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2006.09.03

カルト宗教被害者の会

ものみの塔=エホバの証人 第12回 被害者全国集会 といった内容でした。

正直に言いまして、わたしは「エホバの証人」と「ものみの塔」が同じ物であることも知りませんでしたし、被害者の会があることも知りませんでした。

紀藤弁護士がカルト宗教問題に熱心に取り組んでいることは直接聞いていたし、わたしも知っている「シャロンテート殺害事件」のマンソンファミリーが今も存在するという話は紀藤弁護士から聞いていたので、驚きはしましたが多少は知識があるものだと思ってました。

統一教会については合同結婚式は「ヘンだろう」し極めて高価な「つぼ商法」も論外だとは思いますが、オウムやライフスペースといった死者が出た団体、聖神中央教会の女性信者暴行事件といった刑法犯などは民事・刑事で法的に罰せられるべきだと思っています。

逆に言うと、民事・刑事で問題にならないのならカルト宗教被害はあまり問題にはならないのではないか?と考えていたことになります。
これが昨日かなりひっくり返りました。

すごかったのは、元信者の方の体験談の一つで「二世問題」と言うのだそうです。
二世とは親が信者になって子どもの頃あるいは生まれたときには信者になっていた人たちのことです。
彼の話は、小学校時代に七夕までもが親から行事に参加することを宗教上の理由で禁止され、そのためにいじめられたということから始まったのですが、本当にもの凄いのは脱会する前後の話でした。
彼は創始者(チャールズ・テイズ・ラッセル)の墓の写真を入手し質問をしたことで「審判」に掛けられて、脱会しました。
この事で、母親とも兄弟とも絶縁して今に至っているとのことでした。

「審判でした」と聞いた途端に「異端審問を今もまだやっているのだ」と驚いたのです。

異端審問をしてまで組織防衛をする宗教団体はカルト宗教であると言わざるを得ないでしょう。
こんな世界がすぐ隣にあるということに驚いた一日でした。


この集会には、紀藤弁護士、山口弁護士、山本ゆかり、藤倉善郎(自己啓発セミナー対策ガイド)といった良く顔を会わすメンバーが参加したのですが、藤倉さんが月刊「新東亜」を持ちこんできました。
月刊「新東亜」は韓国の新聞社・東亜日報が発行している月刊誌で日本の「文藝春秋」などに相当する社会評論雑誌です。

新東亜が統一教会批判記事を掲載したことで、2006年8月22日に統一教会員700人がが東亜日報社屋に乱入して、8時間にわたって立てこもったという事件がありました。

東亜日報社説 「統一教の本社乱入、国民の知る権利に対するテロ
朝鮮日報コラム 「東亜日報の受難

藤倉氏は問題となった生地が出ている「新東亜」を持ってきました。話によると都内のコリアタウンで売っているとのことですが、現物を見ることが出来るとは思っていなかったので、興味津々でした。
本の形は文藝春秋などよりも一回り大きく厚く、ちょうど漫画雑誌のサイズでした。

9月 3, 2006 at 02:15 午後 日記・コラム・つぶやき |

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コメント

ラッセルのお墓・・・これですね。

http://www.d2.dion.ne.jp/~majinbuu/books3.htm

投稿: 某町人 | 2006/09/03 22:53:29

>ラッセルのお墓・・・これですね。
>
>http://www.d2.dion.ne.jp/~majinbuu/books3.htm

いや~なかなか面白い記事ですね。

集会で「ピラミッド」と出たから「フリーメーソンか」と思っていたのですが、あっちこっちの寄せ集めで聖書ですらないというのは、初めて知りました。

投稿: 酔うぞ | 2006/09/04 8:25:30

 わたしは、天理教の被害にありました。会社の社長から、天理教のセミナーに強制参加させられたのです。費用は13万を超えます。自己負担。しかし、被害を受けても、刑事罰にならないそうですね。
 早く宗教被害が無くなる日が来ることを願います。

投稿: 天理教被害者 | 2007/05/31 19:23:36

 もとよりものみの塔は利己主義が発端でしたからね、かかわるべきではないでしょう。あと、様々な宗教の中で真理の追求はほぼ無理です。瓦礫の下に埋もれて、掘り起こすのすら難しいですからね。
 真理に近いのはシルバーバーチという古代霊の言葉くらいですかね。良かったら検索してみてください。
 

