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2007.12.03

地方新聞だけが名誉毀損とされた事件の控訴審

毎日新聞より「東京女子医大・手術事故:配信記事掲載で名誉棄損 責任の所在、どこに!?

11日から控訴審--1審は地方紙のみに賠償命令

共同通信社が配信した記事について、掲載した地方紙のみに名誉棄損での賠償を命じる判決が9月に東京地裁であった。
定評ある通信社の配信記事を掲載した場合、新聞社は免責されるとの主張を判決は退けた。
これに対し、共同や地方紙は、多様な言論を封じ、国民の知る権利を阻むものだとして猛反発している。
11日に東京高裁で控訴審が始まり、改めて「配信記事の責任」の所在が問われる。
【本橋由紀、北村和巳】

地方紙「知る権利大きく損なう」/共同通信「報道の萎縮につながる」/識者「配信制度に理解がない」

裁判は東京女子医大病院で心臓手術を受けた女児の死亡事故をめぐり、業務上過失致死罪に問われ、1審無罪(検察側控訴)となった医師が起こした。
判決は、医師の基本動作ミスが事故を招いたとする配信記事(02年7月)について「警視庁の記者会見に基づくなどしており、報道内容を真実と信じる相当の理由がある」として、共同の賠償責任を否定した。

その一方で、

  1. 定評ある通信社からの配信を受けたことだけを理由に、記事が真実と信じる相当の理由があったとはいえない
  2. 共同通信の定款施行細則で、配信記事には配信元の表示(クレジット)を付けると規定されているのに、そのクレジットを付けずに自社が執筆した記事のような形で掲載している
として、掲載した上毛新聞社(前橋市)▽静岡新聞社(静岡市)▽秋田魁新報社(秋田市)の3紙に計385万円の賠償を命じた。共同によると、この記事をクレジットを付けて掲載した新聞はなかった。

実情無視と批判

堀部政男一橋大名誉教授(情報法)は「今回のような形で地方紙が責任を負わされるのであれば萎縮(いしゅく)して、読者の知る権利に応えられなくなる」と話すが、地方紙側はどう受け止めているか。

当事者の上毛新聞は「通信社とその加盟社の実情を無視した判決。認められれば配信制度や地方紙の根本にかかわる」と主張する。

他の加盟社も「覆ると思うが、仮に確定すれば知る権利、言論の多様性への悪影響は計り知れない」(河北新報)▽「加盟社は多くの読者を抱え、世界で起きるニュースを提供する責務があり、仮に確定すれば、表現の自由を大きく侵害する」(信濃毎日新聞)▽「通信社制度の存在意義を否定し、国民の知る権利を大きく損なう」(北海道新聞)▽「報道の自由を制限し容認しがたい」(西日本新聞)など、民主社会の根幹にかかわる問題だと指摘する。

背景にあるのが、通信社と地方紙など加盟社との密接な関係だ。

共同は社団法人で、NHKやブロック紙も含め加盟する計57の報道機関は「社員」となっている。運営方針などを決めるのは最高の意思決定機関「社員総会」や社員から選ばれた理事による理事会だ。通信社とは単なる契約関係ではなく、同じ共同体ということになる。

共同の配信記事に誤りや名誉棄損の部分があった場合の責任について、共同通信の安斉敏明・総務局総務は「配信した共同にある」と明言。加盟社も「責任は配信側にあり、地方紙は免責される」との意見でほぼ一致する。地方紙が中心の米国では、この「配信サービスの抗弁」の法理は一般的だという。

この考え方に沿い、加盟社は地域の独自ニュースと世界規模、全国規模のニュースを紙面に掲載できる。新聞社間の無用な競争を避け通信のコストを下げながら、多様な言論が保たれ、国民の知る権利にも応えられることになるという。

判決は判例踏襲

最高裁は「ロス疑惑」をめぐる名誉棄損訴訟で02年1月、「社会の関心を引く私人の犯罪やスキャンダル」報道に関し、「配信サービスの抗弁」を否定した。報道合戦が過熱し、慎重さを欠いた記事があると指摘し、「一定の信頼性を持つとされる通信社の配信記事でも、真実性について高い信頼性が確立しているとは言えない」と結論づけた。今回は、公的な使命を帯びる医師が医療ミスの刑事責任を問われたケースだったが、東京地裁は「社会の関心と興味を引く分野の報道」として、判例を踏襲した。

