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2006.11.18

名誉毀損裁判・彦根市長のケース

産経関西より「「バカ市長」は名誉毀損と彦根市長が新潮社を提訴
「飲酒運転の報告義務づけは、憲法に違反する」と発言し、論議を呼んでいる滋賀県彦根市の獅山向洋市長が17日、発言をめぐる記事を掲載した週刊新潮で「彦根のバカ市長」との見出しをつけられるなど名誉を傷つけられたとして、発行元の新潮社(東京都)を相手取り、謝罪広告の掲載と慰謝料など計2200万円を求める訴えを大津地裁に起こした。
この提訴は「バカ市長」との

4文字の記載だけが名誉毀損に当たる

ということでは無いかと思いますが、これで裁判になっては発言の極めてリスクが高いとなります。うまく説明しているのがオーマイニュース上の記事「サイト上の記載で名誉棄損「刑事」裁判」の中にありました。
筆者は、Webサイトで個人が行うジャーナリズムひいては表現の自由の観点からこの裁判を追いかけているのだが、調べれば調べるほど、日本の法制度の不備を感じざるを得ない。
というのも、今回ような刑事の名誉棄損訴訟では「罪のないこと」を訴えられた側が証明しなければならず、組織的なジャーナリズムならともかく、個人でそれを行うのは大変な困難を伴うからだ。

また、公判後、弁護人の紀藤正樹弁護士にインタビューしたところ


「99%真実が書かれていても、
1%間違いがあれば裁判に負けてしまう。
それが法の問題点」

とのこと。
つまり、「限られた紙面」と言った表現上の制約がないWebサイトの場合、参考資料や説明を限りなく詳しく行うことができる。
しかし、たとえば誰かを批判する際に書いた経歴の一部など、部分的にでも間違いがあれば、そこだけを取り上げられて有罪になる可能性がある。

この裁判でも、このWebサイトでは数十ページにもおよぶ論評を行っていたが、起訴状で問題とされた表現は、ほんの8行分程度である。
他の多くの部分に問題がないにもかかわらず、普通の個人が起訴され刑事被告人となっているのが現実だ。さらに、民事での名誉棄損の賠償額は、高額化する傾向にあると言われている。
わたし自身は、彦根市長の「飲酒運転の報告義務づけは、憲法に違反する」発言は一つの考え方として有意義だと思うし、週刊誌などこれだけ飲酒運転について世間が問題にしているのだからと彦根市長を批判するものも当然だと思います。
それでさらに議論が進めば社会にとって誠に結構なことだと思っていたのでが、なんと名誉毀損で提訴するというのは最悪のケースであると思います。

まぁ、裁判になって「全体として・・・」といった判決が出れば、それはそれでよいとは思いますが、4文字だけを裁判で争うことになると、これは100%負けることなるでしょう。
少なくとも「バカ者」とか言えなくなる社会はどう考えても言葉狩りの世界であって、決して良いこととは思えません。

彦根市長は、朝日放送での橋下徹弁護士の発言についても訂正や謝罪を求める公開質問状を出しています。

スポーツ報知より「彦根市長が謝罪要求…橋下弁護士の番組発言で
質問状によると、2日の番組で出演者は市長発言を論評。
橋下弁護士は「懲役1年以下」の酒気帯び運転の法定刑を「3年以下」と繰り返したという。

元検察官の市長は「論評は、全般的に論理と法的視点を欠いた独善的なもの。 橋下弁護士の発言は法律の専門家としてあってはならない重大な誤りだ」としている。
どうも「酒気帯び運転と酒酔い運転を混同している」という言い分のようですが、これは市長つまり行政官の判断としてはどんなものでしょうかね?
特に「バカ市長」→名誉毀損で提訴というのは困る。逆にいえば「市長問題発言」とかに置き換えると内容が全く変わらない場合でも名誉毀損裁判を提訴しなかったとなるでしょう。
4文字で2200万円の損害が発生したと主張しているのですが、今までの名誉毀損裁判では原告側が損害の事実の証明は事実上不要ですから、こんなことができるのですね。
どう考えても最悪だ。

