« 2006年11月12日 - 2006年11月18日 | トップページ | 2006年11月26日 - 2006年12月2日 »

2006.11.25

小型双発機が高速道走行中の車と衝突

読売新聞より「ドイツ:小型双発機が高速道走行中の車と衝突 7人重軽傷

誰がなんと言おうと素敵なタイトルの記事であります。
そこで記事を読んでみると
ドイツ西部エッセン近郊で24日、3人乗りの小型双発プロペラ機が橋に接触後、高速道路を走行中の乗用車と衝突し大破した。AP通信によると、この事故でプロペラ機の3人を含む計7人が重軽傷を負った。プロペラ機の42歳と32歳の女性乗客2人が重体。パイロットは軽傷だった。

同機はベルリンからエッセンに向かう途中だった。着陸予定のエッセン空港の滑走路は現場の高速道路と並行しており、同機が滑走路と間違えて高速道路に着陸しようとした可能性もあるとみて警察が捜査している。
早速 Google Earth の登場であります。どうもここではないだろうか?
高速道路上の橋も見えるし、位置的には滑走路の端と同じようなところだし。
それにしても、各種の誘導灯かが見えないはずなのだけどなんで着陸しようとしたのかな?


Up_12

11月 25, 2006 at 11:51 午前 海外の話題 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.11.24

外国人の取り調べを改善するには

「元検弁護士のつぶやき」さん経由、毎日新聞群馬版より「司法通訳人:外国人被告に“言葉の壁”、資格認定制度を /群馬
日本で逮捕・起訴された外国人の被告が、取り調べや法廷で言葉の壁に悩まされている。
動機や犯意などの微妙なニュアンスが通訳では伝わらないのが原因だ。
外国人犯罪の増加を受け、警察や裁判所が雇う「司法通訳人」は年々増えているが、こうした問題は全国で後を絶たない。
「資格認定制度を設けるべきだ」と指摘する声もある。【伊澤拓也】

「殺そうとは思わなかった」。
同せいしていた男性(当時36歳)を刺殺したとして殺人罪に問われたペルー人の女(30)は、先月、前橋地裁で開かれた初公判で起訴事実を否認しかけ、慌てて弁護人が駆け寄る一幕があった。
事前の接見では「認める」ことになっていたからだ。

また、同居の男性(当時21歳)を刺殺したとして同罪に問われた中国人の男(26)の場合、県警の調書には「殺意があった」と記されていたが、初公判では「殺すつもりはなかった」と明確に否定。
弁護人は「誤訳があった可能性がある」と指摘した。

こうしたことが起こる背景には、日本の刑法でいう「殺意」の意味の難しさにある。
「殺そう」は確定的殺意で、「死んでしまっても構わない」と思うのが「未必の故意」となるが、どちらも「殺意があった」とみなされる。
包丁を持ち、体の枢要部を刺そうと思った時点で殺意が認められるのが通例だが、そこが外国人には理解しづらいようだ。

警察、検察、弁護士会、裁判所はそれぞれ通訳人リストを作り、事件ごとに依頼する。
例えば県警は現在、41言語219人のリストを持ち、10年前(18言語115人)と比べて大幅に増えた。

数の増加の一方で、制度の方は進展がないのが実情だ。
日本では通訳人の言語能力はほぼ自己申告で、誤訳をチェックする体制や機関もない。
オーストラリアやオランダなどは司法通訳の資格認定制度の整備が進んでおり、試験をパスした通訳人が国籍だけでなく事件の内容別に得意分野で担当する。

日本司法通訳人協会会長を務める神戸女学院大の長尾ひろみ助教授(通訳学)は「数自体は十分確保されているが、レベルはまちまち。
誤訳や省略などが被告の権利を侵害する恐れがある」と資格制度の必要性を指摘する。
「元検弁護士のつぶやき」さんは理解しづらいのは外国人ばかりでなく、日本人が裁判員として裁判に参加したときにも「殺意」についてはプロの法曹の人たちと庶民感覚ではズレがあることを示しています。

これはこれで大問題ですが、もう一つの側面である「司法通訳が十分に機能しない」問題についても、日本人には関係ないのか?というとえん罪事件として現れます。

そこで「捜査の透明性の確保」が話題になって、取り調べを録画するべしというの声があって検察庁は録画するようですが、とりあえず外国人の取り調べについては通訳が絶対ではないという観点からは

「全部を録画して後から検証できようにする」

が良いと思います。
こんなの簡単だから、直ぐにやればよいのに。
記録を取れば、通訳の技量も同時に評価できます。チェック機関を作るとか資格検定をするなんてのよりもずっと現実的でしょう。

11月 24, 2006 at 12:38 午後 事件と裁判 | | コメント (0) | トラックバック (2)

