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2006.11.04

期待のキーボード(^_^)

Engadget Japanese より「Optimusキーボードは103キー&ストレージデバイス兼用

いきなりこんな記事を引っ張ってきても「ナンジャラホイ??」でありましょう。
ここで紹介されている、Optimus が「有機ELキートップのキーボードを発表」というのが2005年夏にありました。

「有機ELキーのOptimusは「オープンソース・キーボード」に?」 要するにキートップの表示を小型のディスプレーで必要に応じて変えてしまおう言うだけのことであたし好みの話であります。(^_^)

しかし有機ELなんていきなり言い出して大丈夫なのか?とおもっていたら期待通りの展開。

こんなものを発表しました。「12キー版ディスプレイキーボードUpravlator」 まぁ業務用にはアリでしょうかねぇ?

そうしてようやく本格的キーボードの計画が具体的になってきたようです。
「Optimus-113」と呼ばれていたところから10キー減って103キーボードになる見込み。当初発表された有機ELではなく液晶を使うという話もありましたが、とりあえず1キーだけの試作基板画像も公開されました。

また、Optimusはキーボードであると同時にUSBマスストレージデバイスとしても認識されるとのこと。
最近よくあるメモリ兼用USBデバイスとおなじく、キーボード本体のストレージ領域に各種レイアウトや画像パターンといったデータを保存することで、OptimusだけあればどのPCにつないでも使えるようにするため。
キーボードのインテリジェント化は望むところで、親指シフトを何とかしろは一般受けはしないかもしれないが、IMEつまり辞書をキーボードに入れておくというのは良いのではないか?
あるいは、本格的なソフトウェアは無理でもデスクトップツールのようなものはちょっとキーボードを移せばそのPCでも機能するというのは便利だと思う。
そのためにキーボードが多少は高くなっても良いというユーザには、こんな風景は相応しいと思うのだが。

そもそも、ひとつのキートップに二つも三つも文字があるのがそもそも格好悪いと思うので、必要に応じてキートップのガラが変わるのはとても良いと思うのだ。

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11月 4, 2006 at 11:24 午前 新商品やお買い物 | | コメント (5) | トラックバック (0)

臓器移植法初の違反事件・続編

宇和島徳州会病院を舞台にした「臓器移植法初の違反事件」はヘンテコな展開になってきた。

朝日新聞 「病気で摘出の腎臓移植 宇和島徳洲会、過去に11件
宇和島徳洲会病院は2日、過去に実施した生体腎移植の中で、病気によって摘出した患者の腎臓を別の患者に移植したケースが計11件あった、とする調査結果を発表した。

こうした移植は安全性に疑問があるうえ、同病院が移植の可否を検討する倫理委員会も置いていなかったことから、日本移植学会の倫理指針に明白に違反する。
専門家からは「医療行為として問題が多い」と疑問の声が出ている。
これだけ読むと「倫理規定に反したのか」と思ってしまうが、テレビでインタピューされた専門家が「取り出した腎臓に問題がないのなら元に戻すのが当然でしょう」と言っていてそりゃ当然だと思った。
この点についてどう説明するのか?と注目しているのだが。

日経新聞 「腎臓移植執刀医「無理に摘出していない」・宇和島徳洲会病院
執刀した万波誠医師(66)は3日、共同通信の取材に対し「決して無理やり臓器提供者(ドナー)から摘出したり、(移植に絡んで)金をもらったりしたことはない」と話した。


臓器売買事件発覚直後の10月2日に開いた記者会見で「今までの移植はすべて親族間だった」と説明したことには「今回(11件)は例外。うそをついたわけではない」と釈明した。

万波医師は、ドナーの病気は腎臓がんや腎動脈りゅうなどで、患者(レシピエント)にはがんが再発する恐れがあることなども説明し、同意した患者にのみ移植したといい、ドナーも摘出を望んでいたと説明した。〔共同〕
いくら何でもこの説明は無理がありすぎだろう。
全体の手術件数は77件、その内の11件だから14%で「例外」はないだろう。
しかも「取り出した腎臓が問題ない場合も他人にタダで渡しても良い」なんてコトを言う人間は居ないだろう。
どう考えてもこれでは説明になっていない。

読売新聞 摘出2病院、移植は知らず…病気腎 同意書提出なし
腎臓の摘出が実施された岡山県内の2病院が3日、読売新聞の取材に対し、移植に使われることを知らず、患者からの同意書も提出されていないことを明らかにした。

