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2004.12.03

RE*2:公正と信頼のネット社会

信頼とは人と人の信頼しかあり得ないのですが、信頼はどのような場合に壊れるのでしょうか?
UFJ銀行と住友信託銀行の裁判の例で考えてみると、最初は両方の銀行は信託部門の譲渡に関する独占契約を結んでいました。

この時の契約では前提として、双方の銀行とも調印時の状況から変化が無いとしていたのでしょう。
譲渡のような結果においてはシロかクロか(AからBに譲渡する)といったいわばデジタル的な内容の契約では、中間の状況はあり得ないように思いますが土地譲渡などでは例えば建物の取り壊しといった中間的な作業があったりして、譲渡に同意してから譲渡が完了するまで時間が掛かることもあります。
この期間は中間的な状態というべきでしょう。
UFJ銀行と住友信託銀行の間で問題になったのもこの中間的な状態だったからです。
住友信託銀行にとっては「譲渡に関する独占契約は執行されて当たり前だ」でした。一方UFJ銀行にとっては「信託部門の譲渡を無視出来る程の事態になった」という東京三菱銀行との経営統合問題が出てきました。

これでは妥協できる余地が無いと言えます。
このようなことを防ぐためにはどうするか?となりますが、UFJ銀行と住友信託銀行の問題も「契約書と信頼関係」の問題です。そして信頼関係が壊れるような事態になったからどうしよう、ということですが、信頼関係の方を元に戻すのは大変に困難で最高裁の判決では「損害賠償でカバー出来る」としています。

このことで分かるのは「契約と信頼」について信頼の側に問題出てくることがあった場合には契約によって解決するでしょう。
UFJ銀行と住友信託銀行の独占契約では、契約不履行の場合の賠償規定などが無かったのだそうです。それだから、住友信託銀行は「契約を履行しろ」と最高裁まで争うことになった。
これが「契約解除だから、解除条件である賠償金を支払う」とすれば裁判になることもなかった。

ここであらためて、信頼を保証するためには契約書もしっかり書かないといけない、という当初の「契約よりも信頼の方が大事」というテーマから一見反対のように見えることになって来ました。

12月 3, 2004 at 11:00 午前 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.12.02

RE:公正と信頼のネット社会

パソコン通信版FAフォーラムに書いた記事の転載です。

UFJ銀行と住友信託銀行の裁判の例で、契約よりも信頼が優先されるのでは?
という問題を書いたのですが、もともと契約は信頼している相手と締結することに建前上はなっています。

とてもじゃないが信頼出来ない、あるいは信頼だけではどうにもならないから契約でしばるという実際の業務はありますが、それでも信頼に値するという条件が整ってから契約する、例えば担保が確定したから契約するなどですね。

しかし、基本が信頼できるものとして契約するに違いは無いわけで図にすると

信頼→契約 

であるわけです。これをUFJ銀行と住友信託銀行の裁判例に当てはめてみると

信頼→契約→信頼を無くした

この段階で話が別れしまいました。

信頼→契約→信頼を無くした→契約の不履行は仕方ない
        ↓
   契約は契約だから実行するべし

つまりはあらためて考えてみると信頼とは契約を吹っ飛ばすほどの需要な意味があるものだと言えます。では信頼とは何か?

これは人としての当事者の判断というのが本質でありましょう。
要するに信頼するとは人の考えであって契約書といった物理的な媒体などで置き換えることが不可能なものだと言えます。

今までは「個人的には・・・ですが会社の判断としては」などという言い方をビジネスの世界ではごく当たり前の話しとして使ってきました。
それでも「お前じゃ話しにならん、社長を出せ(怒)」なんてことはあって「会社の判断・・」は単なる言い逃れであることは、厳しいは場面では理解されていたのですが、ネットワーク利用によって個人責任の比重の増大などと共に個人の判断・行動などを通じて会社の信頼が評価され、それは契約よりも重い。といった世界が間近にあるように思います。

12月 2, 2004 at 11:25 午前 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

公正と信頼のネット社会

パソコン通信版FAフォーラムに書いた記事の転載です。

8月にUFJ銀行を住友信託銀行が、以前締結した「信託部門の合併に関する契約」違反だから東京三菱銀行のとの経営統合の差し止めを求める仮処分申請が無効である、という判決が確定しました。

これは、UFJ銀行と住友信託銀行の間で信託部門の合併に関する独占交渉を認める契約をしているのに、UFJ銀行は東京三菱銀行と信託部門も含む経営統合の交渉を開始したから、住友信託銀行との信託部門の合併計画はなくなる。
つまり、独占契約が無効になってしまう、という亊案です。

裁判所の意見は分かれ、契約が優先である、という見解と契約は契約だが信頼が無いのだから信頼の無い契約は意味がないとなりました。

最高裁は最終的に、信頼問題を置いても契約を強制するほどのものではない、その損害は損害賠償可能である。として「信頼は契約を上回る」というべき判決を出しました。

この事件についてだけでは、契約に破棄条項を入れていなかったから裁判に訴えるしかなかった、とも言われています。


わたしは、この信頼を優先するというのオープン化に向かうネットにとっては大変に重大なことだと思います。
法律は案外なほど「常識だろ」といったところがあります。
よく「書いてないから、やっても文句ないだろう」とは法律から各種規定まで反論とか○○破りの形で現れますが、裁判所は「それは常識としてやるべきだ」といった判決を出しています。

これは、社会の常識を箸の上げ下ろしまでは法律に書かないよ。という基礎原理があるからです。
一方で社会常識は変化していきますから、以前は許されたことが禁止になったり以前は禁止だったものがいいじゃないか、とも変化します。
最近では携帯電話を使用しながら自動車を運転してはいけない、なんのが相当するでしょう。

今後の社会でネットに代表される社会的な交渉ごとなどは、特に契約などなくても信頼できるものを提供する、といったことが常識化するだろうと思います。
そうしないと、フィッシング(僞サイト)などへの対処などが判断出来ないもちろん例えば個人情報の流出なども含まれます。

はてなダイアリーやライブドアが個人情報や著作権についてのネット会社側の強制力についてユーザに求めたところ、ネットを挙げての反発を受けたのもの「会社が信用出来るのか?」が根本にあるでしょう。

そんなわけで、以前の紙の契約を根本にした社会と、ネットワークを中心とする信頼を優先する社会の切り替わりの時代なのだな、と感じています。

12月 2, 2004 at 11:16 午前 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)