少人数教育の提案

毎日新聞より「いじめ:「なれ合い型」学級で発生しやすい 教師加担も

どうにもショッキングなタイトルでトンデモ本のタイトルに通じているなと読んでみたら記事全体の展開が基本的にトンデモ本の書き方だと感じる。
新聞の社会面の記事としてはふさわしい記事ではないと思う。
教師が教え子に友だち感覚で接する「なれ合い型」の学級でいじめが生まれやすいことが、河村茂雄・都留文科大教授(心理学)の調査で分かった。
こうした学級では、教師が子供に引きずられ、いじめを防ぐどころか加担する恐れもあるという。いじめは、加害者側の資質や教師の指導力不足に直接の原因が求められがちだが、河村教授は「主に教師と教え子の関係で決まる学級集団の全体的な特性に注目すべきだ」と訴えている。

河村教授は、全国の児童生徒約5万人を対象に、教師や同級生との関係などを問う「QUテスト」と呼ばれる心理テストを実施。分析の結果、学級の特性といじめとの相関性が判明した。分析結果は近く公表する。

学級の特性について、河村教授は「なれ合い型」と教師が厳しく指導する「管理型」に分類しているが、98年と06年を比べた場合、なれ合い型の学級は小学校で倍増して半数近くを占め、管理型は半減。
中学校では管理型が主流だが、なれ合い型は倍近くに増えた。
さらに、小学4~6年生(約5000人)を詳細にみると「長期間いじめを受けてつらい」という子供の所属学級は、約半数がなれ合い型で、管理型は3割強だった。

河村教授によると、教師の教え子への接し方には
(1)有無を言わせず従わせる指導タイプ
(2)子供の言い分を尊重する援助タイプ
--がある。子供の満足度の高い学級の教師は状況に応じて両方を使い分けるが、(1)に偏ると管理型、(2)に偏るとなれ合い型になるという。

なれ合い型では、当初は教師と子供が良好な関係を保つかに見えるが、最低限のルールを示さないため学級はまとまりを欠き、子供同士の関係は不安定でけんかやいじめが生じやすい。
教師の「○○してよ」という友だち口調の指示を誰も聞かなくなり、放置すれば学級が崩壊するという。

また、運動や勉強が得意だったり、けんかの強い子供が学級をまとめ、教師が頼りにするケースも多いが、その子供や取り巻きが特定の子供をいじめの標的にし、学級全体が同調した場合、なれ合ってきた教師が止めるのは困難で、助長や加担の恐れもあるという。
世の中の学校の実態がこんな二分法で説明が付くほど簡単なはずがないことは直感的に分かるだろう。 それだけで論外だと思うのでこの記事についてはこれ以上の意見は述べませんが、たまたま気になっていることがあったので書きます。

水曜日のNHKクローズアップ現代で紹介されてた「地域の学校が消えていく?~学校選択制の波紋~」では公立の小中学校が選択された結果として体育の団体競技が成立しないような小規模校になってしまったという例が東京都内で起きている、という内容でした。

ところがそういう小規模になってしまった学校が「小規模ならでは特徴を打ちだそう」と企画して、一クラスで同時に複数の先生を配置する授業を実践している例が紹介されました。

学校の先生の指摘する問題で常にあるのが「一クラス40人は多すぎる」です。
外国での教育成功例の紹介でも一クラス25人といった報告ばかりで、人クラス40人を肯定する理由はほとんど見つけることが出来ません。
しかし現実のクラス編成を40人から25人とかに変えるとなると、場合によっては校舎の改築とか必要になるわけで、かなり大変というのは誰にも理解できます。

わたしが社会人講師でやっているロボット製作の授業では、教師+社会人講師が7人で18人を教えることがありました。
こうすれば極めて丁寧に教えることが出来るし、それぞれの生徒の考え方を活かすことも出来ます。

一クラス25人程度が良いというのもこういう個々の生徒への対応という問題でしょうから、一クラスの定員の問題ではなくて、先生一人あたりの生徒の数が問題である、と考え直すと

複数の教師が一つの授業を行う

が有効ではないか?と強く思うようになりました。

これは比較的楽に実現できるのではないでしょうか? もしこのような方法を取れれば、最初に挙げた新聞記事に出ている「なれ合い型と管理型になる」などという二分論も排することが出来ます。

子どもたちは可能な限りの質の良い教育をするべきでしょう。それには学校に任せるばかりではダメだ、といったことも含めて、何かできることはないのか?と変革の方策を検討するべきで特効薬を期待することは間違っているでしょう。
さらには、子どもたちが将来の大人であることを考えると、なるべく多くの情報=多くの大人の話を聞かせる、といった観点は重要です。
そんなわけで「複数教師による授業」を提案したいです。

11月 24, 2006 at 09:49 午前 教育問題各種 | | コメント (3) | トラックバック (0)

労働の未来を考えていないのではないか?

