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2006.11.18

名誉毀損裁判・彦根市長のケース

産経関西より「「バカ市長」は名誉毀損と彦根市長が新潮社を提訴
「飲酒運転の報告義務づけは、憲法に違反する」と発言し、論議を呼んでいる滋賀県彦根市の獅山向洋市長が17日、発言をめぐる記事を掲載した週刊新潮で「彦根のバカ市長」との見出しをつけられるなど名誉を傷つけられたとして、発行元の新潮社(東京都)を相手取り、謝罪広告の掲載と慰謝料など計2200万円を求める訴えを大津地裁に起こした。
この提訴は「バカ市長」との

4文字の記載だけが名誉毀損に当たる

ということでは無いかと思いますが、これで裁判になっては発言の極めてリスクが高いとなります。うまく説明しているのがオーマイニュース上の記事「サイト上の記載で名誉棄損「刑事」裁判」の中にありました。
筆者は、Webサイトで個人が行うジャーナリズムひいては表現の自由の観点からこの裁判を追いかけているのだが、調べれば調べるほど、日本の法制度の不備を感じざるを得ない。
というのも、今回ような刑事の名誉棄損訴訟では「罪のないこと」を訴えられた側が証明しなければならず、組織的なジャーナリズムならともかく、個人でそれを行うのは大変な困難を伴うからだ。

また、公判後、弁護人の紀藤正樹弁護士にインタビューしたところ


「99%真実が書かれていても、
1%間違いがあれば裁判に負けてしまう。
それが法の問題点」

とのこと。
つまり、「限られた紙面」と言った表現上の制約がないWebサイトの場合、参考資料や説明を限りなく詳しく行うことができる。
しかし、たとえば誰かを批判する際に書いた経歴の一部など、部分的にでも間違いがあれば、そこだけを取り上げられて有罪になる可能性がある。

この裁判でも、このWebサイトでは数十ページにもおよぶ論評を行っていたが、起訴状で問題とされた表現は、ほんの8行分程度である。
他の多くの部分に問題がないにもかかわらず、普通の個人が起訴され刑事被告人となっているのが現実だ。さらに、民事での名誉棄損の賠償額は、高額化する傾向にあると言われている。
わたし自身は、彦根市長の「飲酒運転の報告義務づけは、憲法に違反する」発言は一つの考え方として有意義だと思うし、週刊誌などこれだけ飲酒運転について世間が問題にしているのだからと彦根市長を批判するものも当然だと思います。
それでさらに議論が進めば社会にとって誠に結構なことだと思っていたのでが、なんと名誉毀損で提訴するというのは最悪のケースであると思います。

まぁ、裁判になって「全体として・・・」といった判決が出れば、それはそれでよいとは思いますが、4文字だけを裁判で争うことになると、これは100%負けることなるでしょう。
少なくとも「バカ者」とか言えなくなる社会はどう考えても言葉狩りの世界であって、決して良いこととは思えません。

彦根市長は、朝日放送での橋下徹弁護士の発言についても訂正や謝罪を求める公開質問状を出しています。

スポーツ報知より「彦根市長が謝罪要求…橋下弁護士の番組発言で
質問状によると、2日の番組で出演者は市長発言を論評。
橋下弁護士は「懲役1年以下」の酒気帯び運転の法定刑を「3年以下」と繰り返したという。

元検察官の市長は「論評は、全般的に論理と法的視点を欠いた独善的なもの。 橋下弁護士の発言は法律の専門家としてあってはならない重大な誤りだ」としている。
どうも「酒気帯び運転と酒酔い運転を混同している」という言い分のようですが、これは市長つまり行政官の判断としてはどんなものでしょうかね?
特に「バカ市長」→名誉毀損で提訴というのは困る。逆にいえば「市長問題発言」とかに置き換えると内容が全く変わらない場合でも名誉毀損裁判を提訴しなかったとなるでしょう。
4文字で2200万円の損害が発生したと主張しているのですが、今までの名誉毀損裁判では原告側が損害の事実の証明は事実上不要ですから、こんなことができるのですね。
どう考えても最悪だ。

