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2007.12.28

毎日新聞・論点(2007/12/28)

毎日新聞(紙面)で「どう考える 15歳の理科離れ」として、三人の意見を紹介しています。

三人のご意見はいずれも極めて重大な提言であると思いますが、中央教育審議会や教育再生会議で出ている論点とは全く違うというか、むしろ中央教育審議会や教育再生会議の議論に対して否定的な意見ばかりだと評価しても良いかと思います。

  • 何でもかんでも点数で序列をつけ、それをもって全人格をうんぬんする悪習
  • 理工系の職にある者と例えば金融マン(ウーマン)との、生涯所得を比較すれば差は歴然
  • 薄給でも就職できれば幸運なほうで、理工系の博士号を取ったのに職がなく、塾の講師などで糊口をしのぐ人も多い
  • 教育制度に小手先の策をろうしてではなく、社会の理数軽視や文理格差を本気で改善すること
  • 大学入試で知識しか問われない日本
  • 日本の入試は、知識理解の問題を出すことで、国全体の教育の方向を縛っている。
  • この十数年の日本の学習指導要領は、理科の時間を減らすだけでなく、理科的な知識の要となるような内容を削り、断片的にしか学べない内容を残してきた。
  • 学んだことが次につながり、現在の社会でどのように使われているのか、そうしたことに結びつける余裕のないカリキュラムにした。
  • 先生に対して社会全体がもっと支援を行い、先生が意欲を持って教えられる環境を作ることが不可欠だ。
  • 先生の雑用を減らし、授業の準備に専念できる環境を整えることが長期的には大切なことだ。
  • 21世紀に求められているのは「高度の知識を身に着け、それを活用する」という質の高い学力
  • 科学の学習が社会生活や自然現象とどうつながっているか、将来の仕事にどう生かされるか、という考え方が非常に弱い。
  • 深刻なのは、授業のスタイルと学習環境の劣悪さだ。「生徒自ら実験を行う」「生徒同士で課題の話し合いをする」と答えた日本の生徒は著しく少ない。
  • 日本の学校の授業は、伝統的スタイルに縛られている。質の高い学力を身に着けるためには自分で表現する、共同で探索し、対話するといった学び方の質の改善が不可欠だ。
  • これらは国の教育行政の責任だ。日本は80年代の臨時教育審議会以降、国の教育予算を削減し続けてきた。教育予算は国内総生産(GDP)比でOECD加盟国中最低クラス。
  • 授業と教科書の改革、子どもたちが興味を持てるようなメディアや学習環境の整備、そして教師への支援だ。
  • 国は教育の質を高めるグランドデザインを提示し、未来投資に乗り出すことが求められている。

といったところには深く同意します。

効率至上主義でやってきたせいか、質とも言うのでしょうが授業に厚みがないのだろうというのは容易に理解できます。
生徒の側から見れば「面白くない」でしょう。

ところが、その「面白くない授業に耐える」ことが選抜になっているわけです。
入試が知識の程度を試す方向に偏っているから、次の段階として「時間内にいかに大量の回答をするのか」という方向に向いてしまいました。
そこで「反射的に回答が出るように訓練する」のが受験勉強になっています。

これはスポーツのトレーニングと同じで、回答速度の訓練ですから、同じようなことを繰り返しやることになる。
知的好奇心などとは正反対にあることで、これで勉強が面白い、とか将来の自分の興味に役立つだろう、なんて思うことは不可能でしょう。

なによりもまずいのは、これで通用するのが「受験勉強」なので、議論とかチームワークといった他人との関わりについてせっかく学校に居ながら訓練できない事です。

本当に自分の意見がない子どもなんてのはそうそう居ないでしょうが、意見の言い方を知らないから言わないという生徒は多い。
「みんなと同じ」となってしまう。

しかし、そういう大人に社会の運営は任せられないわけで、良くも悪くも他人との関わりを学校時代に練習して欲しいし、それが何十年か前に比べると非常に高度な水準を要求されているのだから、現在の教育の方向は必要なことを育てないどころか、削っていると評価するべきだ。

極めて深刻な問題になりつつあると思っています。

以下「毎日新聞2007/12/28の「論点」より


「大人の理数離れ」の反映

米沢富美子(慶応大学物理学科名誉教授)