今日は全くの偶然であろうが、労働についての記事が並びました。

サンケイ新聞には「労働時間の規制撤廃 法制化へ、成果賃金に対応 厚労省
朝日新聞には「パート待遇「正社員と均衡」明記 厚労省法改正案

同じ厚労省が提案しているだが、労働行政が全体としてどっちを向いているのか分からないではないか。

労働時間の規制撤廃 法制化へ、成果賃金に対応 厚労省」によると
素案は、労働時間にとらわれない働き方を「自由度の高い働き方」とし、適用対象を
  • (1)労働時間では成果を適切に評価できない業務
  • (2)権限と責任を相当程度伴う地位
  • (3)仕事の進め方や時間配分に関して上司から指示されない
  • (4)年収が相当程度高い
の4要件を満たす労働者と規定している。
パート待遇「正社員と均衡」明記 厚労省法改正案」には
正社員との「均衡待遇」の具体策としては、労働時間や就業実態が正社員と同じパートに対し、
  1. 「待遇での差別的な取り扱いを禁止」する。
  2. それ以外のパートについても、本人の職務や意欲、成果などに応じて賃金を決定し、
  3. 残業や転勤があるなど正社員に近い人には、
基本給や賞与の決め方を正社員と同じにするよう努めることを求めている。
この二つの違いはどこにあるのか?さっぱり分からない。
なぜなら、労働時間の撤廃の方では「年収が相当程度高い」しか具体的な指標がないと思うし、パート待遇の方では「正社員と同じ仕事は同じ賃金」と読めるのだが、肝心の正社員の仕事に労働時間というもっとも基本的な定義が無くなってしまったのでは、具体的に賃金が分からないではないか。

非常に簡単に言えば最低賃金が分からなくなる。
最低賃金が意味を持つのは、労働を時間や内容で定義しているからで、特に時間については評価を変えようがないから極めて重要な基準である。
その労働時間を評価しないというのが「労働時間の規制撤廃」であるから、これだけ取り出すと「最低賃金を決めても労働時間の基準がない」という全くの無意味なこともあり得ます。

では、労働内容を基準に最低賃金を決めるれば良いのか?となると、これは実績的には失敗の連続なのですが、それは置いておいても「パート待遇」の方が、パートと正社員の区別が実質的に無くそうというのだから、簡単に言えば「同一労働同一賃金」という意味でしょう。
そこに「同一労働を評価する軸がない」となってしまっては、全体として労働という概念が崩壊してしまうではないか。

一体何を考えているのだ?
こんな基本的なことはもっと分かりやすくするべきで、「こんな条件の時にはあんなことなり、あっちの条件ではこうなる」といった複雑な分類になるようなことを避けて、グランドルールを提示することの方が先だろう。

だいたい「転勤のあるパート労働」なんてものを肯定して良いものなのか?根本的におかしいよ。
厚労省提案の日本の施策に整合性がとれていないというのは、強く指摘するべきだがマスコミはこれをバラバラに扱っている、ここに問題がある。

11月 24, 2006 at 09:10 午前 国内の政治・行政・司法 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.11.23

これはよいと思う

朝日新聞より今日は飲めません 飲酒断るワッペン、高知で配布
「私はハンドルキーパー。お酒は飲めません」と宴席で宣言し、周囲の誘惑も断つワッペン(縦8センチ、横7センチ)を高知県交通安全協会などが配布している。

「ハンドルキーパー」は、仲間内でその日決めた「飲まない人」が、飲んだ人を家に送り届ける運動。
指名運転手とも言われ、欧米では効果を上げている。

Up_11


商品として売ってないかねぇ?

11月 23, 2006 at 06:37 午後 新商品やお買い物 | | コメント (0) | トラックバック (0)

携帯電話のICカードとはなんなの?

読売新聞より「識別番号同じ「クローン携帯」不正使用をドコモ初確認
NTTドコモの第3世代携帯電話「FOMA(フォーマ)」から抜き出したICカードを、別の携帯に差し込んで「クローン携帯」を作る手口で、中国など海外から不正使用したケースが少なくとも6件あったことがわかった。

ドコモはこれまで、「クローン携帯の製造は技術的に不可能」としてきたが、社内調査で存在が確認された。

ドコモは、この6件で通話料を過大請求されたユーザーに計約26万円を賠償し、再発防止のためシステムを改修したという。

クローン携帯による不正使用について、ドコモ、KDDI、ソフトバンクモバイルはこれまで「不可能」としてきた。しかし今回、初めて確認されたことで、ドコモは公式見解の撤回も含め検討している。

