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2005.04.23

人権擁護法案その後の展開

読売新聞社説[人権擁護法案]「大幅修正して出し直すべきだ」
産経新聞社説【主張】人権擁護法案 なぜ問題点を放置するか


「人権擁護法案の行方は?」を書いた時点では、人権問題等調査会長の古賀誠元幹事長が勝手に「一任されました」とやったので、平沢勝栄法務部会長は「一任にはなっていない」として議論を続ける考えを表明、というところでした。
ところが、その後与謝野馨政調会長が古賀氏への一任に同意するよう求め、平沢氏はこれを基本的に受け入れた。ということで、表面上は自民党内の手続き論については解決で自民党としては人権擁護法案を国会に提出する方向で進み始めたことになった、ということでしょう。

そこで、読売新聞・産経新聞の社説を見てみると


最大の論点は、国籍条項だ。
人権委員会の“権限”の強さにも反発が出ている。

と二点を指摘している。産経新聞は次の三点を指摘している。
あいまいな定義により、恣意(しい)的な解釈がまかり通る恐れがある。
人権委員会に(令状無しの)事情聴取や立ち入り検査などの権限が付与されることだ。
人権委とその下部組織の人権擁護委員の選出基準だ。

しかし、前回2002年からの審議で問題になったメディア規制条項が今回凍結になったことに対して、読売新聞社説はちょっと?なことを書いている。
読売新聞は、「凍結」などではなく、報道機関の取材活動を委縮させるような条項を「修正」して提出すべきだ、と主張してきた。
しかし、その後に持ち上がった法案本体にかかわる論争を踏まえると、ここは国会提出を焦らずに、時間をかけてさらに大幅な修正を施すべきだと考える。

「なんかな~」という印象が強い。前回「メディア規制反対」にはあれだけ力を入れていたのに、メディア規制が「凍結」になったら他の問題もある、と言い出した形であるが、基本的には今問題になっている法案も変わっていないだろう。つまり新聞はわがことを問題にしたから「メディア規制反対」に向きすぎていた、ということではないのか?

人権擁護法案には、メディア規制も含めて問題ありすぎだと個人的に思うし、問題があるものを無理するほど急いで施行する法律と言えるのか?という根本的な問題について政治家は回答するべきだし、新聞は追求するべきだろう。

4月 23, 2005 at 10:44 午前 国内の政治・行政・司法 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2005.04.22

人権擁護法案の行方は?

朝日新聞人権擁護法案、「一任」めぐり混乱 自民合同部会
産経新聞人権法案提出、古賀氏が一任を宣言 自民部会混乱
読売新聞人権法案の見直し案巡り、自民合同会議が大荒れ
毎日新聞人権擁護法案:修正案提示も意見集約持ち越し 自民部会

人権擁護法案というのはかなりすごい法律で、個人的にはなんでこんな法律を作らなくてはならないのか?と思うのですが推進派はかなり強力に押しています。

事実関係として2002年3月に政府が国会に法案を提出し継続審議となりました。
この時には報道被害の防止ということで、報道規制が出来るということで批判がありましたが、同じ法案を再度提出するということで自民党内でもめたというものです。

正直な話があまりに乱暴な構成の法律であると感じます。
元々刑法などに明記してある犯罪については該当する法律で取り締まれば良いわけですが、既存の法律が明記していない範囲で「人権侵害問題に対処する」という趣旨なのでしょうが、誰の目にも明らかな反社会的な行為ではない内容が前提でしょう。
そうなると仮に裁判になっても時間も掛かるし判決もその時々で変わってしまう。

そこを人権擁護委員が決めるという趣旨と取れますが、それでは裁判所が決められないことも特定の人なら決められる、ということでこれでは三権分立など法律を構成する社会の構造そのものに対する影響が大きすぎるのではないでしょうか?