さらに今回の判決は、3紙が「配信元の表示(クレジット)」を付けなかった点を重視し、「新聞社自ら執筆した記事と体裁が変わらず、読者は配信記事かどうか判別できない」と指摘。共同と3紙は一定の関係があっても別の責任主体で、共同の「(免責とされる)相当の理由」を3紙は援用できないとした。

クレジットについてはロス疑惑をめぐる別の訴訟の最高裁判決(02年3月)で意見が分かれた。2人の裁判官は「報道の自由は、どの社の責任で記事が作成されたか認識できて初めて十分に発揮される」として、クレジットを付さない場合は配信を理由にした抗弁は一切主張できないと述べた。だが、別の3人の裁判官は「クレジットの付いていない記事でも、その内容や記事を掲載した加盟社の規模などから、通信社からの配信記事と推認できる可能性があれば、加盟社と通信社が実質的に同一性を持つと考えて差し支えない」「クレジットがないからといって、配信サービスの抗弁を認めないという意見には賛同できない」と意見を述べている。

「クレジット」は必要か

今回の判決も指摘しているように共同の定款施行細則は配信記事の掲載時にクレジットを付けなければならないと規定。だが、現実には国内のニュースには付けないのが長年の慣行で、共同も問題にしてこなかった。原告医師の代理人の喜田村洋一弁護士は「クレジットがなく自分の記事の形で掲載した以上、責任を問われるのは当然。取材を尽くしたかで個別に名誉棄損を判断するのは妥当だ」と話す。

これに対し、上毛新聞は「すべての記事にクレジットを付けると読者の混乱を招く懸念もある。記事の内容ではなく、クレジットの有無を問うのは本質的ではない」と主張。「クレジットを付けたからといって加盟社が免責になる保証はない」(中日新聞)との疑問の声も消えない。

そのような中、北海道新聞は10月から、話題の人を紹介する囲み記事「ひと2007」について、自社原稿の署名だけでなく、配信記事にも原則としてクレジットを入れることにした。「原稿の出自を明らかにする観点から」と、見直した理由を説明する。

控訴審では何を訴えるのか。共同は「直接の取材手段を持たない加盟社に配信記事の真実性を証明させようとし、報道を萎縮させる判決の不当性を主張したい。クレジットなど個別の主張については訴訟で明らかにしたい」と話す。

通信社の歴史に詳しい秀明大総合経営学部の里見脩教授(メディア史)は「メディアがすみ分けることで成り立ってきた配信制度にとってゆゆしき判決だ。最高裁判例の一部を一方的に解釈しているという印象を受けざるを得ない。『赤福』がチョンボしたからといって、みやげ物屋が責任を負いますか? メーカー責任の原則からもはずれている。クレジットの点もおかしい。共同は社団法人で地方紙は社員。地方紙は社説まで共同から配信を受けるような関係だ。配信記事にクレジットを付ければ地方紙は共同のクレジットで埋まってしまう。すべての記事にクレジットを、という実態を理解しない考え方で、民主社会にとって大切なものを犠牲にすべきではない」と断じる。

共同通信社が配信したニュースをそのまま載せた地方紙が名誉毀損に当たるとされた事件で、控訴審が始まるという解説記事です。

素人考えとして非常に不思議なのは、ニュースを配信した共同通信社に対しては「信ずるに足る情報を伝えたから、賠償責任は無い」としておきながら、そのニュースを掲載した新聞が名誉毀損に当たる、という理屈が成立するのか?です。

地裁判決では「共同通信社が配信したニュースなのか独自取材の記事なのか区別が付かないから、名誉毀損」としているようですが、共同通信については「警察発表など」を根拠に「信じて当然」との情報を「共同通信が配信したから信じてはいけない」と読めるわけで、それでは情報の伝達ということを自体に無理難題を吹っかけた判決となりませんかね?

また、地方新聞社が共同通信と同列で警察を直接取材して書いた記事であれば、やはり名誉毀損に当たらないのでしょうね。だとすると「共同通信のクレジットを表示しない」ことにどういう意味があるのか?
さっぱり分からない判決だと感じます。

12月 3, 2007 at 12:21 午後 セキュリティと法学, 事件と裁判, 国内の政治・行政・司法 |

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コメント

 クレジットがない以上読者はその記事を書いたのが新聞社なのか配信社なのかわからないわけで、通信社配信の記事だからといって新聞社の責任がなくなるとは思えないのですが。
 早い話、これって製造業で言うOEMなわけですよね。OEMメーカーのミスで製品に欠陥があったとしても、消費者にたいする責任があるのはその製品を販売した企業なわけで。製品を販売した企業は消費者にたいする責任を果たした上で、OEMメーカーに対してあとで損害賠償を請求するのが普通なのではないですか?(赤福を例に出してますが、みやげ物屋は自分の名前で赤福のもちを販売してたわけではないので例にならないと思います。)
 あと、「長年の慣行で、共同も問題にしてこなかった」ってそれは言い訳にならないような気がします。こういうことをほかの企業が言ったらたたくくせにマスコミは自分に甘いのではないでしょうか。