ドコモによると昨年9月、「知人にかけたら外国人が出た」との問い合わせをきっかけに調査を開始。日本と中国でほぼ同時に通話したことになっているなど不自然な通話記録が見つかり、2005年8月~06年2月の間の、中国、フィリピン、ガーナでのクローン携帯使用が確認された。

FOMAのICカードには、所有者を識別する15ケタの番号が割り振られているほか、認証のための各種情報を暗号化して記録している。 すべての情報が一致した場合だけ交換機が通話を受け付けるため、ICカードを別の携帯に差し替えるだけでは使用できない仕組みとなっている。

今回確認されたクローン携帯では、いったん解約されたFOMAのICカードが使われていた。しかし、中国などの電話会社の交換機は、各種情報をすべてチェックする設定になっていなかったため、通話が出来てしまったという。

また解約されたFOMAのICカードの識別番号は、解約後2年程度で「再利用」されるため、不正通話による料金が別人に請求されていた。

ドコモでは今のところ、不正使用者の特定や、刑事告発などは行わない予定という。

ドコモは今年2月、数億円をかけて国内システムを改修したとしている。また解約されたICカードの識別番号は再利用せず「使い捨て」にする方針。
この記事だけではどうも良く分かりません。

機種変更したわたしのauもICカードがあって電話機として機能しますが、このカードをGSM電話機に挿し替えて海外で使えるグローバルエキスパート用です。

つまり記事にある「ICカードを別の携帯に差し替えるだけでは使用できない仕組みとなっている」とは何を意味しているのか分かりません。
少なくとも「挿し替えるだけで使える」のは確かですから「ある条件では挿し替えるだけでは使えない」なのだと思います。

MIXI に出ていた相談ですが
  1. 日本から携帯電話を持って海外旅行に出かけた。
  2. 海外では日本の携帯電話は使えないから、単に持っていただけで海外で使う予定はなかった。
  3. 空港で手荷物を盗まれ携帯電話も盗まれた
  4. その携帯電話からICカードを抜き出して使ったらしく、莫大な電話料金を請求された
というのがありました。
原理的には日本国内で携帯電話を落として使われた、というのと同じですから上記の事件では「海外だから盗まれても使われない」と思って届け出が遅れたことが問題になっていました。
しかし、この点についてはわたしも事件を知ってから説明書を読み直したくらいで知らない人も多いでしょう。

利便性を上げるとセキュリティが甘くなりがちといった話なのだと思います。
その上で「クローン携帯は出来ない」とか「ICカードを差し替えただけでは使えない」といった理解不可能な断言に止めていては、ユーザはどんどん信用しなくなると思いますよ。

11月 23, 2006 at 10:30 午前 経済・経営 | | コメント (0) | トラックバック (2)

ママメール

毎日新聞より「いじめ:実態認めぬ教師たち 「ママメール」恐れ遠慮も
いじめを苦にした子どもたちの自殺が続く中、いじめを認めない学校のあり方が問題となっている。
「いじめはどこの学校にもある」との指摘の一方、なぜ教師は認めないのか。
保護者への遠慮、指導力不足……。
一線の教師たちが口を開いた。【吉永磨美】

「対応の仕方を間違えたら(自分が)たたかれる」と漏らす。
「先生はうちの子を悪く見ている」。そんな保護者の反発は容易に想像できる。
さらに恐ろしいのは母親たちのメール。教師は「ママメール」と呼ぶ。
「『あの先生がうちの子をいじめた、うちの子が良くないと言った』などの悪いうわさをママメールで回される」と心配する。

神奈川県の公立高校の男性教頭も「いじめは裁判ざたになることがある。だから学校はピリピリしている。対応には慎重にならざるを得ない」と語る。
まずいじめを確認した時、保護者へ連絡する前に、教師たちが調べたことを逐一記録する。
それを加害側の保護者に見せ「この事実で間違いありませんね」と念を押す。
保護者が「間違いありません」と答えて初めて本格的な指導に入る。

教師には「1人で(問題事案を)抱え込まないで」と指導している。しかし「自分のクラスは任せてください」と公言し、報告や連携を怠る教師もいる。
「対応は教師間の連携が大切だが、他の教師に迷惑をかけたくないのか」といぶかる。

いじめを見つける前に、そうした教師への指導が必要になることもあるという。
この記事で注目するのは「ママメール」です。
今やメールは授業中でも飛び交っているので、情報は生徒や先生の動きとは無関係に流れます。
記事はいじめを問題にしていますが、容易に察知できるのは先生に叱られたといった情報も飛んでいくことになります。

