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2005.06.04

一宮の小学校から情報流出は面倒な事件だ

Tetsu=TaLowの雑記さんの記事「[セキュリティ] バカ?」も見解を述べていますが

北陸中日新聞より「全児童名簿がネット流出 愛知・一宮の市立小
ちょっと前の事件だが、整理された記事がなくてちょっと書くのを控えてきました。

一宮市教委によると、これらの個人情報は小学校で作成、管理されたもので、二〇〇四年三月末ごろ、同小学校の当時の校務主任の男性教諭(47)が、PTAへの案内状作成や成績処理作業を行うため、持ち運びできる外部メモリーに保存して自宅へ持ち出した。この教諭は息子のパソコンで作業し、データを消去しなかったため、個人情報がそのまま息子のパソコンに残った。
息子はこのパソコンでファイル交換ソフト「ウィニー」を使っていたが、今年三月五日から三十日までの間、ウィニーが自動的にデータを外に流すウイルスに感染、パソコンは常時インターネットにつないだ状態だったため、そこから情報が漏れたとみられる。
2004年3月つまり1年以上前に、自宅の息子つまり他人のPCにコピーして作業し、そのまま削除しなかった。
その後、Winy でウイルスに感染しデータが流出した

この問題は、
   1 データを持ち出した
   2 他人のPCで作業し、消さなかった
   3 Winy を使用していて
   4 ウイルス感染していたので、流出した

と言えるでしょうが、実は流出したデータを見てみるともっとやっかいな話しのようです。

名簿には児童の氏名や電話番号、保護者名、住所のほか、一緒に登校するグループの通学班、兄弟姉妹の名前と学年クラスが記載されていた。教職員名簿には、住所、年齢、教員免許の種類、出身大学と卒業年月が書かれていた。
さらに、運動会で児童がグループで走っている写真など複数の児童写真も流出していることが確認され、同教諭が〇三年度に担当した三年生の体育と四年生の図工の個人成績表も流出していた。
この流出データを見るとどう考えても一つのファイルではない。つまり、フォルダーか最悪の場合ドライブの内容をコピーして持ち出したことになるでしょう。
なまじメモリーにコピーして持ち出せる技量があったことが被害を拡大したと言って良いでしょう。

こういう事件に対して「管理を強化する」でなんとかなるものなのでしょうか?
廃棄HDDから情報が流出した場合に、なんでHDDを破壊しておかないのか、という非難のようなものかもしれません。とてもじゃないが、当事者にそのような先の先の問題を理解しろというのが無理なような気がします。
じゃあ「とにかく持ち出すな」で済むのかと言えば「持ち出せないからコピーする」になるに決まってます。社会全体としてコンピュータデータをやり取りしているという現実があるのですから、持ち出すな・ネットに接続するななんてのは全くの無理です。

この先生がやるべきことは
   1 持ち出すデータは必要なファイルだけに限定する
   2 作業するPCにはファイルをコピーしない
   3 作業中はネットワークを切断しておく
   4 作業終了後に TEMP ファイルを削除
といったところでしょうか?
そもそも他人のPCで作業するというのが論外で、他人のPCでやるなら仕事場(学校)の同僚に委託するべきだったでしょう。

後から見ると「そんなの常識だ」と思えるし「よくよく間の悪い組合せで流出した」とも思えますが、その「滅多にない組合せ」で事件は起きるのですね。

6月 4, 2005 at 10:00 午後 セキュリティと法学 | | コメント (3) | トラックバック (1)

地上デジタル見たくない人が2割

font color="blue">nikkeibp.jpより「こんなにある、デジタル放送に二の足を踏ませる理由
この記事は日経パソコン編集長、92年日経MAC編集長、編集委員室主席編集委員などを歴任した林 伸夫さんの署名記事です。

gooリサーチとjapan.internet.comが5月11日に発表した定期レポート「地上デジタルテレビ放送に関する調査」の第14回結果はちょっとショックなデータが出てきた。地上デジタル放送を「見たくない」とする人が過去最高の19.8%に上昇したのだ。
同調査は2004年4月より定期的に行われている。初回調査では「見たくない」と答えた人は14.7%だった。以来14回調査の今回に至るまで、この数字はじわじわと上がり続けついに19.8%に達した。
2004年4月つまり1年前からの調査で、見たくない人が14.7%から19.8%に上昇したということだ。

