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2006.10.28

中西裁判に思う

昨日(10月27日)は環境ホルモン裁判の証人調べで原告の京都大学の松井教授の証言がありました。
証人尋問というくらいもので、原告被告それぞれの立場の証人に対して、最初は証人を立てた側つまり今回は原告側の弁護士が一通り質問して、反対尋問を被告側弁護士が行うという手順になります。

この裁判の概略は「中西裁判・応援のお願い」などに書いてありますが、正直のところ「どこが名誉毀損だか分からないから、それを知りたい」というのが継続して傍聴している最大の理由です。
広い意味ではネット上で情報発信している人にとっては、いつ何時このような裁判を起こされるのかもしれない、という点からも注目しています。

法律上の名誉毀損は刑法と民法に定義されて以下の通りです。
刑法 第二百三十条 名誉毀損
  •  公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
  • 2 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。

民法 第七百十条 財産以外の損害の賠償
  •  他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。
注目するべきは、民法は名誉を財産以外のものであって損害外賠償の対象になるとはしていますが、どうすれば名誉毀損に該当するのかは一切示していません。
このため、民事裁判に於いても名誉毀損についての判断は刑法をそのまま踏襲しているとのことです。
現実問題として名誉毀損で逮捕といったことになるとビックリするぐらい珍しいことで、多くの名誉毀損事件は刑法による解決ではなくて民事裁判による損害賠償請求訴訟によって解決しています。

環境ホルモン裁判についての感想は「掲示板」にアップされていますが、多くの方が「どこが名誉毀損なのか分からない」と発言しています。 私も含めて「中西応援団」の人にとって根本的な問題は「なぜ中西先生の雑感の記述が名誉毀損に相当するのか?」です。

最初はこの疑問が「わたしの理解が足りないからなのだ」と思っていたのですが、ひょっとすると違うのかもしれない、と思うようになりました。


何度か「名誉毀損裁判で被告になると大変だ」と書いていますが、普通(環境ホルモン裁判が普通ではないから、注意書きを付けないといけない)

名誉毀損裁判で被告になると
「被告が潔白を証明しない限り負けます」

庶民の常識では裁判とは訴えた方に証明の責任(挙証責任)がある、と理解していますから、名誉毀損裁判でも「被害者は名誉を毀損されたことをどうやった証明するのだ?」と考えてしまいます。
これが名誉毀損裁判では逆で「被告は名誉毀損に当たらないことを証明する義務がある」となっています。

この庶民常識に反するというか、理解しにくい問題はどうも刑法の名誉毀損の規定を作ったときの状況が反映しているように思います。
元々普通の社会に於いて人を誹謗中傷したり、罵ったりすることはいつでもあることですから、そのすべてを法律で取り締まるのは無理があります。
平たく言えば程度の悪いのを法律で裁こう、という考え方なのでしょう。
刑法 第二百三十条 名誉毀損
  •  公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
これを犯すと刑法上の名誉毀損が成立します。行為としては「公然と」が最重要なポイントでしょう。
この規定がいつできたのかはっきりませんが、刑法が出来たときであれば明治40年(1907年)の事です。

謄写版の発明が1894年だそうで、日清戦争(1894-1895)で大量に使われそうです。
日露戦争(1904-1905)では史上初めての海上から無線通信が使われました。

刑法が誕生したときの時代背景がこのようなものですから、「公然と」が単なる悪口や落書きとは全く違う悪意を持って、かつかなりのお金を掛けて相手を誹謗中傷する、といった場面に適用になったのではないか?と考えます。
つまり「公然と」とは個人の悪口や落書きではない手段、を指すのでしょう。
逆に言えば、個人の悪口や落書きは法的処罰の対象にはならない、という考え方だと思います。

明治時代に個人以上の力で名誉毀損に当たる情報を発信できたのは、新聞や雑誌などだったのでしょう。
つまり、新聞社や出版社が会社の力を使って個人の名誉を毀損することに対抗する法律、といった意味だったのだと思います。
事実、週刊誌ではほとんど常に名誉毀損裁判があると言っても過言ではなく法律は昔の論理のままでも機能しています。

こういう背景を考えると「名誉毀損に相当する記事を書くのは確信犯なのだから、名誉毀損に当たらないと主張するのは書いた側の責任だろう」となるでしょうし、「名誉を毀損する記事の実物があるのだから、被害者が被害が実際にあったことを証明する必要はない」ともなっているのだと理解しています。

