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2009.07.25

2007年から飛べない飛行機

朝日新聞より「空自次期輸送機、飛べるのはいつ 強度不足解決できず

航空自衛隊の主力輸送機C1の後継の次期輸送機(CX)開発をめぐって、試作機の製作段階で発覚した機体の強度不足が解決できず、当初07年夏に予定されていた初飛行が現時点でも見通しさえ立っていないことが分かった。

量産化の予算計上も見送られており、12年度に始まる予定だった部隊での運用も大幅に遅れる公算だ。
C1の退役を遅らせる必要があり、空自の輸送業務に支障が出る可能性も出てきた。

防衛省によると、当初の計画では、主担当企業である川崎重工業が

  1. 07年夏ごろに社内で試作機の初飛行を実施。
  2. 08年3月末に試作機1号機を、
  3. 09年度半ばに試作機2号機を防衛省側に引き渡す予定だった。
  4. その後は防衛省が飛行試験を重ねながら改良を加える計画だった。

ところが、07年5~7月、強度試験用に同省に納入された試作機を使って同省技術研究本部が調べたところ、荷重を加えると水平尾翼の一部が盛り上がったり主脚が傾いて胴体部と接触したりするなど、構造上の強度不足が次々と明らかになった。

08年度から始まる予定だった量産化の機体調達のための予算計上も見送りが続いている。

防衛省幹部は「事実上、設計やり直しの状態。部隊での運用も当初予定より大幅にずれ込むだろう」と話す。

胴体部の太さが前部から後部までほぼ均一な民間機の形状と比べ、物資の出し入れのため尾翼下の後部扉が開閉する輸送機の構造は、胴体後部が胴体前部よりかなり細いのが特徴。

また、CXはデザインも重視して機体の背中の部分をかなり平べったい形状にしており、強度不足につながっている、との分析も防衛省内にはあるという。

自衛隊幹部は「民間機と比べ輸送機の強度計算は複雑なので、機体の設計も難しい。C1以来、40年近く国産で輸送機を作っておらず、技術が伝承できていない、という防衛産業が抱える課題が根底にある」と指摘する。

CXの実用化が遅れる間は、運用開始から35年以上たつ現在のC1の退役を遅らせて「時間を稼いで延命する必要がある」(防衛省幹部)という。

耐用年数を延ばすためには、C1の飛行時間を少しずつでも減らす工夫が必要。

本来、C1が担っている国内の輸送業務の一部を民間航空機や地上の輸送に振り替えたり、もう一つの固定翼輸送機であるC130(16機保有)に代用させたりするなどの案が検討されている。

ただ、C130はイラクでの多国籍軍のための輸送任務が終わったことで一時期よりは運用に余裕が出てきたとはいえ、「今後、海外で新たな輸送任務が課せられた場合、足りなくなる」(自衛隊幹部)との懸念もぬぐいきれない状態だ。(土居貴輝)

〈次期輸送機(CX)〉

73年に運用が始まった航空自衛隊の現在の主力輸送機C1(26機保有)が耐用年数を迎えるため、防衛省が01年度から開発を進めている次期輸送機。

40機を調達する予定。
海上自衛隊のP3C哨戒機の後継機「PX」と同時開発を進めており、開発費はCXとPXあわせて約3400億円。

C1が貨物を2.6トン積んだ際の航続距離が1700キロであるのに対し、CXは12トン積んだ際の航続距離が6500キロと、輸送力が大幅に向上する。

2007年7月4日にロールアウトして、7月末には地上走行する動画がネットにアップされていますが、その後記事の通り強度不足だとなって丸々2年経った現在でも、初飛行のめどが立たないとなってしてしまっています。

全然初飛行できない大物飛行機がボーイング787ですが、こんな記事がありました。
西川渉氏の Aviation Now より「年内の飛行は無理か

ボーイング787は7月7日から走行試験を始めたが、初飛行の日程はまだ決まっていない。主翼取りつけ部の強度補修をどのように実施するか、その方法も未定。

というのも強度不足の問題が、予想以上に複雑であることが判明したためで、この分では初飛行は年内は無理かもしれないと見られるに至った。

それというのも、まず主翼と胴体の接合部を再設計する必要があるかもしれない。そのうえで飛行試験に使う機体を補修する前に、先ず地上試験機の補修をして強度試験にかけ、結果を確認したうえで飛行試験機を補修する必要があるのではないかという考えが出てきた。

