« 2006年12月17日 - 2006年12月23日 | トップページ | 2006年12月31日 - 2007年1月6日 »

2006.12.30

ニセ学位の需要

サンケイ新聞より「非認定大学の博士号 吉村作治学長も取得
早稲田大学元教授で「エジプト博士」として知られる吉村作治・サイバー大学学長が、米国の非認定大学「パシフィック・ウエスタン大学ハワイ」の博士号を取得していたことが29日、分かった。

取材に対し「助教授歴7年のとき、同僚から博士号がないと教授になれないといわれた。
早大で博士論文を書いていたが、自分の力が世界で通用するか試したかった。
DMとは知らなかった」などと話した。

2006年12月10日付のサンケイ新聞の記事で「“ニセ学位”販売横行 文科省が「安全リスト」作成へ」があります。

わたしがニセ学位とかニセ大学というものを具体的に知ったのは、パソコン通信で平和神軍問題が盛んだったころではないかと思います。当時はネット上の情報として伝わっていましたが、現在では「平和神軍観察会」をめぐる裁判で取り上げられているイオンド大学でした。

その後から、アメリカで「ディプロマ・ミル(DM)問題」が大問題になっていることを知ったのは2・3年前です。

今まで、学位をニセモノでも良いから手に入れたいと考える人は、単なる見栄っ張りな人たちだと思っていました。
この吉村作治氏がDMに手を出した理由というのが「博士号がないと・・」ということであれば、実際的にいわば市場価値があるものなのですね。

今までは、はたしてこのような商売が成立するものか?という疑問符だけだったのですが、ある意味でこのニセ学位商法を発明した人のセンスに感心してしまいます。

12月 30, 2006 at 09:16 午前 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.29

教育再生会議の迷走

毎日新聞より「教育再生会議:「ゆとり」見直し明記へ 来月の中間報告に
政府の教育再生会議は28日、東京都内で運営委員会を開き、来年1月の第1次中間報告に「ゆとり教育の見直し」を明記することを確認した。
大学の9月入学も、来年末の最終報告に向けた検討課題として明記する。
いずれも21日公表した素案では見送ったが、同会議に「具体的な目標と検討課題」の提示を求める安倍晋三首相の意向を受けて明確化した。

ゆとり教育の見直しは、学校教育の改革を協議する第1分科会が提唱。
運営委は「基礎学力向上のため、学習指導要領を改める象徴的な意味がある」(委員の1人)と明記を決めた。
文科省は来年度以降の指導要領の改訂に向けて作業を進めており、再生会議が授業時間や指導内容の充実を促す意味合いがある。

大学の9月入学も、安倍晋三首相が9月の自民党総裁選で提唱した。
自民党内に賛成意見があるほか、大学や大学院の国際競争を促す効果があると判断した。
ただ、いじめなど反社会的行為を繰り返す児童・生徒への「出席停止」措置は、再生会議でも賛否が分かれていることを踏まえ、見送る可能性がある。

運営委員会には下村博文官房副長官も出席。
下村氏は事務局の再生会議担当室に対し「メッセージ性が弱い」との意向を伝えており、踏み込んだ提言を求めたとみられる。
教育再生会議に対して、中央教育審議会(中教審)は猛烈に反発していて、実際問題としても教育再生会議は首相の諮問機関だろうから、首相の意向を受けて内容がコロコロ変わるのはよいとしても中央教育審議会が進めている現在の教育行政にたいして問題があるとする、意見を提出するのであれば個別の問題を置いておいて「大きな視点から見るとここが問題だ」といった提言が重要ではなかろうか。

ところが今回の対応は全く正反対で「ゆとり教育の見直しを明記」などというのだから、大きな視点どころか細かい点のあるかないか問題なっているのは明らかで、しかもこれを首相が指示したというのだから安倍首相自身が細かい点しか問題提起できない首相だという気が強くします。

社会は大きく変化していて、パッチを当てるような修正方法が限界にきている。という印象が強くします。
今必要なのは、本当に国家百年の計といったような大きなビジョンであると思うのですが、まがりなりにも小渕首相以来、小泉首相まではビジョンの提起があったものが、安倍首相の登場で一気に矮小化してしまったような印象があります。

とくに教育問題については、あまりにつぎはぎで全体としてどうなっているのかという説明ができない状態です。
明らかに「ゆとり教育を見直せば何とかなる」ではありません。
いな必要なのは、国家社会にとって適正な大学進学率は何パーセントなのか。といったところまで、さかのぼって再検討することでしょう。そういう本当に基礎になる部分を放置したまま進んできたのが現状の教育問題であると思っています。

12月 29, 2006 at 09:42 午前 教育問題各種 | | コメント (1) | トラックバック (1)

常識外れの判決ではないか?

