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2007.11.14

学校の事務処理軽減は書類の問題なのか?

毎日新聞より「文科省:学校現場の事務作業軽減を目指しPT設置へ

文部科学省は、学校現場の事務作業の軽減を目指したプロジェクトチーム(PT)を設置することを決めた。
教員に子供たちと向き合う時間を確保してもらうことが狙いで、文科省や教育委員会が行っている各種調査や照会事務の縮減・統合のほか、学校で作成する書類の簡素化・統一化を検討する。早ければ今月中にも取りまとめる方針。

PT委員は、校長会や教育長協議会など関連団体から選出する。

文科省は来年度予算の概算要求で、「子供と向き合う時間の拡充」として、来年度から3年間で小中学校教職員を約2万1000人増員する計画を計上。
しかし、財務相の諮問機関・財政制度等審議会などで批判的な意見が相次いでいる。
渡海紀三朗文科相は「定数増などを進めていく上の作業として、より確実に(事務負担の軽減策を)進めていく」と述べた。

学校現場の事務作業をめぐっては、年間で小学校に400本、中学校には200本の調査や通達が来るともいわれており、「文書量が増え、教頭らが『機能低下』を起こしている」と指摘する声もある。【高山純二】

社会人講師として学校に行くようになって色々な事情が分かってきましたが、今の先生は大変です。
高校では情報の授業が必修になったので、全校に情報担当の先生がいらっしゃいますが、多くの先生は「情報教育の資格を持っている」であって、情報やコンピュータの専門家が先生になっている例は少ないです。

理科や数学の先生が情報を資格も持っている形になります。
これは、情報の専門家が理科の資格を持っていて理科の先生をやっても問題ないわけですが、問題は学校内のコンピュータの管理についても情報担当の先生に依存しちゃう学校があることです。

現在では、教育委員会などとのやり取りもどんどんとネットワーク化が進んでいて、先生全員が教育委員会が渡すメールアドレスでメールを交換出来るようになっているようですが、メールアドレスだけではダメで、PCの接続から印刷の問題まで学校の現場でやるべき事が多々あるのは 容易に分かりますが、その手当てについて聞いたことが無い。

この問題の種明かしが「情報の先生がコンピュータ全般の管理者になっている」なのです。

だいたい、学校は地域内で見ると最大の事業所と見るべきなのです。
大ざっぱに言ってしまえば、学校は一キロ四方に一校はあると言えるでしょう。そこに1000人近くの人が集まっているわけです。
一般企業で1000人規模の事業所が一キロ四方に次々とある、なんてことはあり得ません。

にも関わらず、学校は地域とはお互いにちょっと無視しているようなところがあります。
子どもが通学している父兄以外になると、地域の人でも学校の中のことに詳しい人は極端に減るでしょう。

大規模な事業所を運営するの適切な人手が配置されているのか?となると、現実の先生の忙しさからから見ると、とても出来ているとは思えません。

こんな観点からは「事務作業の軽減」は大いに進めるべきだとは思いますが、先生の本来の仕事が教室を中心にして、子どもたちに授業を実践することだと考えると、授業の準備については助手が出来るのではないか?といったことありますし、まして全くの事務処理は教員ではない職員の仕事ではないでしょうか?

つまり、目的が「教員が子どもと向き合う」ことを求めて総合的に対策するのであれば「事務処理の軽減」がどれほどのウェイトを占める問題なのかを先に検討するべきでしょう。

11月 14, 2007 at 01:15 午後 教育問題各種 |

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コメント

学校教育に関心のある法律家です。私が常日頃から考えていることを具体的に指摘していただき,わが意を得たり,との思いです。
差し支えなければリンクを張った上でmixiの私の日記で引用したいのですが,よろしいでしょうか。

投稿: みのりん | 2007/11/14 15:05:36

どうぞどうぞ。

ぢょっと誤字を直しました。

投稿: 酔うぞ | 2007/11/14 15:43:18

家内が児童館で働いていますけど,これで驚くのは,学校も児童館も「人手だけでなく予算が無い」と言うことです.子供を遊ばせるために買う本代とか教材費とかコピー代等は私費から持ち出しです.バイトの身でありながら,教材費で買ってあるのは色鉛筆程度なもの.

楽しいだけではだめ.NPO的ボランティア精神が無ければ,こう言う場所では働いてられません.

投稿: hrgy | 2007/11/14 16:24:19

こんにちは

 学校にやってくる調査やアンケートの類は、部署が違うだけで内容が類似したものが大変多いですから、そこらを「縮減」してくれれば多少のストレス緩和にはなりそうです。

>先生の本来の仕事が教室を中心にして、子どもたちに授業を実践することだと考えると、授業の準備については助手が出来るのではないか?といったことありますし、まして全くの事務処理は教員ではない職員の仕事ではないでしょうか?