11月 18, 2006 at 01:28 午後 事件と裁判 | | コメント (12) | トラックバック (0)

救急車が搬送を断り重体に

読売新聞より「救急隊員、家族の搬送要請を拒否…けがの男性重体に
奈良県橿原市の県警橿原署の駐車場内で今月15日、頭にけがをしているのを見つかった同県大淀町内の木工業男性(42)が、同署の通報を受けて来た中和広域消防本部橿原消防署の救急隊員から、「搬送先の病院を探すのに時間がかかる」などとして、搬送を拒否されていたことがわかった。

その際、隊員は搬送先を探しもしなかったという。
男性は家族が家に連れ帰った後も、意識が戻らず、運ばれた病院で外傷性脳内出血と診断され、約9時間後に手術を受けたが、重体のまま。

消防本部は「結果的には搬送すべきだった。職務怠慢と言われても仕方がない」とミスを認めている。

橿原署や消防本部などによると、男性は15日午前2時10分ごろ、同署駐車場で頭から血を流しているのが見つかった。
同市内の飲食店で飲酒後、店近くの駐車場で転倒、頭などを強打したとみられ、約300メートル離れた署の駐車場に迷い込んだらしい。

当初は意識があり、署員が氏名と連絡先を聞き出したが、約50分後に意識を失ったため家族を呼び、橿原消防署に搬送を要請した。

救急隊員は、男性を見て転倒による軽傷と判断。
家族が「大淀病院の妊婦が死亡した問題のこともあるので、病院に運んでほしい」などと懇願したが、消防隊員は搬送先を探さず、「朝まで大丈夫なので、様子を見て病院に運んでほしい」と説得して引き揚げた。
この際、家族は「私の都合により、救急搬送をお断りします」という内容の「救急搬送承諾書」に署名を求められ、書いたという。

男性は自宅に戻ったが、朝になっても、意識が戻らず、家族が同市の県立医大病院に搬送。
午前11時ごろから手術を受けたが、意識は戻っていない。
男性の父親(72)は「近くに医大病院があると何度も頼んだのに搬送してもらえなかった。
すぐに病院で治療を受けていればこんな結果にならなかったはず」と憤っている。

当時の近隣の救急病院の受け入れ状況は不明だが、県内の他の消防本部によると、家族から救急搬送の要望があった場合、断ることはなく、たとえ近隣の病院が満床であっても、見つかるまで受け入れ先を探すという。
高橋善康・橿原消防署長は「脳内出血かどうかを見極めるのは難しいが、結果的に判断ミスをした。再発防止に努めたい」と話している。
なんか背景がありそうな印象ですが、消防署長が「怪我の程度の判断を誤った」とコメントしているのは現状で正しいことなのでしょうかね?

今救急医療で問題になっていることの一つに、救急車の有料化問題というのがあります。

四国新聞より「シリーズ追跡 増える救急車出動/有料化は必要か
「一年間に五十回近く救急車をタクシー代わりに呼んだ男逮捕」(三月)「公務執行妨害や傷害の罪で同男に懲役三年六月の判決」(七月)―。
高松発のショッキングなニュースが全国に流れたばかり。折しも総務省消防庁は、増える救急車出動の対策として有料化や民間活用をテーマに専門家による検討会を五月に発足させた。
緊急度の低い不適切な利用のために、本当に必要としている人が「後回し」になる懸念が現実味を帯びているからだ。
救急の現場はどうなっているのか。県内一出動件数の多い高松市消防局の救急出動の現場を密着ルポするとともに、専門家たちの話から有料化をめぐる問題に迫った。
この記事は2005年7月に新聞に掲載されたものですが、この頃に救急車の有料化や(財)救急振興財団から「救急搬送における重症度・緊急度判断基準作成委員会報告書(平成16年3月)」(PDF)などが発表されています。

