弁護士欠席事件・その3
「弁護士欠席事件・その2」は、事件の問題や、死刑の是非といったことよりも法的秩序を弁護士が直接的に破壊することは極めて危険なことだ、という観点で書いたつもりです。
blog を「母子殺害」をキーワードにして検索したところ、キーワードのせいか読んでみた20ぐらいの blog の事実上すべてが、裁判の遅延、死刑の是非、安田弁護士といったところを論じていて、わたしの考えているような問題を論じている blog には出会いませんでした。
安田弁護士の行為は最高裁で行われたのだから、より上位の法律手続きが無い所でやっちゃったことなんですよね。 弁護士欠席事件の法的な正否を決するのは、最高裁を裁くことが出来るところでやる、とか言うのでしょうか?
技術論は別にして、これでは哲学や宗教の領域に入ってしまい、法的な解決が出来なくなってしまいます。 わたしは弁護士が最高裁を舞台にして「法的解決をしない」と宣言したようなものだ、と恐ろしく感じます。
blog を調べているうちに宮崎学氏が「弁護士安田好弘を擁護する」を論じていました。
blog を「母子殺害」をキーワードにして検索したところ、キーワードのせいか読んでみた20ぐらいの blog の事実上すべてが、裁判の遅延、死刑の是非、安田弁護士といったところを論じていて、わたしの考えているような問題を論じている blog には出会いませんでした。
安田弁護士の行為は最高裁で行われたのだから、より上位の法律手続きが無い所でやっちゃったことなんですよね。 弁護士欠席事件の法的な正否を決するのは、最高裁を裁くことが出来るところでやる、とか言うのでしょうか?
技術論は別にして、これでは哲学や宗教の領域に入ってしまい、法的な解決が出来なくなってしまいます。 わたしは弁護士が最高裁を舞台にして「法的解決をしない」と宣言したようなものだ、と恐ろしく感じます。
blog を調べているうちに宮崎学氏が「弁護士安田好弘を擁護する」を論じていました。
毎度言うのもアホらしいが、大きな刑事裁判のたびに巻き起こる「早く終わらせろ、早く吊るせ」的な世論にまたも迎合する司法官僚とメディアの姿が露呈したと指摘しておく。宮崎氏が主張としてご自分の考えを述べることは重要だし、最大限の擁護をされるべきことで、かつ裁判制度自体がダメであると主張することも重要な批判であると思います。
ことでありましょう。 実力行使つまり暴力では人類社会はあまりにコストが高いということで、法的秩序を守るということを何千年も掛けて作り上げてきたのです。
今も将来もこれは作り続けていかなければならないことですが、実力行使はある意味で簡単に何千年も掛けて作ってきた法的秩序=人類の知恵の結晶を破壊できます。
代表は戦争でしょう。法的秩序に対する実力行使とは暴力や破壊、戦争といったことと極めて近いところにあるでしょう。
政治的な範囲では革命と言う場合もありそうです。
会社内の勢力争いで暴力沙汰になる、といったことはたまにあることで、無くすことも出来ないと思いますが、それらの全てを最終的に社会的にまとめるのが最高裁である、とわたしは理解しています。
それをぶち壊したらどうなるのか?
今回のもっとも重要な問題は、この一点に尽きるでしょう。
「わたしが法だ」と思い込んでいるのではないか?という印象しか受けません。
これでは実務の世界からはお引き取り願うしか無いです。
【追記】
さらにリンク先をいくつか読んでみたら
こういう事情だから、仕方ないと考え直したとして安田弁護士の行為を妥当であるといったご意見を述べている複数の blog がありました。しかし、個々の事件に「事情を考慮すると」といったことを最高裁の開廷にまで及ぼして良いものか?
開廷を延期することが容易に出来るのであれば、いくらでも裁判を引き延ばせることになってしまう。
まして「最高裁の判決が予測できるから」ではどうしろというのですか?
最高裁の判決とは色々文句や問題があっても社会的にここらに落ち着けると決めることでしょう。決めることを延々と延期すること自体は最終的には明らかに許されない。今回の事件は、いきなりドタキャンして最高裁が怒ったのではないです。延期について弁護士と最高裁は交渉した後に最終的に欠席しました。
弁護士は延期について主張しています、そして主張が認められないから欠席した、以外のどういう解釈が出来るのでしょうか?いったいどこが「社会の多くが納得できる、延期する事情」であると言えるのでしょうか?
3月 17, 2006 at 10:07 午前 事件と裁判 | Permalink
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» 愚考:ブログ炎上(安田弁護士欠席と山口母子殺害事件) トラックバック 時評親爺
数日前の記事「最高裁公判に安田好弘弁護人欠席(山口母子殺害事件)」で書いた件について、あちらこちらのブログを覗いているが、あるブログ(複数)が炎上している。いや、この「炎上」と言う用語をここで使用してよいものかいささか疑問なのだが、日頃巡回して読ませていただいている「踊る新聞屋ー。」さんが(内容は異なるけれども)取り上げておられたので、状況的に似ているであろう?と解釈して使用させていただいた。
で話題の「炎上」しているブログだが、既にオーナー氏の手のつけられない?状況にあり、この上更に劫火に包... 続きを読む
受信: 2006/03/19 14:18:49
» 弁護士欠席事件・その4 トラックバック 酔うぞの遠めがね
産経新聞より「弁論続行認めず結審 山口県光市の母子殺人で最高裁」 死刑判決を求める検察側に対し、前回の弁論を欠席した安田好弘弁護士ら弁護側は「一、二審には事実誤認がある」と主張し弁論の続行を要請。 しかし、最高裁は1カ月以内の書面による追加主張の提出を受け付けるとした上で結審した。 判決期日は後日指定される。 この日の... 続きを読む
受信: 2006/04/18 21:43:14
コメント
無駄に長生きするより、死を目前にすることで、、自分と向きあうことのできる人もいますよね?