摘出手術を行った万波(まんなみ)廉介医師(60)(岡山県在住)は70歳代の女性から摘出した際、「病理組織を見るために持ち帰る」と病院側に話していたことも判明。
虚偽の説明で腎臓を移植した可能性もあり、厚生労働省や愛媛県は情報収集を始めるほか、日本移植学会も13日、臨時理事会を開き、対応を検討する。

宇和島徳洲会病院で、病気の患者から摘出した腎臓を移植したケースは11件あり、すべて廉介医師の兄で、同病院泌尿器科部長、万波誠医師(66)が行った。

岡山県東部にある公立病院によると、廉介医師はこの病院で週に2回、泌尿器科で診察を担当。
摘出手術を受けた女性は、同県内の医院で治療を受けていたが、腎臓がんの疑いがあるとして、公立病院に紹介され、今年6月に廉介医師の執刀で、摘出手術を行った。

終了後、廉介医師は「特殊な事例で、病理学の専門家に見せるために持ち帰りたい」と申し出たため、院長は腎臓を院外に持ち出すことを許可したという。

廉介医師は「女性は結果的にがんではなく、石灰化した組織がこびりついた状態で、石灰化部分を切除して移植した。
患者の了解は得ている」と説明。
ところが、院長は「腎臓がんなので摘出したと思っていた。移植は寝耳に水で、患者も知らないはず」と驚く。

また、同じころに、廉介医師が50歳代の男性から良性腫瘍(しゅよう)の腎臓を摘出したとされる岡山市内の大学付属病院も摘出後、腎臓が移植されたことを知らなかったという。

この病院は、移植に関係する手術は、院内の倫理委員会に諮るが、男性の事例は審議されていない。

廉介医師は「2例とも患者から同意は得ている。公立病院の院長には、口頭で説明した記憶がある」と語り、病院側の説明と食い違いを見せる。

誠医師は「臓器の提供を受けられず、困っている人のためを思った苦渋の判断だった。
(患者と臓器提供者の)双方に同意を得ているので問題はない」としている。
どうも摘出する側にはウソを言ったとしか言いようがないようです。
ウソを言ったとなると、これは臓器詐取ではないだろうか?
こういうデタラメを防止するのも倫理委員会の大きな役目であるはずだが、倫理委員会を開かなかったからすり抜けてしまったわけだ。

毎日新聞 「疾患腎移植:執刀医師「倫理より患者」と主張
売買事件の手術を担当した泌尿器科部長の万波誠医師(66)が取材に「倫理を持ち出されるが、私には患者の方が大事。患者の了解も得ている」と述べ、手術に問題はなかったとの認識を示した。
しかし、同病院では当時、倫理委員会がなく、臓器を摘出した病院でも11件のうち少なくとも5件は倫理委員会に、移植をはかっていないことも新たに分かった。
毎日新聞はこの問題の重大さを解説している。
■解説 移植の前提揺るがす事態に

移植医療はレシピエント(移植を受ける人)の生命を守るために、ドナー(臓器提供者)という第三者を必要とする特殊な医療だ。
そのため、ドナーの自発性や移植機会の公平性などが最も重要となる。病気を理由に摘出された腎臓が、宇和島徳洲会病院で他の患者に移植されていたことは移植医療の大前提を揺るがす事態といえる。

臓器の摘出は患者の身体に大きなダメージを与える。
慎重な判断が必要だが、今回の11例に関しては、移植できる臓器を本当に摘出する必要があったのかと、専門医から疑問が出ている。
また、ドナーとなった患者は自分の治療のために摘出に同意したのであり、その後、他の患者へ移植することを納得したからといって、もともと自発的な提供意思があったかどうかは分からない。
また「使える臓器を使う」という発想は、臓器の商品化を認めることになりかねない。

一方、レシピエント決定の経緯も不透明だ。
脳死や心臓死後に提供された臓器は、公平公正を期すため、臓器移植法のもとで、日本臓器移植ネットワークが重症度や血液型、待機日数などからレシピエントを選ぶ。

今回の移植は生体移植だが、ドナーとはつながりのない第三者に移植されている可能性があり、脳死などでの移植に形態は近い。
だが、宇和島徳洲会病院には10月まで倫理委員会はなく、医師の裁量でレシピエントが決められたかもしれない。
また、病気で摘出された臓器を移植されたレシピエントのリスクを、同病院や関係した医師らがどこまで配慮したか、疑問が残る。

