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2004.08.21

小学校にガラスの扉というのはアリか?

20日午後4時ごろ、広島県福山市立山手小学校の校舎2階の渡り廊下で、裕哉君が出入り口のガラス戸にぶつかり、割れたガラスが左胸に刺さった。裕哉君は病院に運ばれたが、約3時間後、出血多量で死亡した。福山西署の調べによると、ガラス戸は4枚あり、1枚は縦1・9メートル、横0・8メートル。この日、同小では学童保育で児童23人が登校していた。当時、児童らは校舎内を掃除中だったが、裕哉君は1人でガラス戸に飛びつく遊びをしていたという。
この記事では今ひとつはっきりしないのが、今時破片が刺さって死ぬほどの大けがをするような素材を使った扉が小学校にあることが許されるとはとうてい思えない。
中学の時にガラス窓を突き破って肘の血管を切って縫ったことがある。その程度の怪我は学校ではあり得ることだと思うが、扉がガラスというのは理解しがたい。
常識的には渡り廊下というのだから、壁まで開くスチール扉の両開きで、ガラスで透明な部分が非常に大きいものでないかと思う。
この手の扉のガラスは破りにくくするためにも普通は金網入りか、安全ガラスを使うものだろうと思う。この種のガラスは割れても刺さる程の大きな破片は出ないはずだ、どういうガラスだったのだろう?
それにしても、ひどい話しだと思う。ガラス扉ではない単なるスチール扉ならこんなことにはならないし、価格も圧倒的に安いのだから、何を考えてこんな設備になったのだ?

8月 21, 2004 at 12:53 午後 医療・生命・衛生 | | コメント (9) | トラックバック (0)

石油価格上昇の解釈

石油価格が急上昇して50ドル間近になり「60ドル、70ドルになるのでは」といった声もある。確かにこれを見ればそんな気分になる。
さすがに今日になると新聞記事がいろいろ出てきた。
日本経済に大きな影響は無い(読売)、世界のエネルギー構造は変化する(産経)、省エネを考えるべき(東京)、アメリカは石油備蓄を取り崩さない(日経)などである。どれもがそれなりに正しいと思うが、当然のことながら「絶対にこれ」というのは無い。マクロな視点だと日本が石油依存度を大幅に下げ、現在も省エネルギー・省資源の方向に産業構造を大幅に変えつつあることが世界にどう影響するか?であると思う。
ちょっと考えれば当たり前のことであるが、石油の価格が上昇して困る経済(国)と好ましい経済(国)がある。さらに、短期的な利益追求と長期的な経済成長を狙うのかなどによって、それぞれの利害は衝突する。
日本は資源輸入国であり輸出によって経済が成り立っているのだから、原材料は安く輸出先の国々が経済成長していることが一番である。ところが輸出先の代表であるアメリカは省資源とはとうてい言えないエネルギー多消費国であり、石油価格の上昇はアメリカ経済を直撃する。一方中国はいまやアメリカ・日本などにとっては大変なお得意様であるが、急速な経済成長に伴って輸入急増であるから、これも石油価格の上昇は経済を直撃する。それにしても、日本というモデルがあるのだから石油価格の上昇は省エネ経済への転換を世界中に促すとも考えられる。つまり石油価格の上昇→不景気、というほど単純な話にはならない、と考えます。
 
