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2007.05.06

電子メールについて考えるその2

「電子メールについて考える」の続きです。

「電子メールシステムと sendmail」は届きましたが、3000円に近い本としてはまぁ役に立たない。
全部ダメということでもなく、資料的な意味は認めますが、現在の問題についても将来の方向についても見解が出てません。

そんなタイミングでコメントをいただきました。

前には書かなかった事情があって、それが電子メールの高度化(?)に私が注目する大きな理由です。

最近の高校生はインターネットを
積極的には使わないらしい。

これは高校に社会人講師として話に行って高校生に聞いてみた結果です。
また、ネット上での大学生や新社会人の行動などを見てもどうも昔我々がネットに熱くなって色々なことを探っていたのとは違うような雰囲気を感じます。

今の高校には情報の授業が必修ですから、コンピュータが使えない・使ったことがないという生徒はいません。
しかも、携帯電話を持っていない生徒は皆無に等しくメールやゲームをやっているのは当然。
その上で「インターネットはあまり見ない」とかいうからとまどってしまいます。

自分自身のことを考えると子供の時から「情報を調べるのが大好き」でありました。こういう人は少なくはなく、パソコン通信に入ったら「知識自慢」がゾロゾロ居るのには驚いたものです。
しかし当時は「通信をすること自体が特別なこと」だったから、通信をしなくても社会生活にはなんの問題もありませんでした。

ITバブルは社会的にインターネットバブルとなっていきますが、会社の中では「IT化=誰でもパソコンが使えて当然」となりました。
パソコン通信に手を出している人たちは別にパソコンを使うことが商売でなくてもパソコンを使わないとパソコン通信も出来ないのだから、パソコンを使うこと自体を問題にする人は居なかったのですが、普通の会社員にインターネットの利用やパソコンの使用をさせるとなると、その抵抗は激烈なものがありました。

当時は「個人の得手不得手の問題だろう」ぐらいにしか感じなかったのですが、今になると当時の判断は間違っていたのではないか?と思うようになってきました。

子供の頃を思い出してみると、わたしは情報収集癖というか野次馬根性は他を圧していたと思います。なにしろ、小学校の時のいつもの遅刻の理由が「新聞を読んでいて遅れる」だした(^^ゞ
たまたまパソコン通信で知り合ったメンバーは似たような人ばかりで、今でも「ちょっと相談」と年中電話しています。

そういう経験があったので「いずれは誰もがインターネットを利用して野次馬になる」といった感覚があったのだと思うのですが、先の高校生などの例を見ているとインターネットが普及して10年にもなるのに「立場上メールのやり取りは出来ます」といった人が実はもの凄く多くて、鑪野次馬は増えていないと気づきました。

野次馬は放っておいても自力で情報を取りに行きますが、野次馬で無い人は情報が来るまで待っている。
こういう図式であるとすると「ホームページからダウンロードしろ」というのをメールアドレスを知っている人に指示しても実行されない、のは当然ではないのか?となりました。
そこで「メールの高度(?)な利用を考える」となったわけです。
これは社会的な問題のような思えてきました。技術は社会の要請に応じるものでしょうから、メール以外のポイントキャスト(ブロードキャストに対抗する)的な何かが出来ても良いですよね?
調べれば調べるほど、メールシステムでは無理があるような印象が出てきました。

5月 6, 2007 at 12:38 午後 ネットワーク一般論 |

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