これは、阪神淡路大震災などであらわになった救命の順序を判断するトリアージの必要性からの研究の必要性によるものなのでしょうが、救急車をタクシー代わりにするという問題も含んでいるようです。
ちょっと記事が探せないのですが、救急隊員外資に変わって現場で判断できるのか?という実験は始まっているようですが、現在のところは本当に必要なデリケートなところは分からないようです。
今回の奈良の事例がこれらの問題と関係しているのかは分かりませんが、いずれは問題として出てくるでしょうね。ちょっと注目の事例だと思います。

11月 18, 2006 at 12:49 午後 医療・生命・衛生 | | コメント (2) | トラックバック (1)

裁判員裁判の広報ビデオ

裁判員裁判の広報ビデオ「評議」がネット配信されていました。

http://www.saibanin.courts.go.jp/news/video2.html

結構評判になっていたビデオで、見たかったものです。

パンフレット(PDF)になかなか詳しい解説があって、一読をお勧めします。

殺人未遂か傷害か、実刑か執行猶予かという判断が必要とされるのですが、殺意という基本的に犯人の気持ちの問題を議論するところがポイントの一つですね。
実際にはこのような事件はそうそう無いのかな?とは思いますが、微妙なところがあるところを取り上げた題材だと思います。

11月 18, 2006 at 02:05 午前 事件と裁判 | | コメント (1) | トラックバック (0)

裁判員制度が具体的に見えてきた

「横浜地裁に裁判員制度対応法廷が稼働」に書いた裁判員の決定と通知についての案が公表されたれようです。

読売新聞より「裁判員候補は年間37万人、08年末から選任手続き
2009年5月までにスタートする裁判員制度で、最高裁は17日、国民から選ばれる裁判員の選任手続き案を公表した。

選任過程は3段階に分かれる。

年間約37万人の裁判員候補者に調査票を送り、出頭が難しい時期などを事前に調査、その時期には個別事件の候補者に選ばれても呼び出しを免除するなど、国民負担を軽くする工夫をした。

最高裁は来夏までに規則を制定し、実際の手続きは08年12月から始まる見通しだ。

殺人など裁判員裁判の対象事件は年間約3700件と試算されており、最高裁では1事件につき100人、年間で約37万人の裁判員候補者を想定している。

選任手続き案ではまず、選挙人名簿からくじで1年分の候補者を選んだ後、全員に調査票を送付。
この調査に基づき、警察官や自衛官など法律上、裁判員になれない人を名簿から削除する。

また、重い病気などで年間を通じて参加出来ない人や、農林水産業者の繁忙期、企業の決算期など特定の期間だけ参加が困難な人をあらかじめ把握する。

第2段階では、各事件の初公判の約6週間前に、全候補者から50~100人をくじで選んで呼び出し状を送付。

ただ、第1段階の調査で年間を通じて参加出来ないと認められた人と、出頭困難な時期に当たる候補者の呼び出しは免除され、その事件では裁判員には選ばれない。

また、呼び出し状には質問票を同封し、裁判員になれるかどうかを再調査。
その時期に介護や育児などの都合で裁判員になれない理由がある候補者は、証明資料を添えて回答し、裁判所が認めれば、やはり呼び出しは免除される。

第3段階は、裁判長が裁判所に呼び出された候補者に辞退理由などを直接質問し、理由があれば免除する。
検察、弁護側もそれぞれ最大4人まで選任を拒むことができ、残った候補者からくじで6人の裁判員と補充裁判員数人が選ばれる。手続きは午前中に終了し、午後から裁判に入る。
37万人だとだいたい0.4%ぐらいの確率でしょうから、250人に一人あるいは100世帯で一人となります。
つまりちょっと大きいマンションや、町内会単位でどこかに裁判員候補がいる計算です。
実際に裁判員として裁判を行うのは、3700件に6名ずつですから2万2200人となります。
年間2万人の素人が裁判に関わるのですから、革命的な大変革であることは間違えありません。