学校が色々な問題に対応するために会議を開く前にママメールでは情報が共有されているわけです。
こうなると、学校で会議を開こうと思ったときには、すでに父兄が怒鳴り込んできている、対応した学校の職員や教師は問題があったことを会議が開かれる前だから知らない。なんてことになります。

そこで対応が問題になるわけで「とりあえず謝っておく」なんてことをすると、後から訂正できないなんてことになって、ますます問題は拡大(炎上)してしまいます。

つまり記事中の「教師間の連携」は極めて重要で、さらに言えばママメールの中に先生も入っていればよいのだと思います。

簡単に言えば「情報ネットワーク・情報の共有」といったことが極めて重要になってきている時代なのに、旧来の手法の中でなんとかできないか?とやっていることに無理がある、だと思います。
「ママメールが怖い」は分かりますが「ママメールは今後も無くならない。だからどうする?」と考えるべきでしょう。
まして「報告や連携をしない教師」では今後は無理だ、ということははっきりさせないといけない。

教師はプロフェッショナルで高度に専門的な職業ですが、学校という環境では事務管理なども含めてどんどん複雑化しているのに、スタッフ機能がさっぱり強化されていません。
教員に事務処理などを行わせる、という閉鎖完結型が良いとされた学校運営の基本的な考え方を改める法がよいかと思います。

11月 23, 2006 at 10:06 午前 教育問題各種 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006.11.22

著作権の期間を延ばすとは

読売新聞社説より「著作権延長 作品の流通を損なわない工夫も
著作権の保護期間を欧米並みにしてほしい、と文芸家や音楽家の団体が求めている。

現行の著作権法では、「著作者の死後50年」で保護期間が切れてしまう。
これを、ほとんどの先進国が定める「死後70年」へと延長するべきだと要望している。

最大の理由は、格差の解消だ。保護期間が欧米より20年短いということは、その分、日本の著作者の権利が損なわれていることになる、と訴えている。

国際的にも、肩身が狭い。死後70年まで保護された国の著作物が、日本では20年早く、許可を得ずにタダで使えるようになるためだ。
得をしているように見えるが、海外から、日本は他国の知的財産にタダ乗りしている、と批判されかねない。

延長は文化の発展を阻害する、とも指摘される。既存の作品を活用して新たな創作が生まれることも多い。実際、平原綾香さんがホルストの曲を基に「Jupiter」をヒットさせた例もある。

著作権法を巡っては、テレビ番組のネット配信やデジタル録音・録画制限など新たな課題が次々に浮上している。今国会にも、一部のネット放送を可能にする改正案が提出されている。

著作権の保護・活用で世界に遅れないよう、論議を急ぎたい。
根本的に著作権の有効期間を「死後」を基準にしているのか理解できません。
「死後」というのだから著作権者は自然人であって法人ではないのでしょうね。
これが「作品の著作権登録後100年間」とかであれば人に属するのではなくて作品の社会での地位を示していることにはなりますが・・・・。
「権利」ですから自然人・法人に属するのでしょうね。そして、さらに「死後」だから自然人に属していると。

こうなると、「死後の権利」は相続人のものになるわけですよね。
相続人の権利をより長期間守ることのどこが良いのかが分からないのです。

確かに著作権者の権利は守るべきだと思うのですが、相続人の権利を守ることは作者の権利を守ることに比べてより重要と言えるものでしょうか?
一世代を40年ぐらいだとすると、著作権保護期間を作者の死後50年とすると作者の子どもの世代の権利をカバーしています。これを70年かと90年とかにすると、作者の孫とかひ孫の世代の権利となってしまう。

ひ孫の権利なんてものは守るべきものなのだろうか?
「死後」なんてことにするからこんな事になるわけで、著作権登録制度で作品発表(登録)後100年間、といったことで著作権を独立した資産とした方が良いのではないだろうか?

11月 22, 2006 at 08:58 午前 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.11.21

「わたしはメールが嫌いだ」とは

東京新聞より「加藤寛一郎 電子メール 私は嫌いだ
私は電子メールが嫌いである。自分のメールアドレスも知らない。どうしても必要なときは、家内に打ってもらう。

手紙も好きではない。しかし、必要なものは書く。自分の仕事を編集者に説明するような場合、むしろ手紙にする。この方が、考えが整理される。口頭より、互いの理解が正確になる。

研究仲間の話を聞くと、一日の半分くらいをメールに使う人もいる。手紙嫌いでも、メール好きは多い。友人の一人によると、メールはワープロのフォーマットを考える煩わしさがないのがいいらしい。体裁を考えずにすみ、気が楽だという。しかし、暇つぶしの要素もあるのではないか。

