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2006.12.15

エレベータ死亡事故の原因

読売新聞より「事故原因はブレーキパッド摩耗…エレベーター管理会社
東京都港区の「シティハイツ竹芝」で今年6月、高校2年生がエレベーターに挟まれ死亡した事故の原因について、事故機の保守管理会社が「ブレーキパッドの異常な摩耗で、ブレーキが利かなくなったため」とする調査結果をまとめていたことが、14日わかった。

同社が11月27日付で遺族側の弁護士に回答した文書によると、事故機では、ブレーキを制御するコイルの抵抗値が新品の2分の1にまで減少していたほか、ブレーキパッドが摩耗し、パッドとドラムの間に0・15~0・25ミリのすき間があるのが確認された。

この摩耗は、事故の約1週間前に同社が保守点検をした時には発見されていなかったため、同社は「コイルの不具合発生から、数分で(パッドの異常摩耗が生じ)事故に至ったと考える」としたうえで、管理責任については「捜査中であり、回答は差し控えたい」と明言を避けている。
メーカーのシンドラー社は今も「構造上、設計上の問題はなかったものと確信している」のだそうですが、これは設計上の問題じゃないでしょうかね?

死亡事故の直接の原因はドアが閉まらない状態で上昇したことですが、この動きは重りの落下によるものであって動力で動かしたものではないのです。
もし満員であれば落下だし、同様に重りの落下・カゴの急上昇で最上階の機械室に激突してカゴに乗っていた人が死亡する事件がニューヨーク(かな?)で発生しています。

つまりは、ドアが開いていたから挟まれて死亡というのはあまりにいたましいことですが、故障の本質は動力がないときに暴走したです。
ブレーキが摩耗すると暴走してもしかたない、ということ自体が設計ミスだと思うし、そもそもブレーキが緩んでいる場合に速度制御をするメカニズムがあるのが普通ではないだろうか?

問題のブレーキは自動車ドラムブレーキのような構造らしく、コイルに通電するとブレーキが解放される仕組みになっていた。
コイルに通電しないと、バネによってブレーキが掛かる仕組みでした。

コイルの機能が完全でないから、ブレーキが完全には解放されずに運転して急速に摩耗してブレーキ機能を失った、というのはあり得るシナリオです。

ブレーキの摩耗限界による警報なども無かったのでしょうね。
あれば原因解明にこれほど時間が掛かるわけがない。
シンドラー社の言い分は、メンテナンスをきちんとすれば安全ということで、メーカとメンテナンス会社との責任争いになっていて、今回はメンテナンス会社から「設計上の問題」と指摘した見解が出たといえます。
メンテナンスを怠ると動かなくなる、というのが正しい設計でしょう。
この時点で、設計としては失格だと思う。

12月 15, 2006 at 10:01 午前 もの作り | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006.12.14

Winny 判決

昨日(2006/12/13)は Winny 裁判の判決が京都地裁であった。
求刑が著作権法違反幇助で懲役1年に対して判決は罰金150万円であった。
金子被告は即日控訴した。

新聞の社説を集めてみた。

日経新聞社説   「技術も配慮したウィニー判決
読売新聞社説   「技術者のモラルが裁かれた
朝日新聞社説   「ウィニー有罪 開発者が萎縮する
サンケイ新聞社説 「ウィニー判決 開発意欲そがない議論を
毎日新聞社説   「ウィニー有罪判決 実態は変わらないむなしさ
東京新聞社説   「ウィニー判決 ソフト開発にも良識を

タイトルだけでも色々な社説があり、この裁判の影響が多岐に渡る複雑なものであることが分かります。
現時点では判決文の全文を見ていないのでわたし自身の判断は後にしますが、社説の中から注目するところをピックアップすると。

日経新聞社説より
ウィニーを巡っては防衛庁の機密情報が流出する事件も起きており、元助手の責任は免れないだろう。

2年前に京都府警が元助手をほう助の疑いで逮捕した際、技術開発を萎縮させるという批判の声が上がったが、判決は「技術を提供すること一般が犯罪行為になりかねない無限定な範囲拡大は妥当でない」と枠をはめた。

そのうえで、元助手が「著作権を侵害する状態で利用されるのを十分認識しながらソフトの公開を続けた」ことに違法性があると判断した。
技術開発の有用性を評価しつつ、技術を悪用した違法行為を抑止する点で、妥当な判決だといえる。
読売新聞社説より
技術者のモラルを重く見た判断と言えるだろう。

