« 不正DM事件は全貌が良く分からない | トップページ | SFCG(旧商工ファンド)破たんに際して財産隠し »

2009.04.21

学力低下問題

大石英司の代替空港の記事「絶望が足りない?」に※ 【日本の議論】日本の大学は多すぎる? 増える「ナゾの学部」というセンテンスがあって、コメント含めて色々な意見が出ています。

元はサンケイ新聞の記事、「日本の大学は多すぎる? 増える「ナゾの学部」」です。

この記事に対して、大石氏のコメント(ブログの記事本文)は以下の通りです。

ここ数年、大学生の学力低下を憂える論調が多いのですが、私はちょっとピンと来ないんですよ。というのは、何だかんだ言っても、彼らは、社会へ出る時には、就職試験を受けるわけでしょう?

公務員にして私企業にしても。一定規模以上の企業なら、普通にペーパーテストもあるでしょう。論文だって書かせるだろうし。

所が、ニュースになる時の論調だと、まともにノートも取れない(ノートを取らない学生は昔から大勢いた)、算数も出来ない、みたいな話になっているじゃないですか。しかもそういう学力低下が、偏差値が下の大学だけじゃなく、今や六大学ですら見られるという話がまたまた信じられなくなるわけです。

キャンパスの学力低下というのは、いったい何処まで深刻なのでしょうか。

これに対して、読者のコメントが複数付いていて、なかなか、興味深い色々な意見が出ています。

大石氏が「私はちょっとピンと来ないんですよ」というところを推測すると、「曲がりなりにも勉強しているのに、なぜ学力低下が問題になるのか?」でありましょう。

この部分についてのわたしの解釈は、社会が要求する「学力」を教育するのでは無くて、試験の成績を評価するだけに統一してしまったからだ。
だと思っています。

例えば、会社が新入社員を採用するときに、何らかの選考をするわけですが、非常に単純な基準としては「先着順」と「何となく決めた」でも良いはずです。
しかし今どき「決めた理由はありません」では社会的に非難されますから「客観的な基準で試験」のようなことを、どこでもやっています。

試験が本業である(?)学校教育においては、それがドンドンと「進化した」当然のことながら対策も進化した。

つい最近、センター試験での「過去問が許可」になりました。
これまではセンター試験では過去に出した問題を出してはいけない、というルールでやってきたのです。
理由は言うまでもなく「公平性の確保」です。

こんな事をしているから、試験問題がドンドン磨かれてあいまいなところが無くなってしまった。
あいまいなことを試験問題に出すこと自体が、罪になってしまった。

こうした教育環境を何十年か続けた結果、「答えがあって当たり前」としか考えられない、青少年を大量生産してしまった。
簡単に言えば、問題と回答のデータベースを持っていて、問題を見た瞬間に考える事無く回答できる能力こそが成績優秀者である学生を作ってきた。

これはで創造性なんてのは無いわけで、試験問題の短作文は書けるけれども、実験レポートは書けない、といったことになるわけです。

小中学校(下手すると幼稚園から)試験に回答することだけが勉強であるとしてきた結果、国語は日本語を操ることではなくて、「国語の試験で満点を取ること」と置き換わったし、算数で距離と速度を計算するのではなく「数字を見つけること」に置き換わってしまったのです。

わたしは、高校生にロボットを使った授業をやっていますが「指定した距離を進んで止まれ」という課題に対して、速度と時間の比例を計算すればよい、ということが即座に出てくる高校生は非常に少ないです。
応用力を発揮したことがないのです。

それでも試験の成績が良ければ6大学にも入れる。
つまりは、社会は大学生にもなれば「応用力も当然あるだろう」と期待するのですが、試験の成績を上げるために「応用などといった余分なことをやらないですごした、成績の良い若者」が大勢いるのです。

「実験や実習など応用力がないと出来ない学科はどうなっているのか?」というご意見があると思いますが、実験や実習で必要なことの一つに「失敗すること」があると思っています。しかし、いまや学校では「失敗する時間が作れない」のです。
そのために「失敗しない実験の手引」を使って授業をしたりします。これでは「実験もどき」でありましょう。
あらゆる手段を尽くして、頭でっかちな若者を量産した結果「応用力がない大学生をどうしよう」というのはあまりにひどいでしょう。

実際に、中高校生には「映画見ろ、本を読め」といったことを強調していますが、その反応の中に明らかに「本を読んでも良いのだ」という安堵感を示すコメントがあります。
若者の知識欲に対して「試験勉強するべき」というプレッシャーが常に掛かっているのだな、と実感するところなのです。