11月 18, 2006 at 01:28 午後 事件と裁判 |

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コメント

コメントありがとうございます。

    政治家やその秘書の名誉毀損裁判をみてると、
    こうやって「バカ」とか書いてあると
    わりと簡単に名誉毀損が認められるような。
    公的人物の発言・行動への論評に名誉毀損が
    認められづらくなるとよいのですが。。

名誉毀損という行為と、名誉毀損裁判あるいは名誉毀損裁判の判決の間にギャップがあると言うことなのでしょう。

「噂の真相編集長・有罪確定」
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2005/03/post_4.html
に紹介していますが、噂の真相の岡留氏もこの関係を理解していませんでした。
(私もこの時に始めて理解できましたが・・・・)

    法律学者の方から
    「名誉棄損の損害賠償は名誉を毀損されたことによる
    経済的な損害について賠償するのだから、
    多額の仕事をしている有名人ほど
    賠償額は高額になって当然だ」

これはこれで納得せざるを得ません。
このシンポジウムで出た質問に「無名の主婦など経済的な損失がない人には賠償は出ないのか?」がありましたが、法学者の回答は「原理的には出ません。しかし、経済的損失がないというのは社会生活上あり得ないから、全く無いことはない」というものでした。

そこで「賠償では名誉感の回復は出来ないのか?」となってこれにも「現在のところ無い」でした。

一方、これまた実際に名誉毀損裁判に関わらないとほとんど実感できないのですが、名誉毀損の刑事事件裁判では被告側に無罪であることを立証する必要があります。

通常の刑事事件では検察側に犯罪の事実の証明の義務(挙証責任)があるのですが、名誉毀損裁判では事実とは名誉毀損する掲示物などの存在が不可欠なので、それがあるつまり名誉毀損行為があったことだけで検察側の立証は完了とされています。

このために、弁護側が「発言などが名誉毀損には当たらない」という立証をしなければなりません。

民事裁判つまり民法での名誉毀損の判断については何も書いていないので、刑法の規定を援用していますから、同じように被告側が立証することで裁判が進行します。

さらに紀藤弁護士が問題にしているように「名誉毀損に当たる言葉」があるだけで、事件になってしまうわけで今回の週刊新潮の記事に「バカ市長」という言葉があったら提訴されたとなります。

裁判が「記事全体の中でバカという言葉をどう評価するのか」という方向に新潮社側は持って行くことになりますが、市庁側は「記事全体については表現の自由の問題から評価しない。バカ市長という言葉だけが争点だ」と持って行くでしょう。
こうなってしまうと、新潮社側は市長が本当にバカだからバカと言ったという証明をする、といったことになりかねないわけで、これでは負けます。

ごく常識的に考えて「バカと言ったから裁判」ということ自体が非常識であって、この点について市長を非難するべきだと思いますが、裁判としてはこれで進むでしょうね。
非常に問題だと思います。

また、全体を通じて判断するということにしないと、掲示板で無数の人が発言していること名誉毀損とする何てことはどう見ても問題が多すぎると思います。
個々の発言について「匿名の卑怯者」という非難はある程度は正当だと思いますが、その逆に「この一言が名誉毀損」的な提訴も問題にしないと単に匿名だから良くないという議論も出来ないな、と思っています。

投稿: 酔うぞ | 2006/11/19 15:52:33

 しかし、この記事の中で敢えて彦根市長を「バカ市長」と表現する必要があったのかということも考えるべきでしょう。彦根市長の発言なり政策なりを批判することは、「バカ市長」という表現を用いなくとも十分にできます。「この一言が名誉毀損」とされる場合、その「一言」というのは大抵言わずもがななものです。そのような「一言」を敢えて口にして名誉なり名誉感情なりをことさらに害したわけですから、しかるべき法的責任を負って頂くことは全く正しいのではないかと思います。

