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2006.05.10

検察取調の録画について

昨日、突如として「検察取調の録画・録音を東京地検で試行」というニュースが流れて、法律関係者のブログに評価記事が出ました。
基本は裁判員制度に対応することなので、裁判員制度についての記事を書きましたが、大変な長文になってしまいました。

順繰りに南山大学の町村先生のMatimulog より「取り調べの瑕疵化?
をを、ついに英断かと思って読んだら、 「いずれの事件でも警察の捜査段階でのビデオ撮影は実施せず、送検後の検事の取り調べに限って行う」
「事件ごとの担当検事が、容疑者が強制でなく、自分の意思にもとづいて供述したかどうかが公判の争点になる可能性があると判断した場合、容疑者に告げて撮影を行い、撮影場面も検事が選択する。」
「検事が相当と認める部分の録画・録音を行う」

バカじゃないのか?
日本では、検事が都合のいいシーンだけを選んで撮影し、これこの通り任意性がありますよという証拠にするつもりのようだ。
いや、手厳しいご意見です(^^ゞ 続いて元検事の矢部先生 元検弁護士のつぶやきより東京地検で取調べの録画を試行
裁判員制度が現在の司法制度によい影響を与えた、現時点における唯一の例かもしれません。
 記事全文は、後に引用しますが、まだまだ制約が多いと言うものの、取調べの可視化に向けた大きな前進のように思います。
 意外に早く踏み切ったな、というのが正直な感想です。
 これまでの任意性立証では裁判員を説得するのが難しいという判断が背景にあるのではないでしょうか。
 そうであるとすると、これまでの任意性立証がおかしかったのではないかという疑問も湧いてきます。
正に専門家ならではの見方が示されました。
同じく元検事の落合洋司弁護士 「日々是好日」より「取り調べの録画録音、「裁判員制度」に向け試行
この問題に頑強に抵抗していた法務・検察、警察当局ですが、説得的な論拠も尽き果て、遂に、法務・検察は、こういう流れにならざるを得なかった、ということでしょう。
「警察での試行は慎重検討必要=取り調べ可視化で警察庁刑事企画課長」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060509-00000042-jij-soci
任意性立証のためには真相解明の機能が低下しても仕方がない検察庁とは違う、とでも言いたげなコメントですが、検察捜査であれ警察捜査であれ、公判準備のため行われるものであり、検察庁と警察は違うんだ、と強弁しても、説得力はないでしょうね。
こちらも「警察はどうするの?」といった観点からのご意見のようです。

今日になって、朝日新聞に「取り調べ録画 最高検「特命」6人、極秘推進」なる記事が出ました。
最高検は9日午後、担当検事の判断で取り調べの一部をビデオ録画・録音する試行を東京地検で7月から実施する、と正式発表した。
歴史的な方針転換は、最高検が約2年前からチームを作って、極秘の検討を重ねた結果だった。
「カメラの前では自白をとれない」との不満が捜査現場にくすぶる。
その中で、検察首脳陣が試行を決断した背景には、実施時期が3年後に迫った裁判員制度への危機感があった。

「青天のへきれきだ」。東京地検の幹部は、ビデオ録画・録音の導入決定に驚きの声をあげた。
その試行を担う同地検でさえ、この方針が伝わったのは、9日の公表直前のことだった。

全国の検察組織のかじ取りをする東京・霞が関の最高検で04年6月、経験豊富な検事6人からなる、裁判員制度のプロジェクトチームが結成された。
同制度に向けた刑事訴訟法改正で、国会が同年5月までに「政府は、取り調べの可視化を検討すること」と付帯決議をしたことを受け、このチームには、ビデオ撮影の可能性を探るという極秘の検討テーマが与えられた。
裁判員制度の審理対象となる殺人などの重大事件の裁判のうち、過去3年間で調書の任意性が争われた事件をテストケースにして検討を開始。
特に問題化しそうな約30件について話し合う中で、