裁判員裁判の対象になる事件の代表例は次のようなものです。
1. 人を殺した場合(殺人)
2. 強盗が,人にけがをさせ,あるいは,死亡させてしまった場合(強盗致死傷)
3. 人にけがをさせ,死亡させてしまった場合(傷害致死)
4. 泥酔した状態で,自動車を運転して人をひき,死亡させてしまった場合(危険運転致死)
5. 人の住む家に放火した場合(現住建造物等放火)
6. 身の代金を取る目的で,人を誘拐した場合(身の代金目的誘拐)
7. 子供に食事を与えず,放置したため死亡してしまった場合(保護責任者遺棄致死)
裁判所は地方裁判所と支部が対象で、総数203ヶ所とのことですが、すべての裁判所に裁判裁判のための法廷が用意されるということでもないようです。
もし地方裁判所だけに裁判裁判対応の法廷が出来るとすると、下記の50ヶ所となります。


地方裁判所平成17年裁判数裁判員候補有権者数割合
東京4874870098678130.55%
大阪3273270069583670.52%
名古屋2892890054987180.58%
千葉2762760047623010.64%
横浜2542540068367060.41%
さいたま1841840055082180.37%
福岡1381380039505050.39%
神戸1161160044128780.29%
水戸99990023623010.47%
静岡95950029928000.35%
75750014743240.57%
札幌75750046234680.18%
京都72720020756080.39%
前橋69690016040730.48%
仙台63630018648520.38%
宇都宮58580015842240.41%
広島52520022962830.25%
福島50500016691150.33%
長野47470017588680.30%
高松4444008305550.59%
岡山41410015608150.29%
大津40400010381080.43%
奈良37370011514170.36%
岐阜37370016699330.25%
熊本36360014759870.27%
那覇3434009770000.39%
高知3434006625860.57%
宮崎3232009340620.38%
松山32320012101140.29%
長崎31310011943730.29%
富山3131009084510.38%
山口29290012353270.26%
甲府2929006993740.46%
鹿児島28280014152300.22%
金沢2727009397160.32%
大分2727009881510.30%
新潟27270019825680.15%
青森27270011934020.25%
和歌山2525008661180.32%
徳島2222006684460.37%
盛岡21210011355770.21%
山形2121009893000.24%
秋田1515009712410.17%
釧路131300
旭川121200
松江1212006094670.22%
鳥取1111004898250.25%
福井1010006512520.17%
函館9900
佐賀99006862120.15%


(北海道には複数の地方裁判所があります)

東京地裁を例にとって考えると、霞ヶ関の東京地裁にはすでに裁判員裁判対応の法廷は出来ていますから、そのまま使うことも出来るでしょう。
しかし、東京都の範囲は奥多摩はもちろん離島もあるわけで、裁判員が霞ヶ関まで来るのはかなり大変ということもあり得ます。
長野県などは本当に大変でしょう。
裁判員候補になる割合を、有権者の9割が適格であると仮定しています。
これが毎年の数ですから、5年もやると100人中の3人といった数になって、さほど珍しいことではないとなるのかもしれません。

11月 18, 2006 at 12:30 午前 事件と裁判 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.11.16

中国の外国人向け臓器移植が制限か?

読売新聞より「“移植ビジネス”締め出しへ…中国が外国人向け禁止
15日付の中国共産党機関紙・人民日報によると、中国の黄潔夫・衛生次官は、中国の医療機関が臓器移植を望む外国の患者を募り、中国国内で手術を行うことを禁じる方針を表明した。

広東省広州市で14日開かれた臓器移植関係の会合で明らかにした。
深刻な臓器不足に悩む国内患者への移植を優先する措置で、国外向け“移植ビジネス”を締め出す狙いがある。

中国では、医療機関が募った外国人患者を旅行名目で訪中させ、手術を行うケースが横行していると指摘されている。

一方で黄次官は、「特殊な状況下で、外国人が提出した臓器移植申請は、特定の手続きを経て実施できる」と述べ、外国患者の臓器移植を一部容認する考えを示したが、具体的な条件は明らかにしなかった。
最後のコメントが怪しげでですが「外国の患者を募り、中国国内で手術を行うことを禁じる」の「募る」は禁止になるのでしょうね。
結局は、これは「値上げ」になるのではないかな?

