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2005.01.31

医療事故裁判で患者側が敗訴

読売新聞より「日医大病院の「脳にワイヤ」訴訟、両親の請求棄却」

この事件は

被害者の女性は1997年に川に転落して重傷を負い、同大付属病院に入院。同年12月15日に折れたあごの骨をつなぐ手術を受けたが、高熱や下痢などの症状が出始め、同17日に多臓器不全で死亡した。その後、手術に立ち会った医師(46)が両親に「あごの骨にワイヤを入れて固定する際、ワイヤが脳に刺さった」と告白したため、両親が2001年5月に提訴。大学側は「脳に刺さっていない」と反論していた。

というものだが、今回の判決は
片山裁判長は、「女性の頭部を撮影したレントゲン写真の中には、ワイヤが脳に刺さっていないように見えるものもある」と指摘。「ワイヤが勢いよく頭の中に進んだのを見た」とする医師の法廷証言についても、「ワイヤは少しずつしか進まないはずで、信用できない」と否定した。

というのだ。

判決文を読まないと、証拠・証言の内容がどのようなもので、裁判長はそれをどう判断したのか分からないが、この記事で引っかかるのは

「ワイヤが勢いよく頭の中に進んだのを見た」とする医師の法廷証言についても、「ワイヤは少しずつしか進まないはずで、信用できない」

の部分である。
「別冊宝島real「困った」裁判官」にいくつか紹介されている「裁判官だけが○○のはずだ」と物理学や工学の法則や原理を無視した思い込みを元に判決したという事例に似ていると思う。
そもそもワイヤを頭部(顔)に差し込む場合に「少しずつしか進まない理屈」なんてモノがあるとは思えない。例えば機器や機材によってワイヤーがゆっくり進むようになっていたとしても、故障の可能性はあるわけでこの部分は「ワイヤは少しずつしか進まないはずで、信用できない」という言い方が報道の通りだとすると、判決文としておかしいという印象があります。

1月 31, 2005 at 10:53 午後 医療・生命・衛生 |

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コメント

「女性の頭部を撮影したレントゲン写真の中には、ワイヤが脳に刺さっていないように見えるものもある」

 私はこの表現にも疑問。
 「刺さってないように見えるものもある」って事は、刺さっているように見える物もあるって事ですよねぇ?
 「刺さっていないと断定できるものがある」でなければ、刺さっていないと断定はできないんじゃないかと。

投稿: craftsman | 2005/02/01 15:16:41

 裁判の欠点として、「シロかクロかの二者択一で中間がない」というものがあります。どれだけ厳密に証拠を並べて調べても、わからないものはわからない。灰色の部分が残ります。
 無理に結論を出すと間違えますが、判決を書かないわけにはいかない。民事訴訟では原告挙証責任原則がありますから、灰色なら原告敗訴なんですが、それじゃ灰色と黒の境界はどうなるんだ?という問題がある。
 私は、こういうあやふやな事例では「クロなら1000万円の賠償だけれど、あやふやだから500万円」みたいな中間判決を出すといいと思う。

投稿: Inoue | 2005/07/10 14:20:40

本当に見ていなかったら内部告発なんてしないのではないでしょうか?
 その意味では信憑性が高いと思います。
裁判官か゛医療に対して無知なだけではなく
勉強不足ではないのでしょうか?
 私も医療裁判をしていますが、高裁の判決文を読むと医療とかけ離れた判決文でした。

投稿: Yuuzi | 2006/03/01 21:25:19

東京地裁にいる片山という問題のある裁判官を知っていますが、件の片山裁判官とは同姓なだけで別人のようでした。
裁判官と言っても特殊な人たちではなく、法律に詳しいという共通項を持つ集団に属しているというだけのことです。写真同好会の写真の部分が法律に換わっただけのことです。バカもいればワルもいるし詐欺師まがいのことを平気でやるものもいます。女性のスカートのなかに興味を示しすぎて逮捕されたのもいるわけですから、おかしな判決文を書く程度の輩は山ほどいるでしょうねぇ。裁判官の思考体系や人間性を短周期でチェックするシステムは必要だと思います。

投稿: 葦永陽二 | 2006/03/02 1:50:02

わたしが判決について興味をもったのは、20年ぐらい前だったかと思いますが、自動車雑誌の「NAVI」に連載されたひき逃げ冤罪事件の記事でした。

なんか割と有名な冤罪事件だそうで、雑誌掲載当時は裁判が行ったり来たりしていたと思いますが、最終的には無罪で冤罪事件にはならなかったようです。

わたしが驚いたのは、タイヤに血痕を後から着けられたのですが、それが轢いた証拠とされたので、今度は轢いたのではこういう形に血痕は付かない、と物理学的な鑑定書を出したのです。

その鑑定書に対する判決が「鑑定書は物理学・工学的な偏っているので採用しない」でした。

血痕が付くという現象が物理・工学現象で説明しても採用出来ない、という判断は何を言っているのかワケ分からないです。

その後、この手の「ワケワカ裁判の記事」を読むようになったのですが、アルミと鉄の区別が付かないとか、すごい話が沢山出てきます。

ただ、裁判官の名誉のために付け加えますと、裁判官は一般人よりはヘンなことに大変な知識があります。
わたしはバイク事故で左手親指の付け根を回復不可能な骨折をしましたが、裁判官は「ここは治らないんだよね」と言ってました。
患者本人はそんなこと知らなかった(^^ゞ

裁判所に傍聴にしょちゅう行くようになり、今裁判中という方と親しくなって、裁判の進行について色々聞くようになると「裁判官が正義の判決をするべきだ」と安直に言うことは出来なくなりました。

民事では原告・被告・裁判所であり刑事事件では検察・弁護・裁判所と攻撃と防御の結果を裁判所が「どっちの言い分が正しい」とするのが裁判です。

だから「何も言わないでも、裁判所は正しい判決を出す」という考えではいけない。

ただ、変化する社会に行政も司法も追いついていないのが現実で、例えばインターネットを巡る名誉毀損裁判については、名誉毀損に関する法律改正も必要なレベルでずれていると思っています。

その一方で、今現在の前後10年ぐらいの法律改正などは、法的整合性の点から大問題で例えば個人情報保護法なんてのはどう扱えば良いのか良く分からない法律になってしまいました。
(個人情報漏洩罪の追加なんて論外)

裁判員制度を始めますが、取調の可視化はほとんど手つかずです。
(それにしても Google で「取調の」で検索したら、酔うぞの遠めがねがトップ出てくるのには弱ったな)

自らを守り、社会を安定させるためには、裁判所に任せないという考え方が重要だと思っています。

投稿: 酔うぞ | 2006/03/02 9:38:42

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