同病院で腎臓移植を受け、命を救われた患者がいたことは否定できない事実だ。
しかし、移植の原則を無視して不透明な医療を進めてきたことは見過ごせない。
日本の移植医療への信頼を揺るがし、その普及を妨げることにもなりかねない。

【大場あい】
手続き的に不透明であること自体がトンでもない話しだし臓器移植法を初めとする法律や法律以前の医師の倫理といったところ問題があるとされても仕方ない亊案であるが、実際にどんな感じだったのかというと

iza(サンケイ新聞) 「万波医師「いいのあったら、やろうか」病気腎臓移植、患者に安易な斡旋
今年2月に病気の他人から提供された腎臓の移植手術を受けた50代の男性が、産経新聞の取材に応じた。
男性は昨年12月に同病院で母親をドナーに生体腎移植を受けたが、今年1月、移植した腎臓が機能しなくなり、入院しながら透析治療を始めた。
入院中、万波医師から「(腎臓の)いいのがあったらやろうか」と聞かれ、男性は「透析でも大丈夫だから無理してドナーを探さなくてもいいよ」と答えた。

しかし、2月に万波医師が「手術してみないとわからんが、(腎臓が)出るかもしれん。
だめならやらないから、期待しないでくれ」と予告。
その数日後に男性は実際に移植手術を受けた。

男性は、腎臓をもらった謝礼などはしておらず、要求もなかったという。
男性はドナーについて知らされていないが、同じ日に同病院で手術を受けた70代の男性患者ではないかとみている。

移植を受けた男性は20代からネフローゼを患っていた。
母親の腎臓をもらう数カ月前に症状が悪化し、自身の2つの腎臓を同病院で摘出した。

このとき万波医師から「あんたにはこの腎臓が合わないので取るしかないが、ほかの人には合うかもしれない。
その場合、ほかの人にあげてもいいか」と聞かれたという。
男性は「自分にはいらないので、捨てるならほかの人にあげてもいい」と万波医師に口頭で伝えた。

結局、男性の腎臓はほか他の患者に移植されなかった。
しかしこの経験から、ほかの患者が摘出せざるを得なくなった腎臓でも、受け入れに抵抗はなかったという。
どう考えればよいのだろうか?
肝臓移植では病気の発生までに何十年も掛かるからという理由で病気で切除した肝臓を移植することが行われているが、それと同じ事なのだろうか?

技術的にOKだとしても、未知の人の臓器を移植する医療を少数の医師の裁量で実行するのではまずいだろう。
一番分からないのが、移植した臓器が生着しないから取り出して別の患者に移植するというのは分かるが、びょきだとして取り出した臓器が問題なく移植できるものであれば、本人に戻すのが筋というものだろう。
この違いは天と地ほども違うわけで、そこをどう説明するのだろうか?

ちょっと想像しがたいことが起きたと言うことだろうか?

11月 4, 2006 at 10:12 午前 医療・生命・衛生 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2006.11.03

2回目の電子投票は実施せず、海老名市

神奈川新聞より「電子投票取りやめへ/海老名市選管
海老名市選挙管理委員会(坂田喬委員長)は二日、県内自治体で唯一導入した電子投票について、来年秋に予定されている同市長選・市議選では実施しない方針を決めた。
同市は電子投票実施を定めた条例の改正・廃止案を市議会に提出する予定。
開票のスピードアップなどを目的に関東で初めて導入された同市の電子投票だが、全国で先行導入した自治体の”電子投票離れ”が進む中で、撤退する形となりそうだ。

二〇〇三年十一月に電子投票が導入された前回の市長選・市議選では、電子データの投票者数が、実際に投票所で受け付けた投票者より多くなり、確認作業で開票が大幅に遅れたほか、落選者が当選の無効を求めて異議申し立てを行うなどトラブルが相次いだ。

市選管は原因について「機械の一時的な障害」と結論付けた上で、次回選挙での実施について協議を重ねてきた。その結果、機器の安定性など電子投票のシステムに不備が残ることなどから取りやめる方針を決定した。

総務省によると、電子投票はこれまで全国で計十三回実施されている。
現在、電子投票実施に関する条例があるのは海老名市を含め宮城県白石市や青森県六戸町など八自治体。
一方、福井県鯖江市など四自治体が高額な実施コストなどを理由に条例を廃止、撤退している。