  「日本経済の抵抗力は増している」
原油高の影響は、日本でも表れつつある。ガソリン価格の上昇は急ピッチだ。電気料金も標準世帯で、十月から月42―161円値上がりする。 ただ、原油高に対する日本経済の抵抗力は大幅に向上している。 第二次石油危機に襲われた一九七九年度、原油の平均輸入価格は一リットル=33・5円だったが、今年六月は25.9円にとどまる。総輸入額に占める原油の比率もかつての39%から15%に下がっている。
 原油高騰 需給の構造変化に備えよ」
わが国は二度にわたる石油危機を経て、かつては八割近くもあったエネルギーの石油依存率を、今では五割程度にまで減らし、企業の省エネルギーも進めた結果、原油高の影響はかつてほど大きくはなくなった。しかし、このまま原油価格の高騰が続けば、回復基調をたどる日本経済にも影響が出てくる。原油価格が四十五ドルで推移すれば、二〇〇五年度の実質成長率は0・3ポイント下がる-という電力中央研究所の試算もある。世界の石油需給の大きな構造変化を直視して、エネルギー、原材料の不足や高騰に備えるとともに、原子力を含めた総合エネルギー政策を常に見直していく必要がある。
「原油高騰 再び『省エネ』努力を」
 とくに、経済発展が進む中国やインドの増加が目立つ。中国の石油消費量はすでに日本を上回り、石油輸入国になった。自動車社会への転換や重化学工業化が進むことを考えれば、今後も需要が増えることはあっても減ることはないはずだ。  企業や家計は省エネルギーの重要さをいま一度、思い起こす必要がある。過度の冷房や電気製品のつけ放しなど、いつの間にか石油危機当時の真剣さが失われていたのではないか。サラリーマンも、たまにはネクタイを外してみてはどうか。
米政府、石油備蓄の取り崩しを否定」
 マクレラン報道官は「大統領もエネルギー価格の動向を注視している」としながらも、SPRの積み増しを継続する方針に変わりはないと述べた。SPRを取り崩すのは「石油供給の途絶など不測の事態が起きた時に限る」という従来の主張を繰り返した。

8月 21, 2004 at 11:58 午前 国際経済など | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.08.20

アメリカでファイル共有ソフトの作成は著作権法に抵触しないとの高裁判決

 
 
サンフランシスコの米連邦高裁は19日、インターネット上で情報を交換できるファイル共有ソフトの提供者に音楽や映画の著作権侵害の責任を問えないとの判決を下した。  高裁判決は、ソフト会社は著作権の有無にかかわらず、情報を共有しようとする個人にソフトを提供しているだけで、著作権侵害行為に深く関与してはいないと認定した。  一審に続く控訴審での敗訴は業界にとって大きな衝撃とみられる。
 
ちょうどWinny事件と同じと考えて良いのだろう。
 
まだ詳細は分からないのだが、一般常識として考えると妥当な判決と見える。Winny事件ではソフトウェアのWinnyを利用した者が「著作権侵害になると承知して使用した」と述べている(主犯)ようなので、「そんなことをさせるソフトウェアを提供したから共犯だ」という論理らしい。素人考えとしては、共犯となるかならないかを争うのはソフトウェア開発やそれこそ車の製造は交通事故の共犯だという展開になりかねないように思うので、出来れば「共犯にはあたらない」という門前払いの結論が欲しいところである。
 
何が共犯なのか?は程度問題になりそうな気がする。どうもこういう論理展開を程度問題にして良いものか?という疑問がある。どうも検察側の主張はこの共犯の程度問題とかにしないというこのようだけど、それじゃもっと分かりにくいし新しい手段が出てきたのに権利者が新しい手段の存在を無視して権利を主張するから話が折り合わないという印象が強い、どういうことになるのか?

8月 20, 2004 at 11:37 午前 セキュリティと法学 | | コメント (0) | トラックバック (0)

三菱・UFJ、統合委員会が発足なのだが

三菱東京フィナンシャル・グループとUFJグループは19日、経営統合に向け首脳らで構成する「統合委員会」を発足させた。統合委員会は双方の持ち株会社の横断組織で、畔柳信雄三菱東京グループ社長と玉越良介UFJホールディングス社長がそれぞれ正副委員長を務める。持ち株会社首脳に加え、それぞれの傘下銀行トップや企画担当役員を加えた7、8人規模の指導体制になる見込み。
もっともらしい発表だが、ちょっとヘンじゃないか?
経営統合の実務というのはおそらくは非常に細部までつめることが必要だろう。その細部を詰めるのが統合委員会といった組織の仕事だろう。となると社長が細部をよく知っているということなるが、そりゃ建前であって担当者以上に知っているわけが無い。
 
 
 