とすれば、地上試験機の補修と確認試験だけで1~2ヵ月を要する。その後で飛行試験機を補修し、飛行までの確認試験をおこなうのに再び2ヵ月ほどかかる。さらに、いったん完成した機体に新しい部品を組みこむのは極めて困難という意見もあって、年内の飛行は難しいというのである。

当初、6月23日に初飛行の延期を決めたとき、ボーイングの説明は少数の部品を改修するだけだから、作業は簡単ということだった。しかし、問題を探ってゆくうちに意外に難しいことが分かってきたのである。

第一に上記のような問題があるが、補修の方法と設計が完成しても、次は主翼取りつけ部の内部に作業員がもぐりこんで、狭いところで細かい作業をしなければならない。それもチタニウムや複合材に微妙な穴をあけたりするわけだが、これらの材料に穴をあけるだけでも容易ではない。

もとより作業をする前には、主翼の中から完全に燃料を抜かなければならない。これまた厄介な仕事である。

B787の当初の開発予定は、

  1. 2007年7月のロールアウト
  2. 8月から9月ごろに初飛行
  3. 型式証明取得は2008年5月
  4. 2008年8月の北京オリンピック開催時に全日空が羽田 - 北京間のチャーター便に使用

であったのだが、2007年7月8日のロールアウトでは実際に機体内部ができていないドンガラであったと言われ、その後分解されて再加工が続いて、すでに原型4号機を組立中といった情報が伝わってきているのだが、ようやく地上滑走ができる段階で、強度不足で手直しの方法が決定しないというのが現状のようです。

飛行機も100年の技術の集大成ですから、今どき「強度不足」に直面するというのにはビックですが、元もと飛行機はギリギリの設計をするものであるし、新素材の利用など経験がないところも多いのかと思いますが、それにしても実物大模型(モックアップ)をCADの応用であるバーチャルモックアップを使うなど、大幅にコンピューター利用をしていて、この結果というのは「コンピューター利用のレベルが不十分だったのか?」と思ってしまいます。

設計者に必要なセンスが失われたというところがあるのでしょうか?
巨大技術の実現に世界レベルで警報が灯ったと見るべきなのかもしれません。

7月 25, 2009 at 08:17 午後 もの作り | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.07.23

北朝鮮で金属供出?

読売新聞より「1人1発の銃弾を 北朝鮮、国民に呼びかけ

【瀋陽=牧野田亨】
北朝鮮が7月に入り、米国などとの「死闘」を強調し、「1人が銃弾1発を寄付しよう」とのスローガンを掲げ、全国民に鉄製品などの供出を求める国民運動を展開していることが22日、中朝関係者の話でわかった。

この関係者によると、運動は金日成(キムイルソン)主席の死去から15年にあたる8日から開始。
「各人が肉弾となり、米国を筆頭とするすべての反動派との死闘を決意しよう」と訴え、「銃弾」の呼びかけに加えて「10人で砲弾1発を、1000人でミサイル1発を」と続くという。

住民たちはくず鉄などを供出。食事に使うスプーンを出す小学生もいる。住民の間では、「銃弾何発」を提供したかが話題になっているという。
(2009年7月23日07時58分 読売新聞)

日本でも太平洋戦争中に金属供出というがありました。

工業力は原則として集中して量産した方が効率が良いのであって、供出などをやるようになると、早晩その国家体制は崩壊することが歴史上の事実であります。

しかし、その過程で大騒動になるのが普通で、かなり注意しているべき段階になったのかもしれません。

7月 23, 2009 at 11:57 午前 海外の政治・軍事 | | コメント (1) | トラックバック (0)

一人で5大学共同事業を潰した男

Matimulogさん経由、サンケイ新聞より「昭和女子大准教授が経歴詐称 5女子大、共同大学院の申請取り下げ

昭和女子大(東京都世田谷区)准教授の男性(61)の経歴が虚偽だったことが判明し、同大など都内5女子大が来年度開設を目指していた「共同教職大学院」の設置申請を取り下げたことが23日、分かった。

