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2009.10.18

日本航空は再建に向かうことが出来るか?

サンケイ新聞より「日航支援「企業再生支援機構」活用へ 公的資金で救済
2009.10.18 01:40

日本航空の経営再建に向けて、前原誠司国土交通相直轄の専門家チーム「JAL再生タスクフォース」は17日、経営不振の企業の再建を支援する「企業再生支援機構」を活用する方針を固めた。

活用が決まれば、支援機構が公的資金を使って日航を救済し、同社の過半数の株式を取得することを想定しており、公的関与がこれまで以上に強まるのは確実だ。
銀行団の一部債権放棄も必要になるため、日本政策投資銀行などの主力取引銀行や、関係省庁と最終調整する。

日本航空の再建をめぐっては、専門家チームが、主力取引銀行に2500億円超の債権放棄を要請することを柱にした新たな再建計画案を策定している。

これに対し、主力取引銀行は「負担が大きい」と、再建案の受け入れに難色を示している。

公的資金の活用に関しては、改正産業活力再生特別措置法(産業再生法)の適用申請という選択肢もあり、検討されてきた。
しかし、支援機構を活用した場合は、日航への融資が不良債権とみなされないなど、主力取引銀行のメリットが多い。
このため、債権放棄額を減額した上で支援機構を活用すれば、銀行団の理解を得られやすいと判断したもようだ。

16日に発足した企業再生支援機構は、ダイエーや旧カネボウを支援した産業再生機構の仕組みをもとにしている。

専門家チームのメンバーの多くは、産業再生機構で企業再生に関わった経験があり、日航の支援決定後は、そのまま経営に参画し、再建を手がけるとみられる。

支援機構は、地方経済の活性化を目指し、地方の中堅・中小企業の支援を中心にするが、日航のような大企業も排除しないことを確認している。

日航の経営再建は地域経済への影響も大きく、支援が受け入れられる可能性は高い。

ただ、日航の支援には、数千億円単位の公的資金が必要になる見通しで、再建が不調に終われば、国民の税金で穴埋めすることになるため、政府・与党内には、再建実績のない支援機構の活用に慎重論もある。

専門家チームは、今月末にまとめる再建計画の骨子に先駆け、20日にも骨子案を公表する方向で銀行団と調整してきたが、日航の株価が上場来最安値を更新するなど「市場の信頼が急速に低下している」(銀行団)ことから、骨子案の公表を19日に前倒しすることも検討している。その後、11月末には最終的な再建計画をまとめる方向だ。

再建計画は人員削減を従来計画の6800人から9千人超に拡大、年金債務を1千億円に圧縮するほか、経営責任を明確にして西松遥社長の退任を求めることが明らかになっている。

企業再生支援機構 官民共同で200億円を出資して設立した政府系機関で、1兆6千億円の公的資金を投入できる枠を持つ。

業務期間は5年間。関係者間の利害調整のほか、金融機関からの債権買い取り、対象企業への出資、経営陣の派遣などの再生実務を主導する。

対象企業の経営が改善した後は、新たなスポンサーに譲渡して再建を終える。

支援決定では、まず銀行団と対象企業が機構に支援要請し、機構が関係省庁の意見を聴いた上で最終判断する。
初代社長には、元東京都民銀行頭取の西沢宏繁氏が就任した。

日経新聞より「日航再建素案受け入れ、3メガ銀も「困難

日本航空の経営立て直しに向け国土交通相直属のタスクフォース(作業部会)がまとめた再建素案に対し、3メガバンクがこのままでは受け入れは困難との判断を固めたことが17日、わかった。

財務省とメーンバンクの日本政策投資銀行も受け入れ困難と判断しており、今後は素案の修正が焦点になりそうだ。

作業部会が13日に提示した素案は、債権放棄と債務の株式化(DES)で銀行団に3000億円の支援を要請。

政投銀による危機対応融資の11月中の実施や、改正産業活力再生法に沿った危機対応出資の活用も盛り込んでいる。
(07:00)