この問題は製造業では970年代から問題になっていて、有名なのはトヨタのライン停止ヒモである。流れ作業で作業員が理由を問わず作業につまづいた場合にその作業員は直ちにライン上のヒモを引く、そうするとコンベア・ラインは直ちに停止する。一人の作業員の決断はそのラインに係わっている何人(十何人か何十人か)の仕事を止めて良い、という仕組みになっている。つまり現場の判断を最優先しているわけだ。これを現実のものにするのは絶え間ない訓練が必要だ。ちょっと訓練を怠れば「なぜ、ラインを止めた、このバカ」といったことになるに決まっている、それも計算に入れないと成立しない仕組みだ。
そういう訓練をしないと、通常の会社組織を優先することになる、つまり社長以下の職位・職階など組織図による管理になってしまう。これは社長が一番よく知っているというお約束になってしまう。
日機装の佐藤氏が発表した本で指摘したのは、
図面を作ると「担当・課長・部長」といった順にハンコを捺しているが、担当よりも部長の方がよく知っているとは言えないだろう、むしろ「製図・生産技術・加工担当」といった職務別に承認して最終的に図面を使う人が「これなら使える」と承認する方が妥当だ。
というものであった。これはどんな企業でも当てはまることだろう。今ではこの考えが普及しているからコンビニのような少量流通などが可能になったと理解している。ところが今回の「統合委員会」はまるで古いやり方そのものだ。こんなことを発表するよりも「実務小委員会を複数立ち上げた」とかの方が信頼できるというものだ。銀行業界の遅れが見えたと感じる。

8月 20, 2004 at 09:18 午前 経済・経営 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.08.19

なんで ubicast Blogger なのか

続いて、ubicast Blogger の話だがどこらか拾ってきた話題かと言うと、菅谷充氏の blog である。
長年ネットワークをやっていると自分にとって有用な情報かどうかが自然と引っかかってくるようになる。
 
今回もその例にもれないのだが、なんのかんの菅谷さんはよく知っている間柄だし、なんかubicast Blogger に対して高い評価を与えているというか「注目しなさい」的な雰囲気を感じたわけだ、そこで早速ダウンロードしてみた。
インストールはちょっとつっかかる感じもあるがきちんと正常にインストールできれば全く問題ないだろう。
というわけで ubicast Blogger は当たりだと思う。
少なくとも html エディタで書いてコピー・ペーストもしないし、その反面ブラウザーで常時接続のまま書くわけでもない。
技術的にどれほどの違いがあるのか?ということだと何とも言えないが、ある種の安心感はあるし、アップロードしたからといってブラウザーで書いているように消えるわけでも無い。見た目が表示通りでタグが表示されてないのも大きい。とういうのは校正する時は読み上げソフトを使っているので「えいちてぃてぃぴー」とか読み上げられても困るななぁ、と思っていたわけだ。

8月 19, 2004 at 03:29 午後 ウェブログ・ココログ関連 | | コメント (2) | トラックバック (0)

トラックバックの結果

これでトラックパック出来るのかな?
どうも設定の保存ができないようだ。
元もと(?)投稿用だから表示(読むのは)ブラウザー任せなんだろうな。
 
一回アップしたモノを取り込んで ubicast Blogger で表示させ、そのまま修正(追加)を書いている。
その上「追記」なんてのがあるが、どう使うのだろう?
この追記はココログの「本文(続き)」だし、概要はそのままココログの概要だ

8月 19, 2004 at 03:13 午後 ウェブログ・ココログ関連 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ubicast Blogger を使ってみた

ubicast Bllogger http://blog.ubicast.com/ というので書いてます。
 
 ubicast Blogger できること
    • 複数のブログを管理
    • 過去記事の再編集
    • ドラッグ・アンド・ドロップで画像/動画を埋め込み
    • WSIWYGなHTMLエディタでの編集
    • カテゴリの取得/指定 (複数カテゴリに対応)
    • 投稿日時の指定
    • 追記/概要/キーワードの編集
    • トラックバックの送信
    • ツールバー/キーボードのカスタマイズ
これは便利かもしれない。
ヘンに html エディタを意識しないで済むのは良いかな?
動作もそこそこ速い。
編集記号の表示をオフにすれば単なるエディタに見える。
むしろ wsiwyg なのだから表示ページに直接書いているようなものでエディターと違ってルーラーなんてものは出ないが、元もと改行位置を問題にしないのが原則だからかえってすっきりするというべきか?

