中学校の砲丸事故で警察6時間後に現場に
東京新聞神奈川版より「横浜市立中で生徒に砲丸直撃し重傷 問われる危機管理体制」
横浜市立港南台第一中学校(港南区)で二十八日、二年生の男子生徒(14)が体育の授業中に頭部に砲丸の直撃を受け、重傷を負う事故があった。
横浜市教育委員会は二十九日、この事故について記者会見を開いたが、学校側の砲丸の管理や警察への通報の遅れなど対応のまずさが次々に明らかになった。
過去の教訓も生かせず、子どもの命を預かる教育現場の危機管理体制のずさんさが、浮き彫りとなった。 (中山高志)
港南署などの調べでは、二十八日午前十一時十分ごろ、同校グラウンドでクラスメートが、四、五メートル離れたところから投げた砲丸(重さ約二・七キロ)が、男子生徒に当たった。男子生徒は頭部骨折の重傷で緊急手術を受けたが、命に別条はなく意識もあるという。
授業は円盤遊具による競技「アルティメット」で、砲丸は関係なかった。
クラスメートは円盤遊具を取りに行った際、用具ケースに紛れ込んでいた砲丸を見つけ、遊びで人がいない場所に砲丸を投げたところ、それた円盤遊具を追い掛けてきた男子生徒に当たった。
当時、体育の担当教諭は、生徒がけったサッカーボールを拾いに行き、現場を離れていた。
市教委によると、同校には五個の砲丸があり、四個は職員室のロッカーや鍵付きケースで管理されていた。
残り一個が事故につながったが、学校側は、これがどこにあるのか、まったく把握していなかったという。事故後の対応については、同校の大場裕二校長が電話で港南署に事故の第一報を伝えたのは、発生から約四時間四十分も経過した午後三時四十五分ごろだった。
この間、体育教諭と別の女性教諭が「生徒の目に触れさせたくない」と判断し、砲丸を事故現場から校長室へ移していた。通報が遅れた理由について市教委幹部は「被害生徒の付き添いなど、子どもの対応を優先した」と釈明。
だが、なぜ副校長らが通報しなかったかについては明確に説明できなかった。港南署幹部は「重傷事故の場合は早く一報を入れてほしかった」としている。
市内では、二〇〇四年十二月に青葉区の市立奈良中学校で、男子生徒が柔道部顧問に技をかけられて脳挫傷などの重傷を負った事件があったが、この際に学校側はすぐに警察へ通報せず、批判を受けた。
市教委幹部は「過去の教訓が生かされていない部分はあった。申し訳ない」とうなだれた。
「中学生・砲丸投げの授業で頭蓋陥没骨折」に書いた、2007年10月2日に大阪府守口市の中学校で体育の授業で砲丸を投げて事故になったのとは全く別の事件ですね。
時間こそを体育の授業中ですが、事件としてはいたずらによる大けがの発生でしょう。
だからこそ、新聞は「危機管理体制」を問題にするわけで、なんか社会性の欠如といった印象を受けます。
当日の様子については朝日新聞神奈川版に出ています「通報、4時間半後 中学砲丸事故」
横浜市立港南台第一中学校(港南区、大場裕二校長)で体育の授業中、砲丸投げの球が生徒の頭に当たって頭部骨折の重傷を負った事故で、学校が港南署に届け出たのは、発生から約4時間半経過した後だったことが判明した。
同署は現場に着くのが遅れ、同日中の検証作業ができなかった。
横浜市教育委員会は過去の事故対応への反省から、警察などへの「迅速な連絡」を学校側に繰り返し指導してきたが、教訓は生かされなかった。
(中村靖三郎、千葉卓朗)
市教委は29日、記者会見を開き、経緯を説明した。事故は28日午前11時10分ごろ発生し、生徒はすぐに救急車で運ばれた。
ところが、学校が同署に連絡したのは午後3時45分ごろだった。同署によると、連絡を受けた後、けがの程度など問い合わせたが、手術中で確認できず、署員が学校に着いたのは連絡から約2時間以上過ぎた午後6時ごろだった。
現場にいた生徒はすでに下校し、教師もいなかったという。夕方で暗くなっていたため、実況見分は翌29日に行われた。署の担当者は「もっと早く連絡をもらえれば、記憶が新しい間に現場の生徒や教師に話を聞くことができた」と話す。
市立学校内で起きた事故をめぐる通報・連絡については、同市青葉区の中学校で04年、柔道部の練習中に顧問に技をかけられた生徒が脳挫傷などで重傷を負い、後に顧問が傷害容疑で書類送検される事件が発生。
この際、学校側が警察に事故を届け出ていなかった反省から、市教委は昨年11月、小中高など全校長らに「迅速な対応」を指導したばかりだった。
また、砲丸の管理もずさんだったことが判明。砲丸は01年度まで授業で扱われたが、現在は使われておらず、一つだけ用具ケースに紛れ込んでいたという。陸上部で使う砲丸は、鍵付きの収納庫で保管されていた。
市教委は「重大な事故で、他の生徒への対応もあり通報が遅れてしまった。申し訳なかった」と陳謝し、29日に改めて全校長に対し、連絡や用具管理の徹底についての通知を出した。
救急車つまり消防と警察は情報が連動していて、とりあえず何が起きたのかは分かるはずなんですよね。
だから、警察が問題にしているのは学校が警察に対してきちんとした説明をしなかったということでしょう。
しかし、学校の職員が誰も居なくなって無人になることはあり得ないのだから、警察とのやり取りでは「担当者が不在で」のようなことを繰り返したのでしょう。
これでは周囲から不審の目で見られるのは当然でしょう。
どこまで行っても「人が他人に重症を負わせた」のですから傷害事件である疑いがきわめて濃厚であると警察は考えるでしょう、それなのに実際には警察が現場に入ったのは6時間後というのでは、警察は怒りますよね。
何でこの程度の判断が出来ない人たちが学校を運営しているのだろうか?