男性准教授は16日付で懲戒解雇処分となった。

同大学院としての設置申請は全国初で、大きな注目を集めていた。

同大などによると、共同教職大学院の設置認可申請を実施していたのは

  • 昭和女子大
  • 日本女子大
  • 実践女子大
  • 大妻女子大
  • 東京家政大

の5大学。

昭和女子大は男性准教授をトップの教職研究科長に就任させる予定だったため、同大学院の教員として申請した。

ところが7月上旬、文科省から男性の経歴について指摘があったため調査。調べたところ、文科省の提出書類に記載された「岐阜県教育委員会指導主事」「同研修課長・教育センター第2研修部長」「同県立高校長」などの経歴がいずれも詐称だったことが発覚した。

男性は16年に同大助教授として採用された際も経歴を偽っていたが、大学は分からなかったという。

共同大学院は複数の大学が連携してカリキュラムを組み、連名で学位を授与する仕組み。

20年の制度改正で同大学院の設置が可能となり、5大学は5月末に申請を出していた。

一連の問題について坂東真理子・昭和女子大学長は
「本学教員の経歴詐称が5女子大の共同教職大学院の実現を妨げる結果となり、悔しくてなりません。今後は本学の信頼回復に努めていきたい」
とのコメントを発表した。

町村先生は以下のようにコメントされています。

昭和女子大学は犠牲者というか被害者だが、採用時の確認はずさんだったといわれても仕方がないであろう。

大学教員採用プロセスを考えると、こうしたずさんさはあり得ないことではないと思う。

今までは事務方がきちんと履歴書の裏付け調査をしているのではないかと、なんとなく想像していた。
給与の格付けをするのにも、経歴の正確なところが必要になるのではないかと。
しかしそういうプロセスなしに採用人事を進めることも、あり得ないことではなさそうである。

ディプロマ・ミルなんぞが成立しているところを見ると、採用人事も隙だらけなところが結構あるのかもしれない。

ご本人、ウソの経歴で採用された手前、ウソでしたとは言い出せない状態におかれていたであろうし、文科省に申請書類が行く段階では毎日胃の痛い思いをしていたのではないか?
すべてが明るみに出て、かえってホッとしたとか?

しかし、大学は学問の府であり研究の自由を確保する観点からも、事務方が管理を強化するのも変な話で、下手に強化(?)したのが、町村先生が取り上げていた「jugement:東和大学の教授懲戒解雇紛争」になったのではないか?と思います。

それにしてもこの男性准教授は一人で、5大学共同事業をぶっ潰したのだから、大したものだというか、大変なことをしたものだと言うべきでしょう。

この男性准教授は業界内で話題にならないところでウソを作っていたのでしょう。
極論を言えば「ノーベル賞を受賞しました」といった経歴を偽造しても、すぐにばれてしまうからウソとしても役に立たないわけです。
ありそうだけど、すぐには分からないし、調べないところでウソをつくからウソとして有効(?)なわけです。
この男がそういう計算してやっていたのなら、本格的な詐欺師ですよ。

7月 23, 2009 at 11:47 午前 教育問題各種 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.07.21

子供の携帯電話問題

神奈川新聞社説より「携帯電話

小中学生に携帯電話を持たせない「保護者の努力義務」を盛り込んだ条例が石川県議会で可決、来年1月に施行される。
所持の規制にまで踏み込んだ条例は全国で初めてだ。
罰則こそなないものの、「自治体がそこまで」との意見も多かろう。

子どもに携帯電話は必要か。

石川県での所有率は小学校高学年で10%、中学生でも22%だった。

これに比べ、いち早く小中学校への持ち込みを原則禁止した横浜市での所有率は、小学校高学年で41%、中学生では80%に及んでおり、もはや不必要と切り捨てることは難しい。

いずれ社会人となることを考えれば、むしろトラブルや犯罪の被害・加害、依存症の防止に取り組んだ方が現実的だ。

横浜市教育委員会によると、いじめや暴力行為の原因になる「学校裏サイト」は、同市立中学校の7割で存在した。書き込みが原因でいじめや不登校、暴力行為など深刻な問題に発展した学校は全市の1割に達する。
有料サイトの請求詐欺に遭って140万円をだまし取られた男子中学生の事例もあった。