8月 19, 2004 at 02:56 午後 ウェブログ・ココログ関連 | | コメント (0) | トラックバック (0)

産経新聞に著作権について記事があったが

産経新聞より「【横車】著作権意識

著作権意識の徹底は重要だが、記事や論評的な紹介については、キャラクターや図版の掲載許諾を版権所持者や継承者の考え方だけにゆだねるのではなく、しかるべき場で明確な判断基準を示すべきではなかろうか?(獲)

マンガなどの紹介記事を書く時に著作権をクリアーするのに掲載料を請求されるのが問題だという記事だが、ちょっと待て!

新聞協会の著作権に関する見解である。

最近、新聞・通信社が新聞や電子メディアで発信する記事・写真などの情報を、インターネット上などで無断利用する事例がかなり目に付きます。

「利用」なのだ、転載も引用も含むということだろう。つまり無断引用という概念をそれとなく出している。
この件については新聞協会が「著作権法に抵触しなくても、違反の例がある」というトンでもない見解を出したことをリアルタイムで見ているので、新聞協会を厳しく見ています。
その上で、産経新聞の記事はより現実を直視したものだと思うが、一方で新聞各社は著作権に関する独自見解を出さずに新聞協会の見解をそのまま使っている例が多い(全部かも)これではネットワークを始めとして他のメディアから使用料金を請求されても仕方ないだろう。新聞協会の見解の修正の方が先決だと思う。

8月 19, 2004 at 11:19 午前 ネットワーク一般論 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2004.08.18

インターネット利用に今後必要なのはソフトか?

インテリジェンスの業界レポートより「「世界一安いITインフラ」を実現」

毎日新聞のサイトにくっついている宣伝(というのか?)記事なのだがちょっと面白い評論で、時々見てますが今回のはチトまずいような気がする。

日本のADSL回線は12Mbpsで5430円であり、ニューヨークが768kbpsで5515円に比べ、はるかに安くなった。平成16年版情報通信白書によると2003年10月時点で100kbpsあたりの月額料金は日本が世界で一番安く0.09ドルである。

では諸手を挙げて喜べるかといえば、そういうわけでもない。コンサルタント会社のアクセンチュアの調査によると各国の電子政府の推進状況はカナダが1位、アメリカが2位。日本はずっと下がって11位である。ハードのインフラは整ったものの、実際の利用状況はまだまだ高いとはいえず、今後はソフトのインフラ整備が必要になる。

マクロには賛成であるが、表現に問題ありだと思う。

 
確かに回線を張り巡らすというはっきり言えば箱物行政というか公共事業を進めた結果、高速回線を標準にしても良いことになったのは、世界的に見るとすごいことだ。しかし、電子政府・電子自治体が機能しているのか?となると、紙オンリーの頃に比べると行政からの情報提供は格段に良くなった。
昔は、法律改正や政令の変更などの正式版を入手するだけでも大変であったのが、今では各省庁のHPには必ずあるのだから、天と地ほどの違いとも言える。
しかしこれでは、広報の手段が増えて広報が入手しやすくなった、というだけのことで、例えば各種申請などについては、まだまだである。

では、今のインターネット技術で申請なども含めて安全性が確保されるのか?と言えばかなり怪しい。これを「ソフトウェアの問題」とするのかどうかを検討したという話は聞いたことがない。
ハードウェアでないからソフトウェアと言っているのではないか?

結論を先に言えばハードウェア・ソフトウェア・ノウハウをきっちりと認識するべきだ。
そしてハードウェアもソフトウェアもその使い方はノウハウによってコントロールされるのは当然だ。

身近な例で言えば「アンチウイルスをPCに入れて下さい」というのはハードウェアからソフトウェアの利用に話が変化した(進化した)ことになる。
しかし、アンチウイルスを入れた人の多くは当初からPCに付属しているからOKという姿勢である。事実アンチウイルスを使っているのだから「入れて下さい」「入っています」というのは文句なく正しい。
しかし、使い方とかなぜアンチウイルスを入れねばならないのか、どんな問題があるのかまで知識のある人は激減する。つまり、ソフトウェアを使っているがノウハウは無いという現実がここにある。