臓器移植の公平性の確保のために大変な手間を掛けているし、法律も作っているわけですが、現実の医療では法律を無視しても出来ることを腎臓移植事件は示してしまいました。
極めて難しい問題になってきましたね。

11月 16, 2006 at 11:45 午前 医療・生命・衛生 | | コメント (0) | トラックバック (0)

鳥インフルエンザ・人に感染のメカニズム解明か?

毎日新聞より「鳥インフルエンザ:人に感染する重要な「変異」発見
人に感染した鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)を調べたところ、ウイルスが人間の鼻やのどの細胞に取りつけるようになるために重要な変異2種類を、東大医科学研究所の山田晋弥研究員と河岡義裕教授らのチームが見つけた。

各地で出現するウイルスについて、2種類の変異を監視していれば、人での流行が近づいているかどうかの目安になるという。16日発行の英科学誌「ネイチャー」に発表した。

河岡教授らは、ベトナムやインドネシアなどと共同研究。
鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)のうち、ベトナムで人に感染した2株と、タイで人に感染した1株について、ウイルスが人や鳥の細胞に取りつくのに使うトゲ(ヘマグルチニン)の構造を分析した。
トゲはたんぱく質で、アミノ酸が560個並んでできている。

他の鳥インフルエンザウイルスとの違いを調べた結果、トゲの中でも細胞とじかに接する部分にある182番目と192番目のアミノ酸のうち、どちらかが別のアミノ酸に変異すると、ウイルスが人の細胞に取りつく能力ができると判明。
この2カ所以外でも、特定の4カ所の変異が組み合わさると、人の細胞に取りつけることも分かった。
【高木昭午】
これが正しければ、記事の通り「人での流行が近づいているかどうかの目安になる」でしょうね。
あるいは、人に流行しているのは根拠がある、となるかもしれません。
また、ウィルスが取り付くのをブロックできれば、人には感染しないとできるのでしょう。
この発見が正しければ重要なことだと思います。

11月 16, 2006 at 11:33 午前 医療・生命・衛生 | | コメント (0) | トラックバック (0)

教育基本法改正騒動

教育基本法改正案が衆議院特別委員会で与党単独で可決されて、野党がすべての審議をボイコットすると宣言している。
この問題について、各紙の社説を集めてみると社説の意見もまたバラバラです。

読売新聞社説 「野党の反対理由はこじつけだ
朝日新聞社説 「この採決は禍根を残す
サンケイ新聞社説 「やむをえぬ与党単独可決
毎日新聞社説 「教育の「百年の大計」が泣く
東京新聞社説 「国民の理解が必要だ
琉球新報社説 「数頼り単独採決でいいのか
沖縄タイムス社説 「与党単独は数の暴力だ
宮崎日日新聞社説 「政治対立の象徴でいいのか

結局のところ単独採決についての評価が社説のほとんどである。基本法についての社説が採決についての議論だけというのは情けないと思う。
ここにあげた社説の中で宮崎日日新聞の社説だけが割と分かりやすい視点で意見を述べていると感じます。

ことは憲法に準ずる教育の根本法である。ましてや、「国民的議論」の成熟もまだないではないか。数を頼りに強行突破で、基本法を政治対立の象徴に落とし込むようなことであってはならない。
  • ■内容知らぬが88%も■