「報われない仕事」に敏感な子供たち。評価も待遇も改めて優秀な人材育成を。

経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)の、06年結果が発表された。日本の順位がここ数年、理科の成績や科学への興味に関して下降気味であることが、学力低下、理数離れの根拠として論じられている。

しかし、どのような調査データも、結果の数字だけで一喜一憂するのは愚である。調査の仕方や背景、データの統計性をまず問うてみる必要がある。テストの結果については、調査参加国の増加が日本の順位低下の一因だとすでに言及されている。

そもそも、真の学力は数字では測れない。価値観は多様であり、数値化できるものではない。何でもかんでも点数で序列をつけ、それをもって全人格をうんぬんする悪習を断たない限り、教育は崩壊する。PISAテストのための受験参考書の類が出版されているのを知って、仰天した。

点数の高い子どもが、将来は立派な科学者になる保証はないし、逆もまた真だ。アインシュタインは学校嫌いで中学は中退しているし、大学入試も一浪した。日本初のノーベル賞受賞者で物理学者の湯川秀樹博士は子どものころ、活発な兄弟たちに比べて目立たなかったので、父親は秀樹少年を大学ではなく専門学校に進学させようと考えた。PISAテストにしても、天才の力量を凡才の大人が作っだこざかしいテストで測れると思うのが、どだい間違いだ。

子どもたちの理数への興味喪失をテストの結果が示唆しているなら論ずるべきは「子供の理数離れ」ではなく「大人の理数離れ」である。社会が理数を見捨てているのだ。

社会への貢献度に対する評価や待遇において、理工系の職は軽んじられている。大学・企業を問わず理工系の職にある者と例えば金融マン(ウーマン)との、生涯所得を比較すれば差は歴然だ。社会における発言権でも、科学技術がからんだ国の政策に、科学者の意見がいれられることは少ない。社会のほころびがさまざまな格差として顕在化しているが、こうした「文理格差」も憂慮すべき問題だ。

薄給でも就職できれば幸運なほうで、理工系の博士号を取ったのに職がなく、塾の講師などで糊口をしのぐ人も多い。私は、物理学科で大学院修了まで育て上げた学生が、理工系の職に就けず銀行や証券会社に行くのを、切歯扼腕の思いで見てきた。学生たちは、子どものころから科学が好きで大学院まで進んできたのだ。その彼らが社会の現実に直面して、科学からの撤退を余儀なくされる。こういう状況で子どもたちを理数に勧誘するのは詐欺だと思う。

子どもたちも、理工系の仕事が必ずしも正当に報われないことを、敏感にかぎ取っている。資源のない日本にとって科学技術立国こそが唯一の道で、担い手の優秀な人材は必須だから、焦眉の事態だ。子どもたちの理数離れの問題は、教育制度に小手先の策をろうしてではなく、社会の理数軽視や文理格差を本気で改善することで、初めて解決可能になるのである。

大学入試の改革重要

滝川洋二(東京大学教養学部附属教養教育開発機構客員教授)
知識しか問わず、学ぶ楽しさから遠い教師が意欲を持てる環境作りも不可欠。

学習到達度調査(PISA)で、科学的活用力は、前回2位から6位(531点)と下がったが、OECD加盟国内では、断トツに高いフインランド(563点)に続く2位グループにとどまっている。授業時間が世界で最も少ない理科でよくこれだけの成果を出したものだ。義務教育の理科は、日本では70年代には1048時間だったのが、現在は640時間である。英国(今回14位515点)では、多数の人は1212時間学んでいる。多民族国家で、経済格差が大きい英国に比して、日本は有利な点が少なくないが、国の教育への姿勢が異なるのを感じる。

大学入試で知識しか問われない日本で、知識を基本に考える力を養うには、より多くの時間が不可欠だ。次の学習指導要領で、義務教育の理科が790時間に復活するのは、状況の改善に少しつながるのではと期待している。

もっと根本では、大学入試を変えることが重要だ。英国では、大学入試にも理科では20%程度を実験を工夫したリポートの評価に充てている。日本の入試は、知識理解の問題を出すことで、国全体の教育の方向を縛っている。

「PISAのテスト問題のような、知識を基本にしながら考える力を評価する問題」や実験リポート評価を大学入試で採用することは、教育を大きく変える原動力になるだろう。ここを変えないで小、中、高校の先生の教育力を批判するのは、公正ではない。