投稿:   | 2008/03/15 18:57:21

ラオデキヤの使いと書かれているのは、ラッセルが最後の啓示の源と考えていた人たちのラッセルを中心にした分派にしようと考えた人たちの誤謬で、ピラミッドも「ふれ告げる」のほんのP201に書かれていて、証人たちはその考えを捨てたとあった。(TheWachtower,11/15と12/1参照)

投稿: えいいち | 2009/10/09 11:59:17

すみません1928年の「ものみの塔」英文でした。

投稿: えいいち | 2009/10/09 12:03:31

私はエホバの証人であることが誇り(良い意味)で、喜びです。このエホバの証人以外の宗教をすることは考えられません。もっともっとものみの塔を研究して、理解したいと思います。ものみの塔によって救われました。そしてものみの塔の助言は何でも聞きたいと思います。会衆の長老の助言や雑誌の助言などです。不幸なことに従えなかったときは、自分の範囲を全きに行ってそれでも失敗したときは、残念ながらエホバにゆだね、悔い改めてゆこうとしています。

投稿: えいいち | 2009/10/13 17:12:05

ものみの塔に反対する人は、事実を一部かくして自分の言いたいことを、ものみの塔は聖書と矛盾していると、自分の言いたいことを言っているだけのように聞き取れる。なぜならば、レイモンド・フランズなどは、長老制について選出されたもの(神権政治ではなく)で民主主義に従って行われたことを良く知っていたはずだ。それでもそれを自分の良いように敢えて持ち出さない。西暦前586年と世俗の歴史家に頼っていることも確かに537年にパレスチナに帰還したことは歴史の事実だが586年だったら50年くらいの荒廃期間ではなかったか聖書は70年きっちりといっているのに。背教者の言葉には毒があるので気をつけることを勧める。

投稿: えいいち | 2010/01/01 23:18:47

ものみの塔で悪い不幸になったとは、少しも聞かれない。おそらくクリスマスの行事、七夕の行事、騎馬戦などはその家庭が毎日の食事でケチをしていて十分な愛ある食事を取っていないこともあるかもしれない。「毎日が祝日のようだからおいしいものをたべている。」という証人の子供たちの言葉が有って十分養われているとエホバの証人の子供たちは言っている。柔剣道などは学校がその授業をやるか否かを前もって知ることが出来るのだから適切に学校選択をすることが重要だ。今でも最悪の事態になるのは学校選択ができていなかったためと思われる。

投稿: えいいち | 2010/01/01 23:49:52

それでケチな食事とは、お金を愛していて、自分の子供にも充分な食事を与えていないのかもしれない。宝、財産は天に積め、地上に貯めるべきではない。とキリストも言っていたではないか。それで見ず知らずのホームレスや職が無い人に自分の資産の施しをするよりも、自分の子供にも良い食事をするほうが先ではないのか。それからものみの塔協会や会衆、建設の基金にお金を寄付するのではないか。浮浪者は、税金を払っている政府に任せることができる。そのような考えは間違いではないと思うが。

投稿: えいいち | 2010/01/02 0:17:24

カルトで、科学という真理を信じないで欲望のまま行動するから、
山形でストーブを修理して一酸化炭素を出すようにした。
製造下請けはカルト教の割合が高い。
ナショナルは統合しなければよかったのに

投稿: | 2010/01/05 19:10:22

修正を一つ。前のレイモンド・フランズの所で些細なことだが、「神権政治」ではなくもっとものみの塔的に言うならば(現在的に)、「神権支配」だった。それはボトムアップの政治ではなくトップダウンの支配だからである。

投稿: えいいち | 2010/01/06 7:34:50

あと人の名前を勝手にインプットしないでほしいカルト被害者かなんか分からないが、自分の今までの生活も有ってこのような状況かもしれないと分からないのか!自分の今有ることはものみの塔の責ではありません。人いろいろと事情があることをこの世に生きているのにみんな同じだ!そこのところを総合して統合して考えろ!