業務上過失傷害
交通事故
広島高等裁判所 岡山支部
破棄自判
原判決を破棄した上で,無罪を言い渡した事案

いきなりこれを示すと、何のことだ?と思われるでしょうが、便利なことにRSSで判例情報を見ることができます。

さらにpdfの判決文にもリンクしています。
被告人は普通乗用自動車(軽四)を運転中,
先行する大型貨物自動車の動静を注視しなかったため同車に追突する交通事故を起こしたが,
本件事故によって大型貨物自動車の運転者に原判決のとおりの傷害を負わせた事実を認定することができないので,
同事実を認定した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるとして,
原判決を破棄した上で,無罪を言い渡した事案(PDF)
この判決は、広島高等裁判所岡山支部の判決ですから、当然第二審であってかつ「原判決を破棄した上で無罪」ということは原判決は有罪だったわけです。

しかし、軽自動車で大型トラックに追突して、大型トラックの運転手に障害を負わせることができるものだろうか?と考えるのですが、第一審の岡山簡易裁判所は「軽自動車が追突した、大型トラックの運転手は鞭打ちになった」と判決しています。

PDFの判決文の中に第一審の判決について弁護人が控訴の趣旨を述べた部分が、そのまま出ています。
要するに,原判決は,平成17年8月17日午後8時55分ころ,
被告人が普通乗用自動車を運転中,自車右前部をA運転の大型貨物自動車左後部に追突させ,
同人に加療約1週間を要する頸部外傷性症候群等の傷害を負わせた旨認定したが,
本件衝突によって傷害が発生する可能性はなく,仮に傷害が生じていたとしても,
本件事故との因果関係はないので,
本件事故によってAが上記傷害を負った事実を認定した原判決には,
判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある, というのである。
詳しく事件の内容を知りたい方はPDFを読んでいただくとして、結局この事故は山陽自動車道で、軽自動車が時速100キロで走行中に、総重量20トンになるかという大型トラックに追突し、軽自動車は前の部分を中破し、大型トラックはナンバープレートなどに18万円強の修理代を要する破損をした。というものです。

ごく普通に考えても物損事故ですが、大型トラックの運転手がその後かなり後になってから整形外科にかかって治療をしているのです。

そこで控訴審では、この治療と事故の因果関係について、判断をしているのですが、診断書を書いたのが2ヶ月後であったために、本来であるのならば治療日数1ないし2週間とするべきところを2ヶ月としてしまった。と言うのですから裁判所は「治療日数に関する診断書の記載は信用できず」としました。

つまりは、交通事故によってけがをしたという証明がないという理由で、無罪判決になっているのですが、事実関係に関して言えば、簡易裁判所の中でも同じだったので、さほど難しい判断であったとは思えないのですが、簡易裁判所ではこの事故で鞭打ちになったと認定しています。

わたしは、20トンを超えるほどの大型トラックに軽自動車が、高速走行中とはいえ急ブレーキをかけて追突し、おそらくは相対速度差10キロ以下でぶつかって、小型トラックの運転手が鞭打ちになる、というのは常識的にあり得ないと思うのですが、簡易裁判所の裁判官はあり得るとした。
この簡易裁判所の裁判官は、やはり常識はずれの裁判官と言わざるを得ないのではないだろうか。

12月 29, 2006 at 12:31 午前 事件と裁判 | | コメント (4) | トラックバック (0)

2006.12.28

ホワイトカラーエグゼンプションなどは

毎日新聞より「ホワイトカラー・エグゼンプション:労政審報告に盛る
労働法制の改正に関する労働政策審議会(厚生労働相の諮問機関)の労働条件分科会は27日、最終報告をまとめた。

報告には、一定の年収などを条件に労働者の労働時間規制(1日8時間など)を除外し残業代を支払わない「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」が盛り込まれたが、労働側は最後まで納得せず、同制度の導入は認めないとの意見が記された。
「認めない」との強い表現が使われるのは極めて異例。