技術開発に当たって技術者は「暗」の側面を自覚する必要がある、というメッセージだろう。
ウィニーに限らない。科学技術の研究開発に携わる者にとって共通に求められるモラルだ。

今回の判決で技術者が委縮するという指摘もある。だが、同種ソフトの開発は止まっていない。心配は無用だろう。
朝日新聞社説より
運転手が速度違反をしたら、速く走れる車をつくった開発者も罰しなければならない。

そんな理屈が通らないのは常識だと思っていたが、ソフトウエアの開発をめぐってはそうではなかった。

新しい技術を生み出した者は、それを悪用した者の責任まで負わされる。
こんな司法判断では、開発者が萎縮(いしゅく)してしまわないか。納得しがたい判決である。

ファイル交換ソフトの開発者が刑事責任を問われたのは韓国と台湾で計3件あり、それぞれで1件ずつ無罪判決が出ている。
問題のソフトでは著作権を侵害しないよう警告しており、合法的な情報も流れている。
それが無罪の理由だが、こうした事情はウィニーも同じだ。
サンケイ新聞社説より
ソフトが悪用された場合、その開発者も刑事責任を問われるのか-。

弁護側は、「刃物を作った人が、その刃物が使われた事件の責めを負うのと同じ」と主張、終始無罪を求めてきた。
これに対し判決は、被告側に違法行為が行われるとの「十分な認識、認容」があれば、たとえ技術自体は中立的価値があるにせよ罪を問われるとの判断基準を示した。

その上で、ネット掲示板への書き込みなどから、被告が違法コピーに利用されると知りつつウィニーの改良を繰り返していたと認定しており、有罪の判断は妥当な流れといえよう。

ただ判決は同時に、ウィニーを「多方面に応用可能な有意義なもの」と認め、「技術の提供一般が犯罪行為となりかねないような無限定な幇助犯の成立範囲の拡大は妥当ではない」との判断も示している。
取り締まり当局にも一定の枠をはめ、健全なソフト開発の意欲まで阻害することがないよう慎重な対応を求めたものであり、バランスのとれた判断として評価したい。

しかし、今回のように被告の発言などから違法行為への認識を証拠立てられる場合はむしろ例外といえる。
匿名性が特性の一つでもあるネット社会では、たとえそれが明確な意図で行われた違法行為であれ、実行者の特定は極めて難しいのが実情だ。著作権問題にしても激しい変化に法整備が後手に回っている観は否めない。
毎日新聞社説より
判決は「利用者の多くが著作権を侵害することを明確に認識、認容しながら公開を継続した」と述べ、著作権法違反のほう助にあたると認定した。

著作権侵害は、映画などコンテンツ産業に大きな被害を与えている。断じて容認するわけにいかないし、ソフトウエアの開発者の倫理も問われている。

判決はネット社会のひどい現状に警鐘を鳴らしたとも言える。しかし、これによってネットでの著作権侵害の実態が大きく改善するかというと、そうならないだけにむなしさが残る。

新技術が後に及ぼす影響について、開発者が事前にすべてを予測することはできない。
元助手が逮捕され、さらに有罪と認定されたことによって、ソフト開発にマイナスの影響を及ぼすなら残念だ。

技術が先に進み、法制度が想定していない世界が誕生してしまったというのが、ネットの実態だろう。
元助手は即日控訴したが、著作権管理のあり方も含め、ネット社会に対応した仕組みを築くことが必要だ。
東京新聞社説より
判決は、「ウィニーの技術自体は有意義で、価値は中立的」と述べ、著作権侵害に悪用されなければ、社会に貢献するソフトとなる可能性を秘めていたと積極的に評価した。

しかし、元東大助手の金子勇被告が開発したウィニーが流通した結果は、あまりに破壊的だった。

何者かがウィニーに取り付くウイルスを開発してネット上に流したため、ウィニーを組み込んだパソコンから、個人情報や企業秘密が流出する事件が続き、情報流出の被害は警察、陸海空自衛隊、原子力発電所、学校など広範囲に広がった。

判決は、「被告はウィニーをホームページ上に公開し、悪用者の著作権法違反を容易にし、犯行をほう助した」と認定。
被告弁護団の主張も考慮したうえで、ソフト開発の自由と社会秩序のバランスを視野に入れ、社会秩序の方を重視する立場を取った判決といえる。