「裁判員なら不信感をもたれて無罪」

という、検察側にとって深刻な結論に至ったものも出てきたという。
検察幹部の一人は「プロの裁判官は検察にある程度の理解があるが、市民から選ばれた裁判員はそうはいかない。検察に厳しい視線を向けている」ともらした。
わたしは、上に紹介した弁護士さんのブログなどで「法曹という業界内のお約束を知らない裁判員を説得するためには」という意見を書いていて、例えば鑑定人が信用できることをどうやって説明するのか?ということに疑問が出てきました。
わたしが機械屋として意見を述べることになったら「機械屋業界の常識として」とかになってしまうと思うのです。

このような「業界の常識・お約束」という話に業界外の人が入ってくると「素人は引っ込んでろ」といったところがあらゆる業界にあるのが日本の文化的な特徴なのではないか?とすら思うようになりました。
実際に「プロの業界は言い訳をしない」とか称して説明しない習慣があります。
実務的にも「詳しいことは専門家同士で煮詰めることにしましょう」などという会話は珍しくありません。
つまりは「プロには説明する責任がある」という概念が社会的に身に付いていない。
だからこそ、身近な医療問題で「セカンドオピニオン」などと声高に言うのでしょう。

プロの業界と素人が身近に接するのは、サービス業を除くと医療と法律、行政手続きが一番多いのではないでしょうか?建築など民間の事業だと営業担当者という中間の調整役が居ます。

こんなことを考えると「裁判員制度では文化的な面にも踏み込んで対処しないといけないね」と思うようになったのですが、そこに法律では全く別の面があることを教わりました。

上記のように例えば鑑定について「素人の裁判員は事情を知らないでよいです」では「鑑定者を信用できないから証拠採用に反対」とかになって無罪といった例も考えられるわけで、検察調書も「これが自白です」だけでは「検察の作文であって、被告は否定しているから不採用」となって今回のビデオにつながる「裁判員裁判だから無罪になった」という例が出ると最高検は考えたのでしょう。

わたしは、この点についてだけは「当然だろう」と思いますし、町村先生が指摘しているように「検察が必要と感じているところだけを録画」では下手をするとかえって信用性を低くするとか、録画の偽造を疑われても反論できないといった大変な弱点があると思うもので「録画するなら100%撮れ」と思います。
分かりやすく言えば「自白ではなくて、客観証拠だけで判断するべきだろう」というのがわたしの基本的な意見でした(過去形なのです)

しかし、法律素人のわたしには全く考えなかった点を以前に教えていただいて、今では「これは難しい」と思うようになっています。
元検弁護士のつぶやきさんの記事「自白の重要性
日本の刑事裁判においては、自白がとても重要です。
それは、単に犯人性の確認(被疑者が本当に真犯人か)だけではなく、犯人に何罪が成立するのかという問題においても重要なのです。

例えば、故意、目的などですが、問題なのは、内心の事情の内容によって、成立する罪名が変わり法定刑も大きく変わる場合があります。

典型的な場合としては、深夜、路上を歩いている女性を犯人が無言で殴りつけたところで別の通行人に捕まったという事案を考えてみますと(被害者は怪我をしていないとします)、
犯人が強姦するつもりだったら強姦未遂、
わいせつ行為をするつもりだったら強制わいせつ未遂、
金を取るつもりだったら強盗未遂になります。

しかし、このいずれかは無言で殴りつけた段階で捕まってしまいますと、外形的な行為からは判別がつきません。

「金を出せ」とか「やらせろ」などという言葉が出ていて、それを被害者が聞いていれば、被害者の供述から犯人の内心を推認することはできますが、無言であるとそういうわけにはいきません。

そうすると被疑者を取り調べて、どういうつもりだったのかという自供を得なければ、何罪が成立するか決められないのです。

つまり刑法の規定の仕方というものも、取調べと自白の重要性に影響を与えるわけです。

この説明を読んだときに「これは難しい」と感じました。
手続きとしての裁判であれば、客観証拠などでだけ判決を決めていった方が楽だとは思いますが、刑事裁判は社会的な制裁ですから社会が満足することも重要で、日本では犯罪者の意図によって刑罰が変わる方が自然であろうと思います。
そうなると自白調書はきわめて重要な証拠だとなります。
わたしは素人として刑事裁判全体を総合的に考えてはいなかったことを自覚したのですが、こんなことを自覚している法律素人というのが一般的とは言えないでしょうから、もし裁判員が議論をしたら「自白重視派」と「客観証拠派」に分かれて論争になってしまいそうです。
それこそ「12人の怒れる男」の世界になってしまう。