警察官は司法の一部ですから正式には司法警察員という位で法の執行は司法が行うべきことですが、人権擁護委員については委員会に弁護士が含まれること、というだけです。つまり、司法全体としては人権擁護委員会はノーコントロールなのでしょう。

ではなんでこんなに無理がある法律をさらに無理をして成立させようとしているのか?
やはり同和対策事業関係の法律の終了によってその後継の法律を作ろうということでしょう。

それにしても、古賀氏の「一任」というのは反対者が居る時に言うセリフだろうか?混乱ではなくて自壊とでも言うべき範囲ではないだろうか?
プロバイダ責任制限法も個人情報保護法も同じだが最近の法律は細かいことに対処するために、根本のところで無理のしすぎであるという感じが非常に強い。
どうもヘンな立法利権のようなところが見え隠れしているような気がします。

4月 22, 2005 at 10:29 午前 国内の政治・行政・司法 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2005.04.21

ロック岩崎、死す!!

昼のニュースで小型機墜落という報道があったが
何とロック岩崎が墜死したのだそうだ。

酔うぞ拝

4月 21, 2005 at 06:04 午後 日記・コラム・つぶやき | | コメント (1) | トラックバック (0)

自殺サイトや殺人予告掲示に情報開示というが

朝日新聞より「ネット自殺予告に即応、プロバイダーが契約者情報開示へ」

インターネット上に書き込まれた自殺や殺害予告に即応するため、プロバイダー(接続業者)が警察からの契約者情報の照会に応じるシステムが今夏にも動き出す。通信の秘密を理由に照会が拒否されるケースもあったが、情報通信ネットワークのあり方を検討する「総合セキュリティ対策会議」(委員長・前田雅英首都大学東京教授)が21日、「人命保護に努めるべきだ」とする提言をしている

分からないではないが「どうやってやるのだ?」という大問題が抜けているのではないか?

そもそもインターネットの管理者とはインターネット全体(の部分)を見張っていることが管理なのか?
ネットワーク管理者が見張っているのではないとして、契約者の情報を持っているのかどうかをどうやって、問題の記事を見つけた警察などが知るのだ?
正直に言って「なんでこんな生煮えの提言を出したのだ?」「総合セキュリティ対策会議のメンバーはどんなヤツだ?」と思って検索したら見つかった。
警察庁 サイバー犯罪対策 総合セキュリティ対策会議 各委員の紹介
誰がとは言いませんがね「??」な人が複数居ますね。
このメンバーでは現場知らずというか現実離れした意見が出てくるの無理ない、と思いますわ。
インターネットというか社会の変化の速度が速いことについて行くことが出来ない人たちが、あらゆる業界に出てきているということでしょう。

4月 21, 2005 at 12:45 午後 セキュリティと法学 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.04.20

アルゼンチンが国債踏み倒し?

読売新聞社説より「[アルゼンチン]「余りに身勝手な債務の“踏み倒し”」」

アルゼンチン政府が、日米など8か国・地域で発行した国債の元本、延滞利息合わせて1026億ドル(約11兆円)に上る債務を、新規国債に交換することで3分の1に削減することを決めた。
世界の国債保有者と実質的な協議もしないまま、巨額の債務削減を決め、今月初めからの交換開始を通告した。
日本に3万の保有者がいるという円建てアルゼンチン国債だけでも、総額1925億円が削減の対象になる。だが、米国の機関投資家から交換凍結を求める訴えを起こされ、開始を延期している。

全くの偶然で社説を読むまでこんなことが起きていることを知らなかった。
アルゼンチンの経済規模とはどの程度のものかと探ってみた。

人口=3738万人 日本の1/3
為替1ペソ=38円
GDP=375909百万ペソ=14兆2900億円 日本の1/35
一人あたりGDP=9926ペソ=377188円=38万円 日本の1/11
といったところになる。そこに11兆円だから経済規模で言えば100兆円の対外債務の65兆円を切り捨てるといった感じだろうか。読売新聞の社説は
見直しの一方的な押しつけも、元本削減もアルゼンチンが初めてだが、
と書いている通り国際社会で国家間の借金返済つまり債券償還は最近ではロシア帝国の国債をソビエト時代に無視していたものを現在のロシアが償還したという話があるくらいで、それなりに厳格なものである。 第一、国が借金を返さないと宣言すればその国の信用は目減りして通貨安となるだろう。アルゼンチンの日本への輸出産業は農業・漁業・鉱物といったところが主力である。一次産品なのだがこれが安くなるのだうか? ちょっと無茶すぎると思うのだが。

4月 20, 2005 at 10:28 午前 海外の政治・軍事 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2005.04.19