  • 今回の改正案へ道を開き、基本法見直しを提起した2000年の教育改革国民会議報告はこう指摘している。


    • 「新しい時代にふさわしい教育基本法については、広範な国民的議論と合意形成が必要だ」
    • 基本法の重さを考えれば、これは当然の感覚だ。

    • 日本PTA協議会の調査では保護者の88%が「内容をよく知らない」と答えている。
      国民的議論とするには時間をかけ、丁寧な手続きを踏まなければならないことは明らかであろう。


    • しかしながら、青森県八戸市などで開かれた政府主催のタウンミーティングはどうか。
      県教育委員会が内閣府の指示を受け、政府案に賛成する立場から質問するよう依頼していたというのだ。質問も事前につくられたものがひそかに与えられ、「やらせ」質問が堂々と行われていた。
      教育を政治的に引き回すとんでもない出来事だ。


    • 小坂憲次前文部科学相は「教育改革フォーラム、タウンミーティング、1日中教審など各般の意見を踏まえた上で法案提出に至った」と答弁している。
      教育の根本法の改正には、国民的合意が不可欠との判断があるからだ。

    議論の成熟を待つどころか、焦って国民的議論をでっち上げていたのではお話にもならない。法案審議の前提条件を欠いたと言わざるを得ない 。

  • ■説得力ある説明なし■


  • 国会での議論を聞いても、なぜ、いま見直しなのかということに対し、いまだに説得力ある説明がない。

  • 政府案が教育目標に掲げた「公共の精神」「国を愛する態度」「伝統と文化の象徴」…。それぞれの理念が一体何を意味しているのかという突っ込んだ議論もないではないか。

    • 国を愛する態度というのは国を憂えて政府に反対する態度を取ることまで含むのか。
    • 尊重すべき伝統と文化とは何か。誰がそれを決めるのか。
    • 「顔」が見えない日本人と言われるように、自分の考えを明確にしない日本人の優柔不断さも尊重すべき文化なのか。


  • 政府案では、学校教育は「教育目標が達成されるよう体系的な教育が組織的に行われなければならない」とされ、学校はその達成度を問われる。


    • 理念の解釈を官僚が一手に握り、教師は子どもを決められた枠にはめ、達成度を評価することになれば学校現場の創意工夫の余地などないに等しい。


    • もう一つ。現行基本法は「教育は、国民全体に対し直接責任を負って行われるべきもの」との規定を置き、行政からの独立をうたっている。
      が、政府案はこの規定をなくし、代わりに「教育は法律の定めるところにより行われるべきもの」とした。政治、行政が教育に堂々と踏み込めるということだ。


    • 政治が簡単に口を出せるようになれば、教育は政争の真っただ中に投げ込まれる。国民統合の装置でもある教育を政治対立の象徴にしてはならない。
保護者の88%が「内容をよく知らない」というのももっともな話で、文科省の発表している「教育基本法案について」の中の「新旧対照表(PDF)」を見ても、基本法でありかつ教育であることもあって現行の教育基本法も抽象的な条文が並んでいるところに、もっと抽象的な条文が付け加わった、という感じです。

抽象的な条文が多いからこそ運用に問題が出てくる可能性があるという指摘はもっともですが、運用自体を教育委員会が独立して行うということが実は現場での不満の結構大きなところを占めているのもまた現実です。
こんな事を考えると、教育改革を社会が広く求めていることは確かですか、果たしてそれが教育基本法の改正によって変わっていくのかどうか?ちょっと分かりませんね。

ましてや、審議拒否や強行採決というのはあまりに代償が大きいのではないだろうか?
教育基本法を改正すれば当分は問題ない、という考え方ではまずいでしょう。教育は社会の変化そのものであるのだから、日々改良されて当然です。それができるかどうかによって法律の効果を評価するべきであって、基本法を改正する根拠となる現場の問題点の拾い出しが出来ているのか?となると自殺問題について「分からない」の連続であることから見ても、明らかに現場の問題が法律レベルまで上がっていないと思います。
ちょっとマズイよ。