報告を受け、厚労省は今後、法案要綱の作成に入り、来年の通常国会に提出を目指すが、労働側の反発を押し切る形でこのまま作業が進むのか、注目される。

報告は「労働契約ルールの明確化」として▽就業規則の変更で労働条件が変更されるルールなどを盛り込んだ労働契約法の新設▽「仕事と生活のバランスを実現する」としてホワイトカラー・エグゼンプション▽働く時間に労働者の裁量を反映させる企画業務型裁量労働制の適用拡大--などを盛り込んだ労働基準法改正について行われた。

うちホワイトカラー・エグゼンプションでは管理職一歩手前など対象者が示され、年間104日以上の休日確保などの条件は示されたが、具体的な年収などの要件はなかった。同省も具体的に記さないままで法案化を検討している。
全体として、この議論は何か薄っぺらな印象がつきまといます。
年間104日以上の休暇を確保という話にはさすがに驚きました。
実際に、就業カレンダーを作ってみればわかりますが、土日と祝祭日・盆休み・正月休みを足すと現実には、休日は120日~124日程度になります。
これをいくら最低基準とはいえ104日とするのでは、それ自体が問題でしょう。

さらには、年収などの要件を具体的に記さないまま法律だけ作ってどうするのですか。

雇用労働(の契約)という枠組みだけはそのままにしておいて、労働時間と賃金の関係を外注と同等にするというのは、外注事業者にとっても著しく不利でこれは余りにも急激な変化になり、ビジネス慣行や税制といった面までひっくり返りかねない「改革」でしょう。

どうも最近の大幅な政策方針の変更には、グランドビジョンといったようなものを感じることができません。
教育再生会議についても教育の方法論を論じていても、何のために教育するのかという観点からの議論が分かりません。
医療費抑制についても、総トータルで国が負担するコストが下がるのか、わかりません。

個々の問題についてそれぞれに口当たりのいいことを並べているばかりではないかという印象が強くします。
今はその口当たりが、コストの短期的な抑制(リストラ)にだけ向いている、と考えるとわかりやすいでしょう。

投資家への利益還元を重視するあまりに、賃金の抑制を図ると将来的にマーケットが縮小することになるでしょう。
つまりは生産しても売れないという社会が到来します。

政策の要諦は、互いに矛盾する条件を長期的に全体としてより良くすることにあると思います。
そのために、既得権益を廃止するといったことは重要ですが、であっても「長期的にこのようによくなる」という明確な説明は必要です。
それがあるとは思えない。

来年は選挙の年ですが、意外と激変があっても不思議がないように感じます。

12月 28, 2006 at 10:57 午前 国内の政治・行政・司法 | | コメント (5) | トラックバック (0)

2006.12.27

人はデジタルを求める

中西先生「雑感」にちょっと興味を引かれる記事を見つけた。
Renn教授のスライド

12月12日の雑感に、私はDurnwoodyの講演の内容を紹介したが、それも同じようなことだと思う。
この雑感を読んで、その日の内に、西澤真理子さんから貴重な情報を頂いた、これをここに紹介する。

西澤さんは、リテラジャパン代表・Stuttgart大学環境社会学科研究員をしているのだが、Stuttgart大学のOrtwin Renn教授がよく引用する言葉があるというので送って頂いた。ここにそのスライドを示す。

「人が求めるのは知識ではなく、確実なことだ」

「政策決定者は、確実なことを与えることはできないが、不確実なことに対して、思慮深く対処するための方法やしくみを人々が見つけ、慣れていくことを助けることはできる」
なるほどなと思う。そのまま伝えるのがリスクコミュニケーションではない。
こういう気持ちで、リスクコミュニケーションの問題を考えていきたい。
ここで元になっている記事が、12月12日の「面白かったDurnwoodyの講演」とのことなのでこちらを読んでみる。
「リスクについての意思決定と不確実性についての公衆の認識とメディアの役割」。
不確実性の認識が、専門家(意思決定機関の人々)と公衆との間に差がある。

それは、external uncertaintyとinternal uncertaintyの違いとして説明できる。
専門家はexternal uncertaintyを問題だと考えるが、公衆が考える不確実性は違うのだ。
Internal uncertaintyについての説明が欲しかったが、それはなかった。