電子投票の普及に向けた取り組みを続けている同省は、海老名市選管の決定について「正式に聞いていないが、これにぶれることなく普及を図りたい」としている。

同市選管の決定は六日に内野優市長に報告されるが、同市長はすでに市議会などで選管の意向を尊重する考えを表明しており、同市は条例の改正・廃止案を議会に提出する見通しだ。
記事中に紹介されている「2003年の電子投票でのトラブル」とは、電子投票について論評している佐々木俊尚氏が説明しています。

PC-Viewより「開票結果に混乱を引き起こしたハードウェアトラブル――神奈川県海老名市
海老名市の電子投票システムは、各投票機に入力された投票結果が、原本と複本の2枚のCFに保存される。
複本のCFにデータが保存される際、一部の票の読み取りエラーが生じていたというのである。
同市では投票者総数を複本のデータ集計結果から集め、各候補の得票数は原本から得ていた。
このため投票者総数と得票数総数が一致しない結果となったのだ。
今度の不一致数は5票。しかしこの5票のために、本来なら30分ほどで終わるはずの開票結果は大幅にずれ込み、最終確定は日付の変わった午前2時10分。
この日、同時に行われていた衆議院議員選挙の手作業による開票も大きな影響を受け、確定は2時50分にまでずれ込んだ。

ライトエラーの原因について、メーカー側は「エラーはCFドライブがOSから認識不能になる場合に発生しているようだ。
OSから認識不能になる原因は、ドライブへの給電状態が変わるなどハードウエア的な誤作動が考えられ、引き続きハードメーカーと調査している」と市選管に回答している。

原因は実に微妙なハードウエア的要因が介在していると思われる。
だがバックアップシステム自体に内在的な問題があったとも言え、設計ミスの一種といえるかもしれない。
さらに佐々木俊尚氏は自分のブログ「佐々木俊尚の「ITジャーナル」」で、一連の電子投票トラブルについて説明しているのだが、何よりも問題なのは投票無効の最高裁判決が出てしまったことだろう。
岐阜県可児市で2003年夏に行われた市議選の電子投票について、最高裁が(2005年)7月8日、県選管の上告を棄却し、選挙を無効とする判決が確定した。

2003年7月に行われたこの選挙は、10万人規模の自治体で行われる初めての電子投票で、しかも全国初のサーバー・クライアント型電子投票システムを使うという「初モノづくし」の選挙だったのだ。

実際に投票された数と、開票時に各候補者の得票数を合計した数字が食い違い、得票数の合計の方が6票も多くなってしまったのだ。
市選管の説明によると、ムサシの社員が投票所で電子投票機の操作をサポートしていた際、「タッチペンの反応が遅い」と有権者から苦情を受け、感度を調整している際に誤って白票を投じるボタンを押してしまったという。
この6人がその後、再び投票したため、開票数が6人分多くなってしまったのだ。

最下位当選者と次点の得票差は35票しかなかったことから、この次点候補者や有権者らが「トラブルがなければ逆転していたかもしれない」と県選管に審査を申し立てた。
県選管は「トラブルが選挙結果には影響していなかった」と退けたが、有権者らは名古屋高裁に提訴し、そして高裁は選挙無効の判決を下した。
これに対して県が上告し、そしてそれに対して今回の最高裁判決となったのだ。
わたしは電子投票にはかなり批判的です。
特にコストダウンメリットがあるというのは全くのウソだと判断しています。コストアップは相当莫大な金額になります。そもそも、夜中に開票作業をすることがいかにも大勢の人を雇用しているようにも見えますが、実情は行政職員が深夜残業をしているだけですからそんなに莫大な人件費にはなりません。

投票の範囲の可能性を広げるというの意味では、現在の日本の選挙制度が自分で文字を書くことで投票する世界的には珍しい、つまりはとそれ自体がハードルになっているという論には賛成しますが、それを改善するためのコストとして認めることが出来るのか?という問題になってしまうでしょう。現状でも病院などでは投票所に行けない人の投票が出来るようになっています。

また、各級選挙で投票方法が違うという問題をどう解決するのか?というかなり根本的なところに手を付けないのでは、どこまで行っても技術試験でしかありません。
その中で「高すぎでやってられない」と電子投票離れが起きるのは当然のことです。

