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2006.04.08

白浜シンポジウム・私的な解説2

99年に初めてコンピュータ犯罪に関する白浜シンポジウムに参加した時に、実際に参加するまでは岡村久道弁護士など有名人が居ることは理解していましたし、大学の先生や警察なども参加していることは知っていましたが、それはあくまでも名刺や肩書の世界の話であって、それぞれの方々がどんな方面に影響力がある方なのかはさっぱり理解して居ませんでした。
もうちょっと専門的な観点では、法律を新たに作る時の手順やそこに関わる人たちを知らなかったのです。ところが後になって気がついたのは、シンポジウムに参加している方の中に何人も法律を作るところに関わっている方が居ました。

全くの素人が参加してしまったのですから図々しいことこの上無いと言えます。

わたしはネットワーク上で法律問題について興味の中心は基本的にパソコン通信での今から見ると比較的濃厚な対人関係の中で起きるトラブルが中心にあるので、社会の常識とか人の行動といった面に向かっていました、今もそれは同じです。
コンピュータ犯罪というとハッキングといったテクニカルな面について強調されることが多く、ウイルスにはアンチウイルで対向するといった話に簡単になりますが、どこからウイルスが来たのか?といったことについてはあまり問題にされません。

99年のシンポジウムのタイトルは「ネットワーク時代のコンピュータ 犯罪」でした。
わたしはシンポジウムに参加した時点で「犯罪」を「犯罪行為」と解釈していましたが、いつもシンポジウムの目玉である「外国講演」のスピーカーはFBIの関係者でモロに犯罪捜査の観点から、コンピュータ犯罪の捜査の難しさと必要とするツールなどについての説明でした。

つまり極めてテクニカルな話であって、わたしが考えていたネットワークの向こうに居る人をどう見るか?といった話しとはほとんど対極にある内容でした。
今になって振り返ると、警察がコンピュータ犯罪を捜査対象として捜査方法を研究するのは当然だと分かりますが、当時はそれ自体が不思議に思えました。
つまりわたし自身がコンピュータ犯罪を可能性の問題といった程度に考えていたわけです。

日本の法律の体系を概念的に説明すると、人の行為が問題であるとされた場合に、それが社会的に処罰するべきことだとされると刑事の裁判になります。
社会的に処罰をしないけど、争っている2者のどちらの言い分に勝ち目があるのかを社会的に判定するのが民事。
非難されるかもしれないが、刑事はもちろん民事でも争いにならない範囲、道徳とかマナーと呼ばれる範囲。
と考えて良いでしょう。

伝説のハッカーと呼ばれたケビン・ミトニックが「詐術」を発表したのが2002年らしく1999年ごろには、ミトニックが明らかにした「ハッキングの大半をテクニックではなく、人をだますソーシャルハッキングだった」ということが知られてなかったのでしょう。
だから「コンピュータ犯罪」=テクニックといった観念がまだ強かったのだと思います。

プロバイダ責任制限法(2001年11月)でネットワークの管理者を「特定電気通信設備を用いて他人の通信を媒介し、その他特定電気通信設備を他人の通信の用に供する者をいう。」と極めて広範囲に適用しましたが、99年当時は大学でネットワーク管理を任されている先生が「商売で管理者をやっているわけでは無いのに、管理責任を追及されても困る」という意見を述べるくらいでした。

4月 8, 2006 at 12:11 午前 白浜シンポジウム |

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