投稿: 小倉秀夫 | 2006/11/23 22:57:56

>そのような「一言」を敢えて口にして名誉なり名誉感情なりをことさらに害したわけですから、しかるべき法的責任を負って頂くことは全く正しいのではないかと思います。

ここらヘンの価値観の問題ですね。

わたしには「バカなんとか」だけで名誉毀損(罪)が成立する社会は肯定できません。

はっきり言えば「言葉狩り」そのものでしょう。

もちろん、記事で「バカ市長」という意味があるのか?となると大いに疑問で、逆に言えば「バカ週刊誌」ですよ。

もし「バカ週刊誌」と呼ぶと小倉さんは「営業妨害だからしかるべき法的処置を執るべきだ」となりますね。

わたしはそういう社会はごめんです。

投稿: 酔うぞ | 2006/11/24 9:57:21

 「誹謗中傷や侮辱を行ってはならない」ということは、「言葉狩り」とは異なります。

 酔うぞさんの価値観に則ると、学校現場における「言葉の暴力によるいじめ」を学校の教員が禁止することは「言葉狩り」になってしまうのではないかと危惧します。酔うぞさんの価値観に則ると、職場での侮辱的な言葉によるパワーハラスメントや侮辱的ないし性的な言葉によるセクシャルハラスメントについても、これに対してしかるべき法的措置を講ずることは「言葉狩り」であって許されないということになってしまうのではないかと危惧します。

 「表現の自由」は重要ですが、「ストレス発散のために他人の人格を踏みにじる自由」まで認める必要はないのではないかと思いますし、「ストレスをため込んだ人のルサンチマンの解消に奉仕するために公然と他人の人格を踏みにじってみせる自由」まで認める必要はないのではないかと思います。

 私と酔うぞさんとの価値観の違いは相当に大きいのかも知れません。

投稿: 小倉秀夫 | 2006/11/26 18:02:02

わたしは、そういう価値観の違いは合って当然だと思うし、それ自体を「あんたの考えは違う」とか「アンタの考えは間違っている」と表明したり、意見交換することは大いにやるべきだと思っています。

問題は「法的処置」にするべき問題なのか?ですよ。

わたしは週刊誌が「バカ市長」と書いたことは「バカ週刊誌」だと思います。
しかし、双方ともそれを法的措置にするべきだとは思っていません。

逆に言うと、問題は「法的処置にしたこと」だけであって、さらにその問題とは「あまりに細かいことであろう」と判断しているからです。

この「あまりに細かいだろう」が小倉さんは「いや、法的処置にするべき大きな問題だ」と主張されるわけですが、わたしには「バカなんとか」を一律に法的に処置するべきだとはとうてい思えないわけで、そうすると「バカ何とか」発言のどこを基準にして法的処置する邉のなのか?はわたしには分からないですよ。

法的処置の根拠がない状況である場合、法的処置を強制するぞというのが言葉狩りでない、というご意見はあろうはずもないでしょうから、小倉さんはわたしの意見を無理矢理ねじ曲げて、すべての発言について法的処置をすることが言葉狩りだと、断じているわけですね。

投稿: 酔うぞ | 2006/11/26 22:50:36

 我が国の法律では、人を侮辱する行為は違法とされています。
 我が国の刑法には侮辱罪というのが定められており、スナックの女性を「デブ」と罵った市議会議員が有罪とされています。また、人を侮辱してその名誉感情を害することが不法行為にあたることも判例でずっと認められています。
 したがって、「バカ市長」という言い回しは侮辱的な言い回しでないことが明らかであるとは言えないのですから、不法行為に基づく損害賠償請求を求めて民事訴訟を提起することは法的根拠に基づくものであることは明らかです。それを「言葉狩り」といわれても、困ってしまいます。

投稿: 小倉秀夫 | 2006/11/27 0:37:05

>それを「言葉狩り」といわれても、困ってしまいます。

法的処置が「侮辱的な言い回しでないことが明らかであるとは言えない」状態で起こされるとは、判決の予想がまるで分からない状態と解釈して良いですね。

その場合、原告勝訴であれば、被告が「バカ週刊誌」であり、原告敗訴であれば「バカ市長」となるんですかね?