だが、デジタル技術が急速に進歩する中で、現状の著作権保護のあり方に再検討の必要性を訴える被告の主張には十分耳を傾ける価値があるのではないか。

控訴審では、検察・弁護双方の主張を通し、デジタル時代にふさわしいソフト開発のあり方を示す結論が得られることを期待したい。
いくつかの社説がウイルスによる情報流出を問題にしているが、これはちょっとひどいだろう。
現象面としてもセキュリティーホールによる情報流出が沢山あるわけで、別に Winny だからということではない。
むしろ社会に一般に誤解を生じさせるミスリードの可能性も高い。

それにしても、これらの社説は刑事裁判に対する評価と言えるのだろうか?大いに疑問がある。

12月 14, 2006 at 09:52 午前 セキュリティと法学, 事件と裁判 | | コメント (4) | トラックバック (2)

2006.12.13

都立高校と新聞社説

都立高校の履修偽装問題があって、それをサンケイ新聞と毎日新聞が社説で取り上げているのだが、サンケイ新聞は高校と都教育委員会に対して肯定的、毎日新聞は否定的な社説で社説のタイトルだけ見ると正面衝突のように読めるのだが、問題はもっと根深いのだろうと思う。

サンケイ新聞 「履修問題 都立高改革の火は消すな
(総合学習の)その時間の一部を、授業時間が減った数学や英語などの学力補充にあてることは、有効な活用方法の一つといえる。
しかし、すべてを受験のためだけに使うのは行き過ぎであろう。

都立高改革の火を消してはならない。

今回の都立高のケースに限らず、全国の高校で発覚した一連の未履修問題は、大学受験に必要な学力を身につけさせるための十分な授業時間が確保されにくいことから生じている。

受験がすべてではないが、学校は勉強するところであり、受験対策を頭から否定すべきではない。
小中高校を通じ、児童生徒が塾や予備校に行かなくても学力を身につけられるよう、指導要領の抜本改革が急務である。
何を言いたいのか良く分からないが、学習指導要領が悪いから必修科目をやらなくても仕方ないという意見に受け取ることが出来る。
かなり乱暴というか説明不足な社説だと思う。


毎日新聞社説 「履修偽装 白を黒と言いくるめるな
都教育委員会は「学習指導要領の拡大解釈があり指導するが、履修漏れではない」という見解で補習の必要はないとし、事実上不問の構えだ。

不可解というほかはない。現行学習指導要領の目玉として登場した総合学習は教科を超えて思考力や自己探求力を養い、児童生徒の関心や適性を伸ばす時間であり、受験勉強のためにあるのではない。また他科目の授業をしてなぜ理科総合の履修といえるのか。

黙認すれば、全国の大量履修不足問題で補習に追われている生徒たちに不公平感、不信感を与えることは避けられない。実際、どう考えても不公平ではないか。

背景には、先の履修不足問題と同様に「ゆとり」の学習指導要領では受験準備が不足するという現場の認識がある。その是非はともかく、そういう認識ならば、迂遠(うえん)のようでも広く問題を提起して論議をすべきであり、建前の陰で実態をなし崩し的に骨抜きにするのは筋が通らない。
公教育の内容については公開・公平という大原則を守らなければならない。

テーマや教材、授業方法が学校や教師に任されている総合学習は、自由度が高いだけ教師の苦心や負担も大きいといわれる。

大学進学成績を上げたいと願うのは自然なことだ。その腐心も一概に否定されるべきではない。ただ実態を偽装でごまかす二重基準のようなことが教育現場で行われてはならない。
取りようによっては、都立高校は大学進学を目標にしてはいけない、と受け取れる内容だがすべての教育が段階に応じて目標を設定するのだから大学進学は目標の一つになるのは当然で、どこを二重基準と言っているのか良く分からない。

確かに都教育委員会は総合学習の時間に他の教科の授業をしたことを「総合学習だ」と言い張ったのはちょっと無理があるかと感じるが、そもそも総合学習の時間をうまく使えない学校がかなりあることはよく知られていることで問題は、総合学習の実践の形が見えていないところにあるのだと思う。


この二つの社説の主張は少なくとも学校の実情に詳しくない読者に対して何を説明しているのか分からないという点で双方とも失格だと思うが、今回の一連の必修科目履修偽装問題の根本的な原因は大学全入時代になって大学側が試験のレベルを下げるために受験科目数を減らしたことから始まった、と考えるべきです。

簡単に言えば、大学側は受験科目を減らしてでも入学者を確保しようとするのは当然であるから、高校側もそれに対応してしまうと、受験科目しか勉強しない高校になってしまう。
一方で、受験過熱といわれた時代に学校での時間を減らそうとしたのが、週5日制であり総合学習の取り入れであった。