はっきり言えば、これは電子版の公共事業そのものであって、費用対効果の検証をすることなく突っ走ってみたがうまく行かない、ということに過ぎないでしょう。

e-ジャパン構想によって行政の電子化が進み、多くは非常に有効であると思いますが大きなところで住民基本台帳カードの利用や、電子投票といったハードウェアが絡まるところで、どうも円滑に進んでいません。
何よりもメリットがはっきりしないのが進まない最大の理由でしょう。
まして、今回の海老名市の選挙のように「前回失敗した電子投票を再度実施することが出来るか?」となると、より一層のメリットを示すことが出来なければ現場としては受け入れがたい、となるのは当然かと思います。
理念だけで空回りしている、と感じますね。

11月 3, 2006 at 09:29 午前 国内の政治・行政・司法 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2006.11.02

ゆとり教育責任論

「履修偽装を考える」で紹介したTetsu=TaLowの雑記 「履修漏れ問題、一言だけ。」の締めくくりに
ちょっと違うけど

東大生にも蔓延!履修漏れ問題 「ゆとり教育」が国を滅ぼす(立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」)

これも。2006年問題が直結しているとまでは言わないけど、最近確かに講義が難しくなった。
なんというか、知識欲を感じる学生がどんどん減っているように思う。
講義で工夫しようと思うがそれにも限界がある。
と立花隆氏のコラムが紹介してあったからじっくりと読んでみた。

実に長くいくつかの実例を紹介しているのだが、上原先生も同じところに注目したのではないか、と思われるのが最後(7番目)のページにある
今年の大学新入生は、ゆとり教育のピークとなった「3割削減カリキュラム」で、育ってきた最初の世代の子供たちである。

さぞや「ゆとり教育」によって、心身ともにゆとりをもって、自発的学習能力が高い創造性豊かな子供たちが育ってきたのかと思ったら、全くさにあらず、その正反対なのである。

教師にいわれたことは、一所懸命、いわれた通りやろうとするが、
教師がインストラクションをあまり与えず、学生に自由に自発的学習行動をさせようと思うと、
全くだめという学生が多いのである。


自分で目標を設定して、その目標達成のためのプログラムを自ら作って頑張るということができない。「やる気」というものがさっぱり見られない。
これは社会人講師として高校で「サッカーロボを作ろう」という授業をやったときに非常に強く感じた問題点そのものです。 実際にどういうことをやったのかについては「新聞に出てしまいました」に紹介しましたが、この授業では
  • プラモデル工作の要領でロボット本体を作る
  • ロボットを制御するプログラムを作れるようになる
  • メカニズムとプログラムの両方を調節して相手チーム勝つ方法を見つける
ことが必要で、相談には乗れるけど教えることは出来ないという授業です。
今の高校生は立花隆氏の記事の通り「教師に言われたことを素早くやる」ことについては反射運動のレベルにまで達していますから、一部の確信的にサボる生徒以外は手抜きすることをしません。むしろ手加減を知らないと言うべきかもしれない。だから、普通の意味では「よく勉強する生徒」そのものなのですが、一人ひとり話してみると恐ろしいほど知識が少ない。

立花隆氏記事には東大生で公明党が与党であることを知らない学生が居た、という話が出てきますが質問してくる生徒が「本屋は行かないから」とか言い出すわけです。
高校生ぐらいの年代では知識の吸収が極めて大事な時期だと思いますが、だからと言って教える側が知識を全文用意してやるわけにはいかない「図書館で調べてこい」といったところが標準でしょう。

今はそれがインターネットであったり、本屋であったりするわけですが「本屋に行かないから」と言われてはその後が続きません。
この話になった生徒はそこそこ優秀だそうなので、困ってしまうのです。


サッカーロボ製作の授業は、細かいところまで数えると生徒は経験したことがないことばかりになりますが、それを少しずつ手伝っては「次は自分でやって」というのを繰り返していくと、段々と「出来ない」が減ってきてドンドン自分で進めるようになります。

その頃にプログラムに挑戦となるのですが、これも最初は「手も足も出ない」から始まりますが、プログラムを組んでテストするのはロボットの動きですから「なんでこんな動きになるのか?」は回りで見ているチームの仲間や先生にもすぐに分かります。
この段階で「やってみれば分かる」と切り替わって色々試したりすると、自然に相手チームとは別の考え方や作戦があることが分かってきて、ますます積極的になっていきます。