記事中にあるように、13日に銀行の債権放棄を前提として「企業再生支援機構」を活用という案が出て、国交省が作った「JAL再生タスクフォース」はさらに案を進めた、一方銀行サイドは、受け入れ困難と表明した、ということですね。

まあ、同じ案件に対して、正反対に近い話なのですから「呉越同舟」とでも言うのか、それとも同じ舟に乗っていないと言うべきところなのかもしれません。

気になるのは

公的資金の活用に関しては、改正産業活力再生特別措置法(産業再生法)の適用申請という選択肢もあり、検討されてきた。
しかし、支援機構を活用した場合は、日航への融資が不良債権とみなされないなど、主力取引銀行のメリットが多い。
このため、債権放棄額を減額した上で支援機構を活用すれば、銀行団の理解を得られやすいと判断したもようだ
で、一種の目くらましでしょうが、わたしには以前から何度も述べているように、世界中の航空会社が同じ条件で競争するのですから、コスト要因を替えないと競争が出来ません。
例えば、日本航空を中国に任せることで全体として人経費を削減する、といった事になります。
こんな案は、誰も望まないでしょうから「そんな事なら、日本航空は不要だ」となってきます。

ところが前原国交相が、理由の説明無しに「日本航空は潰さない」と述べてしまったから、日本航空再建が自己目的化していて、現状ではある種のババ抜きをやっているのではないでしょうか?

まあ、日本航空が生き残る道は、大幅な規模の縮小が必須ではないでしょうか?
例えば赤字路線は全部廃止、といった選択になるでしょう。場合によっては1/10ぐらいに縮小してしまう。

まるっきり、パンアメリカン航空の顛末を見ているような印象です。
ウィキペディアより引用

ナショナル航空買収 [編集]

この頃パンアメリカン航空は「世界で最も高い経験値を持つ航空会社(World's Most Experienced Airline)」を標榜し、まさに世界を代表する航空会社として振舞っていたものの、1970年代半ばには、自らがローンチ・カスタマーとなったボーイング747の大量導入による供給過多と価格競争による収益性の悪化が重くのしかかってきた上に、1970年代初頭に起きたオイルショックによる燃料の高騰で体力が弱ってきたにも拘らず、パイロットやスチュワーデスの高給をカットできず、高コスト体質のまま国際線の価格競争が次第に激化していったことで慢性的な赤字経営に陥っていった。

その上、1970年代後半にジミー・カーター政権による航空自由化政策(ディレギュレーション)が施行され、他社による国際線への進出が進んだことにより価格競争がさらに激化したことから、新たな収益源を模索することとなった。

ディレギュレーションの施行を受けて他社の国際線への進出が可能になったことと引き換えに、パンアメリカン航空にも幹線以外の国内線への進出が可能になったことを受けて、これまでは規制のために脆弱であった国内線網の充実を図り、1980年に、アメリカ東海岸を中心とした国内路線網を持っていた中堅航空会社であるナショナル航空を買収した。

経営悪化 [編集]

しかし、東海岸地域の路線を主に運航する中堅航空会社だったナショナル航空の国内線路線網は、ユナイテッド航空やイースタン航空、アメリカン航空などの大手に比べ脆弱であったことや、両社の運航機材の多くが別々のものであったこと(例えば、パンアメリカン航空はボーイング747に次ぐワイドボディ機としてロッキード L-1011 トライスターを運航していたものの、ナショナル航空はライバルのマクドネル・ダグラスDC-10を運航していた)、ナショナル航空の賃金形態を「業界随一」とまで言われた高賃金であったパンアメリカン航空に合わせる等、結果的にナショナル航空の吸収合併による改善効果は殆どないどころか、パンアメリカン航空の経営状況を決定的に悪化させる結果となった。