インターネット利用をノウハウの点から問題にすると、幾つかの特に考えなければならない点がある。一つはセキュリティであるが、これは実はプライバシー保護でもある。
もう一つはネットワークでの人づきあいである。この問題の深刻さは佐賀の小学校での同級生殺人事件にもなったことを理解するべきである。
さらに、犯罪も沢山あるという現実である。ここ数日話題になっているのはネットオークションでの出展物が著作権法違反のモノが多くてしょうがない、という話しである。

インターネットはありとあらゆるモノを身近にする。それが未知のモノに触れたり、知らない業界の事情を知ったり、今までは縁のない人と議論出来たりする理由である。それこそが魅力である。しかし、上記のような個人にとってのリスクがあるのは当然であるが、それをソフトウェアの利用を注意しましょう、といった話の中で一体にして扱えることなのか?ノウハウのしっかりした理解が不可欠だろう。

ところがインターネット利用のノウハウが独自にあるものか?考えてみるとそんなものは無いに決まっているというか大半が社会一般の中でうまくやるノウハウであって、インターネット独自のノウハウなんてものはほとんど無い。
例えばネットオークションに著作権法違反のモノを売りに出す側が「著作権法違反とは全く知らなかった」というのはあまり無いだろう(この程度は良いと思ったぐらいだろう)が、買う側は知らないだろうね。
そこで「インターネットのオークションでは法律違反の品物が売られているから注意しましょう」と言うのか「世の中に盗品や法律違反の品物を売っているところがあるので相手にしないように」とやるのが良いのか?という問題に突き当たる。
法律違反の品物などを売ってるのは昔から珍しいことではない、それがインターネットでもあるという方が正確な理解だろう。インターネットに注意を配って、渋谷で注意して、・・・、キリがないじゃないか。注意された方だって覚えきれないぞ。

つまりは総合的なノウハウの理解を促進しないと、社会の安全は保てないと思うわけだ。

8月 18, 2004 at 01:03 午後 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.08.17

三井信託 vs UFJ問題・最高裁に

産経新聞より「UFJ統合交渉、最高裁が判断へ 住信の抗告を許可

東京高裁は17日、交渉を禁じた東京地裁の仮処分を取り消した同高裁の決定を不服として、住友信託銀行が申し立てた最高裁への抗告を許可する決定をした。

住友信託 vs UFJの争いは最高裁に舞台を移す。

 
住友信託がUFJ信託の統合に関する独占制約があることを理由に、UFJと東京三菱との経営統合交渉を禁じる仮処分を東京地裁に申請した。東京地裁は住友信託の主張を認めて仮処分の決定を下したが、UFJは仮処分の無効を訴えて東京高裁に抗告、東京高裁は契約の有効性は認めながらも、仮処分の効果は無いとして仮処分の認めた東京地裁の決定をひっくり返して仮処分の無効を決定した。このため住友信託が最高裁への抗告を求めていた。

東京高裁の決定は「やり過ぎである」というのが個人的な感想で、最高裁の判断がどのように出るのか、あるいは高裁への差し戻しとかになるのかが興味は尽きない。
しかし、この間にもUFJの資産は劣化しているわけで、ヘンな話だが住友信託としては法的な土俵に持ちこんで時間が掛かれば掛かるほど対UFJの立場は強くなるとも言えるのだろう。

UFJの経営陣はここに至っては思い切った戦略の転換による事態の打開という策を講じるべきではないのか。

8月 17, 2004 at 06:08 午後 経済・経営 | | コメント (0) | トラックバック (0)

最近の風潮を解釈してみる

最近あっちこっちの状況を観察すると「?」な例が割と目立つように感じる。
例えば企業で言えば、三菱(自動車・ふそう)、UFJ、関西電力、といったところの行動は「?」であり、これらは「?企業」の代表であろう。

一方で悪徳商法?マニアックスとか在宅での資格商法BBSなどを見ていると被害者(候補?)がどうも分かり切った事と思えるものについて質問している。
悪徳商法?マニアックスでは架空請求である、中には「消費者センターに相談したら無視して下さいと言われたけど、大丈夫か?」という質問まである。在宅での資格商法BBSでの相談例では「支払が4月からありませんがだまされているのでしょうか?」となる。
第三者の目から見ると明らかなのだが、相談者にとっては真剣なのだろう。