投稿: えいいち | 2010/01/06 8:10:18

マンソンファミリーのシャロン・テート事件だかなんだかもう何十年も前の話をこりもせず恥ずかしげも無くいちいち話しに偏執狂のように出すのはもうやめないのか。それはシャロン・テートは殺されたがそれはカルト教団によってであると分からないのか。ものみの塔のエホバの証人によって殺された人はいません。戦争の時もドイツのビーベルフォルシェルによって殺された人は一人もいませんドイツ人やアメリカの人に聞いてください、エホバの人たちは立派だったと当時を知る人は言います。銃殺隊(ドイツの)の人もエホバの証人であるビーベルフォルシェルの死に際を見て感動したと言っています。ドイツの敬虔な人もエホバの証人が立派な人たちであったことを認める人もいます。エホバの人が異端審問をしたという人は、自分の非が有ることを認めているでしょうか、背教的であるから排斥されたのではないでしょうか。会衆の中には背教者がいる余地は有りません。悔い改めないから断絶したのではありませんか。そう考えるよりは有りません。

投稿: えいいち | 2010/01/08 11:53:49

エホバの人が「異端審問」をしたと言う人がいたが、箴言12:5で、考えは裁きであるというのを考えたことがあるのでしょうか、会衆で審理されてそれで「断絶」或いは「排斥」の結果になったのは、自分の考えが、間違っていたからではないでしょうか。偽りの宗教と信仰合同できないことは学んでいるはずです。偽り主義ということは無かったでしょうか。そこのところを良く考えて、偽りの宗教は、ハルマゲドンで滅ぼされるのだから、早く関係を絶つ必要があるのではありませんか。エホバは心の中まで見通しておられるので、どんな思いも考えも見出して責を取られます。ヘブライ4:13で神の目に明らかでない被造物は一つも無く・・・言い開きをしなければならない。と書いてあります。愛するものの負わせる傷は忠実であり、憎むものの口つけは懇願・・・箴言27:6とも書いてあります。ですから集会に行ったとしてもしずかに長老たちや成員のみんなに服しているというのは従順を表し、悔い改めの業を行うべきです。そうすれば、いつかはエホバも長老たちとも和解できるのではないでしょうか。

投稿: えいいち | 2010/01/09 21:21:44

とりあえず、二世問題についてコメントをいただきたい。

投稿: 酔うぞ | 2010/01/10 12:27:00

二世の人(エホバの)の親がクリスチャンの場合前に言ったケチな食事の事と一緒です。父親がクリスチャンで無い場合も母親がクリスチャンでも、子供の自由意志がエホバの証人になる場合、認められています。バプテスマを受けるとか、集会に行くことですら自由意志で、押し付けというのは普通の場合有りません。二世の場合も自由意志でエホバは喜ばれるという事をものみの塔でもいわれています。自由意志で無い隷属というのは少しも感知されない神がエホバだといわれています。二世も自由意志が認められて、自分の意思で集会奉仕をしています。カルビニズムでは無くアルミニウス主義です。そこのところを良く考えられていないのでしょうか、意思で押しつけ?では無く勧められているというのはそのこの事を良く考えて、最善のことを考えているという事で、親も命令が出来ます。うちの家族はエホバに仕えます、とヨシュアは言いました。それは命令ができる事でしたが、それは単なるアプローチで押し付けられて集会に来ている人はいません。離れるか排斥かという具合に、断絶したくなかったら離れる事を誰でも選びます。離れる事は不幸と考えられて哀れまれるからです。誰でも哀れまれる事を選びます。という事でこのくらいに。

投稿: えいいち | 2010/01/11 17:25:41

二世の人の話では無くて「二世問題」にコメントをいただきたいのです。

オリジナルの記事を引用します。

    >
    >すごかったのは、元信者の方の体験談の一つで「二世問
    >題」と言うのだそうです。
    >二世とは親が信者になって子どもの頃あるいは生まれた
    >ときには信者になっていた人たちのことです。
    >彼の話は、小学校時代に七夕までもが親から行事に参加
    >することを宗教上の理由で禁止され、そのためにいじめ
    >られたということから始まったのですが、本当にもの凄
    >いのは脱会する前後の話でした。
    >彼は創始者(チャールズ・テイズ・ラッセル)の墓の写
    >真を入手し質問をしたことで「審判」に掛けられて、脱
    >会しました。
    >この事で、母親とも兄弟とも絶縁して今に至っていると
    >のことでした。