多少は法律や裁判に興味がある人で頭から裁判員制度を否定する人は少数だと思いますが、段々と裁判員裁判の実施が近づいてくるに従って「裁判員裁判にするだけ」では済まない種々の問題があることが分かってきたと言うべきなのでしょう。
落合洋司弁護士は「「自白の重要性」雑感」で
こういった本質的な問題を解決しないまま制度だけを作ってしまった問題点が深刻化するだけではないかと思います。

今のままでは、裁判員制度のカタストロフィが、それほど遠くない将来に確実にやってくると言わざるを得ません。
とまで述べています。
難しい問題ですが、こういった色々な問題を解消するために、最高検は取調の可視化に踏み出した。「検察取調の一部録画」もこのような問題の解決に向けての途中経過であると解釈するべきなのでしょう。

5月 10, 2006 at 09:48 午前 事件と裁判 |

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ないよりましな第一歩 続きを読む

受信: 2006/05/10 16:50:42

» 取調可視化により,被告人は不利になる トラックバック 社外取締役の「私が正しい!」
最高検察庁は,「密室のやりとり」だった検事による取り調べの一部を,ビデオで録画・録音する方針を固めた。…(中略)…09年5月までにスタートする裁判員制度の対象事件で迅速な審理を行うのが狙い。…(中略)…最高検によると,ビデオ撮影を実施するのは,裁判員制度の審理対象となる,殺人や現住建造物等放火などの重大事件に限定。いずれの事件でも警察の捜査段階でのビデオ撮影は実施せず,送検後の検事の取り調べに限って行うとしている。事件ごとの担当検事が,容疑者が強制でなく,自分の意思にもとづいて供述したかどうかが公... 続きを読む

受信: 2006/05/11 18:55:11

コメント

この件、酔うぞさんブログ経由で色々な意見を知って難しいなと思いましたが、それでも、自分が裁判員になった場合、
犯行について争いがある場合、「当事者のみが知りえる秘密の暴露」の無い自白は証拠価値ゼロという判断は変わらないでしょうね。
私が裁判員として参加すれば、ずさんな捜査による立件は全て白になりますし、逆に捜査する側はそういった緊張を持って証拠固めをして欲しい。
犯行については争いが無く、それが殺人か過失致死か事故か、といった場合の自白の判断は、これは難しいところで適切な判断は難しいなというのが現状ですが。
判断材料として、取調べ状況の記録にろくなものがなければ、疑わしきは罰せずという判断の元に、被疑者有利の判断を下さざるを得ない、そう思います。
警察・検察には、自らの信頼性に国民からの疑義が向けられているということを真摯に受け止めて、どうすればいいか考えていただきたいと思います。
(酔ってるので乱文乱筆はご容赦のほどを)

投稿: chem@u | 2006/05/10 21:41:52

chem@uさん、どうもコメントありがとうございます。

そういえば「中西 vs 松井 裁判」は正に「専門業界の専門家同士の争い」なんですね。

一般的に言えば、素人と専門家が法的な争いになる場面はそうそう無くて、医療裁判の争いなどぐらいしか思いつきません。

一方、専門家同士はどんな業界でもそうそう裁判所で争うことにならないのが普通でしょう。
だからこそ、中西 vs 松井 裁判が私たちの目を惹いたのでしょう。
そして、私たちの「常識」は「専門家の論争は業界内でやってくれ」なんですね。

実際、原告の松井教授の立証・主張が「社会一般のだ表である裁判所」に出すのにはいかにも生煮えということは、裁判の進行に従った明らかになっていますから、それはそれでトンデモなんですがね・・・・。

やはり裁判員制度を採用するとか、児童ポルノ規制法とか共謀罪といった世界標準に強制(?)されることで社会が国際化(?)していくことは、社会的な「お約束」をも変わらざるを得ないということなのかもしれません。

学生職人にはどう説明すれば良いのか、考えてしまいます。

投稿: 酔うぞ | 2006/05/10 22:28:07

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