彼女の論文も読んだことがないので、本当に言いたいことを私がとらえているかどうかは疑問だが、実は、これに類することを考えることがしばしばある。

専門家が、ある数字の不確実性を、数字で示す、10~1000の間とか。
ところが、聞いている方は、そういうことはどうでもよくて、専門家に任せますという。
私が関心あるのは、Aという地区とBという地区に違いがあるのかだと言われることがある。

必要もない不確実性について、長々と説明しているのではないか、そこは、専門家に任されている領域であって、市民が関心のある領域は、そこではないというようなことをしばしば感じてきた。

そこに、マスメディアの役割もあるのだと、Durnwoodyの話しを聞きながら、このことを、もう少し系統的に考えてみようと思った。


「人が求めるのは知識ではなく、確実なことだ」

これはなかなかすごい意見で、今自分で問題にしていることのほとんどの回答のように思えます。

高校生と話したり、掲示板での相談に回答していると「正しいのか間違っているのかはっきりしろ」といったことを非常に重要視しているのが今の風潮であると感じています。

わたしはこれを「デジタル的価値観」などと呼んでいますが、インターネットの掲示板での相談などでは、全体のわからないわずかな情報から、それなりの判断をするのであれば「あれあれば、これもある」的な白黒のつかないいわば灰色の回答になります。

これがどうも灰色と受けとってもらえない、白あるいは黒と決めつけられてしまいます。
どうも見ている方が、世の中には白と黒しかないと思い込んでいるように思えるのです。
こういうことを知ると、説明はますます長くなり、どんどん分かりにくくなってしまいます。
わたしは「どうして灰色ということが伝わらないのだろうか?」と思っていたのですが、この「人が求めるのは知識ではなく、確実なことだ」という言葉は、すべてを圧倒してしまいます。

つまりは「灰色であるという知識は不要」だったのですね、それでは受け取る人は「白あるいは黒」と受け取るのも無理はない。
なぜ伝わらないのかという理由はよくわかったけれども、じゃあ世の中に灰色はないとは言えないわけで、どうやって灰色であることを伝えようかという悩みはよりいっそう深くなりました。

12月 27, 2006 at 03:06 午後 日記・コラム・つぶやき | | コメント (1) | トラックバック (0)

原発のタービン問題その5

「原発のタービン問題その4」の続報です。

毎日新聞より「中部電力:タービン損傷の補償問題で日立に賠償請求へ」「北陸電力:原発タービン羽根損傷で日立に賠償請求へ
中部電力浜岡原発5号機のタービン損傷事故の補償問題で、同社の三田敏雄社長は26日の定例会見で、メーカーの日立製作所に賠償請求することを明らかにした。
今後、代替発電コストなどの「逸失利益」の負担も日立側に求めていくとみられる。

タービン事故の原因は設計上の問題による金属疲労と判明しており、日立は原状復旧の補修費用は全額負担すると表明している。

しかし5号機は6月の事故から停止したままで、中電は来年3月まで運転再開できなかった場合、コストの割高な火力発電所の代替稼働などで約1280億円の損失が出ると見積もっている。
これが中部電力の対応で北陸電力も同様の発表を行った。
北陸電力の永原功社長は26日、富山市の本店で会見し、設計・製造元の日立製作所に補修費用などの損害賠償を求めて協議を申し入れたことを明らかにした。

タービンの羽根の損傷は「日立の設計が十分でなかったため」と判断。
工事契約に基づき、タービン取り換えや点検費用、原発停止に伴う火力発電所のたき増しなど間接損害も含めた費用負担を求め、同日、日立側に文書で協議開始を申し入れた。
請求金額などは明らかにしていない。
中部電力と北陸電力のこの方針に対して日立製作所は、現在のところ従来からの考えを変えてはいないようだ。

中部、北陸両電力が原発停止による逸失利益を含む損害賠償を請求することを正式に決めたことに対し、日立製作所は「こちらにも株主がおり安易な妥協はできない。
タービンを設計した10年前の知見では今回の事故は予想できず、設計ミスだったとは考えていない。
今後の話し合いで日立の立場は主張する」(首脳)と、争う姿勢を見せている。

日立は既に、タービン修理費用の実費約400億円(2社合計)を負担すると表明。
これらにより、550億円の黒字予想だった07年3月期の最終損益見通しを9月、一転して550億円の赤字予想に修正している。

ただ、2社合わせて最大約1500億円と見込まれる逸失利益まで負担することは業績見通しに織り込んでおらず、両電力との交渉によっては、大幅に損失が膨らむ可能性がある。
日立製作所の主張の根拠はユーザーである電力会社と問題となったタービンを設置することで契約をしたのであって、新型タービンは効率向上のために設計変更されたものであった。
このことによってユーザーである電力会社にまったく責任がない、とは必ずしもいえないことは分かるが実際問題として電力会社は問題のタービンの決定には間違いなく関与していないだろうし、寿命が短いといった警告を日立製作所から受けていたらそれでも採用したのだろうか?