数年前、アメリカから手紙が届いた。差出人は日本人の物理学者で、このご夫婦には三十年前、夫婦ともども彼の地で世話になった。たまたま私の著書を知り、連絡してきた。

夫婦連名のメールのやりとりが始まった。相手は大学者である。私も少しずつ深みにはまった。減量に関する本を書いたとき、本を送ると、メープルシロップが来た。礼状にテレビに生出演をした話を書くと、そのビデオが見たいという。さらに、航空に興味がある友人が市の振興財団にいて今度日本に行くから…。

私は日本学術会議会員に選ばれた時の話を書き送った。

「事務局が私のメールアドレスを聞いてきた。あえて誤ったアドレスを伝えたが、それでも毎日、山のようなメールが届いた。読む前にすべて破棄した」

これでしばらくメールが途絶えている。少し後味が悪い。しかし、このくらいしないと、自分の流儀は通せない。(かとう・かんいちろう=東大名誉教授)
今や「メールは嫌いだ」では通用しない世界になっているんですが、加藤先生。
と言うか、メールだけが嫌いなんですかねぇ?
PCが嫌いなのじゃないでしょうか?
携帯電話は論外だと思いますが、世の中でメールを使っている人の中にも「PCは苦手だ」という人は多いです。
つまりメールを使っている人の中で「好きだから使っている」の意外なほど少ないと思いますよ。

1997年に1155万人だった利用者数は、2005年には8529万人となっていてこの間に1997年から2000年までは増加率が倍増して、2000年には4708万人になっています。
1997年以前のデータがないですが、1987年にパソコン通信が始まったことを考えると1997年に1155万人になるためには大変な成長率ではありましたが、それでも人口の1割以下ではありました。

こんな事を考えると、今どき「メールが嫌いだ」とはどういう位置づけで理解すればよいのか?それは加藤先生が文章中で述べられています。
手紙嫌いでも、メール好きは多い。
もうトレードオフなわけです。
メールが嫌いだ=手が意味が嫌いだなんですね。こんなのは個人の好みの範囲であって、わざわざ言うことですかね?
すでに「メールが」とか「PCが」とか「インターネットが」とわざわざ名付けて論評する種類のものではなくなった、ということですね。

11月 21, 2006 at 08:49 午前 ネットワーク一般論 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.11.20

子ども向けの携帯電話について

ASCII携帯24より「TCAと携帯電話キャリアー各社、有害サイトへのアクセス制限を普及させる取り組みを強化 アクセス制限の利用有無を保護者に確認へ
社団法人電気通信事業者協会(TCA)と(株)エヌ・ティ・ティ・ドコモ、KDDI(株)、ソフトバンクモバイル(株)は20日、有害サイトへのアクセス制限をするサービス“有害サイトアクセス制限サービス”の更なる普及促進に向けた取り組みの強化を発表した。
主に未成年者の契約時に親権者へのアクセス制限の利用確認を義務付ける取り組みを行なう。

この取り組みは、総務省からのフィルタリングサービスの認知拡大および利用促進の強化に関する要請を踏まえたもの。
“有害サイトアクセス制限サービスの推奨強化”、“周知啓発の強化”、“販売店などへの指導の強化”、“ユーザーニーズに応じたフィルタリングサービスの提供”、“定期的な評価の実施” などを柱としている。

主なものとしては、未成年者の契約時に“有害サイトアクセス制限サービス”の利用の有無を親権者に対して確認すること。
未成年者の場合、携帯電話機の契約には親権者の“契約への同意書”が必要となっているが、それに加えて有害サイトアクセス制限サービスの利用の有無についての確認が必要となる。
これがない場合には、iモード、EZweb、Yahoo!ケータイなど各社のインターネットサービスの利用申込を受け付けない方針にするという。販売店についても対応を徹底させ、マニュアルの見直しも検討する。

また、周知啓発の強化のため、ポスターやロゴマークを作成、ロゴマークについてはパソコン向けのISP事業者やフィルタリングソフトメーカーなどにも利用の働きかけを行なう。
さらに有害サイトアクセス制限サービスの認知率に関する調査を定期的に実施するという。
ちょっとこのアプローチは間違っているのではないか?と思う。
もちろん有害サイトアクセスを制限するのは当然だと思うのだが、じゃあそれらの対策が完璧に機能すれば問題はないのか?というともっと重大・深刻な問題が小中学生などの携帯電話利用にはあると思ってます。

知人に聞いた話ですが「今30歳の人が学生時代に携帯電話を持てなかった最後の世代」なんだそうです。
彼が言うには「彼女の家に電話をするとオヤジが出てくるのが分かっているからあらかじめどう話すか練習していた。これが大人との会話の練習になった」と言うのです。

携帯電話はいわばピーツーピーであらかじめ知っている人に直結します。これでは人に紹介して貰うなんて経験は積めません。
このことが若い人たちをコミュニケーション下手にしていると言っても良いでしょう。