投稿: 酔うぞ | 2010/01/12 12:11:40

問題を起こす人は社会的に言っても犯罪者と同じように思われるのではありませんか。問題。と考えられるのは、自分がエホバの宗教に必ずしも同意或いは理解を持っていないのではありませんか。問題。になってしまうのは、エホバの宗教のせいでいじめられたとかそれくらいだと思う。エホバを愛しているならば問題は問題では無くなるのでは。エホバの宗教を良く思っていなくて、良いと思っていなくて、迫害されれば喜びの感情がエホバを愛しているならば必ず生まれるはず、背教的で、エホバを良く思っていないのかもしれない。そのような愚痴のような、背教者の言葉は、聖霊冒涜者も中に含まれるので、上手く毒のような話を聞いていても限度が無いと経験している。だから二世も自由意志を認められているといったではないか。小さいころは親に従っていて七夕クリスマスを祝わないことをみんなと違うことを行って、自分の経験では高校のときの柔道を拒否したが、神のエホバの聖霊で包まれて幸せな気持ちだった。エホバに是認されているという思いでとても幸福だった。エホバの証人はそのようなものが標準だと思う。逆にみんなと違ったことをすることで、証人のステータスが生まれてくるのでは?証人でみんなと違っていることでこの体制とは違うということで救いの喜び、エホバへの感謝が生まれてくると思う。この世は滅びへと向かうが証人は救いへと向かう。義なるものの道は上へ上へと向かう、下の黄泉から離れる為である。箴言は書いている。

投稿: えいいち | 2010/01/13 21:46:59

ラッセルの墓にはラオデキヤのメッセンジャーつまり、ラオデキヤの使いと書いてあった。それは前にも言ったとおりです。それからピラミッド、それは異教エジプトの悪霊崇拝から発している、心霊述と関係在る考えで捨てたと前にも書いた。断絶した人は、エホバの宗教に不満を持っていて戒律が多すぎるとか、高い道徳基準でとてもついてゆけないなど、なぜその断絶した人は断絶という激しい結果になったのか。不満、戒律、基準。その位かと思うが、エホバの忠実な僕ではもう無いので、うそも幕無しにのべているかもしれない。真に受けると、エホバの宗教をそのように見てしまうと言う騙されることもあると思います。僕の話とそのエホバを脱会した人の話が違っていればその背教者は騙そうとし、うそを言っているのです。背教者は、聖霊冒涜者と言ったのですが、クリスチャンがうそをつくことは聖霊によって禁じられています。啓示の書の(黙示録)最後には新しいエルサレムの外つまり救いからはずされている者の中にすべての偽り者と言うことが警告されているが、背教者は、あることないことあっても悪くいうことを慣わしにしているのではありませんか。そのような人に信憑性があるかという問題で、まず無い。と言うのがクリスチャンの考えです。なぜなら背教者は、エホバをもはや恐れていなくて、ゲヘナ落ちを悟っていて、めちゃくちゃなことを普通に何の良心の咎めも感じず平気で言うからです。二世問題なんて存在しない!それが僕の考えです。

投稿: えいいち | 2010/01/13 22:38:59

あと人の名前もメールアドレスも勝手にインプットすればこの前警察に相談した。事件で無い限り扱えないとの事だった。金を取るなど、勝手に人の口座から引き落とすなどすれば、事件になって捜査するみたいだった。迷惑になれば、(人の名前とメールアドレスをインプットすることで。)法に触れることが無い様気を付けていただきたい。こちらも何の関係か分からんが、迷惑なんだ。法に触れることがあればすぐに警察に通報するぞ!もう警察には相談してあるんだ。そこのところを気をつけてほしい。カルト被害者では自分は有りません。だから勝手に人の名前をインプットするな。名誉毀損にもなるんだからな。そうであればまた警察に通報する。分かったか。

