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2006.03.05

裁判員制度・文化の変革が必要?

「裁判員制度・自白を考える」は裁判員には自白調書といった専門的な内容を素人の裁判員に説明するのが困難だ、ということも含んだ話題です。

法曹三者(検察・弁護・裁判所)は裁判員に分かりやすく事件を説明する必要があるから言葉遣いを変えようとして現在、作業しているそうですが、わたしの考えでは、それ以上に日本において専門家だから無条件で信用する、といった文化的な側面を問題にしないわけにはいかないなと考えています。

裁判所というか法曹三者の間では判断が出来ない専門的な事柄の判断は鑑定人が判断しています。
これは考えようよってはけっこう大変なことで、証拠の一部とは言え議論のあることを一人の鑑定人が決めてしまう、という側面もあると思うのです。

では専門家が決めることの何が問題があるのか?ですが、実業というか技術の世界では「○○に関する専門家です」「お願いします」で中身を説明することなく、結果がよければOKというのが普通でしょう。
これが裁判となった場合にどうなのか?と考えてみると検察・弁護・裁判所も法曹の専門家であるわけですから、鑑定人も専門家であるとすると、4者の専門家が了解すればよい、つまり「説明することなく」進行するわけです。

このようなところに、裁判員という素人が加わるのです。裁判員に「専門家の判断ですから」というだけで裁判員が納得するものでしょうか?
裁判員が納得しない場合に鑑定人などの専門分野の説明を延々とやったら時間ばっかり掛かってまとまらないでしょう。
最悪の場合は鑑定の内容が分からないから証拠採用しない、ということになりかねない。
これは言わば「専門家同士の説明では、信用して進める」という日本の(主に商業的な)文化の性質ですから、素人にも分かるように丁寧なプレゼンテーションを鑑定人に課するといったことでもやらない限り自然になんとかなるものではないでしょう。

こうなると裁判員制度は日本の文化が変化しないとうまくいかないのかしれませんが、文化の問題ですから日本的な察するといったところからアメリカ流のプレゼンテーションや細かい説明といったものに重点を移さないといけないのかもしれません。

3月 5, 2006 at 01:59 午後 裁判員裁判 |

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