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2006.11.21

「わたしはメールが嫌いだ」とは

東京新聞より「加藤寛一郎 電子メール 私は嫌いだ
私は電子メールが嫌いである。自分のメールアドレスも知らない。どうしても必要なときは、家内に打ってもらう。

手紙も好きではない。しかし、必要なものは書く。自分の仕事を編集者に説明するような場合、むしろ手紙にする。この方が、考えが整理される。口頭より、互いの理解が正確になる。

研究仲間の話を聞くと、一日の半分くらいをメールに使う人もいる。手紙嫌いでも、メール好きは多い。友人の一人によると、メールはワープロのフォーマットを考える煩わしさがないのがいいらしい。体裁を考えずにすみ、気が楽だという。しかし、暇つぶしの要素もあるのではないか。

数年前、アメリカから手紙が届いた。差出人は日本人の物理学者で、このご夫婦には三十年前、夫婦ともども彼の地で世話になった。たまたま私の著書を知り、連絡してきた。

夫婦連名のメールのやりとりが始まった。相手は大学者である。私も少しずつ深みにはまった。減量に関する本を書いたとき、本を送ると、メープルシロップが来た。礼状にテレビに生出演をした話を書くと、そのビデオが見たいという。さらに、航空に興味がある友人が市の振興財団にいて今度日本に行くから…。

私は日本学術会議会員に選ばれた時の話を書き送った。

「事務局が私のメールアドレスを聞いてきた。あえて誤ったアドレスを伝えたが、それでも毎日、山のようなメールが届いた。読む前にすべて破棄した」

これでしばらくメールが途絶えている。少し後味が悪い。しかし、このくらいしないと、自分の流儀は通せない。(かとう・かんいちろう=東大名誉教授)
今や「メールは嫌いだ」では通用しない世界になっているんですが、加藤先生。
と言うか、メールだけが嫌いなんですかねぇ?
PCが嫌いなのじゃないでしょうか?
携帯電話は論外だと思いますが、世の中でメールを使っている人の中にも「PCは苦手だ」という人は多いです。
つまりメールを使っている人の中で「好きだから使っている」の意外なほど少ないと思いますよ。

1997年に1155万人だった利用者数は、2005年には8529万人となっていてこの間に1997年から2000年までは増加率が倍増して、2000年には4708万人になっています。
1997年以前のデータがないですが、1987年にパソコン通信が始まったことを考えると1997年に1155万人になるためには大変な成長率ではありましたが、それでも人口の1割以下ではありました。

こんな事を考えると、今どき「メールが嫌いだ」とはどういう位置づけで理解すればよいのか?それは加藤先生が文章中で述べられています。
手紙嫌いでも、メール好きは多い。
もうトレードオフなわけです。
メールが嫌いだ=手が意味が嫌いだなんですね。こんなのは個人の好みの範囲であって、わざわざ言うことですかね?
すでに「メールが」とか「PCが」とか「インターネットが」とわざわざ名付けて論評する種類のものではなくなった、ということですね。

11月 21, 2006 at 08:49 午前 ネットワーク一般論 |

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