出会い系サイトによる児童買春などの被害者は、県警の調べだけで昨年、中学生34人を含め116人。

出会い系サイトの届け出義務化以降、被害は出会い系サイト以外に移りつつある。

自己紹介を書き込む「プロフ」や一般の掲示板などで昨年、小学生3人、中学生25人を含む68人が被害に遭っている。

一方で利点もある。部活動や塾などで夜間帰宅の際の防犯対策、地震や大きな事故に巻き込まれた際の連絡手段だ。石川県の条例でも「防犯や防災」目的は例外化しており、横浜市でも防犯目的などでの持ち込みには許可が与えられている。

「みんなが持っているから」といった単純な理由ではなく、子どもに与えるときは利点と危険性について、よく話し合う必要がある。「必ずフィルタリング(閲覧規制)をつける」「個人情報は書き込まない」「チェーンメールは送らない」「利用は1日何分まで」などのルールを決め、その実行度もちゃんと確かめるようにしたい。

横浜市教委は、こうしたチェックシートを作成し、小中学生の保護者に配っている。

ほかの自治体にも同様の取り組みが広がることを期待したい。夏休みを機に、家庭や学校、地域で話し合いを重ねてほしいものだ。

横浜市教育委員会がチェックシートを発行しいるから問題が起こらなくなったということではないのだよね?

一方で、石川県では「携帯電話を持たせない保護者の努力義務」条例を可決したというのだけど、これは社説が指摘する通り「もはや不必要と切り捨てることは難しい」とは誰でも思う。

しかし、石川県の条例も、横浜市教育委員会の取り組みも、現実問題として「子供用の携帯電話の使用を義務づける」ことでほとんどの問題が解決してしまうのではないだろうか?

特に学校への持ち込みについては教育委員会の管理下なのだから、持ちこむ場合は子供用携帯電話に限定するで構わないと思う。
現状は文科省が小中学校には携帯電話を「原則として持ち込み禁止」としているから、結果として持ちこまれている。
持ちこむ場合には「子供用電話に限定」となぜ誰も言わないのか?

一部には「ネット広告収入の減収になるから」といった説まで出てきているのだが、普通に考えて例えば自動車を小学生に運転させることの是非は、といっているほどのことであって「なんで小中学生が、大人と同じ携帯電話を使うのか?」に他ならないと思う。

その一方で「子供が携帯電話を持つことは絶対に不要だ」などとは到底言えない。

実際問題として、電話の形をしてないスマートフォンとかネットブックなどPCと分類されるものに対しては、教育委員会などはどういう判断をするのだろうか?

明らかに、携帯電話というブツにこだわると判断を誤るし、子供にも通信手段は不可欠である、情報検索能力は高めなければならない、といったことも全て含んだ子供への教育像を整理してから、携帯電話対策を決めるべきだろう。

7月 21, 2009 at 08:14 午前 教育問題各種 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2009.07.20

教育改革に関する社説から

日経新聞社説より「チェンジ!少子化 公立校の魅力高め教育不安をぬぐえ

子どもの教育にはたいへんなお金がかかる。こう思わない人はいないだろう。そうした不安が少子化の一因になっているのは間違いない。

国立人口問題研の出生動向基本調査(2005年)によると、夫婦が理想とする子どもの数は平均2.48人だが予定しているのは2.11人。実際にはもちろんさらに少ない。理想の数に達しない理由を聞くと、66%が「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」と答えている。

私立校や塾の負担重く

この背景には学力や「いじめ」問題などをめぐる公教育への不信がある。公教育が心もとないから早い時期から私学へ入れたり塾通いをさせたりせざるを得ない、しかしそのための出費が大きすぎて心配、という意識だ。それなら負担の小さい公立校の魅力を高め、不安をぬぐう方策を考えなければならない。

文部科学省の調査では、小学校から大学までに必要な教育費はすべて公立・国立なら約800万円だが、中学校から私立だと2倍にはね上がる。私立の中高一貫校は6年間で約700万円は必要だ。公立中学に通っていても学習塾の負担は重く、夏季講習なども含めると年間30万円以上もかかるケースが珍しくない。

それでも首都圏では中高一貫校に進む小学生が3割ほどに上り、東京では6割にも達する小学校がある。公立中学生で塾に通っているのは約7割、小学生も中学受験を目指す場合は大半の子どもが通塾する。