林氏は記事で

●視聴スタイルを異常と思えるほど厳しく制限したために、思っていたほど便利で楽しめる機器に仕上がっていないのが評判を落としている。
●ハイビジョン映像を直接録画蓄積できる機器の商品化がなかなか進んでいないことが上げられる。
●コピーワンスの発想が市場性を阻害する
といったことが原因の一つであると指摘しています。
ところがもう一つ重大が問題があります。
地デジ放送をすでに視聴している人の満足度は、「満足/どちらかといえば満足」と答えた人が50.6%、「不満/どちらかといえば不満/どちらともいえない」、つまり満足していないが49.4%だった。
地デジ放送対応機器を買い込んだ人が満足していないというのはどういうことなのだろうか? 調査は不満の理由を聞いていないから、理由を特定することはできない。しかし、地上アナログ放送もデジタル放送も同一番組を放送しているから、番組の構成や内容についてことさらに文句があるわけではないはずだ。つまり、デジタル放送ならではのメリットを満足に享受できないから、ということは言える。
これは「わざわざ金を出して買うほどのものじゃない」ということになっているのでしょう。

わたしはテレビのアナログ停波(2011年=6年後)してもデジタルテレビを見ない=テレビを見ないかもしれない、と思っている者です。
実際問題として我が家はCATV受信なので電波をそもそも受信していません。これは地上デジタルになっても変わらないはずですが、CATV装置を地上デジタル(ハイビジョン)対応にするのか?という問題と、受像器そのものをハイビジョン対応にするのか、という二段階があって、CATVがサービスとして現行の受信機で見える画質を提供してくれるのであれば受像器を変えないで済みますから、実質的に地上デジタル対応ではない、ということが可能かもしれてないのです。

世の中のテレビ画面が全部ハイビジョンに変わるのには何十年か掛かるでしょう。
それは旧来のVHSビデオとかを見る人が居なくなるまでということと同義語なのです。
つまりそれまでは現在の画質の受像器は不可欠です。

現在のアナログ停波後のイメージが放送局や総務省から出ているとは思えないのですが、機械的に考えると、地上デジタルやハイビジョン対応の機器でテレビを受信して、以前から持っている普通のテレビでビデオやDVDを見る、という並立を考えているようにしか思えません。
実際にはこんなことはあり得ないのであって、ハイビジョン対応機器が普通のテレビが見えることなります。
つまり、実際に地上デジタルやハイビジョン画面を見るか見ないかという問題になり、さらに地上デジタルのデータ受信など画質以外の部分を活用するユーザがどれほど居るのか?という問題になってきます。

ベルリンでは地域が狭いこともあって、地上デジタル放送開始後3ヶ月でアナログ放送を停止しましたが、それでもデジタル対応機器で売れたもののトップは1~3万円程度のデジタル・アナログ変換器だったそうです。
つまりデジタル放送で高画質を提供します、と言ってもユーザは不要だと言ったわけで、同じ事が日本でも起きているのですね。
どうなるのでしょうか?

6月 4, 2005 at 11:35 午前 もの作り | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.06.03

個人情報保護法で断ったから刑事事件になった

サンケイ新聞より「個人情報“過”保護!? 加害者名教えられぬ 両親たまらず被害届
あまりに複雑な話なので、記事を読んでいただくとして概略は、大阪府立高校で喧嘩さわぎがあって、負傷した(暴行の被害者)生徒側が学校に相手生徒の氏名や連絡先を問い合わせたら「個人情報保護法で公開出来ない」と断られしまった。
そこで、被害生徒側は警察の手を借りるために被害届を出して刑事事件にしてしまった。
警察からの問い合わせにも学校は開示を断ったのだが警察は「捜査上必要だ」と説明してやっと学校は開示した。

最初に問い合わせた生徒側に対して学校が「個人情報保護法により開示出来ない」と断ったのが正当か?となると、個人情報保護法上は正当でありましょう。
しかし、これでは社会が成り立たないし、警察からの問い合わせに対して断った学校の法律に対する理解は不十分であったことは確かだろう。