それこそが問題ではないのか?
3月 2, 2008 at 02:15 午後 教育問題各種 | Permalink
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コメント
>何でこの程度の判断が出来ない人たちが学校を運営しているのだろうか?
>それこそが問題ではないのか?
事件事故時の公立学校は、相変わらず隠蔽に天才的な能力を発揮しますなー。児童生徒の安全対策に費やす努力より、自己保身能力の方が上回り、教職員の自己保身より生徒の安全が最優先だと思っていない(思ってはならないと暗示をかけられている)結果でしょう。
ありとあらゆる所(県教委→教委、教委→学校長、学校長→管理職教員、管理職教員→一般教員、教員→生徒、etc)に、有無を言わさない一方通行上意下達システムを組み込んだのが原因です。
私立にも似たような組織形態がありますが、知る範囲ではどこも双方向に働いています。公立と私立で、なんでこうも違うのですかねー。更に公立離れは進行しますね。
投稿: 昭ちゃん | 2008/03/02 15:06:11
はじめまして,heisanと申します。
apjさんのところから来ました。
> 何でこの程度の判断が出来ない人たちが学校を運営しているのだろうか?
> それこそが問題ではないのか?
それは法律に関して意識の高い人が,教員という組織の中には居ないからではないでしょうか。
こちら様のサイト(http://blog.goo.ne.jp/kkhrpen/e/d82ec8c8ba984072c342dbe2eadccf43)で,法律と教育はそもそも相容れないという旨のことが語られています。
私はこの方の考えに共感するところがあります。
ですから,今回の一件は,単に教員の社会性が低いからだ,(だからもっと高めなくてはならない,高めるための方策を考えなくてはならない)というような問題ではないと思うんですよね。
教員というものは,そもそもこういうことに関する社会性が低くなくては務まらない仕事ではないかと,思うのです。
建設的な提案としては,現在の学校組織(公教育組織)の中に,法律に関して意識の高い人(例えば警察関係者とか)を配置する,などの対策が落としどころになるのではないかと思います。
投稿: heisan | 2008/03/07 7:38:43
heisanさん、コメントありがとうございます。
今回の一件は,単に教員の社会性が低いからだ,
(だからもっと高めなくてはならない,
高めるための方策を考えなくてはならない)
というような問題ではないと思うんですよね。
教員というものは,そもそもこういうことに関する社会性
が低くなくては務まらない仕事ではないかと,思うのです。
これはちょっと賛成しがたいです。
教育の現場が、社会性が低い状況を許容しなければやっていけない、というのはその通りだと思うのですが、それだからこそ「教員にはより高度の社会性が要求される」になると思います。
社会性だけでなく、学力や体力さらには知能などもバラツキが大きい世界が学校教育の現場でありましょう。
そういう現実を許容できることが教員の重要な能力でありますから、本人は可能な限り高度の能力を要求されているのは間違えないでしょう。
もちろん教員にも個人差があるのは当然ですが、それはより高度の能力を要求されることと相反するものではないでしょう。
こう考えると「社会性が低いことを許容できない教員は務まらないが、本人の社会性が低いことは許されない」と言いきっても間違えではないと思います。
その上で、砲丸投げ事故について考えみると、報道は
怪我人が出た → 大事件であってはならない
生徒のいたずらだった → 砲丸を持ち出すことが出来たのが問題
なんで砲丸を管理できていなかったのか → 管理が悪い
といった論理展開をしているように思うのですが、学校はその地域では最大の企業事業所と考えるべきで、数百人から千人程度の人が集まっている場です。
そういったところで、何も起きないというのが無理であって、何らかの問題は常にあるはずで不幸な事態が起きるのも計算に入れておかないとならない。
報道や行政の方向性が「不幸な事態を絶対に起こさないための、仕組みだけ用意すればよい」といった姿勢に感じるのですが、それなら「学校そのものを閉鎖すればよい」にもなってしまうわけで、不幸な事態が起きても最小限の被害で食い止めるために努力する、といったより高度な判断が不可欠だと思います。
そういう観点で、何時間も空費したというのはどうなのか?と見てみると、これは「話にならない」といった評価でしょう。
少なくとも、こんな行動が将来の類似の事態発生に対してより役立つとはとうてい思えない。
過去になってしまった事態についての言い訳のようなことはいくらでもOKだと思いますが「将来同じような問題に直面したらどうするの?」とは聞いてみたいですね。
投稿: 酔うぞ | 2008/03/07 8:54:02
酔うぞさん,お返事ありがとうございます。
> 教育の現場が、社会性が低い状況を許容しなければやっていけない、というのはその通りだと思うのですが、それだからこそ「教員にはより高度の社会性が要求される」になると思います。
それは一面の真理を突いていると思います。
逆に言うと,「社会性が低い状況を許容すると,自分の社会性も低くなってしまいがちである」が,教員はその傾向を乗り越えていくことが要求されている,ということになりましょうか。
教育現場以外の組織では,こういった問題があまり発生しないのは,「社会性が低い状況を許容する」というハンディキャップがないからだ,とも考えられますね。
投稿: heisan | 2008/03/07 20:56:08