世の中はそういうもんじゃないと思っています。

グレーゾーンがあるということですね。

そのグレーゾーンに対しては「よく訴訟した」という意見も「言葉狩りだろう」という意見も「トンでもない訴訟で論外」という意見も等しく受け止めてくれなくては、困りますよ。

これが「常識的に考えて名誉毀損だろう」とか「何もやってないのに名誉毀損はあり得ない」というのなら、言葉狩りなんて言い方をする以前で議論は終了します。

そういう点で考えると、前回の小倉さんのコメントも含めて小倉さんは「言葉狩り」という言葉を使ってはいけない、という論点なのではありませんか?

わたしは、グレーゾーンの解釈が法律的にはシロかクロかに決めることだと、理解していますが実社会ではグレーゾーンがグレーゾーンのまま残ることも重要だと思っています。

ここでは、「バカ何とか」という言葉にシロクロを付ける必要はない、という観点で(今回の条件ではですよ)グレーゾーンのままにしておけばよいじゃないか、という意見です。

その「止める」ことを言葉狩りといっているわけです。
なんでもかんでも言葉狩りというわけではないですよ。
また、言葉狩りという言葉で都合が悪いと言うことなら、なんか適当な言い方があれはそれでも構わないですがね。

そうそう、

「侮辱的な言い回しでないことが明らかであるとは言えない」は
「侮辱的な言い回しであることが明らかであるとは言えない」とも読めますよね。

わたしがこの立場であることはご理解いただけるでしょう。
つまりわたしとしては小倉さんに「侮辱的な言い回しであることが明らかであるから」とか「明らかであると思う」とか述べていただくと合意できるのです。
正に裁判する価値がありますから。

「明らかでないから」とりあえず裁判、ということであれば名誉毀損裁判の手間のものすごさを考えると合意できません。

逆に名誉毀損裁判がもっと簡単にできるようになれば「良く分からないから裁判」もあり得るのかもしれませんが、ちょっと無理のようですね。

投稿: 酔うぞ | 2006/11/27 0:59:38

 勝訴の見込みが明らかにないのに嫌がらせ目的で訴訟を提起したというのならばともかく、「グレーゾーン」の場合に裁判で白黒をつけるというのは当然に許されることではありませんか?100%勝訴できることが明らかでなければ訴訟を提起してはいけないと言うことになると、判例法が既に形成されている場合以外には訴訟を提起できなくなり、「黒」の領域を広げる方向では新たな判例法が形成されなくなります。逆に、従前「黒」とされていた領域についても、判例が変更されて「白」とされる危険はあるのですから、100%勝訴できることが明らかでなければ訴訟を提起してはいけないと言うことになると結局裁判をしてはいけないと言うことになります。
 で、週刊誌に倫理的な批判を加えても馬耳東風ですから、何を言っても裁判を提起されることはないと言うことになると、やりたい放題になりそうです。

投稿: 小倉秀夫 | 2006/11/27 8:41:25

>嫌がらせ目的で訴訟を提起したというのならばともかく、「グレーゾーン」の場合に裁判で白黒をつけるというのは当然に許されることではありませんか?

グレーゾーンの場合に裁判でシロクロを付けると主張することに対して、「嫌がらせだ」と批判されるのもまた当然だ、とわたしは言っているのであります。

批判されると裁判が提起できないというのは、言い過ぎでしょう。
裁判(公訴)は元々社会に判断を仰ぐわけだから、その中に批判があるのが当然で、批判されたくないが裁判を提起して勝訴したい、というのではまずいですよ。

大変だと思うけど、提訴するからには批判を乗り越えてもらわないといけないです。
(もちろん、事実関係としてひどすぎる批判運動はありますが)