そんなことを考えると、日立製作所の主張にはいささか無理があって、電力会社の逸失利益の総額ではなくともかなりの金額を賠償することになると思う。
ところで肝心のタービンの補修と発電所の運転再開はいつのことになるのだろうか?
2006年12月26日付の中部電力のプレスリーリースがあった。
  1. 6月15日に低圧タービンの羽根の損傷により自動停止
  2. 10月27日に、低圧タービンの羽根の損傷の原因と対策について国に報告
  3. 11月8日には、国に対して、圧力プレートの設置に係わる工事計画の届け出
  4. 12月22日に国の審査が終了
  5. 翌23日より、低圧タービンの組み立て工事に向けて、タービンの軸の羽根取り付け部分を削る工事などの準備作業を開始
  6. 復旧時期につきましては、国による使用前検査の実施など不確定な要素が多く、不明
純粋に技術的な問題とはいえ、原子力発電に関しては国が全面的な審査と管理を行っているわけで、タービンの羽が折れるという致命的な問題を起こしたことは、審査をしている国の責任も問題になるから補修工事完了後の国の検査も相当厳重になるだろう。このために運転再開までの時間が長くなり電力会社の逸失利益もより大きくなることになる。

関係各社にお願いしたいことは、実際に何が起きてこのような事態になったのかを明らかにすることです。

12月 27, 2006 at 10:22 午前 もの作り | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.12.26

発信者情報開示のための新たな手続き?

毎日新聞より「発信者情報:同意なしで開示へ ネット被害で業界が新指針
インターネット上のプライバシー侵害や名誉棄損について総務省と業界団体は、情報を書き込んだ発信者の同意がなくても被害者に発信者の氏名や住所などを開示する方針を固めた。

業界は総務省とも協力し、同法に基づく自主的な発信者情報開示のためのガイドラインを策定することを決めた。
原案によると、他人の氏名や住所、電話番号など個人を特定する情報を掲示板などに勝手に書き込む行為を幅広く「プライバシー侵害」と認定。
個人を名指しして病歴や前科を公開することも含まれる。

こうした場合にプロバイダーが被害者からの要請を受け、発信者の同意がなくても、その氏名や住所、電話番号、電子メールアドレスなどを開示できるようにする。

一方、名誉棄損については、プロバイダーによる任意の発信者情報開示をあまり広く認めると「政治家や企業経営者らの不正や問題点の内部告発までネット上からしめ出す懸念もある」(業界団体幹部)と判断。
これまでの名誉棄損裁判の判例も踏まえ、公共性や公益性、真実性などが認められない個人への誹謗(ひぼう)や中傷に限って自主的な開示の対象とする。

被害者は裁判で発信者情報の開示を求めることが多かったが、悪質な書き込みをした発信者を早急に特定し、損害賠償請求できる可能性も高くなるとみられる。

業界と総務省は一般からの意見も募集したうえで、早ければ来年2月にも導入する方針。
直観的にはすごくわかりにくいニュースで、プロバイダー責任制限法では「発言削除」と「発信者情報開示」の二つに大きく分かれていました。
実務的には、「発言削除」と「発信者情報開示」では「発信者情報開示」の方が重大視されていて、発信者情報を開示してしまうと取り消すことができないために手続きを厳重にするべきだ、となっていました。

上記のニュースでは一見発信者情報開示を簡単にしているように見えて、ちょっと違和感があったのですがよくよく読むと発信者情報開示のための手続きとして「プライバシー侵害」を新たにつくるということのようです。

プロバイダー責任制限法はプロバイダーなどに法律的な判断をさせるという意味で、実務的には極めて難しくまた法的な根拠もあいまいでかなり問題があると思っています。

その上にさらに難しい手続きを決めるというのでは、現場はちょっとやっていられないでしょう。
どうもうまくいくとは思えません。

12月 26, 2006 at 09:00 午前 セキュリティと法学 | | コメント (0) | トラックバック (1)