11月 16, 2006 at 11:25 午前 教育問題各種 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2006.11.15

学校の教材について考える

NPOコアネットに参加して、主に高校を中心に学校に社会人講師として参加するようになって以来、学校での問題点への理解が進んできました。

高校の必修科目の履修偽装も実際に学校に行ったときに感じる問題と同次元に見るようになっています。
ネット上での意見の多くも「○○がけしからん」といった言わば犯人捜し的な論調が多いし、実際問題として教育行政全体の行き当たりばったりというか整合性の無さについては文科省に責任があると言って良いと思いますが、それでもここの学校での問題について「文科省が何とかするべきだ」では思考停止と同等かな?と感じます。

興味を持って見ているためか、期せずしてこんな話が出てきました。

「水からの伝言」を信じないでください
「水に『ありがとう』などの『よい言葉』を見せると、きれいな結晶ができて、『ばかやろう』などの『わるい言葉』を見せると、きたない結晶ができる」というのが「水からの伝言」というお話です。
テレビで芸能人が取りあげたこともあるし、小学校の授業の教材として使われたこともあるそうです。

しかし、これまでの科学の知識から考えれば、水が言葉の影響をうけて結晶の形を変えるということは、けっして、ありません。
本や写真集には、実際に試してみたという「実験結果」がのっています。
でも、これは、実験する人の「思いこみ」が作りだした「みかけ」だけの結果だと考えられます。
ただの「お話」と思って聞くならいいかもしれませんが、事実だと思うのはよくないでしょう。

それに、どんな言葉が「よく」で、どんな言葉が「わるい」かは、私たち人間がいっしょうけんめいに考えるべき、人の心についての大切な問題です。
水に答えをおそわるような問題ではないはずです。
また、「きれいな結晶なら、よい言葉」というように、見た目のきれいなものが「よいものだ」と決めているのも、私には、おかしく思えます。
ものごとを、見かけだけで決めてしまっていいのでしょうか?

人の心は、すばらしい力をもっています。
ほかの人たちを思いやる心、愛と感謝の心は、とても大切です。
しかし、それと「水が言葉の影響をうける」という「お話」には、なんの関係もありません。

私たちは、学校の授業など、教育の場に「水からの伝言」をもちこむのは、絶対によくないことだと考えています。

このページでは、「水からの伝言」についての、私たち科学者の考えを、簡単に説明します。
と始まっています。
「水からの伝言」とはどのようなものか?についてはここに説明があります。
このサイトは学習院大学理学部物理学科・理論物理学研究室・ 田崎晴明教授が作っています。

いきなりこのサイトが出現したわけではなく、かなり以前から問題視されていたのですが、昨年の夏にはかなり問題になって、週刊誌などでも批判記事が出ました。今年の物理学会(2006年3月)では「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?」というシンポジウムが開かれました。

確かに「水からの伝言」を授業に使うというのは否定されて当然であると思うのですが、なんでこんな「お話し」がかなり広く授業で使われることになったのか?と分析した記事は見かけません。

この「なぜ?」の部分については学校の現状を詳しく知らないと判断できないでしょう。
「水からの伝言」のような内容が学校の普通の教科(国語とか算数とか)の授業時間にはさすがに入ることは出来ないでしょう。基本的には「自由研究」とか「総合的な学習の時間」で行われのでしょう。

小学校における 「総合的な学習の時間」がどれほどの時間があるのか?さらには学校が土曜日休みでどのくらいの授業時間があるのか?を正確に知っている方は少ないかと思います。

区分 
各教科の授業時数 






数 








数 
総合
的な
学習
の時
間の
授業
時数 




数 



























作 








第1学年  272
- 
114
- 
102
68
68
- 
90
34
34
- 
782
第2学年  280
- 
155
- 
105
70
70
- 
90
35
35
- 
840
第3学年  235
  70
150
70
- 
60
60
- 
90
35
35
105
910
第4学年  235
  85
150
90
- 
60
60
- 
90
35
35
105
945
第5学年  180
  90
150
95
- 
50
50
60
90
35
35
110
945
第6学年  175
100
150
95
- 
50
50
55
90
35
35
110
945