一方は企業で一方は庶民なのだが、共通するものを感じていた。それが何かをつらつら考えてみるとどうも「答えがない問題は存在しない」という思考に陥っているのか、トラブル報告が無い場合には問題が無いと考えているのか?と思う。

 
消費者問題で直接的な相談ではなく背景の議論で出てくるものが「怪しげな企業を(警察・裁判所などが)取り締まらないのはおかしい」という設問である。
こういう問題について「裁判所で怪しいかどうかが決まるのであって、神様が決定するのではない」という説明を繰り返ししているが、どうも「この世で私は犯罪などぶつかるはずがない」という考えの方が多いようだし、まして民事ではシロクロは裁判の結果であって処罰では無い、ということが分かってない。
つまり「シロクロという答えがあって当たり前」という思考なのだろうと想像します。

一方、「?企業」の動向を見ていると、共通しているのは「この位は大丈夫だろうと思った」です。もう一つは、情報の一本化によってクロスチェックが出来ない組織になっている。
昨日の例であるが、関西電力の社長が記者会見で点検するべきパイプで点検漏れのあった箇所が判明したと説明した。どうして判明したか?というとこれが書類を調べたら分かったという。じゃあなぜ点検項目に漏れていることがもっと前に分からなかったのか?がよほど問題だろう。要するに点検表への記載漏れなのだが、点検を点検表だけに頼る危険性を理解していなかったということになる。

三菱ふそうのクラッチハウジング破断事故についても同じである。当然、このように重大な事例については多角的な調査が必要であると思うが、三菱では経営陣への情報回路が一本だった。だから部長が情報を隠蔽することが出来た。
会社などの組織運営ではトップからの情報は一本線で出すべきである、そうしないと命令が矛盾する可能性がでてしまう。
一方トップが収集情報は可能な限り多面的であるべきである、そうしないと中間管理職の部長が情報を握って会社が潰れるといったことになりかねない。
これもクロスチェックが機能していなかった実例だ。

では、消費者は「神様が正義をあらかじめ決めているはずだ」と思い込み会社は「社員が情報を隠蔽したりしないはずだ」と考えるのはなぜだろうか?を検討してみる。

基本的には日本人が昔から注意されている、部分の決定の寄せ集めは全体の決定に等しい。という間違った認識なのだと思う。

組織(社会)は一般に利害が相反するところをうまく調節することが肝心なのであって、個々の部分の利益の集合は組織の利益になるとは限らない。
会社で言えば、原料の購入、設計、製造、販売といった組織がある。原料の購入だけの観点で見れば一番良いのは「とにかく安く」であろう。設計においては、設計変更をしないことが一番良い、下手に設計変更すると失敗する可能性があるから実績のある前のものから設計を変えないことが一番良い。製造は生産能率を考えると原料の入荷がどうであれ製品が在庫が山積みになろうが、売れない製品を作ろうが、従来のものを量産するのが一番のコストダウンである。販売にとっては在庫は持たないで注文があった時に即座に製造部門の都合など関係無しに納品できるのが一番良い。
こんなことが全部同時に成立するわけがない。

ところが各部門の「善意の行動」は否定出来ないから、往々にして「部門の最適行動は全体の最適行動だ」との誤解になってしまう。
これが、このような攻めの舞台での問題であれば「思ったより良くならない」程度の問題であろうが、企業にとっての不良品対策や個人にとっての被害予防という防御側の舞台になると話は急に深刻になる。

おそらくは同じ思考なのだろう、消費者的には「契約書」とか「法的措置」とか言われるだけで信用してしまう。つまり「ニセの契約書」というものがあること考えが及ばないなどだ。企業側はある意味ではもっと深刻で、「ちゃんとやっていれば大丈夫」なのである。ちゃんとやっている(と思ったら)のから何がちゃんとなのかは考えないということです。

では、これらの問題がどんなところに影響するか?というと身近なところでは「インターネットは・・・」といったところに現れます。
「HPは誰でも簡単に出来る」そりゃ作るだけなら、まぁ簡単とも言えるでしょうが、メンテナンスまで考えるとそれなり戦略が必要でしょう。別のものとして「○○は安い」これも安いのは商品でもサービスでもありますが、同一条件で比べないのだから無意味なのに気づかない。特にプロバイダを選ぶといったシーンでは安全を買うという側面がありますから、とにかく分かりにくいのは確かです。