多くの親がこうした負担に耐えながらなお「脱・公教育」を目指すのは、それに見合う成果が期待できるからだ。たとえば東京大学合格者のうち6割ほどは中高一貫校の出身者が占める。こんな傾向が呼び水になってさらに私学に生徒が流れ、公立校は地盤沈下する。大都市圏を中心に、ふつうの公立高から有名大学に進みにくくなって久しい。

これでは所得が低い家庭の子どもは進学の道を制約され、意欲も失うことになる。東大大学院の調査では年収1000万円以上の家庭の子どもは大学進学率が6割を超えるのに400万円以下だと3割ほどだ。東大生の半数以上の家庭が年収950万円以上というデータもある。

こうした現実を踏まえれば、公教育の再生が少子化対策の重要な柱になるのは確かだろう。

そのひとつの方策はもちろん、教育への十分な公的支出によって教育条件を整え、教育環境の改善も進めることだ。少人数学級の実現から高校などの授業料減免、パソコンや電子黒板の配備まで財政措置が伴わなければ始まらない課題は多い。

経済協力開発機構(OECD)の調査では、国内総生産(GDP)に対する教育費の公的支出の比率は日本は主要28カ国中で最下位の3.4%だ。公私の負担割合も日本は家計の比重が大きい。厳しい財政事情の下とはいえ、こうした現状を放置しておくわけにはいくまい。

しかし肝心なのは教育の中身だ。公立校がそれぞれ魅力のある授業や課外活動を編み出していくことである。そのためには中央集権的な教育行政の見直しが必要となる。

戦後の教育行政は文科省が学習指導要領で細かなカリキュラムを定めて学校現場を拘束し、教科書検定を通してそれを補強し、教員の養成や登用も免許制度によって一元的に進めるといったやり方が続いてきた。地方の教育委員会は文科省の出先機関とも化している。

統制緩め現場に裁量を

こうしたシステムが均質な教育を保証してきた面はあるが、一方で地域や学校の創意工夫の余地を狭め、本来の魅力を奪っている。もっと地域や学校現場に裁量を与えたり、教員を積極的に外部から招いたりして風通しのよい公教育に転換する時期だ。受験学力一辺倒では困るが、私学や塾に見習う点も多いだろう。

地方ではすでに、中高だけでなく公立小中学校の一貫教育や公立高のテコ入れなど独自の試みも始まっている。公立校が教育環境と教育内容の両面で頼りがいのある存在に生まれ変われば、子どもの教育に余計な出費をする場面が少なくなり、教育不安はずっと小さくなるだろう。

もっとも、公教育離れの底流には「どんなに無理をしてでも有名大学へ」というブランド志向もある。それを支えているのは、企業などが人材採用にあたって出身校にばかり目を向ける現実にほかならない。

親の経済力によって子どもの将来が左右され、それが次の世代でも繰り返されていくとすれば社会は活力を失う。そんな傾向を断ち切るためにも企業は人材登用の尺度を見直していくべきだろう。それはまた、遠回りでも少子化を乗り越えるためのひとつの手立てとなるはずだ。

毎日新聞社説より「新職業教育校 既存の学校では無理か

新タイプの学校というなら明確な必要性と役割がいる。だが既存の学校だけではどうにもならないのか。

職業教育改革を検討している中央教育審議会は中間報告で、実践的な職業教育に特化した新たな学校制度案を提起した。今後各界の意見を踏まえて答申にまとめる。

こんな案だ。大学、短大、専門学校など既存制度の枠外の高等教育機関で、入学者は高校卒業者。修業年限は2~3年、もしくは4年以上。実験、実習など演習型授業が4~5割を占め、関連企業へのインターンシップ(就業体験)を義務づける。設置基準は大学、短大のそれを基本にするが、教員配置では専門職の実務経験者を重視する。

どんな分野か。ソフトウエア設計・開発、デジタルコンテンツの開発、バイオテクノロジーなどといくつかを例に挙げたが、もっと多岐にわたることを想定している。

中教審は昨年文部科学相の諮問を受け、若年無業者増加や早期離職の傾向に教育はどう対処すべきかを論議してきた。折しも大不況と雇用崩壊が若年労働市場を直撃し、問題はより深刻となった。一方、企業側は「人材育成に手が回らない」と即戦力性を求める傾向が強まっている。