それにしても、この手のトラブルが起きるだろうということは昨年の段階で各種勉強会などで出ていた仮定の問題そのものです。
つまり、やはり現在の個人情報保護法は実用に耐えない法律ではないか、という問題が噴出したと言えるでしょう。
法的に正しいけど社会常識としてダメだという場合、法律がダメなんですよ。社会常識の方が間違っているというのはあり得ないことです。

6月 3, 2005 at 07:26 午後 事件と裁判 | | コメント (0) | トラックバック (0)

地域FM放送から考える

2002年10月に横浜市青葉区をエリアとする地域FM放送局「FMサルース」がスタートしました。
地域FM放送局は国道246沿いだとFM世田谷渋谷FMとありますが、地域FM放送局は聞く側にとっては住人に合わせるためか、たの放送局に比べて気分が良いと感じします。

時間的にも良く聞く番組にCindy鈴木のRise&Shineがあります。

シンディー鈴木さんのことは、だいぶ以前から知っていてFMサルースで番組があると知って「おっ!」と思ったものです。

ラジオのパーソナリティも最近では個性的というか自分の言葉で話す人が増えてきたと感じます、これは市場が求めていることでしょう。その中でわたしが以前から知っているというのは、今振り返ってみると「自分の言葉出話す人」ということあったのだと思います。
ま、公式サイトのDiaryを見てみるとなかなか個性的な人だとわかります(^_^;)

そんなこんなで、この番組はメールで勝手なことを書いて送ると読まれて、けっこう常連と化してます(^_^;)
ニュースをバリバリにあつかうパーソナリティというのも少ないのではないかと思いますが、これも自分の言葉を放送しているので、ほとんど blog のノリの放送か?なんて感じです。

FMサルースはわたしの住まいのある、たまプラーザの駅の構内のようなところにあって、写真のサテライトスタジオは喫茶店の一角のようなところで、駅前広場に面しています。
昨日、たまたま放送時間中の朝8時に電車に乗るので駅前を通るので、ちょっとスタジオの前に行って聞いている携帯電話を振って「これで聞いてますよ」と挨拶したら「行ってらっしゃい」と放送されました♪。

当然のように「どなたなのでしょうか?メール下さい」なんて放送されたので、今朝になって「わたし、酔うぞでした」なんてメールをしたら「酔うぞさんのHPを見ました」なんて言われてしまいました(^_^)

「いや~これは、放送と blog のコラボレーションか?」なんて思ってしまいました。
最近は「blog はジャーナリズムになるか?」とか旧来のメディアとネットとの関係について論じられることが増えてきましたが、ラジオ放送について言えば戦前はNHKだけだったわけですが、民放が出来て、DJが出来て、地域FMが成立するようになってきたなどと変化しました。
新聞についても全国紙から地域新聞などが生まれています。
全体として情報発信の仕組みや技術が小さくなってきている、と理解しています。
そこにインターネットで個人が情報発信出来るようになった。

これは大きく言うと情報発信の手段が個人レベルで使えるようになってきた一連の流れの中にあると思います。
シンディ鈴木さんは多分こういった大きな流れに自然にあるいは無意識に乗っている人で、なおかつパーソナリティ・ライターとしてマスコミサイドで活躍している人、といったところでしょうか?

よく「所詮はインターネットで個人がデタラメを言っている」といった評価の意見がありますが、情報について完璧に客観化するなんてことは不可能です。
その意味では情報を発信する側になった場合にどこからかは「デタラメを言うな」的な感想を持つ受け手も居るということを意識しているべきです。

客観化を目指せば無味乾燥になりかねない、そこのバランスこそが発信者に求められていることでしょう。そんな観点から、自分の言葉でラジオ放送しているシンディー鈴木さんには注目です

6月 3, 2005 at 09:09 午前 ネットワーク一般論 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.06.01

名古屋地裁判決は、住基ネット問題なし

まるちゃんの情報セキュリティ気まぐれ日記さんの記事「名古屋地裁:住基ネットからの離脱を認めない?」では

判決文を読まないとなんとも言えませんね・・・
となっていて、その通りですが、例によって踏み込みますと。

サンケイ新聞より「住基ネット訴訟、名古屋地裁は住民側の請求棄却

西尾裁判長は判決で、住民基本台帳の本人確認情報は以前から誰でも閲覧でき、秘匿の必要性が高くないと指摘。「住基ネットが本人確認以外の目的に使われたり、プライバシーを侵害するような危険なシステムとは認められない」として違憲性を否定した。
金沢地裁とは正反対に近い判決ですが、一方でこのように述べています。
判決理由で西尾裁判長は、原告が本人確認情報をみだりに収集、開示されたくないと感じる期待は保護されるべきだと指摘。一方で、住基ネットは行政の事務を効率化し住民の利便性を増すとして「(行政機関が)情報を利用する必要がある」と述べた。

