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2007.10.28

出会い系サイトの規制なんて有効ではない

サンケイ新聞より「出会い系サイト規制強化へ

政府が11月9日のIT戦略本部(本部長・福田康夫首相)で決定する「有害サイト集中対策」案の全容が27日、判明した。出会い系サイトを通じた児童買春が後を絶たない実態を重視し、「出会い系サイト規制法」(平成15年施行)の改正で未成年者利用の防止を徹底する方針を明記。学習指導要領を改定し、有害サイトへの適切な判断力を育成する「情報モラル教育」を推進することも盛り込んだ。

集中対策案は、闇サイトを通じて知り合った男3人による女性拉致・殺害や、自殺サイトを舞台にした嘱託殺人などの事件続発を踏まえ、関係各省でつくる「IT安心会議」が策定した。首相が掲げる「国民の安全・安心を重視する政治への転換」を印象付けたい狙いもある。

ただ憲法が保障する表現の自由との兼ね合いから、出会い系を除く有害サイトの法規制は引き続き見送られ、実効性の確保が課題になりそうだ。

現行の出会い系サイト規制法も未成年者の利用を禁じ、事業者に年齢確認を義務付けている。しかし、対策案は少女を中心に「犯罪被害者が毎年1000人以上いる」と指摘し、本年度中に法改正の結論を得るとした。運転免許証、健康保険証のコピーの送付や画像の送信など年齢確認方法の厳格化を求める方向だ。

出会い系サイト被害者の96%以上が携帯電話からのアクセスだとして、携帯電話でのサイト閲覧を制限するフィルタリングの普及促進も柱に据えている。このほか関係機関による「ネット安全・安心全国協議会」設置や、警察によるサイト監視「サイバーパトロール」の民間委託、特定電子メール送信適正化法改正による迷惑メール規制強化を列挙。

闇サイト対策は「サイバーパトロールや、(一般からの通報を受け付ける)インターネット・ホットラインセンターの体制強化を図る」との内容にとどまった。

出会い系サイト対策案のポイント

有害サイト集中対策案のポイントは次の通り。

  • 出会い系サイト規制法を改正し未成年者利用の防止を徹底。
  • 有害サイトへの適切な判断力を育成するため、学習指導要領を改定し情報モラル教育を推進。
  • 出会い系以外の有害サイトの法規制は見送り。
  • 有害サイト閲覧を制限するフィルタリングの普及促進。
  • 関係機関による「ネット安全・安心全国協議会」設置。警察のサイバーパトロールを民間委託。

出会い系サイト規制法

インターネットの出会い系サイトを利用して18歳未満の未成年者に性交渉を持ち掛けることや、未成年者がサイト掲示板に相手を募る書き込みをすることを禁止する法律。

年齢、性別を問わず一律100万円以下の罰金。

事業者には未成年者の利用禁止の明示や、未成年者でないことの確認を求めている。

携帯電話の普及で出会い系サイトをきっかけにした児童買春などが急増したのを受け、被害防止を目的に平成15年9月に施行された。

「小中学生の携帯電話」に書いたことそのものなのですが、情報発信側の規制をしてもダメですよ。

ネットでの情報は、一元化されていてありとあらゆる情報が同じところ(同じ次元)にあるわけです、だから情報の選別は受信者側が行わなくてはならない。

技術的にはフィルタリングなどであって、「フィルタリングの普及促進も柱に据えている」などと言っているところで、すでに間違っていると言うべきでしょう。

子どもに無制限のアクセス権を与えてしまっているのが、実は携帯電話の使用なのですが、現実は携帯電話は安全面などから無くてはならない物になっていますから「携帯電話を持たせなければよい」では観念的な暴論に過ぎません。

なんでこういう問題について具体的な、いわば現場からの積み上げの話にならないのでしょうか?

フィルタリングの有効な携帯電話(子供用携帯電話)しか持たせないようにすればよい。
それは学校が強制してしまえばよいことです。

10月 28, 2007 at 09:45 午前 ネットワーク一般論, 教育問題各種 |

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コメント

こんにちは。
>なんでこういう問題について具体的な、いわば現場からの積み上げの話にならないのでしょうか?