中国の反日現象をちょっと考える

新佃島・映画ジャーナルさんの記事「反日中国の背景」の記事に刺激されてわたしの見解を(^_^)生煮えながら書いてみます。

新佃島・映画ジャーナルさん(服部さん)は「二つの考えがある」として、ひとつは中国市場をめぐって日本追い落とし運動の現れだろう、というのものと高度成長・社会の激変の現れだろう、という二つの考えです。

わたしは、どちらかというと二番目ですが服部さんも「日本でも昭和30年代に起きていた現象」として、都会へ若者が出てきているから社会構成が変わりつつあるとしています、ここからの展開というか政府の覚悟のようなところ違いがあると思っています。

これは、古くは産業革命のイギリスからある現象で、色々な文学作品にも繰り返し取り上げられている「都会の孤独」などに直結している現象の元となる事柄だろう。
しかし、だからと言って今回の反日運動のようなことになるのか?を日本で振り返ってみると、かなり近いのが1960年(昭和35年)の安保闘争ではないかと思う。
この年には、アメリカ大統領新聞係秘書のハガチー氏がデモ隊に包囲されてヘリコプターで脱出するという事件があり、その5日後に国会通用門で樺美智子氏が警官隊との激突の中で死亡した。

政治的には当時アメリカの属国同然だった日本にとっては、大変な危機で一週間後に岸内閣は退陣を表明して、7月に総辞職となった。

中国の政権でもこのような可能性があるのだろうが、日本は当時は長年の労働争議の経験なデモ慣れしていたとも言えるのでしょう。そこが中国は違うのではないだろうか。

確かに国内の摩擦を国外に向けるというのは政権にとっては容易な選択なのだろうがその結果が予想の範囲なのか、つまりリスクが見込の範囲なのかによって外国への対応も変わるのだろう。
日本では1960年は64年に東京オリンピックが控えているのだから今の中国とほとんど同じだったわけだが、アメリカに対するデモがコントロール不可能になるリスクは承知していたようです。

今回の中国のデモではどうも政府はコントロール出来ないということ自体が受け入れられないのでは?と思う。
つまり、コントロール可能であるそれだけ政権は強いのだ、という前提で進んでいるのではないだろうか?
ところが現実はコントロール出来ているとは言えない。だが「コントロール出来ません」では内閣総辞職のようなことになるわけで、それは無理となると「今でもコントロールしています」と主張しなければならない。

つまり、実際のデモについては煽る勢力もあるかもしれないが、いわば種火が大きくなるようなもので、どんどん燃え広がってきたのだろうが、政府の見解は「コントロールしています」を証拠立てるために「燃え広がってしまったが、これは想定の範囲」と言い張る、つまり大きな火を見て種火の段階から予想通りだった、と言い張っている、という図式だと見えます。

1960年の安保闘争はその後の日本の政治・経済の進路を全く変えてしまって、労働運動の勢力低下と企業が社会に合致するという方向になりました。
さて、中国ではどのよう変化するのでしょうか?
現在のような中国政府のタテマエ強調路線だと、限界点で折れてしまうのではないか?と心配です。

4月 19, 2005 at 08:08 午後 海外の政治・軍事 | | コメント (2) | トラックバック (1)

2005.04.18

アドビシステム、マクロメディアを買収

ITmedia News より「AdobeがMacromediaを34億ドルで買収」

Adobe Systemsは4月18日、Macromediaを買収する契約を締結したと発表した。買収金額は約34億ドル。

ありゃまあ~。である。

もっとも最近のマクロメディア社の製品展開が理解しがたいことから経営が大変なんだろうという想像はしていた。
ウォール・ストリート・ジャーナルは

長らく待たれていたソフト業界再編の一環であり、Microsoftとの対決へのお膳立てを整えることにもなるかもしれない。

と論評しているが、確かにそういう期待は大きい。
しかしな~、Adobe Systems もユーザーフレンドリーかいうとどうも反対を向いているような気もするところがあるので、ますますマクロマインド社時代から段々と手強くなってきた(使いにくくなった)マクロメディア製品がますます縁遠くなるという可能性も否定出来ないな。

4月 18, 2005 at 08:12 午後 経済・経営 | | コメント (3) | トラックバック (0)