この判決には二つの注目するべき点があります。一つは住基ネットの4情報(氏名、性別、住所、生年月日)では秘匿性が高くない。その反面で本人情報をみだりに収集・開示されたくないと感じる期待は保護されるべき、という表現で自己情報コントロールの期待し要求することも認めています。
この判決が秘匿の必要性が高くない個人情報があるとしたことは個人情報保護法の問題点を指摘したとも言えるもので、個人情報保護法では情報の秘匿性の程度についてまったく判断がなく一様というところが問題になっていることついて方向性を打ち出した、とも取れます。
個人情報保護法について法学会で議論が分かれていると説明しましたが、金沢地裁と名古屋地裁の判決はこの議論の分かれを反映したもの、とも言えます。

6月 1, 2005 at 12:15 午前 国内の政治・行政・司法 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.05.31

住基ネットの違憲性指摘だそうですが

まるちゃんの情報セキュリティ気まぐれ日記の記事「金沢地裁:住基ネットからの離脱を認める」に

デジタル化されない権利ですかね・・・。
とお書きですが、もうちょっと踏み込みます。
これが、プロじゃない強みでしょう(爆)

朝日新聞より「住基ネット離脱認める プライバシー侵害認定 金沢地裁

井戸謙一裁判長は「住基ネットからの離脱を求めている原告らの本人確認情報を同ネット上で利用することは、プライバシーの保護を保障した憲法13条に違反する」と述べ、本人が同意していない場合には違憲になるとする初めての判断を示した。
判決はまず、住基ネットで扱う氏名、住所、生年月日、性別の4情報と住民票コードなどの本人確認情報について、憲法13条で保障されたプライバシー権に含まれる自己情報コントロール権の対象になると判断した。
サンケイ新聞より「住基ネットの違憲性指摘 個人情報の削除命じる 金沢地裁
井戸裁判長は「憲法13条が保障するプライバシー権には自己情報コントロール権が重要な一内容として含まれ、住基ネットがそれを侵害している」と指摘。
また、「県などは、法令の根拠なく原告らの個人情報を管理していることになる」として、プライバシーの権利に基づく住基ネットの差し止め請求権も認めた。
国側は「自己情報コントロール権は憲法で保障された権利とはいえない。情報保護の措置も10分で、プライバシーの侵害もない」と反論していた。
アイヤー(^_^;)な判決という印象です。
個人情報保護法の勉強していた時に法学者の世界でも二つの学説が対立していると聞いていましたから、その意味ではこういう判決が出ることは学問的には理解できますが、実務的には無理でしょう。

そもそも住基ネットの4データとは住民基本台帳のデータそのもので、氏名、住所、性別、生年月日です。これらのデータは普通の社会生活ではほとんど人は色々なところで公開している情報です。
例えば氏名を述べないで社会生活を送ることは出来ません。名無しさんでは社会で実生活は出来ません。
一方、個人情報の自己コントロール権という概念もきわめて難しく無いとは言えないが優先する権利とも言えないというのが常識的なところでしょう。
個人情報保護法などでも生命身体の危機がある場合には法律の規定を無視できる、となっています。

判決では「名寄せされた場合に被害が出る可能性があるから」ということのようですが、この手の仮定は判決に期待される判断ではありますが、あくまでも社会常識の観点からの判断が必要だと思います。
その点で「名寄せされたら」では論拠として弱いでしょう。

わたし自身は横浜市の住人なので住基ネットカードを取得していません。
だから住基ネットワークを使うことが出来ないわけですが、先日の報告によるとほとんど使われないに等しい利用情況であると思いました。

