« 山口県美祢(みね)市ホテルでの一酸化炭素中毒事件 | トップページ | 警視庁が統一教会を家宅捜索 »

2009.06.11

温室効果ガス対策と、新自由主義の争い

サンケイ新聞より「経済空洞化加速の懸念 温室ガス削減目標に広がる反発

温室効果ガス削減の中期目標で政府が10日、「2005年比15%減」を決めたことに、日本経団連が「4%減」を求めるなど緩やかな目標を主張していた産業界には、反発の声が広がっている。

日本はすでに、大幅な削減を実施しており、さらなる削減は、コスト面での負担が他国より重く、「国際的に不公平」というのが産業界の主張だ。省エネ家電やエコカー“特需”への期待はあるものの、削減負担の重くない途上国への生産拠点の移転が相次ぎ、国内経済の空洞化が加速するとの懸念が高まっている。

■重厚長大産業

「国内生産の削減を迫られかねない」

国内製造業が排出する二酸化炭素(CO2)の約4割を占める鉄鋼業界は、危機感をあらわにする。

省エネ化が進んだ日本の場合、排出量を1トン削減するのにかかる費用は、政府原案の「14%減」のケースで、最大130~187ドル(1万2700~1万8300円)と、欧米諸国に比べ2~4倍にもなる。

また鉄1トンを製造するのに必要なエネルギー量は、00年時点で日本の「100」に対して、中国は「129」、インドが「132」と約3割も多く、それだけ余分にCO2を排出している。

日本が目標達成のため、生産量を減らせば、その分、中国やインドの生産が増えることになりかねない。鉄鋼連盟の市川祐三専務理事は「世界全体の排出量は結局、増大する」と警告する。

鉄鋼業界は、鉄鉱石と一緒に燃やす石炭に代わり、水素を投入する新技術などの開発を進めているが、「目標の2020年には間に合わない」という。途上国の製鉄所に省エネ技術を供与するなどで自らの排出枠を取得する取り組みにも限界がある。

すでに汎用品工場の海外移転を進めてきた化学メーカーは「ハードルが高くなれば、さらなる移転を議論せざるを得ない」(化学大手)との悲鳴が上がる。

石油業界も、ガソリン消費の減少に伴い、国内で9つの製油所が不要になる懸念があり、「安定供給の責務が果たせなくなる」(天坊昭彦・石油連盟会長)と訴える。

■自動車・電機

高い目標の達成には、ハイブリッド車(HV)などのエコカーや省エネ家電の普及が欠かせないため、自動車、電機メーカーには追い風となる。
ただ、製造過程でのさらなる削減を迫られるため、差し引きでの恩恵は不透明だ。

国内で初めて電気自動車(EV)の量産に乗り出した三菱自動車の益子修社長は「自社の排出量削減には挑戦的な目標を掲げて取り組みたいが、政府の目標は国際競争力に配慮すべきだ」と指摘する。

日産自動車の志賀俊之COOも「どんな対応でもできるが、それはお金をかけることが前提」と、コスト増への懸念を隠さない。

また高い目標設定により、燃費規制の強化などが導入されることへの警戒感も強い。深刻な自動車不況の中、人気のHVでもトヨタ自動車とホンダが激しい価格競争を繰り広げており、規制強化によるコストアップは死活問題だ。

電機メーカーでは、エコポイント制度による省エネ家電への買い替え特需への期待は大きい。シャープの森本弘環境安全本部長は「削減目標が高いほど太陽光発電や省エネ家電が重宝がられる」と話す。

ただ、世界的に需要が急増しても、国内での製造を増やせば、排出量が増えてしまうだけに、「日本での事業拡大は難しい」と、産業活性化の効果は限定的とみている。

この種の話題になると、いつも出てくる「反論」で個人的には「またか」としか思わないのですが、ニュースにする価値があるのでしょうかね。

鉄鋼など金属資源についてはリサイクルではエネルギー使用量はかなり減らすことが出来ますから、鉄鉱石から製鉄する割合を減らすのが効果的なはずです。

これは一言でいえば、コストの問題ですから、結局のところコストを上げる事で製法をシフトさせることが出来るわけで、逆に言えばコストに触らないで製法を変えることは出来ない、とも言えます。

石油価格を上昇させたことが、クライスラーとGMの破たんの引き金になったように、コストの変化こそが社会の変化を促すものでしょう。
その意味では「現在の製法では・・・」という反論は意味がないわけで、こういう記事は、わたしから見ると古典的であり誤誘導になりかねない、と思います。

ところで、最近の風潮を見ていると、新自由主義について多くの人が「間違えだっただろう」との意見だと感じますが、政府と財界は改革重視 → 新自由主義の堅持といった意見から変わっていないように思います。

新自由主義の一番の問題は、社会問題の極端な単純化にあったのではないか?と思っています。

それまでの世の中が複雑で、その複雑な状況を安定させるための機構が増えて・・・とどんどんと複雑度が増してきたことに対して、「自由にやった方が物事が素早く動くからより良くなる」というのが新自由主義の考え方でしょう。

しかし、幾ら枠組みを外して、完全自由にしたとしても、全ての物事が同じ速度で動くことは出来ない。
若者と年寄り、日常の買い物と住宅購入、事業の創業と人材育成といったように、似たような場面でもどうにも掛かる時間がまるで違うということはいくらでもあります。

それを「自由にすれば・・・」とやっても、付いてくることができないセクターが出てきます。
そういうセクターは社会において脱落していく。
この部分を大阪府知事の橋下氏は「事故責任の社会ですから」と言い放っていますが・・・。

新自由主義の「極端な単純化」はこの「脱落したセクターをどうするか?」を考えないことで成り立っているのだと思います。

しかし、脱落しなかったセクターは脱落したセクターについて全く無視することが出来るのか?と考えると、これは単純に「明日は我が身か?」と思いますよ。
つまりは、脱落するセクター(社会層)が出てくるような社会は、心理的な不安が高まるに決まっています。

わたしは、極端な単純化の果てに「そこから先は無いことにする」といったことが社会不安の根源であるのだとすると、今必要なのは「そうは言っても色々あって複雑なのだよ」という理解の共有こそが一番重要なことだと思います。

あまりに単純化し過ぎる決定は、派遣労働の拡大とか安易な事業廃止などに見られると感じますが、確かに事業そのものは状況の変化に速く対応できるし決定を単純ですが、マーケットというよく分からないものについても影響しているはずなのです。
ヘンリーフォードが従業員に高賃金を支払ってマーケットを作る、としたことの逆だと言えますが、ヘンリーフォードだって本当に高賃金を支払ったらマーケットが出来るのかはやってみなければ分からないことだったでしょう。
同様に賃金を抑制すると本当にマーケットに影響が出るのかは証明不可能な問題です。

新自由主義の真髄は「分からないことはとりあえず無視」なのだと思いますが、長期的には必ず利いてくるはずだし、マーケットなどが「同じ速度で動くようになる」ことがあり得ないのは、先に並べた通りです。

結局のところ、新自由主義とそれがもたらした「極度に単純化した論法」は社会を分断する方向にしか働かない、と言えると思っています。

今回のサンケイ新聞の記事にも「温室ガス削減の是非」的なトーンになってしまっているところが、問題だと感じました。

6月 11, 2009 at 09:15 午前 日記・コラム・つぶやき |

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/2299/45304557

この記事へのトラックバック一覧です: 温室効果ガス対策と、新自由主義の争い:

コメント

コメントを書く