投稿: えいいち | 2010/01/17 4:08:50

エホバの証人も色々有り、色々と分かっておられるかと思いますが、クリスチャンの信仰を保とう、クリスチャンとして生きようと思っているならば、必ず、自分ではなく、相手が悪いのであれば、エホバは必ず責を取られます。目には目で、歯には歯で、魂には魂で(命或いは体の意味を魂の意味は持つ)、ドイツの聖書研究者たちも、戦後個人的に復讐の機会があったが復讐しなかったそうです。僕も魂には魂のようになりますようにと会衆が悪かったならお祈りしていますが、果たして会衆が悪いのかもしくはキリストによって罪を放免するように放免されることが結果なのか分からないが、咎人が必ずゲヘナに落ちるように祈っています。人の咎を許しなさいと宗教は言うかもしれないが、魂には魂であると言って、惜しみ見ても哀れんでもならないと言っている神の命令のほうを辛抱強くお祈りしています。辛抱強いと言うのは必ず物事が正しくなるとそうなる時まで辛抱すると言う意味です。わざと罪を行う、ことさらに面白いと思って罪を行う人は、許しなさいと言われている罪と違うかもしれません。ですから決定的なことは、エホバに裁きをゆだね、罪の裁きで結果が出、あの罪は神が許さなかったんだな、と思うより有りません。自分で復讐しているのではなく(この場合)神の力に頼っているので神の裁きであると言えます。自分の個人的な復讐ではありません。いじめで、いじめるやつは「お前はゲヘナ落ちだ」と言うのは避けたほうが良いかもしれない。何故ならばいじめくらいでゲヘナに落ちることは馬鹿らしいからである。そういう小さな罪でゲヘナに落ちると言うのは、人の永遠の命がかかっているのでかわいそうだ。しかし面白いのだが、(実際には)。そういうときには、よく考えたのだが、エホバの証人になりませんように、バプテスマを受けませんようにとお祈りします。いじめっ子にとってはそれは旨いのだが、実質的にはゲヘナ落ちを祈っているのだ。だから自分のうちではざま見ろこれは面白いと思っている。エホバの証人になる前にいじめがあったときにはそういう考えにいたっていた。まず参考まで。

投稿: えいいち | 2010/01/21 22:14:20

修正を一つ。前のバプテスマをわざと受けないようにとお祈りするのではなく、バプテスマを受けたエホバの証人になりませんようにとお祈りする。と言う表現に変えてください。何故ならばほんの小さな罪もエホバは公正に裁かれることを恐れているからです。しかしそのような小さな罪も裁かれるのであればいじめも公正に裁かれますようにお祈りすることも出来ます。どんな小さな罪もエホバは見逃されることは無い。と言うことをはっきり言うことが出来ます。自分の罪を悔い改め罪を犯す者も罪自体も無くなる世の中を信じているからです。だから人の名前も出すことも罪だと思ってやめてもらいたい。どうなるかは、義人の最後もわからないといわれているのに、そのようなことが許されると思うか。今の世の中だけで一寸先は闇なのだぞ。つまり罪を犯すものは、義人よりもどうなるか分からない。アルミニウス主義のウィキペディアを参照。(もとよりその気が無かったら見なくてもよい。)まあゲヘナはこの世の運命で、運命は一緒になりたいと思われるかもしれないが。

投稿: えいいち | 2010/01/22 17:02:25

>えいいち 氏

ベタ打ちの文章で、読む気が起こりません。
適宜、改行や、段落ごとに1行空ける等のことをして、
読みやすい(読んでもらえる)ようにしていただかないと、
「荒らし」認定されちゃいますよ。

投稿: Enzo Romeo | 2010/01/22 18:58:35

>えいいち さん

内容はともかくもっと空気を読まれたほうがいいかと・・・
こちらのサイトをどういった方がどのような事情で閲覧されているのか、少しはお考えになられたほうがいいのではないですか?
信仰者ならば「他人の気持ちになってものを考える」ということは、最低限理解していらっしゃいますよね?

投稿: konta | 2010/02/11 19:45:14

エホバの証人の経験も色々あろうかと思いますが、自分としてはものみの塔の兄弟たちに避けられていて、話もしない状態が続いていたこともありました。しかしそれは自分が背教の霊を持っていたことも一つあると思います。聖書では背教者と挨拶も交わしてはいけないと言うことが書かれていますが、それに抵触するようだったです。しかし、愛する者の負わせる傷は忠実であり、憎む者の口づけは懇願されるべきもの。(箴言27:6)という言葉があり、ものみの塔の他に救いは無いとの信仰でその事態を切り抜けてきました。今ではそこそこ交わりを持っています。他の人たちとも話をしようと思い、エホバにその都度お祈りをしていますが、なかなか積極的な近づき方は苦手なほうなので、挨拶をする位です。会衆に恨みを持つ人もいるだろうと自分では考えますが、それは聖書の規定を遵守してのことだったので、正しい?と思います。エホバにお祈りをして正しい道に、正しい考え方に自分を合わせようとする者に、エホバは正しい思いの人は拒否されないと思います。まあそんなことがありましたが、今ではそんなに問題も無いのでエホバに正しい心で居られます様正しい道に留まれるよう、お祈りする位です。というかいつもお祈りしています。自分の経験でした。参考になれば良かったです。

投稿: えいいち | 2010/02/15 5:41:37

やはりというか、えいいち氏は私やkontaさんのコメントは目に入らなかったようで…。

そろそろ「荒らし」認定しても良いのでは?