裁判が「役に立たない仕組みに情報を出す必要は無い」とかいう争いであればもうちょっと面白かったかもしれません(^_^;)
もっともこれでは「国会が決める事柄」という判決になりそうですが・・・。
結局は住基ネット問題はカードが住民の役に立つのか?(役に立たない)と住民基本台帳を管理する自治体のセキュリティ体制はどうか(インターネット利用は危ないと思う)、住民基本台帳を自治体がインターネットからアクセスできるシステムを作るコストは合理的か?(合理的とはとうてい思えない)
といったところですから、わたし自身の考えは「住基ネットは合理的でないから止めたら」なんですが(^_^;)そういう判決にはなかなかならないですね

5月 31, 2005 at 11:06 午前 国内の政治・行政・司法 | | コメント (2) | トラックバック (2)

もんじゅ最高裁判決を考える

もんじゅ最高裁判決についての社説を集めてみました。
そもそももんじゅ裁判とは20年前の1985年9月に福井県住人がもんじゅ建設と運転差し止めを求めて民事訴訟・行政訴訟を起こしたのが始まりです。
10年後の95年12月にナトリウム漏洩事故で、もんじゅは停止して現在に至るまで停止していますが、この間に900億円の電気代を要したとのことです。

裁判の経過は、地裁では訴えの資格なしで門前払い(2000年)、高裁ではもんじゅ設置許可を無効(2003年)、そして今回の最高裁判決です。
日経新聞社説「もんじゅ、不信をぬぐえるか」
朝日新聞社説「もんじゅ それでも前途は険しい」
読売新聞社説「もんじゅ判決 逆転勝訴でも慢心は禁物だ」
毎日新聞社説「もんじゅ判決 長期戦略を見直す契機に」
サンケイ新聞社説「もんじゅ判決 やはり「高速炉」は必要だ」
東京新聞社説「もんじゅ判決 『無条件推進』ではない」
西日本新聞社説「安全性は保障されるのか もんじゅ判決」

といったところですが、

判決は判決だが国などは不信をぬぐう努力をするべき(日経新聞)
高速増殖炉は難しいのだが(朝日新聞)
安全性の保証はあるのか(読売新聞)
原子力政策の長期戦略を考え直せ(毎日新聞)
エネルギー源として必要(サンケイ新聞)
判決はお墨付きではない、技術上の疑念を持たれている(東京新聞)
プルトニウムに毒性がある(西日本新聞)

と見事にバラバラになりました。
わたしはサンケイ新聞が主張する「エネルギー政策として高速増殖炉の推進」という意見には反対です。

理由は簡単、世界中が降りたから。
経済整合性として意味があるのなら世界中が続けいてるはずですが、降りてしまった。
降りた理由は色々あるでしょうが、その色々の理由を突破するだけの経済合理性は無いというのが世界の判断なのでしょう。

最高裁判決について、これは仕方ないのかもしれませんが、行政手続きの正当性だけに着目した判決のように見えます。
これを実態に踏み込んで判決するとなると、行政と司法の関係はどうなのかとなりますから、司法判断としてはやってはいけないことかもしれません。
いわば国民投票で決めるべき問題なのかもしれません。

もんじゅの目指す高速増殖炉の実用化については、いまや目標年次がありません。
それくらい先の見えない技術であるとも言えるのでしょう。
今から50年後に実用化するかな?といったところのようですが、そもそも日本において50年後のエネルギー需要はどうなのか?という問題があります。

これは、人口予測の問題に直結していて、先頃発表された合計特殊出生率の連続的な低下という事実からすると、人口減は現在の予測よりもかなり速く進むはずです。
わたしは人口減とエネルギー需要減は比例しないだろうと考えています。

身近に感じるところでは、正月の高速道路のガラガラ状態は実際には18%程度の交通量の現象によってもたらさせるものだそうです。
このように、高度な都市社会を設立させている理由の一つが「混雑」であって、混雑がちょっと我慢できるようになると社会資本(インフラ)は新規やり直しをする必要が激減します。
既存の道路などの改修で十分である、となります。

新規の公共工事などを必要としなくなると、鉄鋼、コンクリートといった資材の絶対的な使用量が減ります。
省エネルギー技術は価格に反映しますから、鉄鉱石から鉄鋼を作るよりもリサイクルした方が安いといった方向に誘導されます。

それやこれや考えると、どうも今後は日本ではエネルギー需要の伸びは大幅に減り、何年かの内にエネルギー需要の減少という逆転が起きるだろう、と考えています。
これについては、経済産業研究所の「2030年のエネルギー需給展望と日本のシナリオ」には、