投稿: とれま | 2007/12/03 23:12:21

 たとえば、赤福からOEMを受けてある会社が自社ブランドでもちを販売していたとしましょう。
 このときに、不正を行ったのが赤福だからといって、この会社に責任がないということになるでしょうか?自分はならないと思うのですが。

投稿: とれま | 2007/12/03 23:18:10

コメントありがとうございます。

分からないのは、元の共同通信社は名誉毀損に当たらないとされて、それを転載した地方新聞社が名誉毀損に当たるとされた理屈の部分なのです。

記事自体が、名誉毀損に当たる内容とされたからには、共同通信が該当しないとされた理由は「警察などの発表は信ずることができるから」であるわけで、それを共同通信社が地方新聞社に配信すると「信ずるに足りない情報になる」と裁判所は言っているのでしょうが、これは直感的に理解しがたい。

信じられる情報が伝達者を経ると信じられなくなるというのでは、情報伝達の原理に反していますよ。

裁判所はいったいどういう世界観でこんな判決を出したのか?といったところです。

投稿: 酔うぞ | 2007/12/03 23:23:59

こちらの BLOG では、伝達による遅れが「信ずるに足りない情報」になったという解釈のようです。医師のかたによる BLOG(つまり原告寄り) なので、その分は考えないといけないでしょうが、コメント欄にクレジットの有無をトレーサビリティとして捉える考え方などが書かれていて、いろいろ考える材料になります。

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20071204

私自身はというと、まだまだ判断材料が足りないので意見は保留の段階です。紹介したところやこちらを見て、足りないおつむをひねってみたりしています。

投稿: Seagul-X | 2007/12/04 13:01:38

>コメント欄にクレジットの有無をトレーサビリティとして捉える考え方

実務的にはこの通りでもあるのですが、どうも情報伝達の本質ではないと感じるのです。

情報とは、多くの場合は物理現象や実際に起きた事件など、実体のあるものについて解説するようなもの、と考えて良いでしょう。
純粋に情報だけというのはそうそうありません。

そこで結局は「事実(真実)」→「解釈」→「情報」になっているわけです。
この「解釈」の部分を争うのが「信ずるに足りる」なんでしょうね。

「信ずるに足りる」という条件が付くと、情報と真実は別物になってしまうわけで、トレーサビリティを保証しても情報から真実に到達するとは言いがたいわけです。

そこで、情報のトレーサビリティだけが真実とは独立して存在するのが、著作権法にもある「元情報からの引用・転載」の手続なのでしょう。

しかし、これは「情報交換の手続」の問題であって、情報そのものを「信ずるに足りる」ために不可欠とは言いがたい。

天動説・地動説の争いなんてのは「どっちの情報を信じるのか」であったわけだし、20世紀にはアポロ11号が月面着陸に成功したから、新聞社がゴダートに公式に謝罪しました。

この二つの例は、真実がそのまま情報にはならない例と言えるわけで、事件や発明・発見の当事者には真実こそが問題なのは明らかですが、社会にとっては「信ずることができる情報」の方が真実よりも重要なのかもしれない。

そうなると、地裁判決は「なぜ情報が信用できたり出来なかったするのか」という説明をしているとは思えないのですね。

確かに、トレーサビリティを重視したのかもしれないけど、ことは名誉毀損であり刑事罰もある問題なのですから、手続を根拠にしてはまずいでしょう。

仮に手続としてのクレジットがあれば、良かったというのであればその理由を説明するべきです。

そんなわけで、この判決はかなりヘンだと思うところです。

投稿: 酔うぞ | 2007/12/04 13:26:18

結果的に嘘をバラまいてしまったことに争いはないわけです。自分のところで取材したけれど、間違ってしまったことにやむを得ない事情があった共同通信と、配信を受けながらあたかも自分で取材したかのような記事を書いた地方新聞側の責任は、やはり異なるでしょう。

http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_b9e8.html

↑当事者の解説じゃ偏っているかも知れませんが、この主張が認められたということになるのでしょうね。

投稿: pmj | 2007/12/07 16:47:48

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