投稿: Enzo Romeo | 2010/02/15 16:07:55

まあ、晒し上げという選択と・・・・・・(^_^;)

投稿: 酔うぞ | 2010/02/15 18:48:44

解った。他のPCには自分の名前は無いのか。C,T,ラッセルの項を開いてもこの項が出てくるのはこのPCだけだ。酔うぞ遠めがねカルト宗教被害者の会と出しても自分の名前は出てこなかった。ありがとう。でも恥ずかしい。何で情報が出たのは分からんが、どういう経路で、は分からないが、自分のことを認めてくれてありがとう。エホバの会衆が普遍的だと思っていました。だからかなり危ないが、とも思う。だからこういう自分に係わらない方が良い、安全だとも思う。何を書いたら良いか分からないが、エホバを怖れた方が良いというよ、自分の為に抗議はやめなさいと言うよ。抗論に躍りかかるのは悪しきものだ。と書いてある箴言に(20:3)人が抗論を止めることは栄光である。と書いてあると自分も言うから抗議はやめたほうが良いと言う。その位か。もしれない。メールアドレスも間違っているし。この世にはいろいろな人が居るのか、でもエホバの会衆に従うほうが良い。結果になる。と信じています。自分の信仰告白か。どうもその様なので、エホバの会衆を怖れます。これは自分の決定なので、他の人には理解されなくても守らねばならない。集会に行かなくてはならない。奉仕にも、と考えている。人には自己決定権がある。だから、自分はただただエホバは正しいというよりありません。多くのクリスチャンがしているようにエホバにアーメンと言わねばなりません。エホバの支配に同意しなければならない。たとえ障害があってもだ。だから自分にかかわるのは自分で考えてください。わたくしにかかわるのは自分で、と言う。それは自由意志で出来るはずだ。と考える。人は奴隷(神の)では無いからだ。神は自由意志という賜物を与えてくださっているからだ。そしてそれを行使できると信じています。まあそれ位かも知れない。

投稿: えいいち | 2010/02/15 18:51:28

嵐(のつもり)ではないと思います。
発信の場がほしいだけじゃないですか?
「兄弟たちに避けられて」はきっと事実なのでしょう。

投稿: tambo | 2010/02/16 11:57:16

わたしの管理方針は、元発言の話題と無関係な、具体的には宣伝などだけを削除しています。

コメントは即時に公開されますが、必要があれば後から削除します。
基本的には、リンクは無効にしてありますから、これも必要があれば、メンテナンス作業としてリンクを有効にしています。

トラックバックは、承認後に公開ですが、削除率は90%ぐらいです。


こんな事をする理由は、やはり「発言自由」を最大限に確保したいからです。

とは言え、「無関係」と「関係あり」については、宣伝など明快な場合はよいですが、可能性としては判断できないような場合もあり得るわけで、発言者が読者を意識した分かりやすい発言を心がけることを願っております。