毎日新聞社説の異様なところは「不公平」と言っている点で、どことどこが不公平なのかが履修偽装が発覚して補習授業をしている高校(受験校)と都立高校が補習授業をしないで切り抜ける不公平を問題にしているのだろう。
しかし、そもそも補修していない学校の意見として「補習をすることが不公平だ」というのもあるし、まして受験が主力でない学校とは不公平もヘチマもないだろう。

総合学習の時間に受験対策授業をしていてことが、生徒にとって「総合学習をちゃんと受けたかった」という不満になることは確実だ。
これは高校教育をどうするのかという契約に対して、学校が違反したと解するべきだろう。

少なくともサンケイ新聞社説の言う「改革」とは学校が勝手に学習指導要領をねじ曲げて良いとはならないのは明らかで、どうも両者の社説の根本に「教育は庶民に下すもの」という方向性からしか見ていないと思う。

留学者の増加や、実際問題として卒業後に再入学することやダブルスクール・トリプルスクールなどもごく普通に語られるようになって、教育そのものに複数の選択肢がある時代になってきているのだから、視点を教育の受益者(利用者)の側から見て考えることをもっと重視するべきだ。

この観点からは、都教育委員会の主張は契約違反の詐欺的な言い訳と解釈することが出来る。

そして、この場合の契約は社会に広く公開しているのだから、すべての必修科目履修偽装をした学校に言えることだが「父兄と生徒の要望で」では社会に対して契約違反なのだ。
卒業生が将来「バカな高校運営をしていた」と言うだろうことは確実だと思う。

つまり問題は両新聞社の社説も含めて「あまりに情けない意見しか出てこない」ことにある。

12月 13, 2006 at 09:50 午前 教育問題各種 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2006.12.11

ヘンな事務用品(^_^)

今日文房具屋をウロウロしていて、ステープラー(ホチキス)の小型の物を買おうかと思っていた。 特大と中くらいは持っているし、家の中を探せば小さい(#10を使う)ホチキスは出てくるに決まっているから、まあ目移りしていたわけです。

なぜ今頃になってわざわざ探すのか?は、学校で生徒に資料を配ることを考えています。
実際に学校でプリントを配ってみると学校流というか「紙を回します」的な感じになります。
学校としては全体としてこれに慣れているから当然なのでしょうが、社会人講師としていくからには常に驚かせたいという気持ちはあるわけですよ。

もちろんやる気になれば簡易製本で本を作るぐらいのことは出来るのですが、相手が40人といったことになると、一人あたり50円も掛けたら大変です。
これじゃカバーにしかならない。

今でも、何回か続く授業用の紙を印刷する場合には、2穴パンチで穴を空けて持って行ってフラットホルダーに綴じさせています。
そのために買ったのが、ドリルパンチ今までに1000枚は穴を空けているような気がします。
これと綴じる金具などを使ってもまとめることは出来るのですが、どうしたものか?と考えて元に戻ってステープラーになってしまったのです。

お店の中をウロウロしていたら「紙で紙を綴じる」といかにもわたし好みのギミックなコピー(^_^)
買ってきました。サンスター文具製「ペーパーステッチロック」

仕組みを言葉で説明するのは大変なので、リンク先の説明をよく見て下さい。
簡単に言ってしまうと、紙を幅1ミリ程度の短冊状に切って曲げるのですが、その時に先端が広くなっているので抜けない、という仕組みです。
実際には、別に画鋲で押したようなパンチをするので、これで上下左右にも動かない以外としっかりした綴じものになります。
最大枚数が4枚となっている(実際にパンチの力の限界)ので学校など向けの資料作りにはちょうど良いかもしれません。

12月 11, 2006 at 07:07 午後 新商品やお買い物 | | コメント (7) | トラックバック (0)

三菱ふそうのハブ問題

朝日新聞より「三菱ふそう ハブ破損、想定外の続発 交換基準見直しも
三菱ふそうトラック・バスの大型トラックの前輪ハブで、同社が想定した走行距離や交換基準以下の摩耗でも破断や亀裂が相次いで見つかっている。
実際の使用環境と事前の想定が違った結果、強度に余裕がなくなった可能性が浮上しており、リコール(回収・無償修理)に至らなくても、同社が交換基準の見直しを強いられる事態にもなりかねない。
ただ、車の寿命が長くなるなかで、亀裂を招くとされる要因はいくつもあり、どう影響したかの解析は容易ではない。