以下は、サンケイ新聞の記事です。

日本の大学は多すぎる? 増える「ナゾの学部」

「最高学府」であるべき大学が危機に直面している。現在、国公私立の4年制大学は全国で約760校。希望すれば誰でも大学に入学できるという「大学全入時代」にもかかわらず、約半分の私立大が定員割れを起こしており、飽和状態に陥っている。学生数を確保しようと焦るあまり、各大学が“一芸入試” レベルのAO入試を導入したり、ユニーク学部を相継いで新設したりした結果、一定の学力レベルさえない学生も「大学生」になってしまった。「算数レベルの学力さえない…」「まともな日本語すら書けない…」。そんな大学の叫びが聞こえてくる一方、ずさんな学部・学科を増やし続けた揚げ句、大学自体の質さえ保てない状況だ。一体、大学はどうなってしまうのか。

■グローバル、デジタル…増えすぎた大学

「健康プロデュース」「グローバルスタディーズ」「デジタルコミュニケーション」「社会イノベーション」「未来創造」「ライフデザイン」「シティライフ」…。これらは、ここ数年間に新設された学部名だ。聞いただけでは、一体何を学ぶのか、分かるようで分からないものが多い。

国公私立の4年制大学は平成20年度で765校(国立86校、公立90校、私立589校)。平成2年度が507校(国立96校、公立39校、私立372校)だったことを考えると、この約20年間で約1・5倍になったことになる。特に増加が著しいのは私立大学だ。学部数でみると、平成2年度は1310学部だったが、平成20年度には2374学部と1000学部近くも増加している。学部名だけをみても、平成20年度には445もの学部名がひしめいている。

子供の数は減り続けているにもかかわらず、なぜ、これほどまでに大学、そして学部が増えたのか。最大の原因は「大学の多様化」との理由で、平成15年度から設置基準が緩和されたことがある。これまでのように「大学設置・学校法人審議会」の認可を受けずとも、届けを提出するだけで新しい学部を設置できるようになった。毎年、新設される学部・学科は300前後にのぼるという。

背景にあるのは、「大学全入時代」だ。平成19年度の大学・短大の入学者数は計約70万人。一方、総定員数は約66万人。単純にみても、大学・短大への進学を希望すれば、ほとんどの学生が大学に入れる計算になる。しかし、その実態は、平成20年春には、4年制の私立大学の47・1%が定員割れし、過去最悪を更新するなど厳しい状況となっている。

ある大学関係者は「人気のある大学では定員数よりも多く入学させているケースがある。一方で人気のない大学や地方の大学には学生が集まらず、学校の運営さえ危ぶまれている」。

人気大学に多くの学生が集まると、人気の低い大学は残った学生を奪い合うことになる。このため、各大学とも、ユニークなネーミングの学部を新たに設置しては、学生の確保に力を注ぐことになる。別の大学関係者は「学生の興味を引きそうな学部を作ることで、他の大学との違いをアピールしなくては生き残れない」と話す。

■ずさんな学部設置…詐欺のようなもの?

「新しい学部設置は基本的に性善説なんですよ。まさか、大学が学部を新設するのに手を抜くことはないだろうと。しかし、実際にはそれが起きている。そして、学生が不利益を被っている。言葉は悪いが、学生は詐欺にあったようなもの…」。文部科学省の担当者はため息混じりに話す。

文科省によると、平成15~20年度に新設された学部のうち、380学部に調査したところ、およそ4分の1に当たる100学部で学生数の過不足やカリキュラム変更など、当初の計画通りには運営されていないことが明らかになった。学生にとっては、大学の門をくぐってみたら、当初の説明とは違う内容の授業を受けさせられたということになる。

大阪国際大(大阪府枚方市)では、昨年4月に新設した「ビジネス学部」と「現代社会学部」の2学部で、科目の3分の1について、担当教員や受講できる学年が変更されており、当初の届け出内容を大幅に逸脱していた。また、東京福祉大短期大学部(群馬県伊勢崎市)は、同じ法人が経営する専門学校と一部の授業が重複するなど、明確な区別がないまま授業が運営されていた。

さらに悪質なケースもある。福岡医療福祉大(福岡県太宰府市)では平成18年度以降、専任教員数が最大で32人も不足するなど、大学の設置基準すら満たしていなかった。文科省は、理事長らが認識しながら放置したと判断し、同大を運営する学校法人に対し平成22年度からの5年間、新たな学部の開設を認めないという処分を下している。

