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2007.09.25

ミュンマーの10万人デモ

読売新聞より「ミャンマー僧侶デモ10万人に、軍政が「強硬措置」警告

ミャンマーの僧侶による反政府デモは24日、最大都市ヤンゴンで10万人以上が参加し、1988年の民主化要求運動以来最大の規模となった。

一方、軍事政権は、同日夜の国営放送で、デモを先導する僧侶に対し強硬措置で臨むことを初めて明らかにし、これ以上のデモ拡大を容認しない姿勢を示した。
今後、軍政による僧侶の拘束も予想され、情勢は一層の緊迫局面を迎えた。

在ヤンゴン消息筋によると、トゥラ・ミン・マウン宗教相が24日、同国仏教界で最も権威のある高僧らと面会。「抗議デモは高僧の教えに背くもので、矯正されないのであれば(軍政が)法に基づいた措置を取る」と説明し、高僧は了承したという。
また、「国民は(犠牲者が出た)88年の再来を望んでいない」とも述べ、現段階では、僧侶に対し直接武力を行使する考えがないことも示したという。

同筋によると、ヤンゴンではこの日、僧侶と市民らが、NLD(国民民主連盟)本部事務所前や、88年の民主化運動の舞台となり現在は封鎖されている大学付近などを行進、中心部の幹線道路の交通はマヒ状態に陥った。女優ら国内の著名人も駆けつけ、僧侶に食糧や水を寄付。
参加した市民の一部は涙を流しながら民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん(62)の解放を訴えた。

スー・チーさんが書記長を務めるNLDのメンバーの一部もデモに参加。軍事政権の治安当局はデモに対し直接の鎮圧行動を控え、デモも24日夕には平穏に終了したが、ヤンゴン市内では事態緊迫化を受け、警備態勢が着々と強化されている。
軍政は近く、新首都ネピドーで会合を開き、デモへの対策を協議する予定だという。

外務省・各国地域情勢より

5.内政

(1)1988年、全国的な民主化要求デモにより26年間続いた社会主義政権が崩壊したが、国軍がデモを鎮圧するとともに国家法秩序回復評議会(SLORC)を組織し政権を掌握した(1997年、SLORC は国家平和開発評議会(SPDC)に改組)。

(2)1990年には総選挙が実施され、アウン・サン・スー・チー女史率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したものの、政府は民政移管のためには堅固な憲法が必要であるとして政権移譲を行わなかった。  総選挙以降、現在に至るまで、政府側がスー・チー女史に自宅軟禁措置を課す一方で、同女史は政府を激しく非難するなど、両者の対立が続いてきた。2003年5月には、スー・チー女史は政府当局に拘束され、同年9月以降、3回目の自宅軟禁下に置かれている。

(3)2003年8月、キン・ニュン首相(当時)が民主化に向けた7段階の「ロードマップ」を発表し、その第一段階として、憲法の基本原則を決定するため国民会議を開催する旨表明した。同年5月、国民会議が約8年ぶりに再開され、継続的に審議が行われている。

(4)2004年10月、キン・ニュン首相が更迭され、ソー・ウインSPDC第一書記が首相に就任。

(5)2005年7月、ニャン・ウイン外相は、ASEAN外相会議(於:ラオス)の際、現在進行中の国民和解と民主化のプロセスに集中したいため、2006年のASEAN議長国就任を見送る旨発表。

(6)2005年11月7日、ミャンマー政府は、首都機能をヤンゴンからピンマナ県(ヤンゴン市の北方約300キロメートル)に移転する旨発表。2006年3月頃までに政府機関は概ね移転を終了し、移転先はネーピードー市と命名された。

ミャンマーの人口は5322万人(外務省)で旧首都のヤンゴンは人口集中で450万とも500万以上とも言われています。
そこで10万人規模のデモですから大事件ですが、ミャンマーが現在の軍事政権になってからのいきさつは毎日新聞の「ミャンマー:民衆デモ拡大 軍事政権の「裏切り」に怒り」に詳しい記事があります

