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2006.04.30

葬儀での清めの塩は死者への冒涜だと

産経関西より「「清め塩、死者を冒涜」 京都・宮津市の“啓発”に市民反発
京都府宮津市が全戸配布する広報誌などで「葬式での清め塩は故人の尊厳を冒涜(ぼうとく)することにならないでしょうか」などと廃止を呼びかけたところ、市民から「行政が口出しすべきことなのか」と苦情が出ている。

同市教委は平成16年、市民の意識調査で「葬式には清め塩を出す」とした人が56・6%に上ったことが「意外に多かった」(市教委)として、“啓発が必要”と判断。

同市教委は、「市民に因習にとらわれない生活を勧めたい。廃止を強制しているのではなく、あくまで再考のきっかけとなれば」と説明している。
なんかヘンだと思うぞ。

確かに「清めの塩を出すことに抵抗がある」というのは感じるが、それが「個人の冒涜になる」「清めるのは死者を穢れたものと見るからだ」なんてことを考えないのではないでしょうかね?
「機械的に出せばよいというものではないだろう」という抵抗感が大きいのであって、なんか理屈を考えたことなんて無いよ。

まして市教育委員会が「因習にとらわれることが良くない」と決めつけることが正当なことか?
習俗を守ることは教育委員会の責務の一つだろう。だから「因習だから否定する」と判断するなんて事を軽々しくやってはいけない部門だと思う。
市民が直感的に反対するのは正しいことだと思う。
まして
「今まで親しんできた人を、亡くなった途端に、けがれた存在とみなすのは人間の尊厳を冒涜することにならないでしょうか」
などと教育委員会が説教するというのは立場を考えていないと感じる。

4月 30, 2006 at 08:12 午前 日記・コラム・つぶやき |

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コメント

葬式で、清めの塩を出す風習のところがあるんだ~と
別の意味で興味を持ちました。

葬儀に関して説教をたれるとすれば
仏教では、お寺さんの役割でしょうね。

投稿: あんね | 2006/04/30 12:57:07

そうなんですよ。

教育委員会が「因習を」なんて言い出してはいけない、というのが一番の問題なわけですわ。

投稿: 酔うぞ | 2006/04/30 13:05:03

 日本の仏教の宗派のうち、最大信徒数を抱える浄土真宗では、「人は死ぬとお浄土に生まれ、そこから生きている人を導いてくださる」と教えているはずでは。だから、市がとやかく言う話ではなく、むしろもっと浄土真宗がんばれって話な気がする。

投稿: apj | 2006/04/30 17:31:45

 日本の仏教の宗派のうち、最大信徒数を抱える浄土真宗では、「人は死ぬとお浄土に生まれ、そこから生きている人を導いてくださる」と教えているはずでは。だから、市がとやかく言う話ではなく、むしろもっと浄土真宗がんばれって話な気がする。

投稿: apj | 2006/04/30 17:32:15

 清めの塩のような、因習は、死を畏れるというところから発している訳で、あまりにも煩雑なシステムになると省略したくもなるが、故人を畏れるのでなく、死を畏れるのは正しい方向性だと思う。
 基本的に、個人の問題であって、清めの塩を掛けようが掛けまいがどうこう言う気はないが、一方的に「かけるな」というのは鬱陶しいよなぁ。

投稿: 神北恵太 | 2006/04/30 19:03:55

 関東の葬儀屋は、デフォルトの葬式セットの中に、白いハンカチ・会葬礼状・清め塩をセットでつけてますね。
 身内の葬儀は、祖父・祖母・父・母と経験して来ていますが、全部清め塩はつけてました。
 「いらない」と言えば外すらしいけど、料金は変わらず。
 つける人が大半の物であれば、つけないと逆に何か言われるのが嫌だから、とりあえずつけておけ・・・みたいな。(^^;
 確かに単に因習に従っている訳ですね。

 ところで清め塩の意味ですが・・・。
 死者の周りには、魔が集まって来やすい。
 死者に集まってくる魔を払い、清い状態で冥界に送ってやるための儀式が葬式の意義。
 葬式に参列すると、死者に集まって来た魔がついてくる事があるから、それを参列者の家に持ち込まないために清め塩を使ってから帰宅する。
 と私は伝え聞いています。
 このように、死者の霊を払う物では無く、死者の周囲に集まって来やすい魔を払う物と言う考え方なら、「死者への冒涜」と言う考え方はまるで見当違いだと思うんですけどね。

 日本には清め塩なんかより大量に余計な物や金が動く変な因習ってもっと沢山あるんですが。

 葬儀絡みにしたって、香典の名目で金を集め、その1/3~1/2は香典返しとして「返さなければならない」とか。
 そもそも香典の意味は、葬儀のために費用が掛かる事から、その葬儀費用を会葬者が一部負担する事。
 そして、一家の大黒柱的存在の方が無くなった時には、残された遺族の生計を維持する当座の資金としての寄与。
 もともとはそう言う思想の物だと言う事で。
 暫く時期を置いてから香典返しをするのは、遺族の生計はなんとかなっているので、頂いた香典の一部からお返ししますと言う意味。
 そう言うもともとの考え方を無視して多額の香典を出すのは出す方の見栄だけだし。
 本来の意義から言ったら、必ず返さなければいけない物でも無いのですが。
 それを単なる因習に基づいた儀礼としか考えて無いから、不必要に金が行ったり来たりしているのですよね。

投稿: craftsman | 2006/05/01 0:48:07

 あ、肝心な事を書き忘れている・・・。

 過去の因習云々するならば・・・。
 因習が発生した起源は必ずあるはずですよね。
 その起源まで遡って調べもしないで、単に因習だから間違っている、良く無いって考え方自体、単に因習だから従っている人と同じく、思考停止じゃないですかね?
 教育委員会と言う、教育者の集団が思考停止した状態で物を言うのって・・・ねぇ。(^^;
 清め塩の是非云々以前に、そう言う体質自体が問題かも。

投稿: craftsman | 2006/05/01 1:35:12

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