 実現するとすばらしいのですが、私は、最大の障害は利益を享受する側かなとも思います。
 私自身実現するとかえってストレスがたまりそうです。
 例えば私はサッカーをやりますが、「カペーロ(用具係)」という仕事に若干の違和感を持ちます。スパイクを他人に磨かせるなんていくら合理的であっても、気持ち悪くてだめです。(素人チームにカペーロなんていませんからこれは想像ですが)
 誰もが頷きそうな(私も理屈としては正しいと思います)、このようなことでも「意識改革」が必要というのは皮肉ですが……

投稿: miya.h | 2007/11/14 23:22:54

miya.h さん

社会人講師として総合学習で教材(ロボット作りなど)を持ちこんでやってみると、100年もやっている普通の教科が実に研ぎ澄まされたムダのないものだと分かってきました。

だから、少人数の先生(だけ)で教えることが出来たのだと、理解しました。

学校の教科での教育に比べると、企業のOJTなどはものすごく能率が悪いとも言えます。
簡単に言ってしまえば、教えることのレベルは教科の方が遙かにレベルが高い。

しかし、総合学習が求められた背景には、教科だけでは時代について行けない、という面は確実にあって情報を授業が新設されたりもしています。

今後の方向は、能率良く教科書と練習問題ぐらいだけで、パッと始められるような授業よりも、事前の手間とか、生徒が専用の部屋に移動して行う、といったこと増えると考えます。

実際に、もの作り教室とかキャリア講演会といったことをやると、生徒が教室を移動して会場を作るのに時間が掛かったりします。

もちろん、実験機材の運搬なんてことも出てきます。

しかし、教員の方は一般に直前の授業を持っているのだから「前もって準備する人がいない」のが現実です。
同様に後片付けの時間も授業に食い込む。

これは、結局は教科学習の研ぎ澄まされた能率の良い授業から、より現実的というか泥臭いとも言える授業に展開するのには、やり方そのもの変えないとやっていけない、ということでしょう。

ここらが、積み重なってきているのに、昔のやり方のままだから、コンピュータというか情報機器管理者が居ないのに、巨大データを扱っているなんてことになっているわけです。

どうするかは別にしても「総合的に見直す」のは必須だと思いますよ。

幸か不幸か、少子化だから「校舎の新設」なんてことがあまり出てこないだろう、というところは見直してみることの足を引っ張らない要素でしょう。

投稿: 酔うぞ | 2007/11/14 23:48:10

ボランティア講師関係,スライム作りなんていうのはいろいろ転がっているのだが,「英語で学ぶ中学数学」「英語で学ぶ高校数学」って言うのは,中高の教師は飛びつきそうですか?

教材を作る側にしても,あちらの国の教科書を利用で可能だし,大して手間もかからない.これが物理や化学になると文章だらけで難しくなってしまうが,数学だと英語も難しくないし,辞書引きながらなんとかなるはずなんですが.

投稿: hrgy | 2007/11/19 18:24:06

「数学」とか教科名を出すのは学校には抵抗があるのではないか?と思います。

総合学習のネタという意味では学校全体としては「教科にないもの」が受け入れやすいわけで「パッと見て、受け入れに問題がない」のは簡単ですが「説明の必要がある」のは大変ですよ。

学校外でやるのであれば、学校の了解を必要としないから問題無いですが、学校内では教育委員会・学校の管理者・担当の教師・関連の教師には話を「間接的に」通しておくことが必須です。

これが「いちいち説明することは出来ない」からヘンな交渉術のノウハウが必要なのです。
当然のことながら、教育委員会レベルの問題が入ってきますから、話が通る地区と通らない地区があります。
ここまで来ると、完全に行政の問題でして、テーマとか先生の好き嫌いなどは無関係とも言えます。

あっちもこっちも同時に成立させるのが恐ろしく大変なのです。

なお、当然ですが学校で「クラス全員」とか「学年全員」を対象とした計画で、一番先に問題になるのは「予算」です。

40人単位ですから、全てが40×単価で利きます。
一人千円でもあっても、4万円ですからとても大変で、今度は予算確保のための動きが必要です。

その一方で、学校では日常の業務以外を受け入れる余裕はほとんど無いですから、その意味では「教師が飛びつく余地がない」のです。
学校も教師も「外部でやってくれればありがたいが、学校にも教師にも無関係で完結してくれ」が要望です。

準備や後片付けに学校の力(教師の動員)などを必要とするのは嫌われます。

こうして並べてみると、社会人講師が授業を実現するためには、実際の授業に要する労力の何倍かをその前後に必要とする、といった感じなのです。

投稿: 酔うぞ | 2007/11/20 2:09:07

たしかに「総合的な学習の時間」に教科名がからむものは
問題ですね.「英語で読む小学校の算数」と言う案でも,
ちゃんと教材を買うと,
http://www.gakuto.co.jp/20050131e/index.html
にあるみたいに,1冊980円なり.40名のクラスだと,
合計4万円近い値段になります.

投稿: hrgy | 2007/11/20 15:22:28

さて,アメリカで使われている訳書は,現地の米語で訳されていると言うことなので,小5・6の上下4冊を注文してみました.専門の研究者としても,「立体」「3角柱」みたいな,普段使っていない用語がどんな訳になっているか,目次を読む楽しみがありましたので.

知り合いのご子息である中学生に見てもらって,学校向けに良いかどうか意見を聞いてみたいとも思います.ただ,学園都市の中学生ですから,研究者の子息故,辞書引きながら,勝手に読み出すかもとか...^^;

投稿: hrgy | 2007/11/20 21:23:28

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