これが小学校の授業時間を定めた「学習指導要領」です。
国語、算数、総合、体育、社会、音楽、図工、道徳、特別学習といった順序で、それほど多くの時間を割いています。
総合的な学習というくらいのものですから、教科書がないのです。

小学校で英語教育をするものこの時間で計画されたり、情報教育や国際理解といったことも組み込まれるので、学校(学年)が教材や内容を決めなければならないのは、総合の時間の3/4ぐらいになったりするようですが、それでも見学会を企画すると準備が大変、といった声は聞こえてきます。

わたしはこのような現場(教師)に任せすぎのところが「水からの伝言」のような怪しげな教材でも使ってしまう、という側面があったのではないか?と考えています。

社会からの学生に要望することに「常識がない」といったところがありますが、学校から「ビジネスマナーについて講習してください」と要望されたときに、実は手元に適当な教材がない事に気づきます。
学校にリクエストしているのに、ちゃんとした社会からの指導を学校にしていない。
これは一種のミスマッチであって「水からの伝言」を否定するのは当然としても、取って代わるような教材を提供しないとまた別のニセ科学の教材が小学校に入っていくでしょう。

社会はもっと学校教育の現場の事情をよく理解して、現場が使いやすい形での様々な情報や要望を教材として提供するべきだと考えています。

11月 15, 2006 at 09:16 午前 教育問題各種 | | コメント (8) | トラックバック (0)

2006.11.13

来年に向けて選挙だよ

毎日新聞より「福島知事選:「立会いから女性はぶけ」石川町選管に脅迫状
福島県知事選を巡り、同県石川町選挙管理委員会に
「選挙の立会いから女性をはぶけ。そうしないと子供たちを殺す」
と書かれた脅迫状が投票日前日の11日に届き、町選管が17人予定していた女性の投票立会人を急きょ、全員男性に入れ替えていたことが分かった。
県警石川署は脅迫などの容疑で捜査している。
わたしは開票立会人を何度もやっていて選挙の実務に多少は通じていますが、こんな脅迫をするというのはちょっと想像できません。

投票立会人は、投票所で座ってみている人のことですが、これらの人から「女性を除け」ってなんか意味があるのでしょうかね?
いやだいたい投票立会人について知っている人はそんなに多くないのではないかな?

1993年の衆議院選で日本新党が35人を当選させたのが新党ブームの始まりで、その後は新進党・民主党と変化してきたのだが、そろそろ(元)新党も既存政党になったという感が強くて、候補者個人の選挙戦といった側面が強くなってきたと感じています。
代表的なのが小泉チルドレン vs (復帰してくる)離党議員の戦いでありましょう。
「二階に上がってからハシゴを外された」とかコメントしている議員がいましたが、こんなのは選挙の実際を全く見ていないのは明らかです。

新党ブームの余韻すら消えるとなると、広報車個人の戦いの形としてはかなりどろどろしたものが出てくるのではないか?と考えています。
1993年あたりから見ると、15年になるわけでこれは「失われた10年」にほぼ重なります。
デフレ脱却との言葉が出てくるのと同様に、政治体制や選挙のあり方も変わるのでありましょう。

もっとも、経済状況は旧来の55年体制に戻ることが出来ないような構造なってしまっているので、新たな国家指針を作っていくことが今後の政治の課題でしょう。

そう考えると、このヘンテコな事件も何らかの意思表明なのかもしれません。
来年は、統一地方選挙と参議院選挙があります。けっこうな、転換点になるのかもしれません。

11月 13, 2006 at 01:52 午後 国内の政治・行政・司法 | | コメント (1) | トラックバック (0)