結論としてこれらに共通する問題は「視野狭窄に陥っていませんか?」ということです。
世の中が高度化した結果として出発点とゴールだけは簡単に見る(知る)ことが出来るようになって、途中の駆け引きなどに関心を払わないということでしょう。出発点や結果だけに注意するのでなく、背景とか途中経過などにも注意を払わないと間違えた場合に致命傷になりますよ。と注意したいのです。

8月 17, 2004 at 01:30 午後 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

ボーダフォンの社長にNTTドコモの津田氏

朝日新聞より「ボーダフォン新社長にNTTドコモ前副社長の津田氏

ボーダフォンは16日、前NTTドコモ副社長の津田志郎氏(58)を12月1日付で両社の社長兼最高経営責任者(CEO)に迎えると発表した。

あらま!!である。
津田氏はドコモの立役者で以前から次期社長と言われドコモの顔でもあった。

その津田氏が春に社長にならないことが決まった理由が技術方と事務方が交互に社長になるとかなんとかで、全くの役所的な思考であったらしい、津田氏というか元々電電公社時代に自動車電話を手がけた部隊は事実上のリストラであり、それをドコモという形にして実力勝負に勝ったと自負していただろうし、世間もそう見ていた。ところがドコモがNTTグループの稼ぎ頭になったら「本家の出番だ」とばかりにNTT本体の論理を押し通してきたわけだ。

ドコモにとっては「自社の技術の表も裏も知る人物」(ドコモ関係者)だけに、「技術やノウハウが漏れるのでは」(同)との不安が募るばかり。津田氏を慕うドコモ技術者が多いことから、ドコモの人材がさらに流出する可能性も否定できない。


という記事が出てくるもの当然である。しかしまともな民間企業であればこれくらい計算することだ、そもそも春の段階で人事抗争として記事になった時点でダメである。その上でこの結果に本当に驚いたいるのなら「何を見ているんだ!」であるし「ドコモは随分と心配の多い会社だ」とも言える。

優雅なる没落さんは「元ドコモ副社長の津田氏がボーダフォン社長へ」でもっと踏み込んだ見解をアップされています。

8月 17, 2004 at 08:45 午前 経済・経営 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.08.16

住友信託・高裁判決を批判 & UFJに賠償請求を言及

産経新聞より「「司法の過剰介入」と批判 高橋温・住友信託社長

住友信託銀行の高橋温社長は15日「経済活動への司法の過剰介入で、受け入れ難い」との見解を発表した。
高裁判断に対し、高橋社長は「プロジェクトの成否という契約外の事象を心配している。UFJが困っているから仕方ないとの予断もある。裁判所は法理部門に徹すべきだ」と批判した。

まことにもっともな批判で、わたしも高裁・住友信託の請求を取消で書いたとおり「無理が通れば道理が引っ込む」を批判しているわけだ。

 
まぁ確かに仮処分が有効か無効かという裁判であるから、将来に向かっての有効・無効の判断であって、高裁は契約書は有効としている。そこで毎日新聞の記事では「住友信託 特別抗告棄却ならUFJに損賠請求

住友信託銀行は15日、特別抗告を申し立てている最高裁で「UFJ信託の住友信託以外との統合交渉禁止」の主張が認められない場合、統合を断念し、損害賠償の請求に踏み切る方針を固めた。統合交渉にかかった人的コストや事務費などの「実損」に、統合破談による信用失墜の補償などを加えて損害額を算出するとみられ、数百億円規模の請求になる可能性もある。

となってしまうわけだ。
どういう形にしろUFJ経営陣の責任が全く問われないというのは無いのではなかろうか?そしてそれは情況の見通しが甘かったことに対する責任なのだが、分かってないのだろうな。世間は分かってくれるという甘えがあったとしか思えない。潰れるかどうか?という天秤の上にいたことを理解していればこんな一発逆転の大わざを実行して自分が無傷でいられるわけが無いだろう。

8月 16, 2004 at 11:23 午前 経済・経営 | | コメント (0) | トラックバック (0)