名誉毀損についての法律が割と大ざっぱな定義しかしていないのは、名誉毀損の構図が「会社対個人」といったものだけだとしているからではないでしょうか?
しかし、いまやインターネット環境では名誉毀損も「個人対個人」になってしまっているので「会社だから」と言った前提で運用するのは無理になってきました。


ようやく本題ですが(^_^;)、環境ホルモン裁判で「名誉毀損の実態とは何なのさ?」ということなってしまうのは、刑法では実際には警察・検察とフィルターがあってようやく起訴から裁判となります。あまりにアイマイで何が名誉毀損なのか分からないでは、起訴に至らないでしょう。

ところが、

民事裁判では「名誉毀損とは何か?」かが
どこにも定義されていません。

何で今まで、これで裁判が出来たのか?というと刑法で採用されている論理をそのまま使って、判例を積み上げてきたからだ、なのだそうです。
そのために、民事裁判でも「被告側が名誉毀損に当たらないことを立証する必要がある」として運用されてきました。
しかし、前に書いたとおり刑法上の論理は「被害者(原告側)がわざわざ立証するまでもなく、加害者(被告)は明確に名誉毀損に当たる何からの情報を発信しているはずだ」となっています。
だからこそ、裁判の進行に於いて「原告側の名誉毀損事実の立証は不要」とされてきたのです。

ところが環境ホルモン裁判ではどうもこれが問題になりそうです。

ごく常識的に、批判を許さないということはありませんから多くの名誉毀損裁判で「単なる批判であるから名誉毀損には当たらない」という主張がなされます。
もちろん批判によって相手に経済的な打撃を与えると「批判ではあるが、経済的な打撃は・・・」なんてことになるでしょう。この段階では、名誉毀損によって具体的な損害が発生したから賠償するべきだ、という議論になります。

名誉毀損裁判の問題点として指摘されるのが、賠償は基本的に経済的損失を評価してそれを賠償する範囲に止まるので、名誉毀損裁判で勝訴しても名誉感は回復できないということがあります。他の方面としては経済的な損失が少ない主婦などと、大会社の社長といった立場の違いで賠償額が大幅に変わってしまうのは、社会的に納得しがたい、という議論もあります。

多大な経済的な損失を発生させる名誉毀損事件が大事件扱いされるのは、社会的常識に合致しますが同じような例えば不倫事件のスクープといったものでも社会的立場で評価が変わるとは、名誉を毀損することとそれによって生じる経済的損失などその他の事情を、車の両輪のように評価するのが名誉毀損裁判であるのでしょう。

そこで、環境ホルモン裁判ですが原告が名誉を毀損されたという主張が理解できないのですから、せめてどういう損害が発生したのかを説明して欲しいと思うわけですが、それもありませんでした。
さらに、今回の事件の始まりは松井教授のプレゼンテーションでいきなり京都新聞のコピーが出てきて「これからナノです」と説明したから「分からない」と中西先生は論評しました。 その後に「学者たるものは・・・・・」となるのですが、この「分からない」という部分について松井教授は「専門家であれば、絵を出せば言わんとすることは分かる」と証言しました。

また、京都新聞のコピーは細かい記事は会場では読むことは不可能だったと思いますが見出しに「脳に蓄積」とあって、弘中弁護士が「新聞を紹介することがポイントなのか?」といった趣旨の尋問に対して松井教授は「前の説明と一連のものだ」と証言しているので、これは「ダイオキシンとナノ(粒子)には研究として連続している」という主張であるように受け取れます。
もしそうであるのなら新聞を出す代わりにもっと分かりやすく「ダイオキシン→ナノ粒子」といったページを作れば誰も驚かなかったろうと思うのです。

ネット上の名誉毀損裁判では、何度か原告側の意図が理解できない裁判がありましたが、環境ホルモン裁判はかなりそれに近いなと、感じます。


それにしても、刑法上の法律運用を民法にそのまま適用すると、民法には何をすれば名誉毀損に該当するのかが書いてないのですから、誰でも根拠無く訴えられる可能性がありその場合の防御に莫大な手間と費用が発生するのですからシャレになりません。何らかの裁判に至らないでも済むような方法が必要だと思います。