「2030年のエネルギー需給展望」では、日本のエネルギー需要は2020年くらいに頭打ちになった後減少に転じるという見通しが立てられています。
として紹介されていますが、わたしはもうちょっとエネルギー需要の減少は早く始まるのではないか?と考えています。

いずれにしろ、2030年にエネルギー需要が減少するとされている時に、2050年に実用になるのか?という技術を研究することに意義があると思えませんし、まして世界に売ることも出来ない(プルトニウム利用ですから)技術を追求するのは、判決とは無関係に経済合理性の点から中止するべきだと思います。

5月 31, 2005 at 10:23 午前 国内の政治・行政・司法 | | コメント (2) | トラックバック (2)

2005.05.30

ACCS裁判の余波?

弁護士五右衛門さんの「IT技術者のためのデジタル犯罪論」にあった記事です。
東京地裁判決の具体的不当性について

あるWeBlog に下記のような記載があった。
このWeBlog主は自分のWeBlogへのアクセス解析を見ていて、たまたまURLをクリックしたら、某大学のメールボックスに入ってしまい、当該大学のメールが見放題という状態となったらしい。
東京地方裁判所のACCS事件についての平成16年3月25日判決の論理で考えると、彼の二回目のメールボックス閲覧はどのような評価を受けるのだろうか。
東京地裁判決の論理を敷衍すると、不正アクセス行為に該当し、不正アクセス禁止法違反で有罪となるように思える。

そもそも ACCS 事件とはコンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)のセキュリティが甘いことをプレゼンテーションで実演してしまったことを不正アクセス禁止法にひっかかるのかという裁判があって、東京地裁の判決は「通常パスワードで保護されているはずのところにアクセスしたのだから不正アクセスだ」という内容でありました。

そこで上記の記事になるわけですが引用先の記事を読むとさすがに驚く。少なくとも東京地裁は「通常パスワードで保護されている」ということの検証はしていないだろう。もし逆に「通常隠すべきところが保護されているとは言えないのだから」だったらどうするだろう?

どうも法律と世間の向いている方向が違うような気がする。
位置が同じでも方向が違うという感じかな?

5月 30, 2005 at 11:28 午前 セキュリティと法学 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.05.29

集団自殺を防止できたのだ

サンケイ新聞より「ネット自殺計画の男逮捕 女子高生2人と合流途中

男のパソコンを見て自殺サイトへの書き込みに気付いた家族が28日、警察に捜索を依頼、男の車のナンバーを伝えた。29日午前2時ごろ、秋田県大館市をパトロール中の大館署員が男の車を発見した。

こんなことが起きるほど頻繁にあると考えるべきなのでしょうか?
それにしても「秋田県青少年育成条例違反(深夜連れ出し等)」というのもなかなかすごいし、逮捕ですか・・・。

5月 29, 2005 at 07:58 午後 事件と裁判 | | コメント (3) | トラックバック (0)

預金詐取に法律を作るというのだが

キャッシュカードからの預金詐取問題に対して国会が法律を作ろうという話しになってきて、日経新聞の社説などが見解をだしているが、以前からすごーく不思議に思っていることがある。
銀行から通帳と印鑑やカードの偽造などで銀行預金が詐取された場合に、法律上は預金と盗られたのが銀行であるから、被害届を銀行が出さないと事件にならないから事件化しなかったと言われる。
不思議なのはこれからで、預金の名義人は「自分じゃ下ろしてない」と主張して銀行も偽造カードによる引き出しとか認めている例は多々ある。
ところが、名義人の口座は空のままで、かつ銀行は被害を認めていない。

となると、実質的に銀行から出ていったお金は会計上はどういう扱いになるのだ?

ある特定の口座について「使途不明金」とかにするのかね?
名義人が下ろしていないことを確認して、それを詐取されたと事件化しないのから、名義人の口座にはお金が戻っていて当然だろう。
話は簡単で、名義人が下ろしたと確定する(これが通常)、詐取されたと事件化し被害届けを出す、なんかのはずみで一時的に口座から出金したことにして戻す、の3種類しかあり得ない。
それ以外の対処って、会計原則や法的手続きとしてどういう説明をするのだ?
さっぱり想像が付かないです。

5月 29, 2005 at 01:38 午後 国内の政治・行政・司法 | | コメント (0) | トラックバック (0)