いまや携帯電話が必要不可欠ですから使い方をもっと制限して、オヤジに取り次いでもらうようにするべきです。
じつはこういう電話機はすでにあるのです。

auにはジュニア携帯という機種があります。
なんでこれを大々的に売らないのか?といったところが問題なのだと思います。
学校が「ジュニア携帯しか認めない」とすれば、かなりの問題が整理されるはすです。

11月 20, 2006 at 11:30 午後 教育問題各種 | | コメント (0) | トラックバック (1)

名誉毀損裁判・彦根市長のケース・その3

「名誉毀損裁判・彦根市長のケース・その2」にトラックバックがありまして、そこに紹介されていた記事です。

MBSニュースより「<font color="green">滋賀・彦根市長 「バカ市長」記事で新潮社を提訴
獅山市長は、京大法学部出身で検事の経験もある弁護士で、訴えの中で「

自分が『バカ』だという事実はない。


関西人なので『バカ』は『アホ』よりも名誉棄損の程度が著しい」などとして、新潮社に対し、謝罪広告の掲載と2,200万円の慰謝料などを求めています。
正に「名誉毀損裁判・彦根市長のケース」で問題にした
この提訴は「バカ市長」との 4文字の記載だけが名誉毀損に当たる ということでは無いかと思いますが
を理由にして提訴しましたね。

名誉毀損裁判を考えるという点からは極めて憂慮するべき問題だと思います。
本格的に裁判にすると、1年は掛かります。
弁護士も誰でも良いとは言えません。どちらかというとやっかいな裁判です。
そのような裁判を起こすのに「バカ」の二文字で出来るというのはあまりにひどいでしょう。

11月 20, 2006 at 04:29 午後 事件と裁判, 国内の政治・行政・司法 | | コメント (1) | トラックバック (0)

労働組合とは?

読売新聞より「大阪府労委、ビクター子会社に業務委託先との団交命令
大阪府労働委員会は20日、大手電機メーカー「日本ビクター」(横浜市)の子会社「ビクターサービスエンジニアリング」(千葉県浦安市)に対し、同社が修理業務などを委託している「代行店」と呼ばれる個人事業主でつくる労働組合との団体交渉を拒否したのは不当労働行為に当たるとして、団交に応じるよう命じた。

労組側は「代行店は、会社側が一方的に決めた条件のもとで指揮、監督を受けており、労働者にあたる」として救済を申し立てていた。
同社は中央労働委員会に再審査を申し立てる方針。

労働者の非正社員化が進むなか、こうした業務委託の労働形態が企業社会に広がっており、雇用関係のあいまいさが問題視されている。

申立書などによると、代行店は会社側と委託契約を結び、ビクター製品のユーザー宅での出張修理を行い、会社側から委託料を出来高払いで受け取っている。

午前9時に各地域にある会社のサービスセンターに出勤。
制服、社員証も正社員と同じものを支給され、会社が決定した手順、方法に従い、正社員と全く同じ仕事を行っている。
委託料の算定など契約内容についても「自己の希望を述べる余地はない」とし、労組側は、会社側が使用者責任を免れるための「偽装委託契約」と主張している。

昨年1月、同社近畿支社の委託先の代行店29人のうち18人が労組を結成。
これに対し、会社側は「代行店は『自営業者』であって、当社の労働者ではない」と反論、労組と認めず、団体交渉を拒否してきた。

同労働委員会は、労働組合法上の労働者について「契約の形態を問わず、雇用契約と同程度の使用従属関係にある者」とし、代行店を「労働者にあたる」と判断した。

個人事業主への業務委託を巡っては、住宅設備会社「INAX」の子会社「INAXメンテナンス」(愛知県常滑市)が修理や点検などを委託しているカスタマーエンジニア(CE)と呼ばれる個人事業主の労組による救済申し立てを受け、同労働委員会が7月、同社に団交に応じるよう命令を出し、中央労働委員会で再審査中。
これは難しい問題ですね。
監督指揮を受けるから従業員あるいは労働者、と言う主張は違うと思う。
従業員や労働者つまり雇用契約が無ければ指揮命令を受けないのか?と言えばそんなことはない。
結局、従業員がやっていた仕事を従業員以外にやらせているから「実態は従業委だろう」という周長が出てくるのだと思う。

その一方で、下請けであれば基本的に個別の案件で契約しているわけで、さらには仕事をしない自由がある。
従業員であれば仕事をしない自由はないし、さらには配置転換もあるし転勤も広く認められている。
おそらくは、こういったことを総合して判断することになるはずで、労働組合と言っても従来の労働組合とは違うものと捉えることになるだろう。
その点、会社が「労働組合と認めない」としたのはあまり適当な対応とは言えなかったかもしれない。