ゆとり教育とは本来はこのような学校の座学ではとうてい出来ないような体験をさせる時間だったのかもしれませんが、とてもではないですが「サッカーロボ製作」は全校生徒を対象に授業することは出来ません。
20人程度の生徒に7~8人の講師が教えて、費用もかなり掛かります。
なんとか省力化を考えなくていけないとは思います。
「ゆとり教育」をすればこのような贅沢な授業が自然に出来ると考えていたのなら、寺脇研氏はあまりに乱暴であったし、文科省もきちんとグランドデザインすれば「ゆとり教育さえ導入すれば」といったヘンなことにならなかったと思います。

いずれにしろ、わたしが関わっている高校生も上原先生や立花隆氏が付き合っている国立大学の学生にしても「試験勉強しかできない」が共通項のように思えます。
弱ったものであります。

11月 2, 2006 at 02:16 午後 教育問題各種 | | コメント (0) | トラックバック (1)

履修偽装を考える

公立高校の必修科目履修偽装は70時限の補習が必要な生徒が大半であるから文科省が各学校の判断で50時限まで圧縮した補習を実施すればよい、ということになったようですがこれを受けて色々な記事が出ています。

読売新聞社説 「“騒動”で見えた高校教育の課題
毎日新聞社説 「修不足救済 大学入試を大胆に見直せ
北國新聞社説 「文科省の責任も免れない
宮崎日日新聞社説(10月28日) 「大学入試を含めた検証が必要
毎日新聞 「補習50コマでも卒業 政府・与党、救済策合意
毎日新聞 「文科省の責任は大きい

といった記事が並んでいます。これらの記事を読んでも一応の事実関係は分かりますが、なんで全国レベルでこんなことになったのか?という背景が今ひとつ理解できません。
背景の背景とでもいったところは次の要素が大きいでしょう。
  • 少子化で高校の統廃合が進行中で個々の高校が地位確保のために進学成績を競っている
  • 大学も受験生を増やすために受験科目を減らした
  • 高校を上位校・中低位校といったように進学成績だけで評価している
とは言え今になって一斉に出てくるのはどういうことか?という面があるし、報道では「3年前から・・・」などと割と最近になって履修偽装をしているところが多いようです。これにも理由はあるのだろう?とは思ってもなぜかは分かりませんでしたが、京都大学の上原先生のブログになるほどねという解説が出ていました。

Tetsu=TaLowの雑記 「履修漏れ問題、一言だけ。
最近新聞を賑わしている履修漏れ問題。一応大学の側にいる人間としては、やっと表沙汰になってくれたなぁという気持ち。

ずっと薄々、けっこう広まっているのではないかという疑念を持っていたこの問題に直面させられたのは、今年が大学にとって新課程の学生を受け入れる最初の年で(俗に2006年問題といわれていた)その対応に迫られていたから。

特に我々、大学の情報教育担当者にとっては教科「情報」の導入効果が気になるところ。
そこでうちのセンターでは今年、新入生にアンケートをとった。その結果はDSMシンポジウムでもうすぐ公にするが、要するに新課程履修した学生のうち約25%が「情報A,B,Cとは別の教科を受けた」または「何も履修していない、覚えていない」と答えている(そのうち履修していないとしたのは約5%、覚えていないとするのが約2%)。

別の教科の中には職業科の情報の授業もあったり、また学生自身が受けていた授業の科目名をちゃんと把握できていないこともあるかもしれないので一概には言えないが、無視できない割合の学生が教科「情報」を履修していない可能性がある、ということはわかっている。
この結果は京大に限らずあちこちでささやかれたり、一部は公になったりしていて(いけなかったけど辰己先生のジョーシン06緊急特別企画は聞きたかった)、情報教育研究集会でも各大学の調査結果が発表されると思う。

世間は世界史に注目してるが、受験とは関係ないがゆえに「情報」もかなりないがしろにされているという感じだ。
「情報A,B,C」は2003年度から必修になった科目で、その最初の卒業生が2006年に大学に進学することになります。
中学で学んでいたことを高校に移したりしています。
かなり混乱気味であったことは確かで、その中には「円周率を3として良いのか?」なんて騒動もありました。
それらがまとまったのが今回の必修科目履修偽装問題であったと言えるのでしょう。