10月 28, 2006 at 04:34 午後 裁判傍聴 | | コメント (3) | トラックバック (1)

三菱ふそうトラック、またもハブ破断

毎日新聞より「三菱ふそう:リコール対応の「ハブ」また破断
三菱ふそうトラック・バス(東京都港区)の大型トラック「スーパーグレート」(25トン)が今月17日、鹿児島県で車軸とタイヤをつなぐ「前輪ハブ」が破断し、タイヤが脱落する事故を起こしていたことが分かった。

今回の前輪ハブはリコール時の交換品として使った強度が高い「Fハブ」だったことから、同社は極めて重大な事案として27日から詳しい原因調査を始めた。

運転手が走行中に右前輪の異音に気づき、近くの空き地に駐車させたところ、前輪ハブが破断し、右タイヤがホイールごと落下していた。左前輪ハブにも約20センチの亀裂があり、危険な状況だったという。トラックは97年製で走行距離は約92万4000キロだった。

ハブとホイールの接触部分の摩耗は交換の目安となる整備基準値の約1.5倍に進んでおり、ハブに大きな圧力が掛かっていたとみられる。

原因について同社は「本来なら車検で交換する必要があり、想定していなかった数値」と整備上の問題点を示唆。トラックは8月に車検を受けたが、問題点は指摘されなかったという。

しかし、Fハブが100万キロの走行に耐えられる安全性があり、国交省も強度を認めていたのに、今回約92万キロで破断したことから、同社は96~98年製のFハブ使用の大型トラック約1万台から100台を抽出し、実態調査を行う方針。Fハブは現在、同社の全大型トラック約18万台のうち、約15万台で使われている。
2004年にわたしは一連の記事を書いて基本的に設計不良であろうとの判断を述べました。
毎日新聞記事の中にある「Fハブ」とは
元々ハブにはA~F型があり、1983年から逐次変更されてきた。 最初にハブ破損事故を起こしたのがB型で、対策としてD型を作ったがこれが、横浜市の死亡事故を起こした型である。
つまり、B型の破損事故対策のためにD型に変更したはずなのに、破損対策になっていなかったわけだ。

B型の破損原因は(ぜひとも、会員登録して図面を見て欲しい)機械屋の用語で言う「内角」のR不足であった。
当然、対策部品であるD型では「Rを大きくする」はずであろう。
ところが、日経ものづくりの説明によると。

付け根の隅Rを大きくするには,付け根と接触するブレーキドラムの金型も新たに設計しなければならない
こんな経過を経て、F型に至るまでに基本形状を変えずに材質強度の向上によって対策が出来た、とされてきました。

確かに基本形状を変えるのは、ブレーキからサスペンションを全部取り替えるようなものですから、リコールで部品交換をして対策できるようなものではなく、車輌そのものの交換に等しくなるでしょう。
しかし元々がトラックのハブというのは、おそらくは戦前から根本的な構造には変化がないもので他社では問題なく機能している部品が、ちょっと摩耗したら破断します。というのは常識的に通用する話ではありません。

それを材質強度を高めたから抜本的に解決した、という解釈も不可能なことで言わば時間を先延ばししただけの効果しかなかったといえるでしょう。

今後は、点検期間を短縮してドンドン交換することになるのでしょうが、それでは使用者の方が困ってしまうわけで、どうするのでしょうか?

10月 28, 2006 at 01:30 午後 もの作り | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.10.27

2月2日は情報セキュリティの日なんだって

サンケイ新聞が始めた iZa(イザ)にはまっております。
基本的にはニュースサイトなので ZAKZAK と同じようなものですが、ブログ機能があって記事に直接コメントできます。
さらに面白いのは、記者プログがあって新聞記事にはならないような取材メモを元にしたブログが沢山あってこれが面白い。

最近になってチョコマカ見るようになったのですが、ヘンなのを見つけた。

夜討ち朝寝坊日記より「情報セキュリティの日
本日開催の第8回情報セキュリティ政策会議(議長・塩崎恭久官房長官)で、2月2日を「情報セキュリティの日」と定めることが決定されました。

この「情報セキュリティの日」を記念し、情報セキュリティの重要性への認識を広めるため、この分野で貢献のあった団体・個人へを表彰するほか、シンポジウム、セミナー、フォーラムなどなど全国で関連イベントを行いたいとのこと。しかし、主催者やスポンサーを募集中で概要はどうも未定のようで、メディアにぜひエントリー願いたいという話なのです。

