« 中西裁判・2006.4.14 | トップページ | 都教育委員会・挙手禁止で何を得る? »

2006.04.15

江戸民具街道

昨日は中西 vs 松井裁判の傍聴で午前十時に横浜地裁に行きました。

朝、書類仕事をしていたので電車では間に合わなくなって車で行きました。
裁判の日程は、曜日、時間、法廷番号を大体固定します。民事裁判では大体2ヶ月に一回の開廷となります。中西 vs 松井裁判は木曜・金曜日の午前10時半~午前11時す。
午前11時に閉廷してから隣の弁護士会館の会議室に移動して報告会があって報告会が終了するとお昼なので横浜地裁の地下食堂で食事をして解散というのがいつものパターンです。

そんなわけで、apj さんと com 氏を誘って、江戸民具街道に行ってきました。

この前、江戸民具街道の秋澤館長に「文字書き人形のビデオ画像から静止画を抜き出した欲しい」という依頼があって、それは新聞に秋澤さんが書いているコラムに自筆のペン画(ボーペン画)を描いて「文字書きに人形のカムなどの構造図を描きたい」とのことでした。

どんな絵になったのかな、と見に行きたいということとネットに宣伝して欲しいということがあってお誘いしました。
apj さんは「車で行かないと到達困難な場所にあるが、見学が可能な人はぜひ一度といわず、訪れてみてほしい。」と書かれてますが実際に公共交通機関ではかなり大変なこの場所です。

また何かの折には、ネット上の知人の方々を誘って案内したいと思います。
この博物館の収蔵品は江戸から大正時代ぐらいまでに限定されていて、約1万点だそうで基本的に民具に限定しているために、品物の質は極めて高く両国の江戸東京博物館にある民具よりも良い品物が多いです。
秋澤さんは「灯火が一番重要だ」とお考えで、タンコロという火皿のようなものをリメイクしていたりします。
行灯(あんどん)、がんどうといった江戸時代あるいは時代劇でおなじみの灯火を実演していますが、なたね油で灯を庶民が使えるようになったのは江戸時代になって、なたね油が量産されるようになってからだそうです。それでようやく三食の生活になりました。
このなたね油の量産以前には油はごま油が中心で、司馬遼太郎の「国盗り物語」には神宮が専売していた油を楽市楽座で自由販売にしたことが戦国時代・江戸時代と油の消費を増やしたという説明になっています。

今では「油」というと石油を考えてしまいますが、日本を例にすると明治時代になるまで灯火も植物油でした、石油がなぜ使われなかったのか?という秋澤さんは「石油の分留が出来てから日本ではランプを使った」とのことです。確かに、アメリカも鯨油を大量に採っていたから、日本開国を要求したのですね。
ところが明治時代には電気が入ってきていて、大正時代には東京では電気照明が一般的になってしまいます。つまり石油ランプの時代は日本ではほぼ一世代だけだったのですね。なたね油による行灯(あんどん)などは200年~300年といった長期に利用されたから色々な器具が江戸民具街道にあるわけですね。
長らく通っているとこんなことを改めて考えるようになりました。

4月 15, 2006 at 08:22 午前 日記・コラム・つぶやき |

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/2299/9599917

この記事へのトラックバック一覧です: 江戸民具街道:

コメント

あそこは良い場所のようですね。是非、行かねばと思いつつ時間がたってしまっています。ところで、

> 長らく通っているとこんなことを改めて考えるようになりました。

うんうん、実際、良く行かれていらっしゃるということが長年のネット活動から垣間見えますが、伺うところによりますと館長さんは大変美人な女性の方だそうですね。サポート話楽しみにしております(爆笑)。

投稿: 明るい空 | 2006/04/15 10:38:07

>館長さんは大変美人な女性

お嬢さんね(^_^)

投稿: 酔うぞ | 2006/04/15 10:56:50

コメントを書く