「大学入試を見直せ」という論も多いのですが、大学が独自に出来るものではなくて文科省が全体のデザインをどう考えるのか?によるところが大きいでしょう。
そもそも、新課程や学校の週5日制などは基本的には現在批判が高まっている「ゆとり教育」から出てきているものでしょうから、例えば必修科目の厳守を確認にするという広島県の教育委員会が各校の時間割をクロチェックするというような方法は単に無理をしているだけで解決策とは言えないだろう。

もちろん、週5日制から週6日制にするとか、一日6時限制を7時限制にするといった方法でもダメだろう。
韓国では大学進学率が85%とか言われていますが、そのために高校生の勉強は夜の9時頃まで続くのが当たり前とのことで、進学率を考慮すると高校全員が一日中受験勉強をしているようなことになります。
いくらなんでもこれはマズイでしょう。

要するに、文科省は教育全体のグランドデザインをきちんと作っていないのではないだろうか?
少子化によって若者は社会にとってより貴重な存在になるのだが、貴重な存在だから保護して何もさせないのでは意味がない、大いに活躍して欲しいわけでそのためには大学だけが進路ではないことは明らかだ。

小学校・中学校・高等学校と並んでいて、中学までは義務教育であるから小学校と中学校での学習内容は一体のもので完結するというのは了解できるが、それを高校まで拡大して小学校・中学校・高校で一体です、とすることは良いことなのだろうか?実態が高校全入だからといって一体化して考えて良いものか?

その先に、大学も一体となると韓国のようなことになってしまう。
高校が、総合高校や単位制高校が出来たことで個性的な生徒が居られる学校が出来た事実もあるわけで、学校制度では各学校の段階というものも確立する必要があるのだろう。
必修科目をやったかやらなかっただけを問題にしてはいけないことがようやく分かってきた。

11月 2, 2006 at 10:20 午前 教育問題各種 | | コメント (3) | トラックバック (1)

2006.11.01

新幹線新駅騒動その10

「新幹線新駅騒動その9」では、新駅設置を見直すという方向のでの記事やその背景を紹介しましたが、これには10月末に設置協議会と県がJR東海に10月分の負担分を支払う締め切り日だったからです。

色々なことが起きたようです。

10月30日
栗東市議長が辞任」 読売関西より
栗東市議会が新駅工事費支払い差し控え決議」 滋賀報知新聞より
JR東海会談拒否 滋賀県、予想外の展開に困惑…負担金問題」 読売関西より
支払い延期JR拒否 凍結巡り混迷深まる」 読売関西より

10月31日
滋賀新幹線新駅 負担金支払い「待って」 促進協、JRに猶予求める」 産経関西より
JR東海、支払い延期要請を門前払い」 読売関西より

元々は滋賀県知事選挙で新駅設置見直しを公約にした嘉田氏が当選して、県が新駅設置見直しに動き始めたのですが、地元の栗東市長選挙では比較多数で新駅推進派の国松正一市長が再選されました。

10月末がJR東海と契約した支払期限であったのですが、10月28日に促進協議会の会議が非公開で行われ、その結果について、県は「促進協議会に参加している6市長も支払い延期に同意」と発表しましたが、国松栗東市長はこの会議の結果を「6市長は支払に同意した」と発表して何か起きているのか良く分からない状況になっていました。

10月30日に栗東市議会では「支払差し控え決議案」が賛成十人、反対九人で可決されました。
市議会議長は「見直し派」で議長辞職届けを提出し、10対8の賛成多数で辞職が許可されました。
こんなことになるのには「新幹線新駅騒動その7」で紹介した、市の起債計画が大津地裁によって地方自治法違反と判決が出たためでもあるでしょう。

そこで県は支払い延期要請の会談ををJR東海に申し出ましたが、JR東海は会談を拒否しました。
県は29日、「30日午前中には日時を決定する予定」と発表。
同社に訪問後の嘉田知事や担当者の会見なども想定して準備していた。

しかし、結局この日は同社側に拒否されたまま、結論を出すことができず、午後7時から県政記者室内で、同社とのやりとりについて新幹線新駅問題対策室の川口逸司・政策理事と堺井拡・同対策室長が「JR東海の了解を得られなかった」と説明した。