きちんと知りたい方は内閣官房情報セキュリティセンター(NISC)のホームページへ。
(°Д°)ハァ? なわけです。

それで「内閣官房情報セキュリティセンター(NISC)」を見に行きましたよ。
(リンクを貼ってない、佐々木記者にも???ではありますが、検索すればすぐ出てくる)
さらに「 第8回会合(平成18年10月25日) NEW」という見たらPDFで報道発表資料が並んでいた。
第8回会合(平成18年10月25日) 会議終了後の報道発表資料

議事次第

資料1-1 「セキュア・ジャパン2006」の進捗状況について
資料1-2 「セキュア・ジャパン2006」に盛り込まれた施策の実施状況
資料2-1 「情報セキュリティの日」の概要
資料2-2 「情報セキュリティの日」について(案)
資料2-3 情報セキュリティの日功労者表彰要綱(案)
資料2-4 情報セキュリティ政策会議の後援等名義の使用について(案)
資料3 江畑構成員意見
資料4 小野寺構成員意見
資料5 金杉構成員意見
資料6 野原構成員意見
資料7 前田構成員意見
資料8 村井構成員意見
これが全部PDFだから、全部を見る気にはならないわけで、とりあえず「資料2-1 「情報セキュリティの日」の概要」を見てみた。

Up1_1
表彰ねぇ?そりゃまぁ一生懸命やってきた人たちは何人も存じ上げているけど、インターネットに限って言えば広義のセキュリティは大勢のボランティア管理者によってブラッシュアップされてきたのであって、誰かが旗を振ったというのとは違うだろう。
かなり多くの人が「あなたを表彰します」と言われたら断るのではないかな?

10月 27, 2006 at 08:05 午前 セキュリティと法学 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.10.26

有害情報削除は可能なことか?

サンケイ新聞より「大麻は消して! ネット有害情報削除に指針 総務省
わいせつ情報や麻薬などインターネット上に氾濫(はんらん)する違法・有害情報の削除方法を検討していた総務省は25日、ウェブサイトの管理者が削除しなければならない情報の具体例を列挙し、どの法律に抵触するかなどを明示したガイドラインを作成した。
今後、業界などから意見募集を行い、11月末をめどにガイドラインを公表する。
そもそも、ネットワークの掲示板などの管理者は内容を見ているという前提はパソコン通信時代のフォーラムの形にとらわれているのではないだろうか?

多くの人に記事を見せることがある種のコミュニティであると仮定すると、一対一のメール以外をすべてコミュニティと考えことができます。

しかし、その形には色々なものがあり得るわけで、誰が管理者で何を管理しているのか?が一義的に決まらない。

通信全体の大半を管理しているのはNTT東西だろうが、総務省も記事削除をNTTにやらせることは考えていないだろう。

現実的に不可能なガイドラインを作ってどうするのだ?

10月 26, 2006 at 11:14 午前 ネットワーク一般論 | | コメント (0) | トラックバック (0)

必修科目やらない理由

北國新聞社説より「必須科目教えず ルール無視にもほどがある
富山県立高岡南高校で、必修とされている世界史の授業を実施していなかった問題が、全国的に意外なほどの広がりを見せていることに、あ然とさせられる。

新たに履修不足が発覚した高校は、全国で六十校以上に上り、石川県では星稜高校の三年生全員が世界史にとどまらず、音楽や保健など受験に無関係な多くの必修科目を履修させていなかった。

このままでは三年生全員が卒業できず、補習授業を集中的に行う必要があるという。高岡南高校より深刻なケースである。

高岡南高校は受験に必要な科目に絞って勉強したいとの生徒の要望を受け入れたと説明しているが、これは学校側の言い訳でしかあるまい。
星稜高校は受験勉強をさせるためだったことを認めており、県に対して誤った報告をしていた。
北國新聞の社説では意見が言えるから一番踏み込んだ報道になっているように感じます。
新聞各紙の報道は意外なほどにデータだけという背景はもちろん問題についても書いていません。
新聞記事を並べてみると、朝日新聞はほとんど報道していないですね。
読売新聞は「必修科目の履修漏れ、11県65校で…読売新聞調査」を書いています。

