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2009.07.26

法教育について

読売新聞の教育ルネサンスより「(6)法教育 法曹から助言

ルールがなぜ作られるのかを教えることで、規範意識を育む。

「証人は被告の親友だから、かばいたくなるんじゃないかな」「被告も証人の話も疑わしいけど、それだけじゃ有罪にできないよ」

6月2日、福井市の福井大学付属中学校で、3年生の授業として開かれた模擬裁判。森田史生教諭(41)が時間切れを告げても、判決を検討する議論はやまなかった。

模擬裁判は、30歳代の男性が福井市内の電器店で人気のゲームソフトを盗んだ疑いで逮捕、起訴されたという設定。生徒たちは、「裁判官・裁判員」「検察官」「被告・弁護士」など役割ごとに八つの班に分かれ、男性のアリバイや警察に自供した点などを争点に裁判を進めた。

結審後、班ごとに結論を発表したが、「有罪」としたのは「傍聴人」の二つの班だけで、他の班はいずれも無罪だった。

模擬裁判の指導役で、福井市内で開業する井上毅弁護士が「皆さんの顔に正解はどっち?と書いてあるけど、この話に正解はありません。自分たちが人を裁くことについて考えるのが大切です」と授業を締めくくった。

被告役を演じた藤井大君(14)は「みんなに囲まれて緊張したし、被告の気持ちが少し分かった。自分が裁判員になったらそこまで考えて判決を出したい」と話した。

森田教諭や井上弁護士は、福井法教育研究会に参加している。模擬裁判で使ったシナリオも研究会が作ったものだ。法教育の目的は法律の知識を学ぶのではなく、法的なものの考え方を身に着けることに主眼を置いているという。

中心メンバーの橋本康弘・福井大准教授は、背の小さい人が常に前に並ぶ背の順のルールの是非を考える授業や、廊下を走らない、人の悪口を言わない、給食を残さないの三つの決まりに優先順位をつける授業などを身近な法教育として例示。「生徒がルールの意味を理解し、納得した上でルールを受け入れることが重要だ」と説明する。

しかし、法的なものの考え方に慣れていない学校の先生が多く、学校で法教育を行う難しさを感じている。背の順のルールを取り上げてはと提案すると、「議論することによって生徒たちが整列しなくなると困る」と難色を示す教師もいたという。

今年5月に始まった裁判員制度をきっかけに、検察官や裁判官が模擬裁判に参加するなど、法の世界と一般との接点が増えた。井上弁護士のように学校現場に足を運ぶ人もいる。授業の進め方についても、法曹関係者の助言を期待する声は強い。

授業時間の確保も課題だ。森田教諭によると、同大付属中は模擬裁判も含めて年に10時間を法教育に割くが、一般的に、社会科の中で法教育に該当する部分は3、4時間しかない。森田教諭は「公立の中学校でも社会科の時間に法教育ができるようにしたい」と話し、内容を圧縮した授業モデルを検討している。(塩見尚之、写真も)

裁判員制度殺人や強盗傷害などの重大な刑事事件の裁判に抽選で選ばれた20歳以上の国民が参加する制度。今年5月21日に始まった。裁判員6人と職業裁判官3人の構成で、有罪か無罪かの事実認定と有罪の場合の量刑を多数決で決める。8月3日にも最初の裁判員裁判が開かれる予定になっている。
(2009年7月23日 読売新聞)

「高校生模擬裁判選手権2009」を書いたのは、この記事を読んだからです。

森田教諭や井上弁護士は、福井法教育研究会に参加している。

模擬裁判で使ったシナリオも研究会が作ったものだ。法教育の目的は法律の知識を学ぶのではなく、法的なものの考え方を身に着けることに主眼を置いているという。

中心メンバーの橋本康弘・福井大准教授は、

背の小さい人が常に前に並ぶ背の順のルールの是非を考える授業や、廊下を走らない、人の悪口を言わない、給食を残さないの三つの決まりに優先順位をつける授業などを身近な法教育として例示。

「生徒がルールの意味を理解し、納得した上でルールを受け入れることが重要だ」と説明する。

しかし、法的なものの考え方に慣れていない学校の先生が多く、学校で法教育を行う難しさを感じている。

背の順のルールを取り上げてはと提案すると、「議論することによって生徒たちが整列しなくなると困る」と難色を示す教師もいたという。

非常に重要なのは、この部分ですね。

法教育が必要だ、という意見に誰も異論を唱えないと思っているのですが、実は法教育とはなんぞや?ということが社会の特に教育関係者に通じていないから、ごく一部の学校の先生や、弁護士さんがイライラしていることが、昨年の法教育セミナーに参加してようやく分かったわけです。

「高校生模擬裁判選手権2009」に書いた通り「人は神の視点を与えられずに裁判に参加しなければならない」ということをわたしは忘れていました。
しかし、上記に紹介されてい「議論することによって生徒たちが整列しなくなると困る」と難色を示す教師、というのは「教師だから神の代理で当然だ」というところから出てくる発想だと言えます。
教師が神の代理かどうかは議論しないとしても、人である限り神にはなり得ない、ということを実感しないままで良いのか?という問題が残ります。

この先生は結局のところ人が神になったり、人になったりする都合の良い世界をイメージしてそこらか一歩も出てこないわけです。
学校教育は極めて合理化した洗練された手法の集大成ですから、あまりに根源的あるいは哲学的な命題に時間を割くことができないし、そのためのお約束として「先生は正しいものである」としているわけです。
それは「先生は神の代理である」という考えた方に直結している面があります。

しかし、人は根源的なところで社会に他人に対面することにもなるわけで、そこを整理したのが法律です。
法律の考え方は、絶対的な正しさが無いことが前提になっているはずです。例えば刑法ではいくら怪しくても、立証されなければ無罪です。こういういわば相対性あるいは精度の限界といったものを考慮するのが法的な考え方の中核であるはずなのです。要するに「絶対は無い」です。
こう考えてみると、一部の強硬な裁判員裁判反対論の中にも同じく「神の視点が確実に存在する」と思いこんでいる主張があるように感じました。

わたしのイメージでは、法教育を主唱している方々の論は、社会では少数派であり日弁連が一生懸命にアピールしても上滑りである、と感じます。
わたしも含めて多くの法律素人は「法律は絶対である」と思っているから「判決も絶対の真実である」と思いこむわけです。
だからこそ冤罪についても非常に厳しく反発しているわけですし、その逆に重罰化も世論であります。
これらが基本的に「判決は絶対の真実に基づいて下る、神の判断」だと直感的に感じているところがあるのだと思います。

これでは、裁判官・検事・弁護士は神であって、神が扱うべき裁判に裁判員が参加するのは反対だ、というのならそれなりに了解できる反対意見であると思いますが、そもそも法曹人は神だというのが間違っているのは言うまでもないわけで、そんな情緒的なことで裁判員制度に反対されても賛成しかねます。

しかし、日本が世界で競うためには国民の法的判断力を質的に高めることが極めて重要で、非常に大きな課題である、と強く感じています。

7月 26, 2009 at 10:48 午前 教育問題各種 |

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