投稿: 酔うぞ | 2010/02/16 12:29:11

この前文章を書いたが誰だか知らないが全文削除されてしまった。その人は私(僕の事)を危険分子だと思っているかもしれないが、また書きすぎたと思っているかもしれないが、自分は在る体の不調で行っている所が在る。それが気に入らないのか馬鹿だかき違いだか思っているか知らないが、僕(自分)の書いた事で間違いが証明できるかものみの塔の出版物を隅から隅までよく読んで馬鹿だかき違いかよく考えて行動してください。馬鹿かき違いがこのような事を書けるかよく考えてください。在るところは保たれているが他の人も証人も僕の書いている事が正しく間違ったところは無い、と言うはずです。良くものみの塔を知らないのに僭越な事はするな。と言いたい。間違いはどこにも無いはずです。こんな間違いの無い文章をきちがいが書けるかよく考えてほしいものです。どこか間違いがあったのなら、例を挙げて一つ残らず挙げてほしい。キリストもあく霊に憑かれていると人々が言っていたが、知恵は結果によって表明される、と言っているではないか、自分(僕の)文章がどこか悪霊崇拝なら自分の名前を出さなくてもよいから例を挙げて一つ残らず指摘してくれないか。無いと思うが、卑怯なまねは止めてくれないか。書きすぎた所もあったが、(ツヴィングリの所)彼が早死にしたのは聖書の全文に従わず、肉の剣を振るったからではないか。命には命魂には魂である。自分もその結果でいく所に言っているのだ。エホバと聖書は正しい。アーメンと言うより他は無い。それで自分の罪を自覚している。滑らかな言葉はこの世で長持ちするかもしれないがエホバの言葉は永久に確立している。アーメンかくあれかし、そのようになりますように。そのようでありますように。

投稿: えいいち | 2010/04/30 18:49:35

>この前文章を書いたが誰だか知らないが全文削除されてしまった。

どこを指しているのか分かりませんが、この「酔うぞの遠めがね」での、
えいいち さんのコメントは、2010/02/15 5:41:37 記載分は、
今でもきちんとありますよ。

酔うぞ拝

投稿: 酔うぞ | 2010/04/30 19:39:27

2月15日の分ではなくて、ここ1ヶ月くらいのものです。キリストが、霊においてではなく肉体が復活したというのはカトリック教会が信じていて、霊における復活と言うのはエホバの人たちの信条です。あまり危険な事はしたくないので、ツヴィングリの項は、証しとして書いたつもりでした。でもPCで証言するよりは、戸別伝道で、追い返されるのがいつもだからそのほうがいいやと今思っています。PCへの労力のつぎ込みは、間違っていたから自業自得と思います。でも聞きたくない人が多いんだなと思います。体調の不具合から在る施設で働いていますが、そこのPCを使って元がばれたみたいです。使っちゃだめよ!と言われていたのですが、自分の悪しき罪でした。矢印で元を復元して白紙にもしているみたいです。自業自得ですがせっかく書いたのに危険分子だから白紙にするというのは、労力の無駄になってしまい残念です。話の筋が作れません、それだけ馬鹿かもしれませんが個別の語の注解はよく出来ます。いつも集会でやっているので板につきました。インプットが削除されるのも惜しいと思います。でも個人の信条の表明では無く公の場所なので削除も当たり前とも思います。よく考えて、うまいこと(ウィキぺディアの事)やってください。僕もあまり関与したくありません。

投稿: えいいち | 2010/04/30 21:48:29

酔うぞ さん

なんかこのエントリー、
kikulogの「弥勒魁のためのスペース」
のような雰囲気になってきたような…^^;)

投稿: エディ | 2010/04/30 22:06:04

えいいちさん

このブログの管理者はわたしだけです。

コメント削除の基準は、
本文とかけ離れているものは削除
としています。

この一月間程度で、えいいちさんのコメントを削除したかもしれません(全く覚えていません)が、もし削除したのであれば、わたしが上記のように「本文と関係ない」と判断したからです。