そのほうが、その人の人生に重みがある場合だってあるはず。
もし、彼が再犯を犯したときその責任は誰がとるのでしょう?
投稿: とおりすがり | 2007/05/25 9:53:45
原告、被告という立場で審理される刑事事件の裁判ですが、
常々腑に落ちないのは、代弁者のビジネス感覚が際立っているからです。
罪人の弁護者は、検察側が「早く終わらせろ、早く吊るせ」的な指向にあり、
さらにメディアはことさら極刑を示唆し、いたずらに民意を煽る。
という趣旨を述べていますが、既に7年を経過する殺人事件です。
母親への性的暴行の末に殺し、赤子まで手にかける残忍な事実がある訳で
この世に大切な人情を忘れてはなりません。
確かに「法の下の平等」は基本中の基本です。
しかし、職業的に刑量を争うようなビジネスの場であってはならないのです。
裁判の場において、参画する全ての人に共通する言語があります。
それは「良心」です。
日本の司法で最も肝要とされるのは、良心を根幹とした奉行精神なのです。
奉行精神にある良心を信じるがこそ、国民は裁判所に身を委ねるのです。
近年の米国化によるものか・・総意の良心に水を差すような裁判合戦には
興ざめどころか、法に対する畏怖の心さえも失わせかねません。
職業人の前に、毅然たる日本人として公僕に努めて頂きたく願います。
投稿: 盲目のディレンマ | 2007/05/25 12:01:50
6日に弁護人就任して,7日に期日延期の申請をして,8日に却下されている。
3か月は無理でも1週間くらい延期しても良かったんじゃないの?
あなたは,「そんなことすればいくらでも引き延ばしができてしまう」というのだろうけど,
一回の延期も許さないのは,少し穏当ではないのでは?
しかも,延期申請の目的が3か月間の引き延ばしであったとしても,
それによる弁護人のメリットはない。
そうだとすれば,真に準備期間が必要であったと考えるのが自然。
真に準備期間が必要な弁護人に対し,「正当な理由がない」と返答した最高裁のほうが少しおかしい。
もちろん,死刑の是非などという問題とは全く関係ない。
投稿: ペン | 2007/05/27 3:57:44
下記ブログの情報によると、引き伸ばしによって裁判長が変わるという変化があったらしいですよ。
このような情報も含めると、引き伸ばしが目的だったという理解も妥当だと思います。
ttp://www.yabelab.net/blog/2006/03/14-183615.php
投稿: とおりすがり | 2007/05/28 12:20:50
小生は、この様な事件報道に出会う度、いつも同じ思いが湧き出でてきます。
人の生命を故意(重過失も含む)に奪った者の罪は、自分の生命を以ってしか償えない…
何故、その様な考え方が定着しないのだろうか…と…。
被害者の人権は全く無く、加害者は司法の技術的な面のみでの適用で量刑を科せられるだけで、
死刑に処せられる者は極々限られた者のみです。
罪を犯した者の為に多大な税金を使用し、模範囚であれば刑期を真っ当せずに出所し、
自由に生きていける。しかも、その社会的貢献度は、無に等しい。
被害者は蘇る事は無く、被害家族は生涯、事件を忘却する事は出来ない。
こんな理不尽な事が、何度となく繰り返される。
空しさのみが残る。
人権擁護と言う美名の下に救われるのは、加害者のみで、被害者とその家族は、
更なる追い討ちをかけられ、無念の声すら届かない。
どの様な理由にしろ、生命を奪った事の事実は絶対に消えない。
そして、その事への償いは、自らの命を差し出す事以外には無い!と、小生は考える。
世の中の風潮・潮流が、小生の様な考え方を容認し、是認できる日が来る事を切に願って止まない。
投稿: Daddy | 2007/06/29 0:09:30
光市母子殺害事件では、最高裁が「強姦を遂げるため被害者を殺害して姦淫し、更にいたいけな幼児までも殺害した各犯行の罪質は甚だ悪質であり、2名の尊い命を奪った結果も極めて重大である。各犯行の動機及び経緯に酌むべき点はみじんもなく、強姦及び殺人の強固な犯意の下に、何ら落ち度のない被害者らの生命と尊厳を相次いで踏みにじった犯行は、冷酷、残虐にして非人間的な所業であるといわざるを得ない」としている。
これに対する今回の行為は、裁判制度を無視することであり、弁護士として、やってはならない行為であろう。
また、裁判所の外で、死刑廃止論を論ずるのは構わないが、裁判制度を無視した論理や手段をこうじることは望ましくない。主張する権利にて、主張すべきは主張し、判決が出たら、それに従うことが法治国家にいるものの義務であろう。
自分の権利だけを主張し、他の人の権利を認めない人を誰が味方するであろうか
投稿: 裁判制度があっての弁護士 | 2007/09/16 15:48:08