「有害サイト」=「悪」
「子供」=「被害者」
   ↓
「規制対象」=「悪」=「有害サイト」

という、単純思考でしょう。

酔うぞさんの仰る対策は「ヒューマンエラーの回避」に近いものがあると思うのです。
私もその方法がより有効だと思うのですが、一方で、倫理・道徳の問題として考えたくなるヒトが多い。特に「法規制」となるとそれが色濃くなるということではないでしょうか。

投稿: qur | 2007/10/28 12:09:33

先日、日本PTA関東ブロック研究大会にて、家庭教育「情報モラル」の分科会で、この問題を取り上げていました。

私達保護者が、現状を知らな過ぎると痛感しました。知らなければ、子ども達に何もすることができない。こんなことも、基本は家庭にあると感じます。

茨城県では、メディア教育指導員というものがあり、PTAも参加し、この問題に取り組んでいるようです。

投稿: ELK | 2007/10/31 16:10:13

ELK さん、コメントありがとうございます。

>私達保護者が、現状を知らな過ぎると痛感しました。知らなければ、子ども達に何もすることができない。

確かに、分析すればこの通りでしょうが「ちょっと一言」といった感じです。

簡単にいえば、インターネットとか携帯電話とか「情報教育」という特別なモノとして見ているから、こういうご意見が出てくるのだろうと思います。

全く特別じゃない、普通のうわさ話やエロ本とかストリップの看板なんてものと同列に捉えたら別の考えが出来ると思うのですが・・・・・。

世の中にエロ本は昔も今も(今はDVDか)ありますし、子どもたちに酒を呑ませたり、タバコをくわえさせるような大人はいつの時代でも居ます。

そういうリアルな世界で起きる可能性のあることはインターネットでは当然あるわけで、リアルな世界で「門限」を決めながら、インターネット(携帯電話)を野放しにしたら意味無いじゃないですか。

なんで「インターネット、携帯電話」を「特別なモノ」とするのか分からない。

インターネットの有害情報を禁止すると、世の中から有害情報が無くなるかのような議論は間違っていますよ。
いつだって有害情報は無くならないのだから、子どもたちが有害情報に触れないようにするのはどうするかが対策であるべきなのに「有害情報が世の中から無くなれば、(親たちは)何もしないで安全だ」なんて考え方はいくら何でも異様というべきです。

普通に考えるだけの問題、だと思うのです。

投稿: 酔うぞ | 2007/10/31 16:48:42

現状の携帯電話フィルタリングサービスでは、例えばこのブログもフィルタリングされるはずなのですが…。これは、ブログサービスは掲示板と同等に見なすポリシーだからです。この点においては、例えば2ちゃんねるもここのブログも区別されていません。携帯電話フィルタリングはドコモもソフトバンクもネットスターのデータベースを使っているので

http://meiwaku.jp/new/url-judge/

で確認できます。該当カテゴリがフィルタリング対象なのは、それぞれの携帯電話サービスの説明でわかります。子ども向けフィルタリングの強制をおっしゃる時には、そのフィルタリングの中身について見てからのほうがよろしいのではないでしょうか。


投稿: 崎山伸夫 | 2007/11/03 10:08:36

いや、フィルタリングの強制の実態の問題以前の話なのです。

例えばエロ本とかタバコとかは物理的に規制されているわけです。

これについては社会的に合意しているのは間違えないでしょう。

対して、携帯電話については「規制をしていない」ことを問題にしているのですね。

規制したしたらどうなるのか、はご指摘の通りだし、そもそも子どもにも親にも学校にも魅力的でないから、普及していないわけで、そういった側面も重視するべきですが、原理的に「完全無制限アクセスだ」ということ自体が「全く伝わっていない」ことを問題にしているわけです。

投稿: 酔うぞ | 2007/11/03 10:21:00

なるほど、情報発信規制は不適切である、というそもそも論の文脈だ、ということは理解しました。

ただ、情報流通規制に熱心な警察庁とかインターネット協会方面は「情報発信規制も、フィルタリングも」のスタンスだから、フィルタリング強化を言っても、それは「ダメ」な情報発信規制の推進にリソースを割くことを抑制する効果はあまりないのではないか、というのが最近の感触ですね。もう、ある種の「利権」化しつつある状況のようです(警察がやらないことを民間委託するということで、あちこちにお金がまわります)。

あと、フィルタリングの中身が、単に子どもの安全を考えているような無垢なものではまったくないという事実もあるわけです。価値基準に性差別的な発想が見られます(同性愛肯定の排除は、ごくありふれた事態です)し、それは本家のアメリカでは宗教保守団体と結び付きが見られるという話もあります(これは論文がある)。そういうものをよく思わない親権者がフィルタリングのない携帯電話を子どもに持たせる権利/権限というのは、「学校による禁止」よりも弱いとは、私には思われないのですが。フィルタリングについての認知度の現状を考えれば、そいういう問題意識をもつ親は稀でしょうが。

あと、携帯電話のフィルタリングの利用推進というのはブロックするサイトのデータベースを作っている会社の利益につながるわけですが、その会社は中国向けに法輪功サイトや反中国共産党サイトをブロックするためのデータも作っています(いわゆるGreat Firewallとは別)。そういう事実を知って、その会社のデータベースを使わせたいか、という議論もありうるでしょう。