しかし、どうも記事が今ひとつで最初に報道された富山県高岡の事例が、必修である世界史を履修せずに日本史を履修したことが一種の学校側の手続きミスのように取れる報道になっているところが問題だと思っていました。
厳しい現実を報道しているのは北國新聞のニュース記事です。「星稜高683人未履修 3年全員、卒業単位不足 音楽、世界史など必修5教科
星稜高(金沢市)は二十五日、現在の三年生六百八十三人全員が学習指導要領で必修とされている音楽などの授業を受けておらず、卒業に必要な単位を満たしていないことを明らかにした。
同校は石川県総務課に単位数などを改竄(かいざん)した虚偽の教育課程表(カリキュラム)を提出しており、「生徒の未履修は五年前から続いていた」と説明した。
同校は冬休みに補講し、卒業時期を遅らせてでも補いたいとしている。

星稜高によると、三年生全員が卒業に必要となる音楽の単位が不足。
進学コースのA、B二コースのうち、Bコースの理系生徒二百三十一人が世界史や家庭、情報、保健を含む計五教科で単位が足りていない。

三年生が来春卒業するには、音楽については五十分授業を三十五回受ける必要がある。
Bコース理系の生徒は、五教科全部で六単位が不足しており、

五十分授業を二百十回

受けなければならない。
1日6時限授業だとして、35日間、7週間、普通の授業体制なら2ヶ月分の時間を要することになります。

当初、高岡南高校での必修科目の世界史を抜かしたことの説明は、地理・歴史について世界史・日本史・地理がそれぞれABに分かれていて、合計6科目から世界史を必修として2科目を選択するということろを、日本史A、地理Bを選択するといった組合せをして「日本史をやれば、世界史も入るから許されるだろうと思った」という記者会見をしていました。
つまり事務上の錯誤であるかのように述べたのですが、実態は大学の入試にで歴史・地理が出題されないから、やらないでも構わないとしたのが理由であったのは明らかです。

新聞記事が伝えていていないのは、なぜこんな事態が起きたのか?でしょう。
例えば受験に英語や数学が必要だというのであれば、英語を集中教育するなど教科を積み上げる方向にならなかったところに大問題があると思います。

現在の受験技術の中で大きなものが「出来る問題から解く」というのがあります。
すべての問題を見渡して出来る問題を瞬間的に見抜いて、確実に点が取れる問題から解くのです。
進学校がやっていることは、この見抜いて解くを反復トレーニングしているのであるとは教育の専門家が京津して述べているところです。
この手法の大きなところは、出来ないことをやるのはムダだ、という発想があるところで、それが受験に出ない教科はやらない方がよい、となっていったのでしょう。

わたしは問題の本質が、教科を履修しなかったことにはないと思っています。
実際に「受験に関係ない話だから、聞かないでも良い」といったことを前提にして授業を進めたりするところを確認しています。
これは、学校のランキングを進学率だけで見て上位校・中低位校と決めたりしていることも大きな理由でしょう。

高校では普通の社会人になるために必要な訓練をすることも絶対に必要ですが、その高校で「受験勉強以外はムダだ」とやっているのですから、話にならない。
もちろんすべての高校やすべての教師がこのような方向に向かっているのではなく、中低位校ではむしろ社会で必要なことをしっかり教える方向に向かっているし、優秀な私立ではいわゆる文武両道といった総合力を高める教育を今も続けています。
結局、教科の中抜きをするような方向性は、進学校の2番手ランクに集中することになるようで具体的には公立高校の進学校に多く見られるとなります。

大学も入学者を確保するために問題を易しくし、受験科目を減らす傾向がありますが、英語と数学といった科目別の試験を止めてしまったらどうでしょう?英語で数学の文書を出すのだが、その中身は新聞記事を解釈しなければならない、といった具合ですね。

簡単な問題から解く、といったテクニカルな手法が通用しないようにすることが必須です。
頭の良い生徒があまりに知識の幅が狭いので怖くなります。

10月 26, 2006 at 11:03 午前 教育問題各種 | | コメント (3) | トラックバック (5)

2006.10.25

新幹線新駅騒動その9

「新幹線新駅騒動その8」の続きですが、読売新聞社説に「滋賀新幹線新駅 原点に戻って再検討すべきだ」が出ました。
昨年、県や関係市などとJR東海が工事契約を結び、自治体が工費の大半240億円を負担するとして、2012年度の開業に向け、今年5月に着工した。