目片信・大津市長は「双方の考えを否定するつもりはないが、JR側がきちんと話をしようとしないのはいかがなものかと思う。
『請願駅』であるという固定観念を捨て、県民、市民の思いを踏まえながら議論すべきだ。
市としては、県の意向に従うという方針に変わりはない」と話した。
と大混乱の様相になってきました。
JR東海は促進協議会が契約のとりまとめを行う相手側という立場のようで、さらに促進協議会を代表する窓口が栗東市なので県が促進協議会の頭越しに支払い延期要請の会談を持ちかけても受けることは出来ない、ということなのでしょう。

促進協議会が支払い延期さらには新駅設置の延期や取り止めといった合意をしない限り、JR東海は公式には協議には乗れないでしょうからこれは長引きそうです。

11月 1, 2006 at 09:29 午前 国内の政治・行政・司法 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.10.30

脳内カーナビ、あるに決まっている

朝日新聞より「脳内に「カーナビ」機能の細胞 日大などのチーム発表
脳の中に、カーナビゲーションのような道順を記憶する神経細胞(ニューロン)のあることが、日本大学の泰羅(たいら)雅登教授(認知神経生理学)、米ロチェスター大学の佐藤暢哉研究員らの実験で示された。

特定の場所を通過すると活動したり、同じ行動でも目的地が違うと活動しなかったりする神経細胞が頭頂葉内側部にあることを確認した。
カーナビと同じく道順を示す「ルート知識」の機能を、細胞レベルで裏付けたのは世界で初めてという。

泰羅教授は「頭の中にカーナビがあると考えるだけで楽しい。
日本シリーズの結果を気にしながらでも自宅に帰れるのはこうした神経細胞のおかげだ」と話している。
まぁ直感的にはその通りだと思いますし、学問的には面白いかもしれないけれども庶民としては「今までそんなことも分かってなかったの?!」という感じですね。

実はわたしは子どもの頃から方向については自信があるのですが、同時に限界もよく承知しています。
日本海側に行くと反対方向に走ってしまうことが何度もありました

富山空港から高速道路に乗って、逆向きに走ってしまって一つ先のインターチェンジでUターンを複数回やっています。(^_^;)

どういうことかと言いますと、わたしは横浜市の住人ですから河が右から左に流れる、つまり向かって左手が低い地形だと西に向かっていると染みついているのです。
これが日本海側だと反対になるわけですが、自動車で行けば慣れるものが飛行機で行くと「太平洋側感覚」のままなんですね。

その他、夜になると方向を間違えますから太陽の向きを参照しているのは間違えなく、たぶん南半球に行くとこれまた反対向きに動きそうです。

周囲の観察をしないでも覚えた道をたどる能力はある、というのがこの研究の注目点なのでしょうが、わたし自身は頭の中で地図を常に参照しているところがあって、カーナビの地図の向きを北を上向きにしないと気分が悪いのですが、知人には「信じられない」とか言われています。

人や動物が行く手の方向の決定や、安全の見通しについてどんな情報を総合的に考えているのか?という研究はまだまだやることがあるでしょう。

10月 30, 2006 at 05:45 午後 日記・コラム・つぶやき | | コメント (1) | トラックバック (0)

2006.10.29

パワードスーツ量産開始

読売新聞より「筑波大開発のロボットスーツ実用化へ
筑波大学が開発した、手足の力を増強するロボットスーツ「HAL」が、国内外で評判となり、実用化されることになった。来年には茨城県つくば市内に生産工場を開設し、量産体制に入る。

当面は年20体程度の生産体制を敷き、2008年には年間400~500体に生産ラインを拡大する。

値段は医療機関向けには約500万~700万円になるが、個人向けにはレンタル料(月7万円)と維持費だけに抑える予定だ。来月上旬、つくば市内の病院に実用化第1号の製品を納入する。
パワードスーツの量産とはすごいです。
テレビで紹介されたときには障害者向けの研究をしていましたが、自動車のパワーステアリングのようなもので、パワーアシストなので障害者向けは難しいようです。

ロボット展で「他人が着てすぐ使うことが出来るのか?」と聞いてみたら「出来ない」とのことで使う人にあわせたチューニングが必要とのことでした。

研究当初のモデルに比べて、ロボット展(記事の写真だと思う)の頃にはモーターの小型化などまるで別の形になっていて「実用化は近い」と感じました。
どこら辺に性能とコストのバランスを取ればよいのかはフィールド試験の必要があるでしょう。その意味でも量産して使用者を増やすことは必要です。

すごい時代になったなぁ。

10月 29, 2006 at 11:19 午前 もの作り | | コメント (0) | トラックバック (0)