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2010.02.16

大学なのか小学校なのか

読売新聞より「「日本語」全学部必修…山形大、能力向上目指す

学生の日本語能力の向上を目指し、山形大は新年度から、新入生向けに作文やディベート技術を習得する「スタートアップセミナー」を新設することを決め、学習用テキスト「なせば成る!」を発刊した。

テキストは、同大が2009年10月に設立した基盤教育院が編集。

同大の学生が、試験やリポートなどで話し言葉の文章を書いたり、就職活動で面接や集団討論が苦手だったりする実情を踏まえ、日本語スキルの向上を重視した。

作文の書き方などについて説明した「学びの技法」、ディベートの仕方などを学習する「グループで学ぶ」などの章から構成される。

基礎的な学習スキル習得のための科目を全学部必修で行うのは初めての試みで、「半年間の授業が終わった後もテキストを生かし、コミュニケーション能力を鍛えてほしい」としている。
(2010年2月16日17時39分 読売新聞)

こうなると「必修の日本語を落として進級できませんでした」とかになるのでしょうか?

正直な話しが、このプロジェクトはちょっと誤解から始まっているように思います。

同大の学生が、

  • 試験やリポートなどで話し言葉の文章を書いたり
  • 就職活動で面接や集団討論が苦手だったりする
実情を踏まえ、日本語スキルの向上を重視した。

この部分を「日本語が正しく使えないから、これらのことが出来ない」と考える「原因説」を取るのか、試験やリポートが相手に読んでもらうことを理解していないとか、集団討議そのものが出来ないなどで、うまく日本語が扱えない「結果説」を取るのか?という問題があるでしょう。

わたしは小学生から高校生まで見ていて日本語の使い方がうまくない子どもたちの評価には「結果説」を取ります。

大学生になってまで、人とのつき合い方が分からないから、結果として日本語をうまく使う訓練が出来ていない、というのでは「人として終わっている」となってしまいますが、事実はこれだと思っています。

確かに、日本語がキチンと使えれば人とのつき合いも円滑に出来る、という面は大きいですが、それ以前の子どもたちが大勢いる事も事実で、特に自分の得意不得意と他人の得意不得意が違うことを実感していない子どもが少なからずいます。
ここが分からないと、手伝ったり任せたりといったチームワークの基本が出来ません。

こういった、同世代間での助け合いとかケンカなどは兄弟間や近所の子どもたちで学ぶことなのでしょうが、少子化でそういう機会が減ってしまったのが遠因だろうと思います。

原因はとにかく、現実問題として「問題を解くだけ」で大学まで進学できますから、大学での抽象的な設問に答えられなくても不思議は無いです。

こう考えると、日本語の使い方とはツールの使いこなしと見ることが出来ますが、ツールの使用目的が分からない人に使い方だけ教えても身につかないのは当たり前です。
まあ、大学としては「大学生にふさわしい成熟段階に達していない」との理由で、不合格にする必要があると思います。

2月 16, 2010 at 09:43 午後 教育問題各種 |

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コメント

>被害者 さん
urlが見当たりませんが

ま、それはともかく
>「日本語」
アメリカの大学で必修らしい「英作文」のような、論文作法+プレゼンテーション主体の
「大学で学ぶための基礎スキル」を入学時に身に付けさせる授業の日本版なだけで、
そこまで目くじらたてるようなものにも見えませんが…。
科目名は違ってるだけで日本でもやってる大学は結構ありそうですが。

投稿: 10年前の大学生 | 2010/02/17 5:44:03

製造業の技術部門で大卒・院卒の新人をみてきた感じでは、「結果説」に賛成です。
我々の様な技術部門では、頻繁に報告書を書くんですが、まぁ酷いものです。
基本的に、読む人が理解しやすい文章というのがわかってないんですね。
ところが、これが、先輩の指導のもと3~5年もたつとマシになり、今度は新人の指導ができるようになったりします。

