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2006.01.30

裁判傍聴記事と当事者の立場その1

「インターネットに書かれるから証言拒否や追加訴訟」で報告したとおり、二つの裁判で「裁判を傍聴してインターネットで記事を書かれて被害が発生した」という趣旨の主張がありました。

両方とも主張しているのが原告で傍聴記を書いているのが被告支援者という構造ではあるのですが、おそらくは「報道被害」と同じようなことで記事の中に誹謗中傷に当たる記述があるというよりも「周囲で評判になって、結果的に損害が出ている」のが問題なのだと思います。

ちょっと分析してみます。

1997年の「NIFTY-Serve現代思想フォーラム裁判」がネットワーク上の発言などをめぐっての最初の裁判だと認識していますが、当時は裁判の様子を傍聴しに行ってアップするなんてことをする人は居ませんでした。
これは裁判に対してある種の距離感あるいは尊敬があったから「近づかない」という心理が働いたように思います。
平たく言えば「裁判に訴える」と言うとそれまでの喧嘩から別の舞台に移ってしまった。といった所でしょう。
またインターネット自体が社会に影響を与えるほどの力が無かったとも言えます。

もめ事がインターネット利用によって社会的・法的に大騒ぎになったのは1999年の「東芝 vs クレーマー問題」でしょう。この事件で企業がインターネットの恐ろしさを初めて認識した、といって良いでしょう。

わたしは1999年5月から今まで連続して「コンピュータ犯罪に関する白浜シンポジウム」に参加していますが、当時は大学でネットワーク管理をしている先生は「ネットワーク管理が正式の仕事ではないのに、責任を負うのはゴメンだ」といった意見を述べていた時代であったわけです。

このネットワーク管理者に責任があるのか?義務はなんなのかはいまだに明瞭にはなっていませんが、2002年に実施された「プロバイダ責任制限法(PDF)」によって管理者には一様に一部の責任が課せられました。

個人的にはこのような情況で2004年に起きたのがウェディング問題でわたしは「ウェディング問題を考える会・会長」になってしまいました。すでに上記のようなネット上の発言と裁判についてある程度の知識を持っていたことと、名誉毀損裁判が極めてやっかいな裁判であることを知って、ウェディング社に「裁判をしないで話し合うことで解決しないか」と呼びかけて、最終的にウェディング社は提訴を取り下げ裁判にはなりませんでした。

しかしウェディング社はその後も「インターネット上の検索で悪評が先に出てくるのはなんとかならないか」と嘆いていて、もっともだと思うのですがインターネットの検索は結局は世論の反映ですから、一発で解決といった手段が無いことを説明しています。
ウェディング社の担当者は「(裁判に進まなかったのに)今でもインターネットの評判は問題なのだから、裁判に突入して全インターネットを敵に回すようなことになったらどうなっていたか・・・」と言っています。全くその通りで世評というのは恐ろしい。

こういう実績もあって、大きな企業ではインターネットに対する法的な対応も随分と進歩しましたし、またインターネットそのものを上手に使うようになってきました。

1997年から現在に至るまで、インターネット上の発言で刑事事件になったり名誉毀損で民事訴訟を起こされる例は増えて、裁判の経過がインターネット上に報告されたり支援を求める当事者のサイトなどは非常に増えました。わたしが継続して傍聴している「ホームオブハートとToshi問題を考える会」もその一つです。
原告・被告を問わず裁判の当事者がインターネットで情報を公開することには、裁判での戦い方に影響することもあってかなり抑制的にならざるを得ません。そのため裁判を扱っているHPは比較的地味であり、掲示板で盛り上がるなんてことにならないままで来ました。

今回同時に問題になった「平和神軍裁判」と「中西 vs 松井裁判」は共に傍聴人が記事を書くので、それまでの「裁判を扱うHP」は当事者が作るから一つしかないと言うのとは大違いで、複数のHPなどで一つの裁判が取り上げられるという事態になりました。
この理由は blog の普及が大きいでしょう。

こうなると当事者は以前の「インターネットにちょっと出るだけ」ではなくて、まるで関係ない人が「裁判をやっていたのだね」と知ってしまうから、ビジネスなどに問題が出てくるのは間違えないでしょう。

【この項続く】

1月 30, 2006 at 10:31 午前 裁判傍聴 |

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コメント

裁判というのは、本来、当事者同士で解決すべき争いなのだが、それが当事者間だけでは解決できないとき、第三者に判断を仰ぐというシステムと思うんですが、そのとき、「当事者同士で解決すべき争い」のプライベート感覚に相違があったりすると、今回のような、主張が出てきたり、裁判官がうっかり?同意してしまったりするのかなという気がします。

公人・私人みたいなものとも云えるのでしょう。公人としてなら、その振る舞いを他者に公開されてしまうことを否定することは難しいですが、私人としての部分はプライバシーという壁を建てることができます。

しかし、では、公人と私人の間にも段階があると考えた場合、直接の関係者には公開されるのは仕方ないけれど、見ず知らずの人にまで知られるのは苦痛であると考えるのはあり得ますし、心情的にも理解できます。

それが決して特殊なものではないことは、ネット上でサービスとし、段階的にコントロールできるようにしたのが SNS であり、それが成立していることを理由としても良いでしょう。

裁判の経緯・結果などというものは、以前は当事者・関係者以外では法曹関係者といった限られた人しかコンタクトしなかった、つまり、パソコン通信のごとく、その世界へのアカウントを持っていない人には縁のない世界だったと思います。

それが、インターネットと、その上のブログという手段の普及によって、アカウントのない人たちにも提供が始まってしまって、さて、それが良いのか悪いのか、というところが、今、なんでしょうね。

投稿: Tiger | 2006/01/30 11:40:09

Tiger さんコメントありがとう。

実はこのテーマは先週から何度も書き換えてアップせずにきたのものです。

続編に書きますが、色々な価値観や立場が交錯して現状は「良く分からない」のであっちこっちで勝手なことを言い合っている、ということでしょう。

そこにある種の意見を出すのは大変ですが、なんとかしないとねってところですね。

投稿: 酔うぞ | 2006/01/30 12:58:54

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