今後はこういう問題は増えるでしょうね。

11月 20, 2006 at 03:54 午後 経済・経営 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.11.19

名誉毀損裁判・彦根市長のケース・その2

「名誉毀損裁判・彦根市長のケース」の発端は「飲酒運転報告義務づけ、「人権侵害」と彦根市長」(読売新聞より)です。
飲酒運転による交通事故が問題となる中、滋賀県彦根市の獅山(ししやま)向洋市長(65)は25日の記者会見で、11月1日から適用する市職員の飲酒運転懲戒基準について「飲酒運転の報告義務づけは、憲法が禁じた不利益な供述の強要にあたり、人権侵害」として、検挙の有無にかかわらず、報告の義務づけは基準に盛り込まないことを明らかにした。

元神戸地検検事の獅山市長は「法的には、職員が飲酒運転しても、市への報告義務はない」とし、全国の自治体が、報告義務化を進めていることに触れ、「公務員にだけ求めるのは職業差別」と断じた。
一方で、職員の自己申告や報道などで市が飲酒運転を知った場合には「処分の対象になる」とした。

同懲戒基準は、飲酒運転による死亡・重傷事故は免職、物損事故の場合は免職か停職、などとしている。
これを週刊新潮が「彦根のバカ市長」との見出しをつけて記事にした。

産経新聞社が西日本の主な自治体に「彦根市長の主張について」アンケートを取ったのだそうです。

産経関西より「彦根市長に賛成ゼロ 西日本自治体アンケート 飲酒運転報告不要
飲酒運転をめぐって、滋賀県彦根市の獅山向洋市長が打ち出した「摘発でも報告不要」という処分基準について、産経新聞社が西日本の主な自治体に行ったアンケートの結果、「反対」とする回答がほぼ半数に上ることが18日、わかった。

「それぞれの任命権者の判断」と一定の理解を示す自治体もあるものの、発言に賛成する首長はゼロ。
獅山市長は「これは問題提起。撤回する気はない」と強気の姿勢だが、周囲の理解を得るのは難しそうだ。

彦根市の処分基準は、今月1日から導入された。

飲酒事故での人身事故を免職とするなど、これまでより厳しい内容になったが、違反したり、摘発された場合の報告義務を削除した。
獅山市長は「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」という憲法38条の条項を削除の理由にしているが、市には「時代に逆行している」など、反発する内容の電話やメールも200件以上寄せられている。

今回のアンケートは、大阪府内の39自治体をはじめ、西日本の県庁所在地や政令都市の計79自治体に対して行った。

「報告義務不要」という彦根市の処分基準についての賛否と、それぞれの自治体で処分基準を変更するかどうかを尋ねた。

その結果、賛否については、「回答なし」や「どちらともいえない」が79自治体のうち37自治体。残る42自治体は軒並み「反対」の考えを示しており、「賛成」とする自治体は皆無だった。

特に大阪府内39自治体では25自治体が「反対」としており、3分の2近くが獅山市長発言に「NO」の姿勢を示している。
市というか会社や団体が従業員に何らかの報告を義務づけることについては、それなりに広い裁量が認められて当然だと思います。
社会全体で一律には出来ないし、会社や団体の内部でも一律にしては不都合が生じるでしょう。

それについて「憲法違反」という論理を持ち出すと、これは彦根市の職員だけの問題ではなくなってしまう。

それこそ「任命権者の判断」であり、同時に責任でしょう。
つまりは彦根市長は責任はないとしたのでしょうが、それでよいのか?
というのは、行政というか組織の長としては他にも報告を義務づけている色々な問題があるはずで、明白に法律違反である「摘発」されても「報告義務無し」は一般論として通用するものなのか?

例えばハッキングとか児童買春といった場合にはどうするのだろう?

元々日本の法体系の根本が「解釈の余地あり」でやっているのだから、法的な根拠を引っ張り出すと最終的には憲法なのだろうけれども、それも「憲法解釈」の問題から逃れられない。

「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」を徹底すると、すべての物事について裁判所の判決が必要となってしまって、明らかに現実的でないから「自己申告」とか「報告義務」となっている。

問題は、報告すると不利益処分になることであって「不利益になるから報告するべきではない」というのは近代国家の考え方として正しいとはちょっと思えない。
むしろ「報告」→「司法取引」→「社会的(技術的)対策」といった方向の方が合理的だろう。
「不利益になるから報告しない社会」にはひどく殺伐とした印象を受けます。

11月 19, 2006 at 11:40 午前 事件と裁判, 国内の政治・行政・司法 | | コメント (1) | トラックバック (3)