的基盤として「国民に一定期間の公務員としての無償の勤労を義務づける」という部分でした。ただし別に自由な仕事をしたい人は、税金を納めることで公務員の仕事を免れることができるとしています。

言うまでもなく、国は、最大の雇用者になることができます。かつてのソ連では、ほとんどすべての産業が国営で、国民の大半は公務員でした。それが官僚化して社会を硬直化させ、国の停滞と崩壊を招いたことは歴史の示す通りですが、最低保障部分と自由な経済活動の分野とを組み合わせた国づくりは、充分に可能であると思われます。

自由主義経済の下では、格差の拡大は避けられません。労働では、過労死するほど多忙な人々と、働きたくても仕事のない多くの失業者を生み出します。最低賃金といった公正な労働基準も、民間企業の主導では整備が困難です。賃金水準も、公務員の給与を民間に準拠して決めるのではなく、公務員の待遇を労働条件のモデルとして民間に普及して行くことが考えられます。

いま「分かち合いの経済学」(神野直彦・岩波新書)を読んでいる途中ですが、非常に示唆に富む本です。新自由主義信仰で歪んでしまった日本社会の現状には、多くの反省点があります。菅首相には、4年前に自らが提唱した「最小不幸社会」の実現に向けて、今こそ継続的に活躍して欲しいと思います。

国政の要諦は「不幸な国民を作らない」ことです。経済の成長も拡大も、それ自体が目的物ではありません。財政再建の第一順位が、消費税率の引き上げでないことは明らかです。 (追記・菅氏は、私が4年前の記事を書いた直後に、「年金未納問題」で社保庁のミスを自己の責任として追及され、無念の代表辞任に追い込まれました。)

(追記2・テレビ報道を見ていたら、組閣後の菅総理も「国民の不幸を最小にする」と発言していました。菅氏の一貫した持論だったのですね。)

この方は、2004年の民主党の代表選挙(2004年末)で、菅氏が掲げたスローガン「国民の不幸を最小にする政治」に注目されて、記事にしたのですね。

「最小不幸社会のつくり方」

さきの民主党の党首選挙に立候補した菅直人氏が掲げたスローガンが「国民の不幸を最小にする政治」でした。私は大いに同感したものです。政治の任務は、まさにそこにあると思います。そこで、ややユートピア論的になるのですが、国民を不幸にしない国づくりを考えてみましょう。

まず、国民の衣食住の最低限の基準のものは、国の責任において、必要とする全国民に無償で供給することとします。これで餓死と凍死の心配はなくなります。その代りに、働くことのできる全国民は、一定の時間は公務員として無償で働くことを義務づけられます。その総労働時間数は、国が無償で供給するサービスの労働価値と見合うものになります。つまり国民の最低限の生活保障は、貨幣経済から切り離すのです。こうして保障される国民生活の上に、自由な貨幣経済を発達させることにすれば、がんばって報われたい人は、いくらでもがんばれるし、もし失敗しても、生活の心配はしなくて済みます。つまりこれは、家族・同胞愛的相互扶助制度と、資本主義とを組み合わせた経済モデルです。そんなものは荒唐無稽でありえないと思われるでしょうか。しかし、その方向への試みは過去にもあったし、今でもさまざまな形で実際に行われています。

最近、福祉を考える上で重要性を指摘されている地域コミュニティーでも、ボランティアの力が高く評価されていますが、そこには、自分ができるときに奉仕しておけば、いつか自分が助けられるという相互扶助の思想があります。その仕組みを組織化するために、地域通貨やボランティア券などの擬似通貨を発行する例もあるようですが、それは資本主義経済の貨幣とは違うものです。ボランティア券は、奉仕する義務と奉仕を受ける権利とを制度化すれば、容易に無償化できるでしょう。それを一歩進めれば、一定時間、または一定期間の公務員としての無償労働になります。その時間を自由な経済活動に使いたい人は、無償労働の代りに税金を納めればいいのです。この制度がうまく機能すると、失業問題を根本的に解決することも、夢ではなくなります。

菅直人首相の持論であることは分かりましたが、首相が考える「最小不幸社会」あるいは「最小不幸社会を目指さざるを得ない状況判断」がどのようなものなのか?具体的には分かりません。

わたしは、人口減社会が現実のものになりつつあるときに「成長戦略と言いさえすれば、万事OK」のようなことでは「暴論」以外の何ものでもないと考えています。

成長戦略の代表格である、高度経済成長時代はありとあらゆるものが増えたのだから、政策は効率的な成長を見極めることで、世界的競争に打ち勝ったと理解しています。

これが、人口減による「経済縮小時代」になったときにどうするのか?は高度経済成長時代と同じく、戦略的な視点が必要であると考えています。

東京都には、多摩ニュータウンと、戸山団地という二つの高齢化団地があります。
それぞれに対策することになっていますが、全体が縮小するのだから、両方が存続するのは無理でしょう。
つまり、早晩「団地の廃棄」という問題に突き当たります。

今までの、成長戦略の視点からは誠に「不幸な事」に他ならないわけですが、不幸なことによる被害を最小限にとどめるのが、「最小不幸社会」ではないのか?と思います。

昨日の夕方、テレビでやっていましたが、電鉄会社の生き残り戦略として東急が採りあげられました。

わたしが住んでいるのは、まさしく東急が対象にしているたま田園都市なのですが、問題点は、戸建て住宅に住む住人が高齢化によって家を持てあますようになってきた、一方若い世代には子どものためにも良質の住宅供給が必要。という問題があるというのです。

そこで、東急は駅の近くの高層マンションに高齢層を戸建て住宅から引っ越すように勧め、同時に空いた戸建て住宅には若い世代に入ってもらう。
この事で、街全体としては人口が減らない、という「沿線経営」といった視点での取り組みをしているそうです。

しかしながら、これは大都会の周辺住宅地だから成り立つ話であって、もっと色々と考えなければならないことが多々あるでしょう。

わたしは、一番有効なのは「住宅団地」「工業団地」といった集合的都市計画を見直すのが、良いのでは無いかと思います。

集合化=効率化でありますが、効率を追求するとシナリオから外れたときにダメージが大きいわけです。

もの作りが必要と言いつつ後継者が育たない理由の一つは、子どもの時代に「住宅団地しか知らない」があると思います。
実際、学校で「将来の職業志望」を調べてみると、身近な職業である、美容師・看護師といったところばかりが出てきます。

工業にとって、公害処理コストなどを軽減するために、工業団地に逃げたことが後継者お断りとなってしまった、と理解するべきでしょう。
もちろん、住宅街で工場を運営したら、コストアップになって競争力が無くなるという意見が主流だと思いますが、存続は出来るでしょう。

つまり、今や「長期的存続か、短期的効率か」という選択の時代だと思います。

6月 9, 2010 at 12:28 午後 国内の政治・行政・司法 |

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コメント

菅直人では最小不幸ではなく最大不幸だ。

北朝鮮工作員の釈放署名の件はどうした。

投稿: じろう | 2010/06/10 0:54:24

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