同社は当時、2割の過積載、0.8ミリの摩耗、車輪を固定するナットを基準の1.6倍の力で締め付けても走行距離100万キロは亀裂が発生しないと説明。国土交通省もこれを認めていた。

しかし、鹿児島県で10月、走行距離約92万キロでハブが破断。摩耗は約1.2ミリ、締め付け力は1.6倍だった。

すでに作業を終えた96~98年製の同型車94台の詳細点検と244台の大型トラックの重点点検でも、走行距離約87万7000キロ(昨年9月時点、現在不明)~105万9000キロの4台のハブで亀裂が確認された。
うち2台は摩耗が0.68ミリ、0.74ミリと同社の整備基準で定める交換基準(0.8ミリ)以下。ただし、締め付け力は3.6倍以上と2.2倍だった。

基準以下の摩耗で亀裂が生じたことについて同社は「考えていた条件では想定していなかった。前提の是非を含めて見直さないといけない」(長谷川直哉品質保証本部長)とし、今月中をメドに技術的検証を進めている。
原因が設計・製造段階の不適切さだと明確に分かればリコールとなる。

一方、点検では摩耗、締め付け力が基準以上で100万キロ以上でも亀裂がないものも次々と見つかっている。

今回点検した9割以上の車両で締め付け力の測定値が規定以上で、過剰な締め付けが常態化している可能性もある。ただ、締め付け力を正確に把握することは難しい。

同省は、
  • (1)基本的な強度に問題がないか
  • (2)実際の使用環境をどう織り込んだ設計・製造だったか
  • (3)適切な点検・交換が行われるように知らせ、実施を徹底させる取り組みが十分だったかどうかがポイント――と指摘。
早急に技術面の検証を進め、適切な対策を講じるように指示している。
「三菱ふそうトラック、またもハブ破断」
「三菱ふそうのハブの構造」
「三菱ふそうハブ破損の詳細」

などでわたしは「設計ミスである」と断定してきました。
自動車が受ける力は極めて複雑で強度的にかなりの余裕が必要なのは自明のことですが、三菱ふそうはホイールとハブの接触箇所の摩耗つまりハブの摩耗によって破断にいたるとしてきました。
許容される摩耗の量を0.8ミリまでとしているわけですが、破断した箇所の厚さを想定してみると5%~10%摩耗すると破断の可能性がある、という説明に等しいと思います。

摩耗を5%~10%以下にすることが破断させないための絶対条件だとするのならぱ、ユーザとしてはこれを守ること自体が厳しいだろうし、直感的にも摩耗から破断にいたるということが理解しがたいです。

その上に、今回の点検で摩耗が0.8ミリに達しない4%程度の摩耗でもハブに亀裂が入っている物が見つかりました。
これは単純に

ハブに亀裂が入る原因は摩耗の量と関係ない

とするのが常識的判断でしょう。
一言で言えば直感的におかしいのではないか?と思った方が正しかったのです。

ところで問題のハブの部分は数十年ぐらい基本構造は自動車全体で共通です。
だからこそ、タイヤやホイールは共通部品として別の車と互換性があります。そして三菱ふそうはトラックバスなどの大型車の専門メーカとしてトラックを作り続けて現在に至っています。

その中で問題のハブを付けている車輌を生産したのはほんの一時期です。
少なくとも、もっと以前の物にしてしまえば少なくとも破断はしません。

荷重の増加や速度の向上などで負荷が大きくなったことが破断するようになった原因でしょう。
そうであるのなら、どう考えても摩耗に原因があるにしても根本的な解決にはなっていない。
根本的な解決をしないで解消したとすること自体が間違えではないのか?

三菱ふそうは同じような時期にクラッチハウジングの破断、という事故を起こしているがこの時にもクラッチハウジングの強度不足を原因とした。
しかし、クラッチハウジングは点検対象外の部品であることも同時に発表していて、点検不要の部品の強度不足とはどういうことだ?となってしまった。
どうもこれと同じ事ではないのだろうか?

三菱ふそうは「これで大丈夫」という発表ではなくて、過去から現在に至るハブの変遷と破断事故についてはまとまった資料を発表するべきだろう。
現在も同じF型ハブを使用しているのなら、将来(データ的には10年後)に同じ事故が起きる可能性があるわけだし、逆に抜本的に解決しているのならF型ハブを使用している車の部品を取り替えればよい。

根本的な対策に手を付けないままで進めることは不可能だ、ということ以外の何者でもない。

12月 11, 2006 at 10:13 午前 もの作り | | コメント (1) | トラックバック (0)