ミャンマーで反軍事政権デモが急激に拡大した背景には、アウンサンスーチー書記長率いる最大野党「国民民主連盟」(NLD)が圧勝した90年の総選挙結果を軍事政権が無視し、権力の座に居座り続けて国民を抑圧してきたことへの怒りが根底にある。軍事政権が「(必要に応じた)行動を取る」と警告したことにより、両者の対決構図が強まり、緊張が一気に高まってきた。

最大都市ヤンゴンでのデモには、これまで様子を見ていた多くの市民たちも続々と参加し、88年の民主化要求デモ以来前例のない10万人規模となった。軍事政権側が直接介入に出ないことが市民らの結集を招いた。

急速にデモ参加者が拡大した最大の理由としては、長年にわたって国民が抱いてきた軍事政権への嫌悪感がある。

  1. 88年3月の学生デモを機に全国に広がったゼネストに対し、国軍は9月、クーデターを決行して全権を掌握。デモ隊への無差別発砲で1000人以上の死者が出た。軍事政権は総選挙実施を公約した。
  2. 90年5月の選挙ではNLDが8割以上の議席を得て圧勝した。だが、軍事政権は「新憲法制定が政権移譲の前提」として選挙結果を拒否した。
  3. 軍事政権は93年1月に新憲法の原則を審議するための国民会議を設置したが、たびたび長期休会を繰り返し、会議がようやく終了したのが今月3日だった。

一連のデモは国民会議終了と前後するように起きた。軍の権力維持を担保した条項がちりばめられた新憲法の制定手続きに、国民の多くが何の期待もしていないことが示されている。

一方、前日まで今回のデモを一切報じなかった国営メディアは、デモ激化を受けた24日夜、軍事政権の「警告」を伝え、デモのさらなる拡大をけん制した。

軍事政権は昨年10月にヤンゴンから中部ネピドーへの首都移転を発表した。その主な理由は、今回のような事態の発生を警戒してのことだ。
ヤンゴンで大きな混乱を招いても、治安を確保しやすい山間部に首都を移しておけば、権力維持は可能だとの戦略がある。
最高権力者のタンシュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長ら政権幹部は、ネピドーで事態を注視しながら対応策を検討しているとみられる。

新首都はミャンマーのほぼ中央部の旧都マンダレーと南の旧首都ヤンゴンとの間に位置します。

Up

Google Earth で新首都近辺25キロ四方を見てみると、かなり大規模な開発が行われているように見えますが、街ではなくて施設が道路から奥まって配置されているまるで軍事施設のような感じです。

88年以来の大規模な反政府運動になるかもしれません。

9月 25, 2007 at 09:31 午前 海外の政治・軍事 |

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僧侶らによる反軍政デモが続くミャンマー最大の都市ヤンゴン(Yangon)で25日、軍事政権側がデモ隊に対し「参加者は処罰する」との警告を発した。 同日、僧侶や市民ら10万人が前日…… 続きを読む

受信: 2007/09/25 15:30:11

コメント

 治安部隊は威嚇発砲も行い、AP通信によりますと、これまでに僧侶ら5人が
死亡、けが人は100人以上とみられます。一方、ミャンマー国営テレビは、
市民1人が死亡、3人が負傷と伝え、デモ隊が暴力的だとして実力行使を正当化
しました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 彡ミ    ___  __    燃料費値上げが温暖化対策の一環なら、大気中の
  |ヽ  /|  ,,,,,,,,l /  /    CO2削減技術を実用化する以外、方法はない。
  |ヽ   | | ミ ・д・ミ/_/旦~~ 
  ⊥   |  ̄| ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 温暖化問題に軍事力は何の役にも立ちません。
  凵    `TT | ̄l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l    各国の軍事優先政策は間違っています。(・A・ )

07.9.27 TBS「ミャンマーでデモ隊の僧侶ら5人死亡」
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3667530.html

投稿: ホッシュジエンの国内ニュース解説 | 2007/09/28 2:36:35

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