この十数年の日本の学習指導要領は、理科の時間を減らすだけでなく、理科的な知識の要となるような内容を削り、断片的にしか学べない内容を残してきた。

一例で小学校3年を取り上げると、以前は1・2年で教えていた内容を、生活科の創設で理科を全く教えなくなり、3年では数週間ごとに学ぶ内容が変わる。学んだことが次につながり、現在の社会でどのように使われているのか、そうしたことに結びつける余裕のないカリキュラムにした。これは中学まで同じ傾向が続く。断片的な内容を学ぶ意欲は、入試などの外部要因に求め、学ぶこと自体の楽しさを基本に据えることから遠ざかってしまった。ここを変えないと、問題の解決にはならないだろう。

中学高校の理科の教師は理系出身だが、小学校教員は文系なので理科をあまり学んでいない。今、小中高校で理科を780時間学べば小学校教師になれる。70年代には1573時間だった。以前の義務教育より少ない時間で教師になれるので、60%は理科が不得意とのデータもある。この状況で、全員参加の悉皆的な学力テストで学校に競争させようとしても、子どもに本当の学力がつくはずがない。

先生に対して社会全体がもっと支援を行い、先生が意欲を持って教えられる環境を作ることが不可欠だ。世界に比べて、一クラスの人数が少なくない中で、先生の教育力は実はまだかなり高い。先生の雑用を減らし、授業の準備に専念できる環境を整えることが長期的には大切なことだ。

国の未来投資、転換を

佐藤学(東京大学大学院教育学研究科)
教育現場劣化は長期の予算削減が原因。授業時間増より「学び方の質」の改善を。

今回の調査で、日本の義務教育終了時の学力は低下傾向にあり、かろうじて世界の上位レベルを維持しているということが明らかになった。しかし、学力の低下に目を奪われ、授業時間を増やせばよいという論調に走るべきでない。調査結果をじっくり検証すれば、授業時間と学力が相関していないのは明らかだ。21世紀に求められているのは「高度の知識を身に着け、それを活用する」という質の高い学力であり、単純な授業時間増では身に着かない。

そこで問題となるのが、日本の子どもの学習態度だ。科学の学習が社会生活や自然現象とどうつながっているか、将来の仕事にどう生かされるか、という考え方が非常に弱い。00年調査でもこうした傾向が出ていたが、今回その深刻さがはっきり表れた。

ただ、報道されているように「数学・理科への関心意欲が低い」と単純化するのはどうか。関心・意欲が高いのは、コロンビアやブラジル、インドネシアなどこれから産業発展を遂げようという国々。関心・意欲の低下は、産業主義を脱した先進国の宿命でもある。また、関心・意欲の高さと学力の高さは必ずしも一致していない。

深刻なのは、授業のスタイルと学習環境の劣悪さだ。「生徒自ら実験を行う」「生徒同士で課題の話し合いをする」と答えた日本の生徒は著しく少ない。日本の学校の授業は、伝統的スタイルに縛られている。質の高い学力を身に着けるためには自分で表現する、共同で探索し、対話するといった学び方の質の改善が不可欠だ。

一方で、教師に対して実施された調査では、教師の自律性が低いこと、学校の自由度が低いことが示された。教師の質は調査対象になっていないが、この20年で他の先進国の教師は大学院卒レベルの専門性を持つようになり、日本は完全に後れを取った。中学高校の授業開発研修も不十分。日進月歩の科学を教える立場にありながら、教師自身が卒業時点での知識しか持ち合わせていないのは問題だ。

しかし、これらは国の教育行政の責任だ。日本は80年代の臨時教育審議会以降、国の教育予算を削減し続けてきた。教育予算は国内総生産(GDP)比でOECD加盟国中最低クラス。教員は、オーバーワークで疲弊している。この悪条件の中で生徒の学力がいまだ上位クラスを維持できているのはむしろ奇跡的だ。ただ、教育現場の劣化を放置すれば、子どもたちの学力は急低下するだろう。

ただちに手をつけなければならないのは授業と教科書の改革、子どもたちが興味を持てるようなメディアや学習環境の整備、そして教師への支援だ。中央教育審議会は小中学校の理科の授業時間増を決めているが、そんなことをするより、はるかに効率的だ。

草の根レベルでの授業の改革は、少しずつ進んでいる。こうした取り組みを支えるためにも、国は教育の質を高めるグランドデザインを提示し、未来投資に乗り出すことが求められている。

12月 28, 2007 at 04:40 午後 教育問題各種 |

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