で、ですが。
そりゃあ、国語の能力が高いに越したことはありませんが、それより必要なのは経験と丁寧な指導ですね。
残念ながら1対多の授業ではあまり期待できません。
それよりも、読書量を増やして欲しいです。
できたら技術論文、そうでなければ小説でもエッセイでもいいんで。

ディベートについては、あまり問題になってないかな?
入社直後は知識が足りないし、経験積めば自然にできるようになる(というかできないんじゃ技術屋失格)。

投稿: めいさいらっぱ | 2010/02/17 12:59:45

中の人です。

 下っ端からは、元文科省事務次官学長と現場のすったもんだの挙げ句に出て来た話に見えています。でも、ウチがやり始める前に「理工系学生のための日本語表現法」森下、鴨川著(東信堂)といった本が市販されているので、そんなに大きく外れた話でもないと思います。

 まあ、めいさいらっぱさんの、
>基本的に、読む人が理解しやすい文章というのがわかってないんですね。
に尽きていることも事実です。

 研究室に配属になった学生には、口頭での説明は最後まできちんと言え、メールで相手に連絡するときは細大漏らさず状況も説明して誤解されないようにしろ、とかやってます。それでダメならメールした上に電話で、それでもダメなら膝詰め談判になるわけですが。ただ、これを教養でうまく教えられるかというと、難しいかもしれません。講義をきっかけにして気付く人も出てくるだろうとは思いますが。

 また、助詞の使い方や読点の使い方、修飾語の配置がおかしいといった指摘が必要になることもあります。教員に見せに来る前に自分でしつこく推敲しろ、と突っ返したりしています。

 文章自体の問題もあるかもしれないんですが、盛り込むべき情報が欠けているのに気付かないのをどうするか、というのは、マンツーマンでやるしかないみたいです。学部の実験レポートは、定型のレポートを書かせるつまり報告すべき内容が決まっていて、型にはまったものを書く訓練になっているんです。新しいことをやってそれを他人に伝えるのに何がどこまで必要か、ということになると、相手のあることだし、やっぱり実地でやるしかないです。

 実際に、初年次の共通教育のレポートを見ている限りでは、話し言葉で書かれたレポートが多いという印象はありません。共通教育ですと、150通くらいのレポートを1日から2日で全部見て採点するので、日本語の書き方までチェックをするのは不可能です。

投稿: apj | 2010/02/17 14:10:07

小学校から高校を見ていると、出来の悪いと言われる子どもの方が表現力が豊かな傾向があります。

高校だと、下手に受験勉強に集中している子よりも、就職が視野に入っている子の方が「こんなのが出来た」みたい感じで、積極的です。

結局、今では進学が「引き算」で成り立っているのだと思います。
いかに失敗しないかが、進学のコツなのだから、無理もない。

その結果が「日本語も使えない大学生」の誕生となるのでしょう。

投稿: 酔うぞ | 2010/02/17 14:13:18

apj さん、お疲れさまです。

ただ、apj さんは立場上、「大学生になってしまった若者」を見ているわけで、わたしは「大学生とそれ以外に分かれる若者」を見ているという違いがあります。

で、日本語というか表現そのものが怪しいというのは、高校の授業の時間内では、ちょっと確認出来ません。

分かりやすい例えをすると、高校生は台本をもらって芝居をしている役者なのです。

だから、表現力がちゃんとあるのか、台本を読んでいるのだけなのかは、授業の範囲内では分からない。

確認するためには、高校の授業ではやらないことをやらせることになります。
その意味では、大学の実験を体験させる、なんてのは良いかもしれない。

先に書いたように、わたしには受験勉強が引き算であって、漫画を捨て、カラオケで遊ぶのを捨てると、成績が上がるというのだから、そこだけ注目すると「聞かれていないことをしゃべるなんてトンでもない」という評価になるのでしょう。

これで、表現力がない学生が来る、と言ってもそういう学生を採っているのだから当然だ、とわたしには見えてしまうのであります。

投稿: 酔うぞ | 2010/02/17 14:34:44

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