こうしたずさんな学部設置の背景について、文科省は「学生数を確保したいという大学側の焦りから、計画の見積もりが甘くなったり、設置計画を順守しようとする気も薄くなるのではないか」と指摘する。

■ノートの取り方やリポートの書き方まで…

大学生の質の低下も深刻だ。大学で基礎を一から教えないと、次のステップに進めない学生が増えている。文科省の平成18年度調査では、中学や高校レベルの補習授業を行っていた大学は全体の約3割にのぼった。

帝塚山学院大学(大阪市)は、1年生の必修科目として「大学基礎講座」を設置。ノートの取り方やリポートの書き方、図書館の利用法といった大学生活で必要な基礎中の基礎を学ばせている。同大では「4年間の大学での授業を最大限に生かすために、1年生のうちに基礎をしっかりと学んでもらいたい」と説明する。

また、日本橋学館大学(千葉県柏市)でも、1年生の必修科目として、授業の受け方や時間割の作り方などを学ぶゼミや、友人や教師との付き合い方を向上させる体験学習ゼミを設置している。

「消える大学 残る大学」などの著書がある桜美林大学の諸星裕教授は「少子化による大学全入時代は、簡単に言えば、偏差値上の上位の大学から順に受験生を取っていくという構図になっている」と指摘する。

つまり、上位校が定員数以上に、成績上位の学生を取った場合、中位校には、これまでよりも成績の低い学生が入学することになる。言い換えれば、これまで大学に入れなかった学生でも、大学生になれるということだ。結局、学生の質を落としているのも大学自身ということになる。

もう一つの“戦犯”とされるのが、書類審査や面接などによる「AO(アドミッション・オフィス)入試」だ。文科省の調べでは、平成19年度にAO入試を実施した国公私立大学は454校で、学部数では1047学部にものぼっている。入学者数の割合でも、推薦入試を含めると42・6%と全体のほぼ半数を占めており、もはや、入試スタイルの主流になりつつある。

本来は受験生の能力を総合的にみるという目的で導入されたものだったが、入学者を早く確保するため、高3の1学期に実施する大学も登場したり、学力検査を行ったりしていないケースもあり、「単なる一芸入試」との指摘もあるになっている。

大手予備校「河合塾」の担当者は「クラスの半分が秋ごろまでにAO入試や推薦入試で進路が決まってしまうため、現場の先生は、子供たちの学習習慣を維持させることが難しくなっているようだ」。

■リーダーではなく、土台を育てること…

大学が学生をダメにするのか、学生が大学をダメにしたのか。

文科省は今年度から、大学が学部・学科を新設する場合、カリキュラムや職員数などを記した基本計画書▽設立趣旨▽教員名簿-などを、同省のホームページ上で公表することにした。「看板」と実際の中身が異ならないようにするためだ。

また、届け出制度で設置された学部について、文科省は今年度からは調査した上で、基準を満たしていない大学について、学校名を公表することにした。

AO入試についても、平成22年度入試からは出願期間を8月1日以降に限定。合否判定には、筆記試験やセンター試験の成績などで十分な学力が身についているかの確認を求めるという。高校段階の学力を測り、大学入試などに活用するための「高大接続テスト(仮称)」の導入の検討も始まっている。

では、これからの大学に求められるものは何か。

諸星教授は「3ケタの割り算ができない学生に経営学を教えても意味がない。大学全入時代では、そういうレベルの学生が入学してくることを、もはや止められない。大学は社会のリーダーではなく、社会の土台となる大人を育てていくことが求められている。そのためには、それぞれのミッション(役割や個性)をはっきりさせ、学生の力をどれだけ引き上げてあげるかが重要だ。つまり、4年間でどれだけの付加価値をつけて社会に送り出せるか、が問われている」。

戻る

4月 21, 2009 at 12:42 午後 教育問題各種 |

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/2299/44740681

この記事へのトラックバック一覧です: 学力低下問題:

» 学力低下というより学意低下。そもそも必要な学力って何? トラックバック 大欲は無欲に似たり
 前々から言っているのだが、大学生が増えすぎている。絶対数でも10数年前から10万人増、進学率で言えば3割強から5割弱に上がったというのでは、その質が薄まって当然だ。学力低下と騒がれているが、各学年トップの1割(11~12万人)ぐらいで見ると、あんまり変わってないだろう。情報技術への接し方のうまさや、単純に経済拡大やインフレ基調を礼賛しない態度を見ていると、今の大学生のほうが賢いと思わされるケース... 続きを読む

受信: 2010/02/12 23:20:24

コメント

コメントを書く