その上、組合の反対により賃金形態の健全化による赤字体質の改善は全く進まず、その上に度重なる事故などにより経営が急速に悪化し、1981年9月にはニューヨークの本社ビルを4億ドルでメトロポリタン・ライフ生命保険に売却したほか、同年にはインターコンチネンタルホテルチェーンをグランド・メトロポリタングループに売却し、この資金を元手に本業に集中することで経営状況の回復を狙った。

「ドル箱路線」の売却 [編集]

しかしその後も経営状況のさらなる悪化が進み、1985年には、日本路線を含むアジア太平洋地域の路線を、ハブ空港である成田国際空港の発着権や以遠権、社員や支店網、保有機材の一部ごとユナイテッド航空に売却した。

なお、第二次世界大戦前からの長い歴史を持つアジア太平洋路線は、日本航空や大韓航空、シンガポール航空などの競合他社の急成長による価格競争の激化によって、以前に比べて収益が低下傾向にあったものの、依然としてパンアメリカン航空にとっては高収益が見込める路線であり、経営陣や株主からは売却することへの反対意見が続出した。

しかし、これによりパンアメリカン航空は多額の運転資金を得ることとなり、以降は「ビルボード・タイトル」と呼ばれた新塗装を導入しアメリカ国内線やヨーロッパ路線、カリブ海方面とメキシコなど南アメリカの路線運航に集中する傍ら、アジア太平洋路線の売却に伴いボーイング747SPやロッキード L-1011 トライスターなどの燃費効率の悪い長距離専用機材を放出するとともに、燃費効率のよい2人乗務機であるエアバスA310の導入を行うなど、運転資金を経営効率を上げるために有効に活用することで、経営状況の改善を図る方策へと出た。

なお、アジア太平洋地域路線はハワイまでの国内路線のみを残し、日本をハブとして運航していたグアムやサイパン路線、さらに香港や上海路線も併せて売却することとなった。その後1988年に日本路線復帰の計画が持ち上がったが、同年12月に起きた、いわゆるパンナム機爆破事件の影響で白紙になった。

更なる路線の切り売り [編集]

アジア太平洋路線の売却で一時的な運転資金ができ、アメリカ国内線やカリブ海、南アメリカ路線の増強を行ったにもかかわらず、この爆破テロ事件で乗客の激減と多額の補償金という致命的なダメージを受けてしまう。

運転のためのつなぎ資金を得るために、事件の翌年の1989年には西ドイツ国内とベルリン間の路線をルフトハンザ航空に売却し、1990年10月には、日本路線と並ぶ高収益路線であったロンドンのヒースロー国際空港への路線を、イタリアやスイスなどへの以遠権を含む路線の権利やヒースロー国際空港のターミナル、機材とともにユナイテッド航空に売却した。

高収益路線の相次ぐ売却を行い運転資金をひねり出したものの、労働組合の反対により経営効率化計画がとん挫するなど経営状況は殆ど改善せず、ついに1991年1月には破産と会社更生法の適用を宣言し、同時にマイアミ発を除くすべてのヨーロッパ路線と、ケネディ国際空港のパンアメリカン航空専用ターミナル「ワールドポート」のデルタ航空への売却、更にラガーディア空港からボストンとワシントンD.C.へのシャトル便の売却を行うこととなった。

終焉 [編集]

これらの相次ぐ売却により、創業当時の本拠地であったフロリダ州のマイアミ国際空港を本拠地とし、わずかに残ったマイアミ発のロンドン、パリ線の他はカリブ海周辺及び南アメリカ路線、東部を中心とした国内線のみの運航を行う中規模航空会社として、デルタ航空の支援のもと再生を行うこととなった。

しかし、同年に勃発した湾岸戦争による国際線乗客激減と同時に起きた燃料高騰、そして最後の頼みの綱であったデルタ航空による支援策が、同社の大株主の反対を受け白紙撤回したことがとどめを刺す結果となり、ついに1991年12月4日に破産し運航停止し、かつて世界中にその路線網を広げた名門航空会社は終焉を迎えた。[2]

10月 18, 2009 at 08:47 午前 経済・経営 |

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