地方財政の状況はますます厳しくなっている。進行中の事業であっても再検討の目を向けるのは当然のことだ。

もともと新駅建設には、「開業10年後の自治体税収増113億円の県の予測は過大」「アクセスが不便で、『のぞみ』も止まらない」などの批判があった。

推進派が支えにしてきた県の需要予測も、見直しの結果が近く公表されるが、下方修正される見通しだ。
この中に出てくる「開業10年後の自治体税収増113億円の県の予測」の見直しが出たようです。

京都新聞より「税収113億円から半減 栗東新駅問題 経済効果県再検証
新駅開業10年後の1年当たりの県や周辺市町の税収予測が、前回の経済波及効果の調査で出た予測113億円から半減することが24日、滋賀県がまとめた再検証結果で分かった。

再検証結果によると、税収効果は上位が82億円、中位54億円、下位38億円。1年当たりの消費・生産効果は3770億円としてきたが、上位でも2539億円で、中位は1677億円、下位は1166億円だった。

また、開業10年後の県人口予測は、新駅設置にともなって2003年度比で4万5000人増えるとしていたが、再検証では、上位でも2万4000人で、中位1万6800人、下位1万800人と続いた。

経済波及効果は、県や栗東市などでつくる駅設置促進協議会が2004年にまとめた。

県が、2005年度国勢調査や観光入り込み客の推計など最新のデータを活用して再検証を行った。
その結果、開業10年後の県人口は140万7000人と、当初予測よりも約10万人も少なくなるなど、前提条件が大きく変わったことが影響したとみられる。
公共投資の計画の多くが人口増加を前提にしている事が問題だとは以前から言われています。
ある地方議員が「そんな人口の増加をどうやって見込むのだ?」と担当者に聞いたところ「魅力的な地域になると、人が移ってくる。自然増加だけではない」と言ったそうです。

つまり税収のために人口の奪い合いといった面があるわけで、それ自体は住民にとってはよいことですから、大いに推進して欲しいわけですが、注意するべきは過剰投資ですね。

夕張市の例では投資はしたがアテにしていた観光客が伸びなかったという例もあります。


「新幹線新駅騒動が露わになってきた?」に書いたとおりに、新幹線新駅の設置は周辺整備事業とセットになっていて、これまでに177億円を注ぎ込んでいるようです。
これは用地買収費用でしょうか?
新駅の建設費は総額が250億円で、地元が240億円を負担、その中の117億円を県が負担することになっていました。
嘉田県知事は、この117億円の支払を止めると宣言して当選しました。

一方177億円を掛けたらしい用地買収の単価は「一平方メートルあたり三十二万七千円」とのことですから、これではこの土地で何をするにしても、ちょっと事業自体が成り立たないのではないでしょうか?

177億円の土地を単価32万7千円で買収したとすると、5万4千平方メートルにしかなりませんね。
どういう事になっているのでしょうか?

10月 25, 2006 at 09:30 午前 国内の政治・行政・司法 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2006.10.24

裁判の予定【追記しました】

裁判の予定です。

10月23日にホームオブハート事件の内、損害賠償事件について結審して2月26日に判決が出る予定になりました。

環境ホルモン事件は原告側・被告側の証人調べが決まっていますが、内容は原告・被告の本人だけですので、12月1日の後は、最終弁論・判決ということなるのではないかと予想します。

10月27日平和神軍HP名誉毀損刑事裁判東京地裁426号法廷 13:30~
10月27日環境ホルモン原告側証人調べ横浜地裁502号法廷 13:30~
11月9日聖神横浜教会事件小学生虐待横浜地裁609号法廷 16:40~
11月14日ホームオブハート名誉毀損東京地裁611号法廷 13:10~
11月20日平和神軍HP名誉毀損刑事裁判東京地裁426号法廷 13:30~
12月1日環境ホルモン被告側証人調べ横浜地裁502号法廷 14:00~
12月4日ホームオブハートMASAYA裁判東京地裁607号法廷 13:10~
12月11日平和神軍HP名誉毀損刑事裁判東京地裁426号法廷 13:30~
1月16日ホームオブハート名誉毀損東京地裁611号法廷 13:10~
2月26日ホームオブハート損害賠償判決(予定)東京地裁611号法廷 13:10~