投稿: 崎山伸夫 | 2007/11/04 3:21:21

崎山さん

そもそも論ではあるのですが、わたしは考え方をちょっと変えてみることは出来ないか?と思っています。

情報の中に不適切なモノがある、というところは社会的に合意できますが
「そもそも不適正とどこで決まるのか?」
という話になった議論はほとんど見ません。

警察や東京都(竹花氏)などの意見の根本は「絶対的な不適切情報が存在する」と強調するところから始まっている、と感じます。
(実際に、都庁で聞いてその主張のトーンには驚いた)

どう考えても「絶対的な悪情報」なんてものはあり得ないわけで、全く論理的でないし、絶対善とか絶対悪という概念を不用意に社会に持ちこむのはカルト問題となりかねません。

そう見てみると「インターネットなんてモノは」という決めつけが通用している方が驚きであって、インターネット=情報流通だから全くの中立だと考えています。

情報は、発信→流通経路→受信者のルートをたどりますが、この中に「不適切」とはどこで決定するのか?となると、どう考えても受信者しかないでしょう。

発信者が意図的に不適切な情報を発信する、となるとこれはフィッシングとかウィルスといっていわば犯罪レベルであって「不適切」という分類からは飛び出してしまいそう。

そこで、発信者が「これくらい良いだろう」として発信した情報が受信者にとって不適切である、となるのが一般的でありましょう。

一般的に仕事をしている人が自分の知識の全てが社会にとって無害である、なんてことはそうそう無いと思います。
業界内の常識が社会では犯罪に利用されかねない、なんてことは珍しくない。

こんなことを考えると「不適切な情報とは受信者の判断による」とするべきなのです。

そこで「子どもの携帯電話はフィルタリング出来て当たり前」論になるわけで、フィルタリングの内容は本来は保護者が自分の子どもや家庭の考え方に合わせて競ってするべきもの、と考えています。
(学校の推薦とかありでしょうが)

どっちにしても「受信者側がフィルタリングする」は外せないわけですが、携帯電話のフィルタリング機能を知らないとか言っているが現状だから、子どもにはフィルタリング機能が生きている子供用携帯電話を持たせることを学校が強制してしまえば話は進むだろう、ということです。

なんでインターネットだけ「子どもも大人も、業界内も、犯罪も全部一律でよい」なんことが通用するのか「そもそも論としワケが分からない」といった感じです。

投稿: 酔うぞ | 2007/11/04 11:55:10

酔うぞさんの「不適切な情報とは受信者の判断による」という判断、それ自体は非常にオーソドックスで正論です。

ただ、問題は、フィルタリングというのは、受信者判断の「代行」だということです。子どもの場合、そもそも親が子どもの代行なのですが、そこからさらに代行サービスに出されているということになります。そもそも、判断を人に預けるものです。そして、預けるにあたっての「ポリシー設定」について、十分な情報が提供されるかといえば、基本的に煽り宣伝文句しか業者からは出てこないし、「推奨ポリシー」の中身の妥当性について疑問を呈して質問を求めても、誤魔化されます。まぁ、私が敵対的だとバレているゆえかもしれませんが。

警察や竹花氏は、何が適切か不適切かは「おかみ」が決めるのが正しいという発想なんだと思います。日本では「受信者を問わず不適切」と法律と判例が積み上がっている「わいせつ物頒布」などの枠組が、実際そんなことになってしまっているわけで(彼らも世の中の空気を読んで強めたり弱めたりするという意味では絶対的な力を持っているとはいえないにしても、「線をひく」ことについては彼らの判断が常に正しいとされることを前提としていると思う)。そういう枠組が行動様式としてもうできあがっているのではないかと。そこでは、異なる判断をする親は、(児童虐待をする親よりも程度が軽いとしても)間違っている、という判断があるのではないか、という気がします。

カルト問題といえば、携帯電話フィルタリングのエヴァンジェリストといっていい下田博次群馬大学教授は、2004年から2005年に世界日報でインタビューを受けたりコメントを出したりしてます(どちらも相手は世界日報社の吉原正夫記者)。一般の大手週刊誌などで登場したのは、それよりも最近になってからですね。

投稿: 崎山伸夫 | 2007/11/06 0:45:47

竹花氏などの主張についてはわたしからは「そこまで断定して良いのか?」というのがつきまとうのですが、それを世間が「頼むよ」と言っているから、いわば「断定的にいうを引きうけている」といった面もあるのでしょう。

ある種の悪循環だと思うわけです。

そして、今日(昨日か)も総務省が「対策を・・・・」だそうです。

なんで、お上がニーズを定義するようなことになっているのでしょうか?
マスコミもそれがヘンだとは言わないのでしょうか?

どこまで行っても「言論をどうするか」なのであって「誰がなんとかする」というとは違うだろう、と思うのです。

言論そのもの手を突っ込むのではなく、社会の公正として「この言論はあっちでやってね」というのは当然認められていることなんですけどねぇ。

投稿: 酔うぞ | 2007/11/07 0:52:08

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