掲示板でありませんので、わたしから見て「関係ない」と思えば削除します。
悪しからず。

酔うぞ拝

投稿: 酔うぞ | 2010/04/30 22:49:10

最近は西暦2000年も過ぎて、「世紀末だ」などと言われないのがありがたい。2012年のマヤの預言とかまた物騒な映画が出てきたけど、あれは他分世の終わりを告げる人は「狼少年」と同じだと言う反鏡の主張をしたいのだろうと思います。2012年になってまた来なかった。と言ってやっぱり物騒ぎなだけ(世の終わりは)と言うシナリオで眠りを誘って熟睡を勧める(目覚めよ!とか見張っている、とか、の反対で)、しかし、ものみの塔の書籍にはよく読んでいないから解らないだろうと思うが、眠ってしまっていた事をとがめなかったと書かれている。(……生存したもっとも偉大な人)油、ともし火を消さないようにする為の継ぎ足し油を持っていなかった事がとがめられている。と最新の理解ではそうなっている。寝ても良いんだ。と気やすく思うのではなく、ゲッセマネの事のほうがいっそう模範的だ。つまりキリストが祈っている間目を覚ましていると。しかし霊ははやっても肉体は弱いとキリストも言われた。物理的に寝ないのは人間は出来ない事をわかって目覚めていなさいと言っていない事はよくわかるはずだが目覚めているほうがよいとキリスト教世界の僧職者が言うのか解らんがそう言う者の裁きは神にゆだねますと言おう。人殺しは自らしらばっくれても神の裁きでゲヘナ落ちかもしれない。しらばっくれれば余計悔恨の情が無く自分が悪い事を自省せず尋常酌量の余地は無くなってくる。人の全てがそうではないかも知れないが、この世にはそういう人もいるんだよと言いたい。そしてそれが普通だ。証明にこの世はだんだんと悪の泥沼に沈み込んでゆく道を自ら歩んでいるではないか。まあ、こんな事は誰でも書くと思うが、まず警告まで。

投稿: えいいち | 2010/05/05 4:13:20

終末預言の一覧と言うサイトがあった。西暦7000年まで書いてあった。でも人間が創造されたのは西暦前の3900年代か4000年代である。西暦後2000年過ぎているから、アッシャー大主教の年代計算は間違っていた事が証明されたが、(欽定訳のものみの塔版で堕罪の時が前4004年となっている。)で無ければ1995-6年に世が終わっているはずだが、時だけが一瞬のように過ぎていった時の事だった。1999年と言う思惑もあったのかもしれないが、心霊術の占星術は確かに悪霊だから、これも反鏡と言う事を示していると言いたいのであろうエホバの証人は世の終わりがいつかをふれ告げることはしないし出来ないと思う。「行って自分の身を隠せ」と神が命令されると言うが、それはふれ告げることではないではないか。自分の所が分からない様に隠せと言っているのに、「自分はここだよ。」と発表する人はいない。この世の人が同士討ちをしている時にそれに巻き込まれないように身を隠すのだろ、だからふれ告げるときはもう終わっている状況だ。そのような危険な状況の時身を隠す、集会に言っているか。自宅だ。でも自宅はエホバの公式の場所ではないので、やっぱり集会中かもしれない。だから終わりは何年の何月何日に来ますとは人々に発表できるわけが無い、伝道できる訳が無い。その時はまだ終わりがいつか分からないからだ。この時代に、終わりが来るとのべ伝えているのに、この時代でないわけではないと思う。が、確かに1914年から終わりの時は始まっている。1914年から100年経てばその世代もいなくなってゆくだろう2014年以降なのか明日なのか分からないがハルマゲドンが早く着てほしいものである。

投稿: えいいち | 2010/05/07 21:02:59

ラッセル(C・T)の時はよく分かっていたのだが、どう言う事かと言うと地球はハルマゲドンの際、燃えて灰やちりにならない、宇宙全体もそうで、燃えて灰にならない。人類が全滅しない。従順な人類はその艱難からパラダイスとなった地上で生きる。神はモーセの律法の規定もあったが和平を求めてイスラエルつまり神の民の所へ出向き、「あなた方に従います、」と言ったなら和平の議を滅びに変えてはいけない。とある。一方的ではないのだ、ギベオン人もそうやって(少し欺いた所もあったが、)和平を受ける事が出来た。個人的には遊女ラハブの行動信仰だ。信仰を示す者を神は拒否されない。人間だけの罪で宇宙全体が燃え尽きたら、例えば宇宙は一つの芸術品だがペンキがはねてその芸術品にかかってしまった。さてさてそのペンキを剥離するかまたは芸術品の価値が無くなったから壊すかどちらかだ。ペンキが掛かった位で芸術品を壊す人はいないだろう。だから人間がいくらか罪があっても宇宙全体を壊す神ではない。カトリックやその他の教会によって信じられている事は間違いで残酷。非情なのは地獄の教えや、神の御子キリストの再臨は世界を滅ぼす為にやってくると言うもので、神とキリストから離れさせようと悪魔の魂胆で、そういう間違いを通して神は非情だ地獄で魂を焼くと言いふらして、神から多くを離れさせた。地球は燃え尽きずにパラダイスに変わりそこに人間が住む事を神が創造の時以来の指標で神が意図されたことである。

投稿: えいいち | 2010/05/18 1:51:48

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