>週刊誌に倫理的な批判を加えても馬耳東風ですから

こういう論理はわたしは議論したくないな。
実際には避けられないですが、論理的じゃないですよ。
「ナニナニはバツバツだから」という言い方をしたらなんでも見かけ上は正当のように見えてしまいます。

投稿: 酔うぞ | 2006/11/27 9:05:19

 酔うぞさんの論理で行くと、私がグレーゾーンの場合に裁判で白黒つけることを嫌がらせとすることを批判するのも当然だということになり、どちらかが諦めるまで延々とループします。
 ただ、我が国は、法の支配を社会の隅々に行き渡らせることを目指すということを国策として選択し、そのために法曹人口の大幅増員を核とする司法改革を行うこととしたわけで、今更、グレーゾーンの場合に裁判で白黒つけることを嫌がらせと評されても困ってしまいます。

投稿: 小倉秀夫 | 2006/11/27 16:51:49

>グレーゾーンの場合に裁判で白黒つけることを嫌がらせとすることを批判するのも当然だということになり、どちらかが諦めるまで延々とループします。

その通りです。
というか実社会はそういうものですよ。

わたしは、法の支配は実社会の手に余る状態になったときに、助けを求めるような存在であるべきだと思っています。

法による秩序維持は実社会から見ると最後の手段とは言わないでも、少なくとも自分たちで解決できる問題かもしれないことを放棄した時に確実に機能してもらうことが最重要であると思っています。

そこで「これは裁判に投げるまでもないだろう」という当然の判断が出てくるわけで、それが無限に論争が続くのもまた社会の有り様だと思います。

もちろん、当事者の一方が回りがなんと思うとも法的処置に問題を移動することはもっとも重視されるべきことでこれを否定するようなことは厳重に禁止するべきですが、だからと言って批判してはいけないとは言えない。

その結果として「裁判で決着したが、相変わらず論争になっている」という現実の存在が理解できると思います。

わたしが誤解しているのだろとは思いますが、小倉さんが「法の支配を社会の隅々に行き渡らせることを目指すということを国策として選択し」の部分が「法の支配が感想や批判にまで及ぶのだ」とお考えであるだとすると、上記の「裁判で決着したが・・・・」なんていう現実は法の支配が徹底していて誰も文句を言わない世界でしょうから、あり得ないことなります。

しかし、現実は法的決着に文句を言う人は後を絶たない。つまり法の支配からはこぼれる部分もあるとといえます。
その現実は否定のしようがないですよ。

そうなると、方法論として「裁判でシロクロの決着を付けることを嫌がらせとる」意見もまた否定が出来ません。

確かに、見方や立場によっては困ったことなのかもしれませんが、それでもそのようなことになることは出来ない。

もし否定することを可能にするのであれば、それは法の支配はすべてに上回るとなるかとも思いますが、それは明らかに現実的ではないです。

むしろ、無限に続くかもしれない論争によって、時の流れとと共に軸がずれていって世論として決着が付く方が望ましいと考えています。


そうそう、話がそれますがわたしは「リスクを取ることを恐れるべきではない」という考えです。
こう言っては失礼に当たりますが、小倉さんのご意見の根幹に「リスクを取るような(取る必要があるような)社会は良くない」なのかな?と感じるところがあります。
ここらヘンが一番かみ合わないところなのかな?と感じています。

投稿: 酔うぞ | 2006/11/27 19:02:44

『意見、評論の範囲を逸脱しているとは思えない』
てことで週刊誌側は無罪らしいですよ。
『行き過ぎかもしれないが』
らしいですが。
まぁこの市長は自分のことばかりに目を向けてほしくない。
そんなかんじで橋本弁護士のことを言ってるのではと考えてしまうのですが…。
とにかく私にはこの市長がただ自分に対する世間の批判を軽くしようとあがいているだけにしか見えないのですが…
言葉の自由、報道の自由が制限されすぎている世の中、
こんな世の中では発言することが怖くなってきますね
と、私の意見でした

投稿: 朔楽 | 2007/07/19 19:53:24

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