10月 24, 2006 at 02:26 午後 裁判傍聴 | | コメント (0) | トラックバック (0)

新幹線新駅騒動その8

「新幹線新駅騒動その7」の舞台となった栗東市の市長選挙がありました。
京都新聞より「栗東市長に推進派の国松氏 新幹線新駅 凍結派新人破る
新幹線新駅設置問題が最大の争点となった栗東市長選は22日投開票され、新駅「推進」を訴えた現職の国松正一氏(59)=自民党滋賀県連推薦=が、前栗東市議の田村隆光氏(49)=民主党県連、社民党県連推薦=、元県労働組合総連合事務局長の杉田聡司氏(58)=共産党県委推薦=を抑えて再選を果たした。

新駅「凍結」を掲げる嘉田由紀子知事との対立構造が続くが、国松氏の得票率が4割にとどまったこともあり、新駅建設事業は今後も曲折の道を歩むことになりそうだ。

投票率は、63・93%と前回市長選(2002年)から11・98ポイント上昇した。
当日有権者数は4万5926人。
◇栗東市長選開票結果(選管最終)
  1. 国松正一 12,082
  2. 田村隆光 11,053
  3. 杉田聡司  5,992
現職で新駅推進派の国松氏が当選しましたが、新駅凍結・反対派である他の2人の得票数合計の方が多いので、新駅問題は今後も混乱しそうです。

新駅を作るだけであれば費用対効果の問題だけで判断しても良いのかもしれませんが、この新駅計画にはかなり大規模な区画整理事業が含まれているようで、それもあって工事自体が大規模化しているところもあるようです。なかなか難しい判断となりそうですが、嘉田知事は現在の県がJR東海への支払をしないという点については変更がない、としています。

10月 24, 2006 at 09:13 午前 国内の政治・行政・司法 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ホームオブハート裁判・第1弾目が結審

10月23日は「裁判の予定」に書いたとおり「ホームオブハート事件・損害賠償事件」の最終弁論でした。

最終弁論は双方の口頭弁論の最終日で、裁判所は判決の期日を知らせて終わりになります。
なんと「判決まで4ヶ月掛かるので、来年の2月に判決」ということなりました。

ホームオブハート事件での裁判は複数あって、今回結審した損害賠償事件が最初の判決となります。

わたしがホームオブハート裁判に関わって2年半ぐらいになりますが、自己啓発セミナーの主宰会社ホームオブハートが経済的被害を与えた、とするのが今回結審した裁判で2004年4月に報道された時には、児童虐待問題が大々的にテレビで放送されました。

自己啓発セミナーには多少とも洗脳的な要素はあるようで「自己を見つめ直す」などということは良く聞きます。
カルト宗教問題と呼ばれる事件で、寄付が必要だということで何百万円・何千万円というレベルの壺を売りつけたりするのも、ある種の暗示あるいは誘導で社会常識に反する経済行為をさせる手法があるということでしょう。

これらのある種の心理操作の元祖は、アメリカ軍の第二次大戦後の研究成果の応用(悪用)と言われています。
最初は兵士がよく戦うための誘導あるいは動機付けの手法だったようですが、それがセールスの手法になったところでマルチ商法になり、新興宗教(カルト宗教)になったようです。

結果としては「言葉巧みに金を巻き上げる」といったところに集約されてしまうようですが、裁判を継続的に傍聴していても原告(被害者)と被告の話がまるでかみ合いません。
一般に民事訴訟では、ある特定の価値に対する判断の相違が争われるわけですから、事実関係についてはどこかに合意するところがあるはずです。
今回の裁判では、そういう合意する部分がほとんど無いようで、弁護団からの説明でも「食い違っている」といった説明は何度もありました。

こういった裁判(口頭弁論)を長々と繰り返した結果ようやく来年2月に判決となりました。
結審から判決まで4ヶ月も掛けるとは「裁判所は真面目に考えている」(紀藤弁護士談)だそうで、また自己啓発セミナーをめぐる裁判で判決に居たる初めての例でもあるそうです。これからも注目したいと思います。

10月 24, 2006 at 01:47 午前 裁判傍聴 | | コメント (0) | トラックバック (0)