今回の新学校案の背景には、現在の高校、大学などの教育では将来の職業やキャリア設計の意識が十分育たず、卒業後の職選択がマッチしていないという考え方がある。

高校では高度経済成長期に中堅人材を輩出した専門学科がかつての約40%から今は約25%に減少、進学を想定した普通科が70%を超える。また戦後の大学制度は教養・学問研究と職業人養成が混然とし、実践的な職業教育の考え方に乏しい。高校進学率が約97%、大学など高等教育進学率が約77%に達した今、適性や能力、目的意識の差異や多様性はつかみきれないという側面もある。

中教審も既存校の改善工夫を求めているが、できることは多くある。例えば「全入時代」で私立大学は半数が定員割れを起こす状況で、大学自らが人材教育や職業実践力育成の方針と実績を示さなければ生き残れない。国公立も例外ではない。

また普通科傾斜の高校教育については、大学入試の教科偏重をやめることで改善は可能だ。

職業教育特化の課程は従来の大学の設置趣旨や理念にもとり、国際的に通用するか心配、というのも当たるまい。専門実務者、つまり実社会のプロたちが大学教育に吹き込む新風をむしろ期待したい。

「今もこんなにたくさん、いろんな学校があるのに」。この素朴な疑問に、いろんな解決のヒントや可能性が潜んでいるのではないか。

たまたま今日は、二新聞社の社説が教育について書いていました。

何年か前に高校の必修科目履修偽装事件があって、たまたまそのころ理数離れが問題となり理科の時間を増やすことになりました。
そしたら理科の時間で地学を増やすという話が出てきて、その解説記事で各科目の時間配分には学会の勢力争いが反映していて、地学は勢力が弱いが巻き返す良いチャンスだと猛然とアピールしている。とのことでした。

確かに、何を教えるのかは重要な問題でそのために各学会がアピールするのは大いにけっこうなことだと思うのですが子どもたちに社会で必要な能力(職業能力など)を身につけさせるという本来の意味から外れてしまって「我が学会の勢力拡大」といった方向に自己目的化してしまう可能性は少なくないだろう。

社会人講師として、小中高で総合的学習の時間などでロボット作りなどを企画しているのですが、授業を企画してみて分かることは教科教育が極限まで研ぎ澄まされていると感じることです。

歴史(日本史と世界史)などでは一年間で先史時台から現代までを教えることが出来るようになっていますが、一年間とは35週であり週に1時限の授業では30時間以下で歴史を全部やってしまうなどです。

30時間が倍(週に2時限の授業)であっても、普通の労働時間に当てはめてみると、簡単に言えば一週間で全部をやる、ことに相当します。
これは教科書や教え方自体を高度に洗練しないと無理だし、試験としては「何年にどんな事件があった?」となってしまうのも仕方ないともなるでしょう。

これらが積み重なった結果、子どもたちの知識が極めて断片的になってしまい、応用力が身につかず、「聞いてないから知らない」といった問題解決にならない回答がまかり通ることに?がっていくのだと思います。

学校の先生方と話しても「試験の範囲を限定しなくても良い。範囲は教科書全部」とか「生徒が知っていること全部を使って回答すればよい」といった意見をお持ちの方は少なくありません。
また、試験範囲の明示が先生の言い訳に使われていることを非常に問題視する先生もいらっしゃいます。

しかし、現実はセンター試験において過去の問題を使用することは先日許されるようになったばかりです。
センター試験のたびに「どこそこの模擬テストに出ていた問題だ」などといった指摘がありますが、それの何が問題なのでしょうか?本来の試験の目的と一致していることなのでしょうか?

ペーパーテストでは分からないところで若者の能力が不足していると社会は指摘していて、それゆえにキャリアー教育の推進といった事になるのですが、下手をすると「キャリアー教育という教科を作る事」と解釈されている面もあるようで、こっちが問題です。

わたし自身は、センター試験や大学・高校の入試で科目ごとの試験では無くて、総合的な謎解きのような試験をする方が良いのではないのか?と思います。
実社会や大学後期での授業は待ちの姿勢ではダメで、自分がどう動くのかが重要なわけで、その能力を評価することが現在の学校教育には欠けていると思います。

7月 20, 2009 at 08:41 午前 教育問題各種 | | コメント (1) | トラックバック (0)